2011/10/25  同じようで、同じじゃない。でも同じなんです。

 すでに1ヶ月前の出来事。
 青年教学1級のテキストを作る為に、妙法蓮華経並開結を読んでいた。
 勧持品や寿量品を、研鑽してみると判らない事だらけ…。(^^)
 「一度、ちゃんと全文読んでみないと駄目だな」と思いながら読んでいた。

 家にある書籍は殆どが、聖教新聞社刊の物ばかりです。
 亡父は、書籍好きで古い物も多い。
 書棚にあった「三国志」や「水滸伝」は旧仮名遣いの物であった為、中学生の時に読んで「読みにくい本だなぁ~」と思ってました。
 読み切ってから、本屋で文庫の三国志をめくって「げっ、もの凄く読みやすい…(゜゜)」と思った物です。(笑)

 そんなんもあって、近くの大型本屋で他社の法華経本を見てみる事にしたんです。
 パラパラと散見してみると、結構種類がありました。
 現代語訳の法華経本や、あらすじをマンガにした物もあったりとバラエティに富んでます。
 内容も様々で、「釈尊サイコー」から「日蓮がこう解釈した」まで千差万別。(^^;

 そんな中、鳩摩羅什三蔵訳「妙法蓮華経」の全文が載っている本も当然にあった。
 まぁ、解釈文は釈迦本尊の文上読みなのは仕方がないとして、漢文に目を通すとそこには。
 「隨所應可度 為説種種法 毎自作是意 以何令衆生 得入無上慧 速成就佛身。」
 とあった。
 えっ?
 「隨應所可度 為説種種法 毎自作是 以何令衆生 得入無上 速成就佛身。」
 じゃあないの???
 何冊か、寿量品が書いてある本を見たが、同じように違う自我偈があった。

 おおっ、なんだよ。軽い気持ちで他書を見ただけなのに、えらい疑問できちゃったよ。(^^;;;
 と、凹んで帰って来たんですが、試験も迫っているので、その疑問を取り敢えず置いといて勉強しました。(^^)

 試験も終わって、その疑問を調べてみると、どうやら底本の違いによるらしい。
 大正に編纂された「大正新脩大蔵経」が東アジアでは広く使われているようです。
 これは「高麗海印寺本」を底本として諸本と校合して編纂されました。
 大正大蔵経を底本にした書籍では「隨所應可度 為説種種法 毎自作是意 以何令衆生 得入無上慧 速成就佛身。」になっているようです。
 大正大蔵経は他部分にも異字だったり、語順が違ったりして誤謬、誤植が指摘されています。
 語順が変っても、レ点の位置が変わるぐらいなんで良いのですが、語が違うと意味が変っちゃうので困ったものですね。
 現在、敦煌やシルクロードで発掘された、未分類の漢訳断簡の研究がされているみたいですので、今後の発表が楽しみですね。

 御義口伝では「得入無上道」で講義されているから、日蓮大聖人は「宋版大蔵経」を基本にしているみたいです。
 日蓮大聖人が立正安国論をご執筆の為、訪れた岩本実相寺の宝蔵にあった一切経は、この「宋版大蔵経」だったようです。
 実相寺の一切経は、武田氏の侵攻で焼失してしまい、殆ど残っていないとの事です。

 日々読むお経本の中には異体字の漢字もあったりして、ややこしいです。
 一部の人が、自我偈の「諸天撃天鼓」の「鼓(つつみ)」の文字のつくりがお経本では「皮」で間違っている。と言う人がいます。
 パソコンで打てる漢字では出ないだけで、間違いでもなんでもありません。
 ただの異体字です。
 だって鼓って動物の「皮」を張って造るでしょ。(^^)

 現在、残っている漢訳の法華経は「正法華経」(竺法護訳、2世紀)、「妙法蓮華経」(鳩摩羅什訳、5世紀)、「添品妙法蓮華経」(闍那崛多・達磨笈多共訳、7世紀)の三つ。
 漢訳は幾度となくされていた様ですが、残っているのは三つだけ、他は残っていません。
 日本に一番始めに入って来たお経は「法華経」ですが、どの漢訳法華経かは判ってません。
 ちなみに、「妙法蓮華経」と「添品妙法蓮華経」は漢訳が似ています。
 と、言うか殆ど同じです。
 補足漢訳な感じですね。

 「正法華経」も「妙法蓮華経」も「添品妙法蓮華経」も寿量品を読むと、どれも「如何にして衆生を成仏させるか」を説いています。
 日蓮大聖人が、鳩摩羅什三蔵の「妙法蓮華経」を元に法華経を広められたのは、なぜでしょうか?
 訳の正確さなどではなく、仏の念願を叶えるのに最適な漢訳経典だったから、その真意が「慈悲」に溢れていたからではないでしょうか?

 どれだけ、衆生を救えるか? 成仏させるか? そこに一念を尽くしたいと思います。