教学入門「宿命転換」


7.宿命転換
 人生にはさまざまな苦難があります。日蓮大聖人の仏法は、生命を根源から変革して自身の運命を切り開き、現在と未来にわたって幸福境涯を確立する宿命転換の仏法です。ここでは、宿命転換の原理と、宿命を使命に変えていく真の仏法の実践を学びます。

宿命転換
 人生のなかで出あう悩みや苦難はさまざまです。そのなかには今世の自分自身の行動や判断が原因になって現れるものもありますが、なかには、今世に原因を見いだすことができないものもあります。"自分は何も悪いことをしていないのに、 なぜこのような苦しみを受けなければならないのか"と思うような苦難に直面しなければならない場合もあります。
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 これに対して、「宿命の転換」を説くのが、日蓮大聖人の仏法です。
 大聖人は佐渡御書の中で、御自身が大難を受けているのは、仏教で一般に言われる通常の因果によるものではなく、過去において法華経を誹謗した故であると述べられています(960ページ)。
 これは、万人成仏・人間尊敬・自他共の幸福を説ききった正法である法華経を誹謗すること、すなわち謗法(正法を謗ること)こそが根本的な罪業であり、あらゆる悪業を生む根源的な悪であるということを教えられているのです。
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転重軽受
 私たちは信心に励んでいても人生の苦難に直面することがあります。また、広宣流布のために戦うと、それを妨げようとする障魔が起こり、難にあいます。大聖人は、このような苦難に出合って宿命転換できるのは、むしろ「転重軽受」の功徳であると教えられています。
 転重軽受とは、「重きを転じて軽く受く」と読みます。過去世の重い罪業にしよって、今世だけでなく未来世にわたって重い苦しみの報いを受けていかなくてはならないところを、現世に正法を信じ、弘めると、その実践の功徳力によって重罪の報いを一時に軽く受けて、罪業をすべて消滅させることができるのです。ゆえに、大聖人は転重軽受の功徳について「地獄の苦みぱっときへて」(1000ページ)と仰せです。
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願兼於業
 苦難に直面しても、信心を貫いて宿命転換する人にとっては、人生の意味が大きく変わります。
 法華経には、「願兼於業」(願いが業を兼ねる)の法理が説かれています。これは、偉大な福運を積んだ大乗の菩薩が、悪世で苦しむ人々を救うために、自らの清浄な業の報いを捨てて、わざわざ悪世に生まれることを願うのです。
 この場合、菩薩としての願いの力で悪世に生まれるのですが、業によって悪世に生まれた人と同じように悪世の苦しみを受けます。ここから難の意義をとらえ返すと、信心で難を乗り越える人にとっては、悪世に生きて苦難を受けるのは決して宿命ではなく、実は人を救う菩薩の誓願のゆえであり、苦難を共有し、それを乗り越える範を示すものであることになります。
 この願兼於業の法理をふまえた生き方を、池田名誉会長は「宿命を使命に変える」とわかりやすく示しています。
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 宿命は運命論のように変えられないものではありません。
 また善因も悪因も宿命です。
 過去世に積んでしまった悪因の果を、今世で軽く受けて消すのが「転重軽受」の法門です。
 また、全く受けずに消す事はありません。
 これらの苦難を乗り越えた時に、その苦難は「願っていた業」になるのです。
 病気を乗り越えた人にしか、病苦の人に範を示せません。
 苦難をただの「嫌な事があった」で終わらせるのではなく、使命に変えていくのが願兼於業です。