社説
偉大な師弟の闘争に学べ!

 「戸田先生は世界に二人とない大指導者です。私は若輩ですが、どこまでも戸田先生についていきます。皆さんも、どんなことがあっても、信心から離れず、戸田先生についていきなさい」
 1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で、京都・舞鶴から駆けつけた友に、池田室長は、こう語った。
 連載「若き指導者は勝った 池田大作――その行動と軌跡」に記された一幕である。
 連載では、今回、初めて明らかとなった秘話やエピソードを満載し、知られざる真実に迫ると同時に、戸田城聖第2代会長の実像も浮かび上がらせてきた。

”必ず会長に”-誓願と苦闘

 池田青年という新入社員を採用し、「来年から来い」としながら、出勤日も定めなかった豪胆さ。
 「今は貧乏でも心配するな。そのうち聖徳太子(当時の千円札)がオイッチニー、オイッチニーと行列を作って家に入ってくるぞ」等と、幾十万の庶民を励まし続けた慈悲――。
 なかでも、50年(同25年)8月、戸田会長が、最悪の事態を迎えた時のエピソードは胸に迫る。
 当時、理事長職にあった戸田会長が、事業の営業停止から、理事長の辞意を表明する。その戸田会長に、こう誓う一人の青年がいた。
 「戸田先生に必ず創価学会の会長になっていただきます。そのために私が全力で戦い、お守りします」
 その青年こそ、池田名誉会長であった。名誉会長の生命を削るような苦闘の積み重ねによって、事業の苦境、後を襲った最高幹部の邪心等を打ち破り、戸田第2代会長が誕生したのである。

師の構想を一つ残らず実現

 きょう2月11日は、109年前に、不世出の民衆指導者である戸田会長が生誕した記念日である。
 45年(同20年)7月、不敬罪および治安維持法違反の容疑で捕らわれていた戸田会長は、生きて牢獄を出て学会を再建。「地球民族主義」の提唱、「原水爆禁止宣言」、「75万世帯の達成」……師・戸田会長の構想を、弟子・池田名誉会長は一つ残らず実現した。偉大な弟子ありて偉大な師匠あり、であったのだ。
 「青年・勝利の年」の年初を飾った「若き指導者は勝った」(連載は今月4日付で終了)に学び、特に青年部は広布第2幕の「若き指導者」として、一日一日を雄々しく勝利していきたい。
2009年2月11日付聖教新聞


本日、5件回ってなんとか新聞1部1P取りました。
3/1までに本流も決めるぞ!