先日の3月1日の毎日新聞に池田先生の寄稿文が掲載された。


発言席 「青年と平和」 創価学会名誉会長池田大作

危機の打開へ若き活力を
 「平和は自動的にくるものではなく、若者がかかわることで確保されるものだ」
 私の友人である統一ドイツのワイツゼッカー初代大統領は、沖縄の青年たちを励まされた。(毎日新聞・大阪朝刊1999年5月7日付)
 青年こそ、平和の原動力である。
 あの「ベルリンの壁」を崩して、東西冷戦の終結をもたらしたのも、ドイツで政財界を動かして環境保護の政策を推進したのも、青年の声の力が大きい。それゆえに、大統領は強く期待されていた。
 "大人は情けない妥協をしてしまいがちだ。若い人は控えめにならず、どしどしものを言ってほしい"
 大統領や私は、戦争で青春を踏みにじられた世代である。わが家も、4人の兄が徴兵され、長兄は戦死。父母の嘆きは深かった。家は空襲で焼かれ、私自身も肺病を患っていた。
 あんな苦しい悔しい思いを、二度と青年にさせてはならない――私たちの世代の祈りであり、決心である。
 人も社会も、学ぶ心を失った時に老いる。青年と共に生き生きと学び、青年の新たな発想と創造性を伸びやかに引き出していくことこそ、あらゆる危機を打開する活路であろう。
 「変化」は小さな一歩から始まる。
 私が知るアメリカの若者たちは10年前、衝撃的な高校生の銃乱射事件を機に、身近な地域や学校から、いじめや暴力をなくそうと立ち上がった。展示会や対話を軸に「暴力に打ち勝つ運動」を積み重ね、「自分の生命を尊重しよう」「すべての生命を尊重しよう」を合言葉に100万人を超える共感の輪を広げた。「友情の力は暴力に勝る」と、青年たちは誇り高い。
 アインシュタインが精神分析の創始者フロイトに「戦争を避ける方途」を尋ねた。答えは明快であった。「人と人の間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻む」「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」(浅見昇吾訳)。すなわち対話によって、心の温かみのある社会を建設することだ。そして文化の創造と交流である。特に良質の活字文化は絶対に護らねばならぬ平和の砦だ。
 戦争中、私は新聞配達をしていた。今でも、雨の日や寒い日など、配達の方々の苦労が偲ばれてならない。
 私が見つめてきた関西出身の青年は、先天性の脳性小児マヒを乗り越えながら、毎日新聞を配達した。その陰には、不自由な体でも自転車に乗れるよう、一緒に傷だらけになって練習してくれた仲間がいた。新聞を配り、定時制高校に学ぶ日々のなかで、彼は心に決めた。「弱気になったり、挫折感に苦しんだりする人に、勇気を贈れる人間になりたい」
 大学を卒業し、就職も勝ち取って、今、誓い通りの社会貢献の人生を、良き家族と朗らかに歩んでいる。いかなる逆境も突破しゆく不屈の活力こそ、青年の特権ではあるまいか。
 世界は若い力が台頭している。私も年頭「若き米ロ首脳の早期会談で、大胆に核軍縮の前進を」と提言した。
 私たちが手を携えて行動してきた国連協会世界連盟も、明年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向け、「核兵器のない世界のためのグローバル若者運動」を展開している。
 平和の原点・広島と長崎を擁する日本の青年が、生命の尊厳と共生へ、一段と声を強めゆく時である。
 「青年が取り組んで、英雄になれないような事業や仕事など、何一つとしてない」――若き友に贈りたいホイットマンの詩の一節である。
2009年3月1日付毎日新聞
先生はいつも青年に期待をされている。
多分それは学会員であるとかないとかは関係ないのでしょう。
勿論、学会青年部にとりわけ期待はされている。
この寄稿文からは時代を切り開く世代へのエールと指針が見える。

一般紙に先生の掲載があると「聖教新聞の様だ」「お金で乗っとられた」などと言う愚か者がいる。
大抵はその中身には触れず、己の好き嫌いの判断だけで発言している。
掲載内容を読まずに脊椎反射で反応しているに過ぎない。

内容に反論をする「アンチ」は見た事がない。いや、あったかもしれないが論理になっていなかった記憶がある。
1.26SGI記念提言なども論理的な反論は世間の批評家もしてはいない。皆無かったかの様に無言のままだ。