3.権実相対
大乗教といっても、浄土宗も真言宗も禅宗もみんな大乗教に基づいています。釈尊の残した様々な経典の中でどれが一番優れているのか。
権実相対とは、仏の真実の悟りを明かした実大乗教(法華経)と、真実を明かすための準備、方便として説かれた権大乗教(華厳経・般若経・阿弥陀経・大日経など)に立て分け、権大乗教よりも実大乗教が勝ることを示したものです。権とは仮の意、実とは真実の意です。


大乗教典の華厳経・般若経・阿弥陀経・大日経などの法華経以外の諸経では、二乗(=声聞・縁覚)の成仏や、悪人・女性の成仏を否定しています。また、その他の人々についても成仏のためには何度も生まれ変わって修行を積み重ねなければならないとしています。
さらにいえば、人はうまれながらにして、あなたは声聞界の人、あなたは縁覚界の人、あなたは人界の人という風に分けられていたことになります。
ですから、他の人を救っていこうとする大乗教であっても救えない人がいた訳です。


しかし、実際には、一人の生命の中に、声聞界も縁覚界も、地獄界も、菩薩界もあるというのが、本来の姿です。このことを、十界互具といい、一念三千の法門というのです。このことを説いたのが法華経なのです。

声聞界や縁覚界に執着していた小乗教の教えを捨てさせるために、方便として権大乗教では、二乗は成仏できないとしたのです。そして、今度は、全ての生命に仏界があることを示すために法華経が説かれ、方便である権教では、真実の幸福が得られないのです。
開目抄 上
「法華経計り教主釈尊の正言なり三世・十方の諸仏の真言なり、大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒河の諸経を未顕真実・八年の法華は要当説真実と定め給しかば多宝仏・大地より出現して皆是真実と証明す」(P188)
このように、実教である法華経と権教である他の大乗教を比較したのが、権実相対です。
十界の次元から考えれば、権大乗教は菩薩界を目指したのに対し、法華経は仏界を顕わしたことになります。

*内外相対も、大小相対も正しいものが最初に来ていますが、権実相対だけは、権の字が先に来ますので注意してください。