ホトトギス(学名 Cuculus poliocephalus)は、カッコウ目カッコウ科に分類される鳥類の一種。
 特徴的な鳴き声(オスのけたたましい鳴き声)は「キョッキョッ キョキョキョキョ!」と鳴き、「ホ・ト・…・ト・ギ・ス」とも聞こえる。


 この鳴き声の「聞きなし」として「特許許可局」や「テッペンカケタカ」がよく知られてる。
 習性として早朝からよく鳴き、夜に鳴く事もあり、渡り鳥で日本には5月中旬頃(旧暦卯月)に飛来する。

 日本では古来から様々な文書に登場します。
 「時鳥」「霍公」「霍公鳥」「郭公」「不如帰」「子規」「蜀魂」「杜鵑」「杜宇」「田鵑」「勧農鳥」「卯月鳥」「沓手鳥」「魂迎え鳥」「恋し鳥」など、異名が多い

 万葉集では153首と沢山登場します。
 中臣宅守が詠んだ
 「霍公鳥(ほととぎす)間しまし置け(あいだしましおけ)汝が鳴けば(ながなけば)我が思ふ心(わがおもうこころ)いたもすべなし」(巻15・3785)
 ホトトギスよ。間をしばらく置いてくれ。お前が鳴くと私の恋しく思う心が増さってどうしようない。
 と鳴き声から哀愁の物悲しい例えにも、よく使われている。
 お店が繁盛しない様子を「閑古鳥が鳴く」と言うが、この閑古鳥はホトトギスの事です。

 ホトトギスは時を知る鳥として、また初夏に第一声を聞くのが喜ばしい事でもあったようです。
 同じく万葉集に
 「常人も起きつつ聞くぞ霍公鳥この暁に来鳴く初声」(巻19・4171)
 世の常の人々も寝ずに起きていて聞くものだ。ホトトギスがこの明け方に来て鳴くその初声を。
 なんとも風流ですね。

 「霍公鳥来鳴き響(とよ)めば草取らむ花橘を宿には植ゑずて」(巻19・4172)
 ホトトギスが来て鳴きたてたなら田の草を取ろう。花橘を庭先に植えてやってくるのを待っていずに。
 異名の「勧農鳥」でも判る様に、田草を取る時を知らせる鳥でもあります。
 明け方早く、夜中に鳴く鳥なのと、飛来時期が釈尊の誕生日の4月8日近くなので、仏前に添える卯の花(ウツギ)と一緒によく詠まれますね。
 なにかと仏法と縁のある鳥ですね。

 御書にも「ホトトギス」は良く登場する。
始の事なればほととぎすの初音をねをびれたる者の一音ききたるがように(開目抄上P208)
しかし始めてのことゆえ、ほととぎすの初音を寝ぼけた者が一声聞いたように(かすかだった)。
彼の時鳥は春ををくり鶏鳥は暁をまつ畜生すらなをかくのごとし(撰時抄P256)
ホトトギスは、春の終わろうとする初夏を待って鳴き、ニワトリは暁を待って鳴く。畜生ですらこのように「時」を間違えない。
南には泉の色白たへにしてかの玉川の卯の華信太の森のほととぎす夏のすがたを顕はせり(聖愚問答抄P492)
(釈尊の出家を引き止める為に)南には泉の水量が増し、玉の川べにはウツギの華が咲き、信太の森のホトトギスが鳴いて、夏の姿をあらわした。
例せば郭公の春をおくり鶏鳥の暁を待ちて鳴くが如くなり(御講聞書P807)
例えばカッコウ(ホトトギス)が春を見送って夏を待ち、ニワトリが暁を待って鳴くようなものである。
但ねざめの枕に時鳥の一音を聞きしが如くにして夢のさめて止ぬるやうに弘め給い候ぬ(四菩薩造立抄P988)
ただ寝起きの時にホトトギスの一声を聞いて目が覚めるように、夢が目覚めてて止むように、ひろめて行きなさい。
外典の賢人すら時を待つ郭公と申す畜鳥は卯月五月に限る(呵責謗法滅罪抄P1128)
外典の賢人ですら時を待つのです、カッコウ(ホトトギス)と言う鳥は時を知って初夏の五月に飛来するのです。
山はふかくみちしげければふみわくる人も候はぬにほととぎすにつけての御ひとこへありがたしありがたし(窪尼御前御返事P1478)
山は深く、道は繁っていて往来する人もそんなにいない。その様な山中ではホトトギスの一声がとてもありがたい。

 如何に「時」が大事かの例えにホトトギスが登場しますね。
 最後の窪尼御前御返事はホトトギスを使って「貴方にお会いしたい」と言外に言っているみたいですね。
 異名の「恋し鳥」が示す様に、俳句や和歌でも「会いたい」の意味で使われるようです。
 

 さて、皆さん、この初夏に「会いたい人」は居ますか?
 ホトトギスが飛来するこの時期です。
 この「時」に誰に「会い」に行きますか?
 私は、今は埼玉、静岡に会いたい人がいないか、探しています。(笑)