はじめに
 鯖板で、まよゐさんのリクエストがありましたので、仏教の歴史を書きたいと思います。
 正直、何回連載になるかも判りません。(^^;
 なるべく正確に記述したいのですが、性格が性格なんで脱線するかと思いますし、クレームが付いて中止するかも知れません。
 なんで、仏教通史と言うより仏教ツウ(痛い書き手)史になります。(^^)
 また、内容も私JunkDarkが信仰者として書いてますので、都合の良い様に取捨選択します。
 「法華経が後世の創作だ」とか「漢訳が不完全だ」とかは、ここでは基本論議しません。
 御書にもあるように「真偽未決の問題となるものも信行に資するものは之を取る」精神でいきます。


 ブッダ
 言わずと知れた仏教の始祖。(^^)
 まずは、ブッダから始めましょう。
 本名はゴータマ・シッダッタ
 インドの北、ネパールのルンビニ出身。
 カピラヴァストゥ国の王子として生まれた。
 別名はいっぱいあって。
 釈迦牟尼世尊、釈迦尊、釈尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼仏、釈迦仏、釈迦牟尼如来、釈迦如来、多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三仏陀と仏典によって名前が変る人なのでややこしい。
 他にも十号(如来十号)と言って、如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏世尊の称号もある。

 生誕は紀元前5世紀から4世紀あたりが在世と言われているが、諸説あって確定していない。
 日蓮大聖人は
 1273(文永10)年の「波木井三郎殿御返事」にて
但し仏滅後今に二千二百二十二年なり
とあるし、
 1276(建治2)年の「報恩抄」では
此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず
とある。
 大聖人は伝教大師最澄の「末法灯明記」で書かれた紀元前949年に入滅した説を取られていると思われます。
 80才で入滅したいうので紀元前1029年に生誕した事になるね。
 説によって500年ぐらい差があるので、論争が多いのです。

 さて、ブッダは19才で出家して30才で悟りを得た(日蓮大聖人は30才成道説を取られている。諸説によって29才出家35才成道や36才成道もある)人なんですが、生まれた時から逸話があって生まれてすぐに歩いて右手で天を差し、左手で地を差し「天上天下唯我独尊」と言ったとか。
 これだけで十分に伝説の人なんですが、この王子様は幼い頃から世の中の「無常」に物憂げう人だったらしい。

 長阿含経に出家のきっかけとなった話(四門出遊)がある。
 ある日、王子が城の東門から馬車で出かけます。
 途中で、杖を突き、白髪、歯は抜け落ち、全身シワシワの痩せ衰えた息も絶え絶えの一人の老人を見た。
 王子は馬車の御者に聞いた。
 王子「この人はなにものか。どうしてこのような姿なのか?」
 御者「これは老人というものです」と答えた。
 王子「この人だけが老人になるのか」
 御者「人間は誰もが年をとれば、必ずこのような老人になります」
 王子は「誰もが老いる」と聞き、遊びに行く気持ちは消え失せ塞ぎ込んでしまった。
 王子は従者に言って予定を変え城に引き返す事にした。

 出かけたはずの王子が、帰ってきたの見た父王は従者に聞いた。
 父王「なぜ戻ってきた?」
 従者「なんでも道中に老人にあってから、落ち込んでしまわれたようです」
 父王は昔に師から言われた「この子は将来出家する」という言葉を思い出していた。
 父王は楽しい事があれば心配ないと、王子の為に女性と宴席を設けてみるが王子の心は晴れなかった。

 二度目の外出は南門から。
 今度は途中で、腹を押さえ身悶え顔が黒くなった病人の、苦しむ姿を見た。
 王子「あの男はどうしたのか?」
 御者「あの男は病気に罹っているです」
 王子「誰でも病気にかかるのか?」
 御者「誰でもです。貴族も貧乏人も病気にかかります」
 王子は「誰もが必ず病気になります」と聞き、遊びに行く気持ちは消え失せ塞ぎ込んでしまった。
 王子は今度も従者に言って予定を変え城に引き返す事にした。

 出かけたはずの王子が、また帰ってきたの見た父王は従者に聞いた。
 父王「なぜ戻ってきた?」
 従者「なんでも道中に病人にあってから、落ち込んでしまわれたようです」
 父王は昔に師から言われた「この子は将来出家する」という言葉を思い出していた。
 父王は楽しい…(ry

 三度目の外出は西門から
 今度は途中で、葬列の人々と出会った。
 王子「あれは何の行列なのか?」
 御者「あれは死者を送る行列です。」
 王子「誰にでも死はあるのか?」
 御者「すべての者が死んでいくのです」
 王子「死者とはなにものか」
 御者「この死者は、親兄弟とはもう二度と会えなくなってしまったのです」
 王子「それではわたしも死ななければならないのか。そして親兄弟とも二度と会えなくなるのか」
 御者「そうです。私も王子もいずれは死ぬべきものであり、避けることは出来ません」
 王子は「誰もが必ず死ぬ」と聞き、遊びに行く気持ちは消え失せ塞ぎ込んでしまった。
 王子は今度も従者に言って予定を変え城に引き返す事にした。

 出かけたはずの王子が、またまた帰ってきたの見た父王は従者に聞いた。
 父王「なぜ戻ってきた?」
 従者「なんでも道中に葬列にあってから…(ry

 最後の外出は北門から
 今度は途中で、托鉢中の沙門と出会った。
 王子「この人は何者なのか」
 御者「出家した修行僧であらゆる欲望を離れ、ひたすら心の平静を求め修行している人です」
 王子は、そう聞き心が晴れ渡る気持ちになりました。
 王子は沙門に質問します。
 王子「沙門になるにはどうしたら良いですか?」
 沙門「頭を剃り、袈裟を着て托鉢をするのです。あらゆる欲望を離れ、ひたすら心の平静を求め修行するのです。」
 王子は、自らも出家を決意したのです。

 と言う四門出遊(しもん-しゅつゆう)の話なんですが
 なにせ王子なんで、出家するなんて当然に周囲は大反対する。
 父王も父王で、女あてがって五欲満たせば出家しないだろうとするあたりが何ともはや・・・。(^^;
 こうして王子は19才の12月8日夜半に家出をして、出家してしまいます。
 妻子を捨てて出家してしまうんだから、穿って見る人なら「ひどい人だ」と批難するでしょうね。(^^)
 王子は以降11年間あまりに及ぶ修行をします。
 有名な仙人やバラモンの所に行ってみたりしましたが、真の悟りへの道ではないので辞めてしまいます。
 王子は有能であった為に、仙人やバラモンからは「後継者として残ってくれ」と請われますが辞退するんですね。
 「居ても居なくてでもどうでもいい人」ではなく、正に「居なくてはならない人」を地で行くお話しです。

 真の悟りへの模索で、王子は苦行も試みます。
 骨と皮だけになるような激しい断食行を行いますが、苦しいだけで根本的な人生の悩みの解決にはならないと思い断食行を辞めます。
 同僚の修行僧からは、「苦行から脱落した」と批難されますし、王子から離れて行きました。
 断食で衰えた体を癒した王子は、ガヤー村の菩提樹の下で瞑想に入ります。
 そして30才の12月8日未明に、真の悟りを得ます。
 出家したのも、悟りを得た(成道)も共に12月8日と言うのが、なんとも意義深いですね。
 さて、悟りを得たブッダは、成道の喜びに暫く、その喜びを楽しみます。
 悟りから49日目ブッダは、「この悟りを説いても廻っても、人々は理解できないだろう」と考えます。
 その時、ブッダの前にブラフマン(梵天)が現れます。
 その悟りを人々に説いて廻れと3度に渡って要請されます。
 「ブッダは、悟りを自分独りのものとして、喜びを満喫しているが、その悟りはいったい何のためであったのか? 教えを説くことは難しいが、人々の救済の為に、その法を説かねばなりません。」
 こうしてブッダは、法を説いて廻る事にしますが、この一旦説法を諦めてしまうエピソード(梵天勧請)は何なんでしょうね?
 法を説く難しさを示すのか?
 悟りを得て独り満足してしまう二乗を戒めてるのか?
 一切衆生の救済という目的の再確認なのか?
 まぁ、何にしてもブッダは以降約50年間、死の瞬間まで法を説き続けます。

 こうして諸国を説法に廻り、ブッダは次々と弟子を増やし教団が出来上がってきます。
 中でも有能な弟子を十大弟子といいます。
 ・舎利弗(しゃりほつ)智慧第一。
 ・摩訶目犍連(まかもっけんれん)一般に目連と呼ばれる。神通第一。
 ・摩訶迦葉(まかかしょう)大迦葉とも呼ばれる。頭陀第一。
 ・須菩提(しゅぼだい)解空第一。
 ・富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)富楼那とも呼ばれる。説法第一。
 ・摩訶迦旃延(まかかせんねん)論議第一。
 ・阿那律(あなりつ)天眼第一。
 ・優波離(うぱり)持律第一。
 ・羅睺羅(らごら)羅云とも書かれる。密行第一。
 ・阿難(あなん)多聞第一。
 彼ら十人については、追い追い書きましょう。

 ブッダの生涯を細かく書くと、それこそ本数冊になってしまうので、これ位にします。
 別項で書くこともあるでしょう。
 次回は「仏典の結集」の予定です。