ちょっと、ecoさんとは中断して新・人間革命から研鑽です。
 ecoさん申し訳ありません。m(_ _)m


 引用が多いですが、大事な部分なのです、申し訳ありません。
新・人間革命 第8巻 宝剣(P102-)
 次いで、伸一は、「女子部の皆さんも、どうか真心を込めて、一人ひとりのメンバーの個人指導を実践していっていただきたい」と呼びかけた。
 彼は、男女青年部の活動が、会合や行事の運営などが中心となり、個人指導がなおざりになっていくことを心配していたのである。
 学会活動の基本は、自行としての勤行・唱題と、化他行としての折伏と個人指導にある。
 また、見方によっては、折伏とは、一人の人が入会することで終わるのではなく、個人指導を重ね、その人が自分以上の人材に育ってこそ、完結するということができる。
 「折伏を…」「人材を…」と頑張ってみても、中途半端では駄目ですね。
 最終目的を見失っては、空しいだけになってしまう。

 会合も大切であることはいうまでもないが、会合に出席する人というのは限られている。たとえば、座談会を見ても、参加者に倍するほどのメンバーが、それぞれの組織にはいるはずである。そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、盤石な学会がつくられ、それが拡大にもつながり、広宣流布の広がりも生まれる。いわば、個人指導なき活動は、画竜点晴を欠いているといってよい。
 ひとくちに個人指導といっても、決して、容易なことではない。
 会員のなかには、さまざまな人がいる。会って話すことを拒む人もいれば、子供のころに親と一緒に入会してはいるが、自分は信仰をした覚えはないという人もいるかもしれない。あるいは、学会に著しく批判的な人もいるだろう。さらに、病苦や経済苦などに悩み、未来への希望を見いだせずに悶々としている人もいる。そうした人びとの家を訪ね、知恵を絞って対話の糸口を探し、友情を結び、信仰の大切さを語り、勤行や教学を教えていくことは、並大抵のことではない。
 会合に出るだけ、運営をする事で満足をしてはならない。
 夜遅くまで活動をしていると、それだけで「やった気」になってしまう心を戒めないとね。
 会い易い人にだけ訪問しても駄目だ。
 行き難い所に行って友誼を結ばないと真の連帯も人材も出来ない。

 それは、会合で話をしたり、行事の運営をすることより、はるかに難しいにちがいない。しかし、そこにこそ、自身の鍛錬がある。他者を育成するなかにこそ、自己の成長もあるからだ。また、その労作業のなかに、まことの仏道修行がある。
 会合に集って来る人だけを相手に、活動を進めることは楽ではあるが、そこには本当の広宣流布の広がりはない。それでは、海の彼方の岸辺をめざしながら、入り江のなかを巡って満足しているに等しいといえよう。学会活動の主戦場となる舞台は、会合の先にこそあることを、幹部は深く認識しなければならない。
 リーダーの意識も持ちようで、その組織が広宣流布の主戦場に立っているかいないかが決まる。
 いつも来るNL、地区Lとだけ活動するのは楽だ。
 でも、それでは組織が停滞してしまう。
 自分の成長は、他人の成長と共にある事を自覚しよう。

 創価学会の真心のネットワークを形成してきたものも、家々を訪問しての個人指導であった。大樹が、網の目のように、地中深く張り巡らされた根によって支えられているごとく、学会を支えているものも、この地道な個人指導の積み重ねであるといってよい。
 臆病で怠惰なスタンドプレーヤーには、この勇気と忍耐の労作業を成し遂げることはできない。民衆のなかへ、友のなかへ、人間のなかへと、個人指導の歩みを進める人こそが、仏の使いであり、まことの仏子であり、真正の勇者といえるのだ。
 山本伸一は、青年部の幹部が、個人指導に徹していくならば、学会の未来は永遠に磐石であると確信していた。川が流れるにつれて川幅を広げ、水かさを増すように、時代を経るごとに、人の輪が広がり、数多の人材が輩出されていくことになるからである。
 しかし、青年部の幹部がそれを怠るならば、学会という大樹の根を、自らの手で断ち切ることに等しい。ゆえに彼は、この女子部の幹部会で、個人指導の大切さを訴えたのである。
 個人指導と家庭訪問をしない「臆病者」になってはならない。
 リーダーなら、打って出る勇気と忍耐を身に付けよう。
 点での訪問では人との繋がりは出来ない。
 足繁く通い、話を聞き、共に進み行くリーダーになろう。


 ここ最近の聖教紙上でもずーっと「対話」「仏子を敬え」「同志を護り抜け」等など、ご指導されている。
 大白蓮華でも、同時中継でも同じ事を師匠は仰しゃられている。

 訪問しづらい家庭は、中々敬えないかもしれない。
 塩をまく部員さんは、同志と思えないかもしれない。
 でも、個人指導と家庭訪問は自身の成長と、惰性を排する事になる。
 なにより、そこに価値の創造がある。