-今年は、結成45周年-

 高等部の設置は今から45年前の1964年(昭和39年)6月1日、男子部幹部会の席上、発表されました。


 6月7日。晴れやかに開催された旧・東京第2本部の男子高等部結成式。新出発の会合は喜びにあふれ、学会歌を合唱し、質問会も活発に行われていました。そして、最後の質間者が手をあげる直前、場内に拍手と歓声が上がりました。
 「やあ、ご苦労さま!」
──池田先生が突燃。会場に姿を見せたのです。
 先生は参加者と一緒に勤行をし、ご指導をしました。
 大きな期待を込めて語りかける池田先生。
 「世界の指導者を見ると、多くは、十代、二十代で、人生の哲学、思想、信念をもち、それを貰いて、三十代、四十代で、偉大な仕事を成し遂げております。
 青春時代に、生き方の骨格をつくり、さらに完成させていくところに、確かな入生の道があります。その意味から、諸君も、信心に励み、題目を唱えきって、最高の生命の哲学である仏法を、人生の根本の思想にしていっていただきたいのであります」──この日が、先生と高等部の出発の曰であり、部の淵源となっているのです。

後継の心と”大楠公”

 高等部結成の翌65年(昭和40年)10月、高等部の部旗授与式が行われた。
 席上、池田先生は恩師・戸田先生の前で幾度となく”大楠公”を歌った思い出を語った。
 ♪青葉(あおば) 茂(しげ)れる桜井(さくらい)の
  里(さと)のわたりの夕(ゆう)まぐれ
 の歌詞で始まる、この歌に後継の思いを託(たく)されたのです。

 この歌は、戸田先生が生前、よく青年たちに歌わせた歌であった。
 大楠公は、一三三六年(延元(えんげん)元年・建武(けんむ)三年)、朝敵・足利尊氏の上洛を防ぐために、湊川(みなとがわ)の戦いに赴く武将・楠木(くすのき)正成(まさしげ)と、長子の正行(まさつら)の、父子の別れを歌った歌である。
 敗北が必至の湊川の戦いに臨む正成は、桜井の地でわが子・正行を呼び、故郷に引き返すように告げる。だが、正行も父とともに死ぬ覚悟であり、帰ろうとはしなかった。
 しかし、正成は、二人が討ち死にするならば、尊氏の天下となってしまうことを訴え、生きて、早く立派に成長し、国のために仕えよと諭して、故郷に帰すのである。

 池田先生は語った。
「この歌を歌わせた恩師の真意は何か。
 それは、当時の私たちに対して”青年幹部よ、早く広布の人材となり創価学会の中核となって、日本の大指導者となっていきなさい”ということです。」
 ”大楠公”は、恩師と愛弟子が二人して歌った忘れ得ぬ歌であったのです。

5項目の指針

 高等部の歴史に深く刻まれているのが、68年(同43年)8月8日に行われた、第1回高等部総会です。
 池田先生は、高等部の飛躍を願い、次の5項目の指針を示しました。
 ①未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる
 ②才能は独創性をもたなければ、偉大な力として発揮されない
 ③英知なくして知識は生きない。信心なくして真実の英知はない
 ④十代に身体を鍛えあげること
 ⑤まず一カ国の外国語に習熟すること
 この指針の発表は大きな波動となり、高等部の語学委員会(現在の国際委員会)の発足の源流ともなりました。
 池田先生の慈愛に包まれて、師弟の黄金の歴史を築いてきた高等部。今年は意義深き45周年を迎えます。