初級・3級教学試験 教学入門 その2
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2.日蓮大聖人と法華経
末法の法華経の行者
日蓮大聖人は、法華経の経文通りに実践し、大難を越えて妙法を弘通した御自身のことを、「法華経の行者」と仰せになっています。
法華経には、釈尊の滅後において、法華経を信じ、行じ、広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されています。
法師品第10には、「如来現在猶多怨嫉。況滅度後」と説かれています。
見宝塔品第11では、六難九易を説いて、滅後に法華経を受持し、広めることが困難であることを強調し、菩薩たちに、釈尊滅後に法華経を弘通する誓いを立てるように勧めています。
また、勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者には俗衆、道門、僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起るとしています。
このように見ると法華経は、末法における大聖人の出現とその振る舞いを予言した経典ととらえることができます。
逆に大聖人が法華経を身読されたことによって、法華経が虚妄にならずにすみ、釈尊の言葉が真実であることを証明したことになります。
「猶多怨嫉・況滅度後」「六難九易」「三類の強敵」の用語をしっかり覚えましょう。
上行菩薩
日蓮大聖人は、外用(=外面の姿、働き)としては、釈尊から付嘱を受けた、地涌の菩薩の上首(=最上の導師)上行菩薩として振る舞われましたが、御内証(=内心の悟りの境涯)においては、久遠元初の自受用報身如来にほかなりません。
大聖人は、法華経の行者として幾重もの大難を乗り越え、文永8年9月12日の竜の口の法難の時に、この久遠元初自受用報身如来の境地を御自身の凡夫の胸中に顕され、その根源の仏の生命を南無妙法蓮華経の御本尊として御図顕されたのです。
また、末法において法華経を弘通したと言っても、大聖人が広められた「法」は、釈尊の残した法華経28品ではありません。
「今末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546ページ)と仰せのように、大聖人は法華経の肝心(文底)である三大秘法の南無妙法蓮華経を顕し、広められたのです。そこに末法の御本仏たるゆえんがあります。