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2008/12/09  異体同心

 大切なのは異体同心の団結である。リーダーが師弟不二の精神に立って、互いに団結していくことだ。皆が一つになって戦えれば、これほど楽しいことはない。(中略)同志の間に不和があり、異体同心でなかったら、何をやってもうまくいかない。広宣流布は進まない。それどころか、かえって広宣流布を妨げる存在となってしまう。(2006/9/6付 各部代表研修会)

人間の団体なのだから同志の不和や、どうしてもリーダーに馴染めない時はあるだろう。
その時は指導を受けよう、そのままでは愚癡の温床になるしすっきりとは戦えない。

 人にやらせよう、だれかがやってくれるだろう---そういう心があれば本当の力は出ない。すべては長の一念で決まる。まず自分自身を革命する以外ない。そして、大事なのは、異体同心の団結である。心がバラバラでは、何をやっても、だめだ。青年のために。未来のために。同じ目的観に立った深き結束のあるところ、必ず、爆発的な前進が生まれる。(2006/3/23付 アメリカ創価大学代表協議会)

まずは率先垂範だ、一人立つ精神だ。自ら行動しなければ誰も付いては来ない。

 団結か分断か---あらゆる団体や組織にとって重要な問題だ。戦いである。「団結の力」こそが最も強い。創価学会が勝利していく道は「団結」しかない。御書には「異体同心」(1337㌻)等と仰せである。学会は永遠に、信心を根本にした「異体同心の団結」で進むのだ。万が一にも、身勝手な派閥などができれば、「異体異心」になってしまう。大切な広宣流布の組織は崩されてしまう。それでは、成仏への道は閉ざされてしまう。(2004/8/11付 各部合同研修会)

「私はこの打ちだしには従わない」「この戦いは不得手なのでやらない」「そのやり方では時代に合わない」など好き嫌いで信心したのでは修行ではない。
今日の新・人間革命にも
「大聖人は『佐渡御書』で、弾圧を恐れた弟子たちの言い分を、 『日蓮御房は師匠にておはせども余にこは(剛)し我等はやは(柔)らかに法華経を弘むぺし』 (御書九六一㌻)と記されている。つまり、彼らは、"大聖は自分たちの師匠ではあるが、その折伏の方法は、あまりにも強引すぎる。だから、迫害も起こる。自分たちは、もっと柔軟に法を弘めよう"と言うわけです。
 一応、言い分としては、弘教の方法諭への批判というかたちをとっているが、その本質には"大聖人の生き方はこうだ。しかし、われわれは別の生き方をしよう"という、師匠への"離反の心"がある。それは、無自覚ではあっても臆病な心から起こっている。
 五老僧の場合も同じだ。 "あれは日輿の生き方だ。われわれとは生き方が違う"という姿勢だ。実はこの"心"こそが、退転の元凶ではないだろうか」
とある。
自分勝手な戦いは離反の証しだと思う。

 縁深き同志の皆さんと「苦楽をともにしていく」リーダーであっていただきたい。たとえば、皆がお腹を空かせてないか、また暑くはないか、寒くはないか、そして何かで悩んでいないか---こう絶えず心を砕いていく。喜びも苦しみも共にしていく。その指導者の真心から、異体同心の団結がつくられていくのである。(2003/8/4付 全国最高協議会)


「苦楽」を共に、苦だけでもなく、楽だけでもない。全てを共に戦う。楽だけ一緒で苦から逃げたら団結は出来ない。
同苦しながらの楽しき組織を作れなかったら、勝利も人間革命も出来やしない。

2008/11/30  池田先生の指導に学ぶ「報告・連絡・相談」

【報告・連絡】
報告は、次の作戦の第一歩である。戸田先生も、「これを実行しない者は敵だ」といわれた。
口で本門を唱え、心は外道の人である。
連絡、報告をしようという決心があるとき、その人は本当に戦っているし、躍動がある。
避けていこうというのは、仏法上下劣の精神である。
(創価学会指導集より)

【報告】
良い報告は遅くなってもよい。
特に悪い報告は早くせよ。次の戦いに先手が打てるよう、悪い報告ほど早くできる人は偉い。
責任のある人だ。黙っていたり、にぎりつぶす人は卑怯でずるい人だ。
(創価学会指導集より)


【連絡・相談】
役職のいかんをとわず、信心のある人は、お互いに励まし合い、連絡、伝達をしあって前進していかなけらばならない。
(創価学会指導集より)


【相談】
よく戸田先生が「人生にあっては、かならず語れる人をつくっておきなさい。どんなことでも、打ち明けて相談できる人をつくっておきなさい」といわれていた。
自分自身が長い人生を歩んでいくうえにおいて、当然、様々な苦難や苦悩もあることはやむをえない。
そのときに、どんなことでも話っていける先輩なり同志をつくっておかねばならない。
(創価学会指導集より)


【報告】
正確な報告、正確な報道…これこそ新時代の平和建設のバロメーターである。
いかなる団体や組織にあっても、正確な情報が流れないところは、いつか人々の信用を失い、やがてその進展も止まってしまう。
(人間革命第3巻)


【報告・連絡】
現代は情報化社会であり、スピード時代である。
「情報化」が社会の一実相である。
この傾向はますます強くなっていくに違いない。
正確な情報を迅速に手にいれ、入念に検討し、的確な手をすばやく打っていく。
その積み重ねに勝利が生まれる。
学会がここまで発展したのも、そうした緻密な、「連絡・報告」とスピーディーな「決断・実行」があったからである。
この原理は、企業をはじめ、あらゆる組繊に通ずる。
逆にもっとも恐ろしいのは、不正確・不明瞭な情報である。
また曖昧な処理である。
(本部幹部会のスピーチより)


【相談】
あらゆる人の意見を聞く耳をもつことである。
多くの人たちの意見を聞き、分析し次に進むべき道を探る。
競争に生き残り、発展している組織はこれを欠かしていない。
いいかえれば、つねに勉強し続ける「謙虚」さを失わないということである。
これらを持続できた人や団体こそ「時代の勝者」となっていけることを忘れてはならない。
(本部幹部会のスピーチより)


【連絡】
戦いは勢いである。
孤独になっては勢いは出ない。
ますます心が沈んでしまう。
これまでも連携をとれない、また連絡をとらない人の多くは退転して堕ちていった。
大変な時こそお互いに声をかけあい、励まし、ほめたたえあう、…そこに勢いが生まれる。
愉決になる。爽快になる。明朗になる。勝利へのリズムが生まれる。
(本部幹部会のスピーチより)

2008/11/06  信心こそ勇気の源泉

何事にも勇気が必要です。学業でも仕事でも!

一騎当千の英雄へ育て!
御聖訓には、「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである」(御書552㌻、趣意)と仰せであります。
 何よりもまず、「語る」ことが大事です。たとえ相手が真剣に聞こうが、聞くまいが、自分自身の確信と体験を堂々と誠実に語り抜いていくことです。「臆病は敗北」「勇気は勝利」である。「最高の勇気」を引き出す源泉こそ、信心の力であり、仏法の力なのです。

 広宣流布という大ロマンの前途には、安易な道は一つもない。
「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(同509㌻)との仰せを胸に刻み、青年ならば、革命児ならば、偉大なる大闘争の中で自分自身を鍛えることです。広宣流布のための一切の苦労は、煩悩即菩提の法理に照らして、すべて偉大な自分自身の建設となるからであります。
 信心は、観念ではない。格好でもない。行動である。実証である。
 自分自身が、「一人立つ」正真正銘の師子になるか、どうかであります。
 どうか、わが直系の創価班大学校生の皆さんは、私と共に、戸田先生が「命よりも大事」といわれた、この仏意仏勅の創価学会の組織を断固と守り、誰が見ていなくとも、断じて一人立ち、戦い、勝ち栄えさせゆく一騎当千の英雄へと育っていただきたい。
 さあ、共々に、人生と広宣流布の「栄光大勝」の歴史を打ち立てよう!
【創価班大学校26期生大会 2002年9月15日[東京戸田記念講堂]】

「臆病は敗北」「勇気は勝利」

池田先生は闘争の中でこそ、自分自身を鍛え建設できるとご指導くださいました。
行動こそ実証だとも仰せです。
悩み苦しい時こそ信心です。色々言い訳をして取り繕っても最後は敗北してしまう。
勝たなければ正義の証明は出来ない。力なくば負けるのは当然いや必然です。

誠実に行動し勇気をもって語り抜き、あえて苦難の道を行く。

信心や仕事、勉強に楽な道はない。

2008/11/02  創価班魂

本日は創価班の日

昭和51年(1976年)11月2日、池田先生は輸送班を発展的に解消して、「創価班大学校」と命名していただき結成された。
11月4日、創価班発足式を行い正式に発足した。

発足式の席上、池田先生は「創価学会のすべてを推進していくのです。創価班こそ、広宣流布の精鋭中の精鋭である」「創価班は、一にも二にも、学会を守っていくのです」と永遠の指針を贈っていただきました。

これこそが、創価班の「使命」であり、「魂」である。

先生のご指導のままに生きた先輩がいる。

14期の大先輩でした。
本日はその創価班の先輩の通夜があった。

昨年9月に悪性リンパ腫を発病。病魔と闘った1年1ヶ月だった。

Kさんは、いつも穏やかで毅然とした人だった。
今年7月に男子部から壮年部に上がり、「(年をとったから)壮年部に上がるのは仕方ない、ただ創価班を卒業するのは納得が行かない」と言っていた。

Kさんとは私が創価班大学校生の時に正月任務が初対面だったと記憶している。
「寒いよな、こっちで暖まれ」「ホッカイロ持ってきたぞ」など、ペーペーの私を気遣っていただいた。

先々月9月の会合にも出席し回復の兆しも見えていた。しかし先日、様態が急変し亡くなられた。

病床で「もう一度着任がしたい」と言っていたそうだ。

葬式の最後にお顔を拝見させて頂いた。安らかな顔だった、闘病で痩せられたが白く微笑の寝顔だった。
Kさんの生き様は正に「創価班」だった。地区部長は葬儀中も泣きに泣いていた。

Kさんの遺志を私は受け止めた、Kさんに負けない人材になる。

先生のご指導を胸に
「創価班は師弟の大城である。
人材の大城である。」
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