「敵の敵は味方」なら、では「味方の敵は敵」か?
内戦も戦争です。
大変な状態ですね。
リビアのカダフィ大佐が死亡しました。
これでリビア全土は、完全に反体制・反政府組織の「リビア国民評議会」が掌握した事になります。
日本のメディアでは「独裁者が討たれた」「内戦が終わった」的な感じでニュースが流れてますが、リビアではこれからが一番大変でしょうね。
リビアの歴史を見ると一筋縄で収まらないのが判ります。
リビアはイスラム・ウマイヤ朝(661年-750年)の頃からイスラム教の国でした。
ムハンマドがイスラム教の啓示を受けたのが610年なので、イスラム教の歴史の深い国ですね。
16世紀からはオスマン帝国の支配下でした。
オスマン帝国もイスラム教です。
1911(明治44)年に、イタリア王国が伊土戦争によって植民地にします。
ここで支配者はキリスト教、国民はイスラム教になりました。
当然に対立構造が出来上がります。
イスラム神秘主義のイスラム教団を率いていた、イドリース一世がオスマン帝国の後ろ楯でゲリラ運動を開始します。
このイドリース一世も、青年トルコ革命でオスマンからは弾圧されていたんですが、「敵の敵は味方」とオスマンと手を結んだんですね。
第二次世界大戦では、枢軸国のイタリア・ドイツ相手に北アフリカ戦線で戦います。
ここでも、「敵の敵は味方」とキリスト教国のイギリスと手を結び、連合国側に付きます。
戦後、1949年イドリースは「リビア王国(リビア連合王国)」の独立を宣言し、1951年連合国から承認されます。
当然にイドリースは親欧米路線の国策運営をします。
国民は、オスマンの支配下でも搾取はされましたが、同じイスラム。
独立はしていなくとも、元々のイスラムの部族主義もあって不満は少なかった。
しかし、散々イタリアに搾取されたのと、19世紀からの民族主義の台頭もあって、イスラムだけの独立「汎アラブ主義」が主流を占めます。
イドリース一世は、豊富な産油を欧米に売り国益を得ますが、その利益の殆どを親族に分配したのです。
国民は、恩恵を受けなかったので、大いに反感を募らせました。
ましてや、大戦中は「イギリス軍」対「イタリア・ドイツ軍」の戦闘で犠牲者も街の破壊も起きています。
「なんで余所の国の軍隊がウチの国で戦うんだ?」
「そんなキリスト教連中に恨みこそあれ、媚びを売るなんて」と不満は大きかった。
そんな中、1969(昭和44)年イドリースのトルコでの療養中にクーデターが起こります。
クーデターの指導者が、日本では「カダフィ大佐」と呼ばれる「ムアンマル・アル=カッザーフィー」です。
(元々は中尉でしたが、クーデターで大佐になります。)
イドリース一世国王は、そのままトルコに亡命し、カダフィは「リビア・アラブ共和国(大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国)」を建国します。
概ね国民からは、無血クーデターもあって認められ大きな混乱もありませんでした。
カダフィが目指した国は、社会主義のイスラム国家だったので、反欧米イスラエル・親アラブ路線でした。
(ここでも「敵の敵は味方」とカダフィ政権は比較的イタリアとは友好的です。その為、産油はイタリアに輸出されている。)
1970~80年代は、反欧米イスラエルのテロ支援を行ったとして、アメリカからは睨まれもし1986年には米英軍による「リビア爆撃」もされます。
イタリアは、この空爆情報をリビアに渡し、カダフィは難を逃れます。
イタリアにしてみれば、石油利権の為に情報を流したとも見れますね。
この空爆では多数の一般市民の犠牲者が出ています。
国民は空爆によって、「反欧米」感情に傾きます。
命からがら空爆を逃れたカダフィは所在を転々としながら、反イスラエルはそのまま、反欧米・親アラブ路線を変化させます。
反イスラエルで、親イスラエルのエジプトとは仲悪く、他のアラブ諸国がイスラエルと和平するなどもあって、親アラブ路線から親アフリカ路線へ変更します。
また9.11のテロには早くからアルカイダに批難をし、2003年には核開発を認めIAEAの査察も受けます。
2006年には「テロ支援国家」の指定も外され経済封鎖も解かれます。
2008年にはアメリカと国交正常化し、2009年には、オバマ米大統領と会談もした。
また、イタリアのベルルスコーニ首相が植民地時代の支配の謝罪・賠償に合意し、国民からも評価は高かった。
態度を変えたかに見えたカダフィだが、2009年のニューヨークでの国連総会に出席した時には、国連憲章を投げ棄てるパフォーマンスも見せ、「やっぱりカダフィはカダフィか?」とも思わせた。
概ね、国際社会でリビアの地位を上げ、イドリース一世の様に親族が富の独占をした訳でもない。
国民は税が殆どなく、教育も十分に受けられる社会を作った。
ここ10年のカダフィの評価は決して低い物ではなかった。
「国民が豊かになってから、私の贅沢が許される」とまで言ったカダフィ。
質素倹約を旨としていて、子ども達も贅沢はさせていない。
しかし、カダフィは国民の「言論の自由」だけは認めなかった。
反対勢力は徹底的に弾圧したのです。
チェニジアのジャスミン革命、エジプト騒乱の波及を恐れたカダフィは武力鎮圧でデモを押え込んだ。
2011年2月に始まったデモは3月には、鎮圧され政府側の勝利に見えた。
しかし、このデモ鎮圧では多数の死者(報道では250名超)が出ました。
反政府勢力の「リビア国民評議会」は助けを外国に求めます。
ここでも「敵の敵は味方」とばかりに、欧米に訴えます。
この鎮圧の非人道性を訴えますが、始めは諸国は乗り気でありませんでした。
諸国にしてみれば「内政干渉」なんですよね。
しかし3月12日にはアラブ連盟が、リビアにおけるカダフィ政権の正当性を否定します。
カダフィの「親アラブ路線」から「親アフリカ路線」に切り替えた事が裏目に出ます。
アラブにカダフィの味方が居ません。
3月17日、カダフィは強気にも、反勢力への総攻撃と無差別殺戮をも辞さないと演説してしまいます。
それが決定打になって、国連安保理は「多国籍軍の空爆」と「飛行禁止区域の設定」の採択を決議します。
さて、多国籍軍の空爆が開始され、リビアの首都トリポリ、西部ミスラタを攻撃します。
多数の市民が犠牲になり、その数は1000名を超すとの報道もあります。
いつも犠牲になるのは、無辜の市民なんですね。
この空爆もあって「リビア国民評議会」は盛り返し、8月には首都が陥落します。
リビア政府軍は瓦解し、カダフィは首都を脱出します。
もうこうなると「リビア国民評議会」側の掃討戦です。
政府関係者は拘束され、カダフィに賞金を懸けます。
反政府軍は血まなこになって、垂れ込みや情報を集め、掃討軍を送る。
で、2011年10月20日にカダフィは発見され殺されました。
確かにカダフィは独裁者で、長年指導者として君臨してきた。
ネットも規制し、言論を封鎖し、デモには銃弾で答えた。
ジャスミン革命やエジプト騒乱を見ると、ネットの規制も、言論の封鎖も、革命の決定的な切っ掛けにはなっていない。
デモに対し、暴力が切っ掛けになっている。
ジャスミン革命では警官の暴力が切っ掛けだった。
エジプト騒乱では、デモ鎮圧での死者が出た事が切っ掛けだった。
サウジアラビアでは、警察の身柄拘束をしてデモの鎮圧をしている。
イエメンやバーレーンでは警察が、デモ鎮圧にゴム弾や催涙ガスを使っている。
シリアでは、武力鎮圧と市民に対し、水と食料の供給停止と言う手段を取っている。
イドリース一世は、国民念願の独立を勝ち取ったが、その贅沢さで倒された。
カダフィは国民を飢えさせない国を作ったが、その頑迷さで倒された。
カダフィは行った国策は
・家族手当は約76,000円/年
・赤ちゃんが産まれるたびに、約532,000円
・結婚すると、住宅手当て助成金が出る約500万円(無税)
・教育費大学卒業まで無料
・医療費生涯無料
・外国での研修費政府負担
・大家族の食糧費固定相場
・薬剤師になるための必要な額 無料
・大豪邸禁止
・車の購入費を市が50%負担
・電気代無料
・アルコールの売買及び飲酒の禁止
・ガソリンの価格は10円/L
この高福祉社会でも、言論の自由を求めて倒された。
新政権「リビア国民評議会」は、今後上手く行きますでしょうか?
チェニジアやエジプトの様に、富の再分配が原因でデモが起きた訳ではない。
この混乱に乗じて、欧米が石油利権に食い込む事は容易に想像できる。
同じような高福祉が持続するかは不透明だ。
「敵の敵は味方」と欧米に空爆させた国民評議会。
イスラム社会は「眼には眼を、歯には歯を」ですよ。
いつまでたっても忘れる訳がない。
アフガニスタンだって、イラクだって、開放してくれた事と、空爆で殺された事は別物として見てるから米軍は怨嗟を受けている。
日本人が米軍の空襲で多数の市民が亡くなっても、そのアメリカと仲良く出来るのは何が原因でしょうか?
カダフィの「(日本が)広島と長崎に原爆を落とした米国の駐留を認めているのは悲しいことだ。あなたたちの祖父などを殺した国となぜ仲良くなれるのか」との疑問はムスリムとしては当然の疑問なんでしょう。
この辺の感覚は日本人独特の物かも知れませんね。
どんな酷い人でも「死ねば仏」と言うか、「罪を憎んで人を憎まず」なのか?
元寇でも、難破して岸に打ち上げられた元・高麗人は掃討したが、圧倒的多数だった南宋人は保護してる。
しかし、その討ち取った元・高麗人でも首塚・耳塚を作って弔っている。
日本人は、米軍を「キリスト教」とは思わないが、十字軍を経験しているイスラムでは「キリスト教」と認識している。
こう思うのは私が戦後生まれで、戦争を知らないからなのかも知れない。
でも、この殴られた相手と仲良くしている日本人が、世界で不思議がられているのは事実でしょう。
最近はグローバル化してきて、イスラム社会でも対話で解決するようだけど、未だ武力で解決を試みる事もあるようだ。
(ガザ地区などで散発的に衝突が起きるのは、この考え方が残っているから…。)
「敵の敵は味方」は結局は、一方の「敵」が居なくなれば「味方だった敵」は「ただの敵」に戻るだけ。
「敵の敵は味方」論法は、某法華講辺りが、よくやってますね。
でも、当たり前に結局は仲違いしてるんだよね。(笑)おっと脱線した。(^^)
「本当の味方」を作らないと、結局は「自身以外味方がいない」のですね。
では、一時的な友好ではなく、恒久的な友好はどうやったら出来るのでしょうか?
その「敵」は、本当に恒久的な「敵」なんでしょうか?
そう、池田先生の言われる「敵を味方に変える」事が最善なんですよね。
「敵を味方に変える」簡単な様で、とても難しい事ですね。(^^)
私は先日、取り敢えず「敵」を「素敵」にまでは、変えて来ました。(笑)
絶対に「味方」しますよ。(^^;;ココカラガイチバンムズカシイ!!
大変な状態ですね。
リビアのカダフィ大佐が死亡しました。
これでリビア全土は、完全に反体制・反政府組織の「リビア国民評議会」が掌握した事になります。
日本のメディアでは「独裁者が討たれた」「内戦が終わった」的な感じでニュースが流れてますが、リビアではこれからが一番大変でしょうね。
リビアの歴史を見ると一筋縄で収まらないのが判ります。
リビアはイスラム・ウマイヤ朝(661年-750年)の頃からイスラム教の国でした。
ムハンマドがイスラム教の啓示を受けたのが610年なので、イスラム教の歴史の深い国ですね。
16世紀からはオスマン帝国の支配下でした。
オスマン帝国もイスラム教です。
1911(明治44)年に、イタリア王国が伊土戦争によって植民地にします。
ここで支配者はキリスト教、国民はイスラム教になりました。
当然に対立構造が出来上がります。
イスラム神秘主義のイスラム教団を率いていた、イドリース一世がオスマン帝国の後ろ楯でゲリラ運動を開始します。
このイドリース一世も、青年トルコ革命でオスマンからは弾圧されていたんですが、「敵の敵は味方」とオスマンと手を結んだんですね。
第二次世界大戦では、枢軸国のイタリア・ドイツ相手に北アフリカ戦線で戦います。
ここでも、「敵の敵は味方」とキリスト教国のイギリスと手を結び、連合国側に付きます。
戦後、1949年イドリースは「リビア王国(リビア連合王国)」の独立を宣言し、1951年連合国から承認されます。
当然にイドリースは親欧米路線の国策運営をします。
国民は、オスマンの支配下でも搾取はされましたが、同じイスラム。
独立はしていなくとも、元々のイスラムの部族主義もあって不満は少なかった。
しかし、散々イタリアに搾取されたのと、19世紀からの民族主義の台頭もあって、イスラムだけの独立「汎アラブ主義」が主流を占めます。
イドリース一世は、豊富な産油を欧米に売り国益を得ますが、その利益の殆どを親族に分配したのです。
国民は、恩恵を受けなかったので、大いに反感を募らせました。
ましてや、大戦中は「イギリス軍」対「イタリア・ドイツ軍」の戦闘で犠牲者も街の破壊も起きています。
「なんで余所の国の軍隊がウチの国で戦うんだ?」
「そんなキリスト教連中に恨みこそあれ、媚びを売るなんて」と不満は大きかった。
そんな中、1969(昭和44)年イドリースのトルコでの療養中にクーデターが起こります。
クーデターの指導者が、日本では「カダフィ大佐」と呼ばれる「ムアンマル・アル=カッザーフィー」です。
(元々は中尉でしたが、クーデターで大佐になります。)
イドリース一世国王は、そのままトルコに亡命し、カダフィは「リビア・アラブ共和国(大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国)」を建国します。
概ね国民からは、無血クーデターもあって認められ大きな混乱もありませんでした。
カダフィが目指した国は、社会主義のイスラム国家だったので、反欧米イスラエル・親アラブ路線でした。
(ここでも「敵の敵は味方」とカダフィ政権は比較的イタリアとは友好的です。その為、産油はイタリアに輸出されている。)
1970~80年代は、反欧米イスラエルのテロ支援を行ったとして、アメリカからは睨まれもし1986年には米英軍による「リビア爆撃」もされます。
イタリアは、この空爆情報をリビアに渡し、カダフィは難を逃れます。
イタリアにしてみれば、石油利権の為に情報を流したとも見れますね。
この空爆では多数の一般市民の犠牲者が出ています。
国民は空爆によって、「反欧米」感情に傾きます。
命からがら空爆を逃れたカダフィは所在を転々としながら、反イスラエルはそのまま、反欧米・親アラブ路線を変化させます。
反イスラエルで、親イスラエルのエジプトとは仲悪く、他のアラブ諸国がイスラエルと和平するなどもあって、親アラブ路線から親アフリカ路線へ変更します。
また9.11のテロには早くからアルカイダに批難をし、2003年には核開発を認めIAEAの査察も受けます。
2006年には「テロ支援国家」の指定も外され経済封鎖も解かれます。
2008年にはアメリカと国交正常化し、2009年には、オバマ米大統領と会談もした。
また、イタリアのベルルスコーニ首相が植民地時代の支配の謝罪・賠償に合意し、国民からも評価は高かった。
態度を変えたかに見えたカダフィだが、2009年のニューヨークでの国連総会に出席した時には、国連憲章を投げ棄てるパフォーマンスも見せ、「やっぱりカダフィはカダフィか?」とも思わせた。
概ね、国際社会でリビアの地位を上げ、イドリース一世の様に親族が富の独占をした訳でもない。
国民は税が殆どなく、教育も十分に受けられる社会を作った。
ここ10年のカダフィの評価は決して低い物ではなかった。
「国民が豊かになってから、私の贅沢が許される」とまで言ったカダフィ。
質素倹約を旨としていて、子ども達も贅沢はさせていない。
しかし、カダフィは国民の「言論の自由」だけは認めなかった。
反対勢力は徹底的に弾圧したのです。
チェニジアのジャスミン革命、エジプト騒乱の波及を恐れたカダフィは武力鎮圧でデモを押え込んだ。
2011年2月に始まったデモは3月には、鎮圧され政府側の勝利に見えた。
しかし、このデモ鎮圧では多数の死者(報道では250名超)が出ました。
反政府勢力の「リビア国民評議会」は助けを外国に求めます。
ここでも「敵の敵は味方」とばかりに、欧米に訴えます。
この鎮圧の非人道性を訴えますが、始めは諸国は乗り気でありませんでした。
諸国にしてみれば「内政干渉」なんですよね。
しかし3月12日にはアラブ連盟が、リビアにおけるカダフィ政権の正当性を否定します。
カダフィの「親アラブ路線」から「親アフリカ路線」に切り替えた事が裏目に出ます。
アラブにカダフィの味方が居ません。
3月17日、カダフィは強気にも、反勢力への総攻撃と無差別殺戮をも辞さないと演説してしまいます。
それが決定打になって、国連安保理は「多国籍軍の空爆」と「飛行禁止区域の設定」の採択を決議します。
さて、多国籍軍の空爆が開始され、リビアの首都トリポリ、西部ミスラタを攻撃します。
多数の市民が犠牲になり、その数は1000名を超すとの報道もあります。
いつも犠牲になるのは、無辜の市民なんですね。
この空爆もあって「リビア国民評議会」は盛り返し、8月には首都が陥落します。
リビア政府軍は瓦解し、カダフィは首都を脱出します。
もうこうなると「リビア国民評議会」側の掃討戦です。
政府関係者は拘束され、カダフィに賞金を懸けます。
反政府軍は血まなこになって、垂れ込みや情報を集め、掃討軍を送る。
で、2011年10月20日にカダフィは発見され殺されました。
確かにカダフィは独裁者で、長年指導者として君臨してきた。
ネットも規制し、言論を封鎖し、デモには銃弾で答えた。
ジャスミン革命やエジプト騒乱を見ると、ネットの規制も、言論の封鎖も、革命の決定的な切っ掛けにはなっていない。
デモに対し、暴力が切っ掛けになっている。
ジャスミン革命では警官の暴力が切っ掛けだった。
エジプト騒乱では、デモ鎮圧での死者が出た事が切っ掛けだった。
サウジアラビアでは、警察の身柄拘束をしてデモの鎮圧をしている。
イエメンやバーレーンでは警察が、デモ鎮圧にゴム弾や催涙ガスを使っている。
シリアでは、武力鎮圧と市民に対し、水と食料の供給停止と言う手段を取っている。
イドリース一世は、国民念願の独立を勝ち取ったが、その贅沢さで倒された。
カダフィは国民を飢えさせない国を作ったが、その頑迷さで倒された。
カダフィは行った国策は
・家族手当は約76,000円/年
・赤ちゃんが産まれるたびに、約532,000円
・結婚すると、住宅手当て助成金が出る約500万円(無税)
・教育費大学卒業まで無料
・医療費生涯無料
・外国での研修費政府負担
・大家族の食糧費固定相場
・薬剤師になるための必要な額 無料
・大豪邸禁止
・車の購入費を市が50%負担
・電気代無料
・アルコールの売買及び飲酒の禁止
・ガソリンの価格は10円/L
この高福祉社会でも、言論の自由を求めて倒された。
新政権「リビア国民評議会」は、今後上手く行きますでしょうか?
チェニジアやエジプトの様に、富の再分配が原因でデモが起きた訳ではない。
この混乱に乗じて、欧米が石油利権に食い込む事は容易に想像できる。
同じような高福祉が持続するかは不透明だ。
「敵の敵は味方」と欧米に空爆させた国民評議会。
イスラム社会は「眼には眼を、歯には歯を」ですよ。
いつまでたっても忘れる訳がない。
アフガニスタンだって、イラクだって、開放してくれた事と、空爆で殺された事は別物として見てるから米軍は怨嗟を受けている。
日本人が米軍の空襲で多数の市民が亡くなっても、そのアメリカと仲良く出来るのは何が原因でしょうか?
カダフィの「(日本が)広島と長崎に原爆を落とした米国の駐留を認めているのは悲しいことだ。あなたたちの祖父などを殺した国となぜ仲良くなれるのか」との疑問はムスリムとしては当然の疑問なんでしょう。
この辺の感覚は日本人独特の物かも知れませんね。
どんな酷い人でも「死ねば仏」と言うか、「罪を憎んで人を憎まず」なのか?
元寇でも、難破して岸に打ち上げられた元・高麗人は掃討したが、圧倒的多数だった南宋人は保護してる。
しかし、その討ち取った元・高麗人でも首塚・耳塚を作って弔っている。
日本人は、米軍を「キリスト教」とは思わないが、十字軍を経験しているイスラムでは「キリスト教」と認識している。
こう思うのは私が戦後生まれで、戦争を知らないからなのかも知れない。
でも、この殴られた相手と仲良くしている日本人が、世界で不思議がられているのは事実でしょう。
最近はグローバル化してきて、イスラム社会でも対話で解決するようだけど、未だ武力で解決を試みる事もあるようだ。
(ガザ地区などで散発的に衝突が起きるのは、この考え方が残っているから…。)
「敵の敵は味方」は結局は、一方の「敵」が居なくなれば「味方だった敵」は「ただの敵」に戻るだけ。
「敵の敵は味方」論法は、某法華講辺りが、よくやってますね。
でも、当たり前に結局は仲違いしてるんだよね。(笑)おっと脱線した。(^^)
「本当の味方」を作らないと、結局は「自身以外味方がいない」のですね。
では、一時的な友好ではなく、恒久的な友好はどうやったら出来るのでしょうか?
その「敵」は、本当に恒久的な「敵」なんでしょうか?
そう、池田先生の言われる「敵を味方に変える」事が最善なんですよね。
「敵を味方に変える」簡単な様で、とても難しい事ですね。(^^)
私は先日、取り敢えず「敵」を「素敵」にまでは、変えて来ました。(笑)
絶対に「味方」しますよ。(^^;;ココカラガイチバンムズカシイ!!