最近の学会系BBSに於ての「人本仏迹論」が再燃しております。

天城五兵衛氏の「若鷹別館」「天城五兵衛の掲示板・其の壱」での反論にて決着したと思ってましたが、未だ人本仏迹は教学の薄い人を引きつける様で「人本仏迹論は邪義なのか?いや間違っていない」等と言う論客もいます。


やまいぬ。氏や、もくれん氏などが種々の御書・ご指導を引用され反論さていますが、大抵は堂々巡りの議論に終始しています。

なぜならば殆どの人本仏迹論者は、その論拠に追加や補強がありません。始めから「議論」のつもりがないかの様です。
やまいぬ。もくれん両氏が次々と論拠テキストを開示しているのと比べれば一目瞭然です。

日蓮大聖人の本懐が御本尊(一大秘法は本門の本尊)と言うのが創価学会の公式見解です。
「いや違う題目こそが日蓮大聖人の本懐だ」と言う人本仏迹論がそれを証明する証拠を出せば良いのです。

仮に学会の論をA、反対論をBとします。
「Aは間違っている、Bが本当だ」と言うのであればB論拠をB論者が証明すれば良く、それに対してA論者がAの証明をすれば良いのです。

自分の論を自分で証明すれば良い。

しかし大抵のB論者はA論者に対しBが成り立たないのを証明しろと言う。

これは「悪魔の証明」以外何者でもない。存在する物の証明は数パターンしかないが不在する物の証明は無限パターンある。

これは犯罪を告発するのと一緒で、犯罪を証明すれば良いのであって証拠もないのに告発すれば名誉毀損や威力妨害にしかならない。
※なおアリバイとは現場不在証明の事で犯行が行われた際、被疑者が行っていた行動や滞在していた場所等を示し、犯罪の直接的な実行が不可能であったことを証明するもの。

出所は不明だが、よくコピペされます。参考までに
詭弁のガイドライン
議論するにあたり、真っ当な意見と見せかけ、実は詭弁で論点をはぐらかす輩が多々おります。
皆様も以下の「詭弁の特徴15条」を覚え、そういう輩を排除しましょう。
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合
   あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が……

1:事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
2:ごくまれな反例をとりあげる
「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」
3:自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」
4:主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」
7:陰謀であると力説する
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」
8:知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
10:ありえない解決策を図る
「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」
11:レッテル貼りをする
「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」
13:勝利宣言をする
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」
もう一つ
2ちゃんねる議論板「死刑」スレッドからの転載

議論の問題点を淡々と検討・指摘できない人の行動パターン

ラベリング型:発言内容を問うのではなく相手の姿勢そのものをレッテル貼り(ラベリング)することで、議論を一方的に誘導しようとする。
攻撃型:反論が目的であるかの如く、とにかく反論する。多くは言葉尻にのみ反応する。
宗教型:常識・人権・学会などの権威に依存していて、ある程度話を詰めると思考停止状態になる。
侮蔑型:様々な理由をつけてひたすら相手を蔑む。根拠不明の優越感を持っている。
一般化型:特殊な意見や個人的な価値観を敵性派閥全員が主張しているかのように一般化する。
単純型:釜茹でマンセーなど、深いことを考えていない単発の意見を書く。ネタの可能性大。
秘匿型:自分の意見を全く表明せず、安全地帯から他人の意見に茶々だけ入れて荒らす。
電波型:見当違いの会話や理論を押し付けてくる。突然逆ギレすることも。
分裂型:自ら上記のような手法を使うがそれは顧みず、他人が使ったときだけ鬼の首を取ったように責める。

社長様は御書やご指導を正確に引かれての発言は殆どないので論外だが、一部の論客は一大秘法もしくは出世の本懐の論拠として日女御前御返事や一生成仏抄を持ち出しています。
しかし、肝心な所が読めてません。

一生成仏抄は日蓮大聖人34歳の御作です。一方、日女御前御返事は56歳の御作です。佐渡前と佐渡後の違いがあります。

一生成仏抄の妙法蓮華経は御本尊の無い時、日女御前御返事は御本仏の立場で書かれてます。
「法華経をたもちて南無妙法蓮華経」は御本尊を受持して唱題の事言っているのです。
日女御前御返事
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり(P1243)
と前々段にあるので御本尊を受持するのが前提の御文です。なんの為の「旗印」か?

日女御前御返事と一生成仏抄を一緒くたにして「己心の南無妙法蓮華経」が出世の本懐や一大秘法の様に論ずるのは滑稽です。
まして一生成仏抄の何処にも「曼荼羅」は出て来ません。都合の良い脳内変換はやめましょう。

天城氏も書かれてますが御金言の「人法共に尊し」です。本迹を出す事がおかしいのです。
受持即観心や不惜身命、または依正不二、色心不二をどの様に捉えているのか?心配です。
論者の皆さん、一日も早く人本仏迹論を棄て広布の最前線で戦われる事をご祈念します。