教学入門「難を乗り越える信心」


6.難を乗り越える信心
 人生には必ず苦難が伴います。また、広宣流布の戦いには必ず困難があります。ここでは、私たちが仏法を実践していく過程に必ず生じるさまざまな「難」について学び、「難を乗り越える信心」の在り方を確認します。

 一生成仏を目指す私たちは、生涯にわたって信心を貫いていくことが大事です。
 しかし、信心を持続するなかには、さまざまな難が必ず現れてきます。このことを知って、いかなる難にも崩されない自身の信心を確立していくことが肝要です。
(略)

三障四魔
 兄弟抄には次のように述べられています。
 「第五の巻に云く『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(1087ページ、通解──天台の摩詞止観の第5巻には次のように述べられている。「修行が進み、仏法の理解が深まってくると、三障四魔が入り乱れて競い起こってくる。……これに随ってはならない。恐れてもならない。これに随ったならば三障四魔は人を悪道に向かわせる。これを恐れたならば仏道修行を妨げられる」。この釈の文は日蓮の身に当てはまるだけではなく、、わが門流の明鏡である。謹んで習い伝え、未来にわたって信心の糧とすべきである)
(略)

三障
 三障の「障」とは、障り、妨げということで、信心修行の実践を、その途上に立ちはだかって妨げる働きをいいます。
 これに、煩悩障、業障、報障、の三つがあります。煩悩障とは、貧り、瞋り、癡などの自身の煩悩が信心修行の妨げとなることをいいます。
 業障とは、悪業(悪い行い。仏法では五逆罪や十悪業などが挙げられる)によって生ずる信仰や仏道修行への妨げです。兄弟抄の御文では具体的に妻子等の身近な存在にしよって起こる妨げが挙げられています。
 報障とは、過去世の悪業の報いとして現世に受けた悪い境涯が仏道修行の障りとなることをいいます。兄弟抄の御文では国主・父母等、自分が従わなければならない存在によって起こる妨げが挙げられています。

四魔
 次に四魔の「魔」とは、信心修行者の生命から、妙法の当体としての生命の輝きを奪う働きをいいます。
 四魔とは、陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔の四つをいいます。
 陰魔とは、信心修行者の五陰(肉体や心の働き)の活動の不調和が信心修行の妨げとなることです。
 煩悩魔とは貧り、瞋り、癡などの煩悩が起こって信心を破壊することです。
 死魔とは、修行者の生命を断つことによって修行を妨げようとする魔です。また、他の修行者等の死によって信心に疑いを生ずることも死魔に負けた姿といえます。
 最後に天子魔とは、他化自在天子魔の略で、他化自在天王(第六天の魔王)による妨げであり、最も本源的な魔です。
 大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(997ページ)と仰せです。
 すなわち、この魔は、生命の根本的な迷いから起こるものであり、権力者等の生命にあらわれるなど、いろいろな形をとり、あらゆる力をもって正しい修行者に迫害を加えてきます。

賢者はよろこび愚者は退く
(略)
 釈尊も、さまざまに起こる心の迷いを魔の働きであると見抜いて悟りました。私たちにとって、魔を打ち破るものは、何事にも紛動されない強い信心です。
 大聖人は「しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋、と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(1091ページ)と仰せられています。
 三障四魔が出現した時こそ、成仏への大きな前進の時と確信して、むしろこれを喜ぶ賢者の信心で、乗り越えていくことが大切なのです。

三類の強敵
 法華経勧持品第13の二十行の偈(詩の形の経文)のなかには、末法に法華経を弘通する者に3種類の強い迫害者、すなわち三類の強敵が出現することが示されています。
 その強敵のそれぞれは、第1に俗衆増上慢、第2に道門増上慢、第3に僭聖増上慢(僣聖増上慢とも書く)、と名づけられています。増上慢とは、種々の慢心を起こし、自分は他の人よりも勝れていると思う人をいいます。
 第1の俗衆増上慢は、法華経の行者を迫害する、仏法に無智な衆生をいいます。法華経の行者に対して、悪口罵詈(悪口や罵ること)などを浴びせ、刀や杖で危害を加えることもあると説かれています。
 第2の道門増上慢は、法華経の行者を迫害する比丘(僧侶)を指します。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し、自身が優れていると思い、正法を持った人を迫害してくるのです。
 第3の僭聖増上慢は、人々から聖者のように仰がれている高僧で、ふだんは世間から離れたところに住み、自分の利益のみを貧り、悪心を抱いて、法華経の行者を陥れようとします。
(略)
 このうち、第1と第2は耐え忍ぶことができても、第3の僭聖増上慢は最も悪質であるといわれています。なぜなら、僭聖増上慢の正体はなかなか見破り難いからです。
 この三類の強敵は、末法に法華経を弘通する時、それを妨げようとして必ず現れてくるものです。
 日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を引き起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされたのです。
 信心は途中で止めてはいけません。
 信心を止めさせようとする働きが「三障四魔」や「三類の強敵」になります。
 これらには従っても、恐れてもなりません。
 魔を見破って悠々と乗り越えましょう。