青春対話1巻「青春の悩み、青春の希望」に学ぶ
未来部はまさに、学会の宝です。次代を担い行く若人に先生はご指導くださっている。
悩みが境涯を開く成長の糧になるのです。
指導を受けるのは人に頼るのではない、どこまでも自身の宿命と使命の再確認です。
人生の羅針盤を見ることと一緒です。
人間味あふれる大人材になって頂きたい。
これをすこし難しいが「願兼於業(がんけんおごう)」と言う
この願兼於業は「宿命を使命に変える」と言える。
池田先生は
誰しも各々の使命をもって生まれてきています。本人が気付いていないだけです。
未来部の皆さんは、長い人生に於て悩みや挫折に負けない、悠々たる未来を築いて行きましょう。
青春は「悩みとの戦い」!人生には悩みが付き物です。未来部だから悩みがない訳ではない。当然に悩みはある。「煩悩即菩提」と大聖人は教えてくれている。
私は愛する諸君に、ともかく「悔(く)いなき青春」を送ってもらいたい。大切な、一生の土台である十代に、悔(く)いを残してはいけない。
自分なりに、自分らしく、何でもいいから、自分はこれだけはやった、という満足感をもってもらいたい。
掃除でもクラブでも、ボランティアでも、何かやった、何か頑張(がんば)った。そこで「あいつは、どこか違うな」「あいつは偉いな」と言われる存在になってもらいたい。 (P10-11)
勉強のことだけではない。家族のこと、健康や容姿のこと、異性のこと、友人のこと、いろいろな悩みがある。苦しみもある。不安もある。悔(くや)しさもある。悲しみもある。あらゆる悩みとの戦いが青春時代です。
そのなかで、もがきながら、暗雲(あんうん)をかきわけ、太陽に向かっていこう、待望(たいぼう)に向かっていこう。この力が青春です。悩みや、失敗や、後悔があるのは当たり前です。大事なのは、それらに負けないことだ。悩みながら、苦しみながら、前へ前へ進むことです。 (P12-13)
悩みが境涯を開く成長の糧になるのです。
自分らしい夢に挑戦しよう自身の成長は自分自身だけでなく、家族や友人にも影響を与えます。自分の使命とは?自分の夢とは?大いに学び見つけて頂きたい。
理想的には、大学に進学することに大賛成(だいさんせい)です。そのほうが、実力をつけやすい環境になるし、より大勢の人に貢献していくうえで役に立つ場合が多いからです。
しかし、自分の道を行くことも自由です。何かに自分の道を見いだし、使命を感じていけば、それも当然でしょう。大事なのは親に心配をかけないことです。そして、「自分はこれでいくんだ」という自分らしい夢をもって、挑戦していってもらいたい。
勉強は、大学に行くためだけにあるのではない。自分を豊かにするためにある。「学(まな)ばずは卑(いや)し」という言葉があるが、人間の人間らしさというものは、「学ぶ」ところにある。
(中略)
今の世の中の行き詰まりは、じつは指導者(しどうしゃ)自身の行き詰まりにある。「学ばない」からです。 (P16-17)
忍耐(にんたい)強く、断じて進みゆけ!我慢強く乗り越えて行く事が出来たら一番良いが、悩みがある時には相談指導を受けよう。
「負けない」ことだ。「自分が強くなる」ことだ。人に頼る根性、人に責任を押しっける卑しさ、弱さであってはならない。人を恨み、うらやみ、わびしい自分であっては、雲におおわれた太陽の自分です。
どんな悩みがあっても、それをバネにし、じっと我慢(がまん)し、こらえて、「今に見てろ」と自分を励まして進むのです。行くべき自分の軌道(きどう)を、黙々と、忍耐強く進んでいくのです。
君が「太陽」なのです。あなたが「太陽」なのです。まず、そう決めることです。
自分が太陽である限り、今どんな悩みがあろうとも、「朝」がこないわけがない。「快晴」の日がこないわけがない。「春」がこないわけがないのです。 (P31)
指導を受けるのは人に頼るのではない、どこまでも自身の宿命と使命の再確認です。
人生の羅針盤を見ることと一緒です。
唱題(しょうだい)した分、深い人生に唱題は福運の貯金です。日々の薄皮の積み重ねみたいの物です。重ねなければ厚くはならない。
道に迷った。海に出るには、どうするか。
どの道でもいいから前へ進めばいい。そうすれば川に出る。川筋(かわすじ)をたどっていけば、いつか必ず海へ出る。
前へ進むことです。もがきながら、題目をあげ、一ミリでも二ミリでもいいから、前へ進む。そうやって生きぬいていけば、あとで振り返って、ジャングルを抜けたことがわかる。
そして、苦しんだ分だけ、悲しんだ分だけ、題目をあげた分だけ、深い人生となっている。それが二十一世紀の指導者となるための栄養になっているのです。 (P13)
勉強は「不幸な人を救う」ため勉強は辛いかもしれない。しかしその先には成長がある。自身を、世の中を、変革する力をつける事です。
勉強は当然、大事です。しかし高校の成績で一生が決まるものではない。努力で決まる。正しく歩んでいるかどうかで決まる。人と比べてどうかではありません。きのうの自分と比べてどうか。一歩でも進んでいれば勝利です。
(中略)
悩める人、苦しんでいる人、不幸の人の味方になれる人が偉い人です。それが「新世紀の指導者」です。
現実の今の社会は、不幸の人を足げにし、バカにし、片隅に置き、のけものにする。今の多く町指導者はそうです。とんでもない間違いです。そういう不幸の人を救うための勉強です、本当は。それを下に見て、ますます苦しめている。こんな残酷な、傲慢な、無慈悲な、卑怯な世の中はない。これを、どうしても変えたい。そのために私は戦っているのです。
この心を知ってもらいたい。そして、後に続いてほしいのです。 (P14-15)
人間味あふれる大人材になって頂きたい。
仏法は、すべてに意味があるこの先の人生には「挫折」があると思う。悩み夢破れ落ち込みへこむ事もあるでしょう。しかし腐ってはいけない、なぜなら私たちは仏の命を持っています。仏の境涯を開けば挫折なんか、それも又成長の一因になる。
この地球上の、この地の、この家に生まれてきた。ほかの、どの家にも生まれなかった。そこにすべての「ありとあらゆる意味」が含まれている。
仏法に偶然はない。必ず意味がある。だから、「ありとあらゆる宝」を自分は与えられたと思うべきです。
どんなに苦しくても、自分は今、「生きている」。生命以上の宝はありません。まして諸君は若い。若き生命という宇宙で一番の財宝を授かっているのです。その宝を、やけになって自分で壊したり、ゆがめてはいけない。 (P29)
これをすこし難しいが「願兼於業(がんけんおごう)」と言う
この願兼於業は「宿命を使命に変える」と言える。
池田先生は
「誰しも宿命はある。しかし、宿命を真っ正面から見据えて、その本質の意味に立ち返れば、いかなる宿命も自身の人生を深めるためのものである。そして、宿命と戦う自分の姿が、万人の人生の鏡となっていく。とご指導くださっている。
すなわち、宿命を使命に変えた場合、その宿命は、悪から善へと役割を大きく変えていくことになる。『宿命を使命に変える』人は、誰人も『願兼於業』の人であるといえるでしょう。
だから、全てが、自分の使命であると受け止めて、前進し抜く人が、宿命転換のゴールへと向かっていくことができるのです」
誰しも各々の使命をもって生まれてきています。本人が気付いていないだけです。
未来部の皆さんは、長い人生に於て悩みや挫折に負けない、悠々たる未来を築いて行きましょう。