正確に書いておきたいので。(笑)
似てるけど、違う意味の言葉を気をつけましょう。
間違えやすい似た同音語は沢山あります。
文章でどちらを使うか、悩みますよね。
「青田買い」と「青田刈り」
卒業前の学生に対し、企業が早い時期から採用内定を出すことは、正しくは「青田買い」といいます。
「青田」は、稲がまだ実っていない田の意味。
「青田刈り」は、兵法の一つで、敵が兵糧不足になるように、敵地のまだ青い田を刈り取ってしまう作戦。
したがって、早い段階の採用内定に「青田刈り」の言葉を使うと、まだ実る前の役に立たない学生を採用するという意味になって失礼になりますので注意。
「意思」と「意志」
「意思」は、自分の思いや考えの事で、「意志」は、何とかしたいという積極的で明確な心の持ち方を意味します。ただ、法律用語としてはすべて「意思」を使っています。
「いしひょうじ」は、自分の考えを相手に向かって明らかにすることですから、「意思表示」と書きます。
「いしはくじゃく」は、何かをしたいという意志が弱いということですから、「意志薄弱」と書きます。
ややこしいね。
姥桜(うばざくら)
「しょせん私は姥桜…」なんて謙遜で聞くような気がしますが、この場合は「私は、盛りを過ぎた女…」というような意味で使っているのでしょう。
しかし、「姥桜」の本来の意味はそうではなく、娘盛りを過ぎても美しい女性のことで、誉め言葉なのです。
語源としては、葉が出るより先に花が開く桜の通称でヒガンザクラ・ウバヒガン等、葉がないことを「歯無し」に掛けて「姥」が付いた。
「おざなり」と「なおざり」
どちらも「いい加減」という意味では同じですが、この二つの言葉は微妙に違う。
「おざなり」を漢字で書くと「お座成り」「御座成」となり、「その場合わせ」という意味です。
一方、「なおざり」は「等閑に付す」の「等閑」を訓読みしたもので、いい加減なまま「放っておく」という意味です。
「おざなりな補修」は、一応の補修は行われているものの、中味はいい加減で不十分という意味になり、「補修をなおざりにする」というと、補修そのものを放ったらかしにして何も行っていないという意味です。
「伯父・伯母」と「叔父・叔母」
どちらも父母の兄弟ですが、「伯○」は父母の兄姉および父母の義理の兄姉を指し、「叔○」は父母の弟妹および父母の義理の弟妹の事をいいます。
元は中国の字の付け方「伯」「叔」「仲」「季」から。
「伯」は長子、「叔」は次子、「仲」は三子(とそれ以降)、「季」は末子を大体表します。(例外もあるよ)
なので字で、家族構成を知る事が出来ます。
「孟」も長子を意味しますが、嫡出が「伯」、庶出が「孟」です。
例えば三国志では、長男には、孫策(伯符)、陸遜(伯言)、姜維(伯約)、司馬朗(伯達)など。
次男には司馬懿(仲達)、許チョ(仲康)、董卓(仲穎)、孫権(仲謀)など。
三男は董旻(叔穎)、諸葛融(叔長)、司馬孚(叔達)など。
四男には馬良(季常)、劉璋(季玉)などがいる。
「孟」は曹操(孟徳)や馬超(孟起)など。
また、二番目には「公」とつける場合もある。周瑜(公瑾)や袁術(公路)や徐晃(公明)など。
中国は姓(1字)+名(1字)&字(2字)の組み合わせが多く、原則的に伯叔仲季が字を入れると同姓同名だらけになってしまうので、「公」とか「元」とかが使われているようだ。
因みに、「小父」も「おじ」と読みますが、これは血縁関係のない中年のおっさんのことです。
おっとり刀
「おっとり刀で駆けつける」という言い方があります。
「おっとり」という語感から、「おっとり」の意味を、「ゆっくりと」とか「のんびりした様子で」というふうに解釈している人がいますが、これは間違い。
そもそも「おっとり」は、「押し取り」が「押っ取り」に変化したもの、武士が火急の場合に余裕無くて刀を脇に差さず、手に持ったままの状態を「おっとり刀」と言う。
ですので、緊急の場合に取る物も取り敢えず駆け付ける様子を表す言葉です。
「元日」と「元旦」
「元日」は、1月1日という意味で、「元旦」は元日の朝という意味です。
したがって、「1月元日」とか「1月元旦」と書くのは、二重表現となり誤り。
なので、「元旦の午後に会おう」とは言わない。
気が置けない
この言葉も、語感から、どうしても「気が許せない」とか「油断できない」というような意味に解釈されがちです。
しかし、本当の意味は、「気にする必要がない」「気楽に接することができる」という、意味です。
このように誤解している人が多いので、誉め言葉で使ったつもりでも、悪口を言われたと受け止めらるかも知れません。
「聞く」と「聴く」
漠然ときこえる場合には「聞く」と書き、積極的に意識してきく場合には「聴く」と書きます。
また、尋ねる、従うという意味では「聞く」と書きます。
「規定」と「規程」
「規定」は法令関係、また条文一つ一つに対して使われ、「規程」は事務手続きに、また規則全体に対して使われます。
最近では「規定」に統一しているメディアもあるようです。
檄(げき)を飛ばす
激励の意味や元気のない者に刺激をあたえるや、励ます意味で用いるのは間違い。
「檄」というのは、昔の中国で諸侯を呼び集める主旨を記した木札で、「檄を飛ばす」の意味は、自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めることです。
「檄」は木ヘン、で激励の「激」はサンズイ、音が一緒だと間違うね。
けりがつく
語源は多くの和歌や俳句などが、助動詞の「けり」で終わることから。
「けりがつく」というのは、困難な問題に悩まされてなんとか解決する様です。
自分で努力して決着させる場合は「けりをつける」と言います。ですのでよい結末で終わる場合には使いません。
「喧嘩にけりがついた」とは言いますが「ハッピーエンドでけりがつく」とは言いません。
姑息(こそく)
よく「姑息な真似をするな」という言い方がされますが、「姑息」の意味は、「一時の間に合わせ、その場逃れ」という事です。
語源は『礼記』に登場し、「君子の人を愛するは徳を以てし、細人の人を愛するは姑息を以てす(教養ある人が人を愛するときは道徳により、無教養の人が人を愛するときはその場限りである)」から。
なので「姑息」には、「卑怯」とか「ずるい」といった意味はないのです。
「探す」と「捜す」
「探す」は欲しいものを見つけようとする事、「捜す」は見えなくなったものを見つけようとする事。
例えば「嫁を探す」は、結婚相手を見つけようとする意味になり、「嫁を捜す」では、行方不明になった嫁を見つけようとする意味になります。
さわり
「歌のさわりの部分」という表現をよくしますね。
この「さわり」を歌の始まりの部分だと思っている方が多い。
本来は「さわり」というのは、もともとは義太夫節のなかでいちばんの聞かせどころの意味。
それが広く解釈されて、その話や歌のなかでもっとも感動的な(印象深い)部分。
したがって、「歌のさわり」は、サビの部分を指します。
しおどき
「もう、しおどきだから止めよう」とか使われてますね。
もともとは、漁師が漁に出るときに潮の状況を判断して、最も適したときに船を出すことから出た言葉。
本来は「物事を行うのに最も良い時」という意味。
「しおどき」をマイナスイメージで、「悪い時期」で使ってる人が多いようです。
しめやか
「しめやかに婚礼の儀が行われる」と言ったら間違い。
「しめやか」とは、気分が沈んで悲しげな様を言う。
おめでたい席に使ってはいけません。
ジンクス
「2年目のジンクス」といわれるように、「ジンクス」とは縁起が悪いことを表す言葉です。
ですから、「ジンクスを守る」などと言うのは間違い。
ジンクスは「守る」んじゃなくて「破る」もの。
須く(すべからく)
これは「すべて」「総じて」という意味ではない。
漫画「はじめの一歩」鴨川会長のセリフ「努力した者が全て報われるとは限らん しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」の誤用が有名。(笑)
本当の意味は「ぜひとも」「当然・・・すべきである」で、「すべからく・・・・・・べし」という形で用いる。
たとえば、「規則をやぶった者は、すべからく処分すべし」など。
「すべて」と発音が似ていることから、誤用が増えてきたようです。
「制作」と「製作」
どちらも、何かをつくるという意味で同じですが、使い分けは「制作」は自分で考えて整え、定めるような場合に使い、「製作」は物をつくりだす、製造する場合に使います。
たとえば、絵画や彫刻などの芸術作品を生み出すのは「制作」で、工業製品をつくるのは「製作」です。
「精算」と「清算」
「精算」は、金額を細かく計算して結果を出すことで、「運賃を精算する」とか「出張費を精算する」というようなときに使います。
「清算」は、今までの貸し借りをすべて整理して後始末をつけることで、「会社を清算する」「清算人」などと使います。
また、後始末という意味で「二人の関係を清算する」「不純な関係を清算する」などでも使います。
「世間ずれ」と「世間はずれ」
世間ずれの「ずれ」は、「ずれている」のではなく、「擦(す)れている」の意味。
靴ずれや股ずれの「ずれ」と同じ。
だから、「世間ずれ」は、実社会で苦労を重ね、世間の裏表を知り尽くして悪賢くなったことを表す言葉です。
悪賢くなったわけですから誉め言葉には使いませんのでご注意。
「世間はずれ」と似ている為か、世間とずれている、非常識、世情に疎いなどの意味で使われる事も、「世間はずれ」の同義語に「世間知らず」があるので混同しやすい。
ぞっとしない
恐ろしく身の毛がよだつ思いをするのが、「ぞっとする」。
「する」の反対だからといって「ぞっとしない」が「恐ろしくない」の意味にはならない。
「ぞっとしない」は「感心しない」の意味。
ですから、感心しない。うれしくないを「あまりぞっとしない話だ」のように言います。
「する」「しない」で意味や用法が違うので、つい間違えて使うと「ぞっとしない」です。(笑)
「耐える」と「堪える」
「耐える」は、長期間の使用に耐える、高熱に耐えるのように、物理的な作用の場合に使います。
「堪える」は、おもに精神的な作用であり、感情を抑える意味で、「苦境に堪えてやり遂げる」「慚愧に堪えない」などと使います。
「体制」と「態勢」
「体制」は長期的、「態勢」は短期・部分的な内容を表します。
たとえば、「生産体制」は長期的であり、「増産態勢」は短期・部分的ですから、前者は「体制」と書き、後者は「態勢」と書きます。
まったくの同音異義語であれば、実態に合わせて使い分ける必要があります。
対談と鼎談
「対談」は二人が話すこと、三人以上が話す場合は、「鼎談(ていだん)」。
古代中国の煮炊き器具「鼎(かなえ)」が3本足であることから鼎談と言います。
「玉子」と「卵」
「生たまご」は「生卵」と書きます。ところが「たまご焼」は「玉子焼」、「たまご丼」も「玉子丼」です。
殻の付いてる調理前が「卵」、調理後が「玉子」です。
「ゆでたまご」は調理しているにもかかわらず卵の形をとどめているためか、「ゆで卵」「ゆで玉子」の両方表記を見かけますね。
天地無用(てんちむよう)
宅配便などの箱によく表示されている「天地無用」の意味は、「壊れやすいものが入っているから、逆さにしてはいけない」ということです。
これを、「心配無用」とか「問答無用」のように「ない」という意味に解釈して「天地がない」と、ひっくり返す人がいますが、駄目ですよ。
「無用」は本来「禁止する」という意味を表します。
「特徴」と「特長」
「特徴」は目立つ点という意味、「特長」は目立つ長所という意味です。
「犯人の特長」と書くと、おかしくなります。
目立つ短所で「特短」はありません。
「鳥肌が立つ」と「総毛立つ」
どちらも、そもそも恐怖や寒さなど悪いことが起こった時に使います。
最近では素晴らしいことに感動して「鳥肌が立つ」「総毛立つ」という表現がありますが、本来は使いません。
「慣れる」と「馴れる」
「慣れる」は、何度も経験して習熟する事。
「馴れる」は、動物が人になつくという意味。
「仕事に早く馴れる」と書くのは間違い。
ただし、「馴れ馴れしい」「馴れ始め」「馴れ合い」は慣用として「馴」を使います。
煮詰まる
例えば「案が煮詰まる」を「検討の結果やっと結論がまとまってきた。」ではなく「議論が堂々巡りになり、参加者の思考停止状態になってきた。」と思っている人が多い。
完成間近の意味合いで、使いましょう。
「配布」と「配付」
「配布」の「布」は「しく」とも読み、「広布」「公布」「布陣」と「広く行き渡らせる」といった意味。
配布とは「広く一般に行き渡らせるように配る」ことです。
一方「配付」の「付」は「つく、つける」と読み、「付着」「交付」と「相手につける→相手に渡す」という意味。
配付とは「一人一人の手に渡るように配る」ことです。
不特定多数に配る場合は「配布」、関係者めいめいに配る場合は「配付」となります。
ですので、試験の申込書を「はいふする」は「配布」、試験問題を「はいふする」は「配付」になります。
「羽」と「羽根」
鳥や昆虫などの、体にくっついている状態のハネは「羽」、体から離れてばらばらにされたハネは「羽根」と書きます。
例えば「ハネを伸ばす」の「ハネ」は「羽」で、「赤いハネ募金」の「ハネ」は「羽根」となります。
悲喜こもごも
漢字で書くと「悲喜交々」。
同じ場所で喜んでいる人と悲しんでいる人が混じり合っている状態をさす言葉ではない。
本来の意味は、一人の人間の心の中で悲しみと喜びが混じり合う、あるいは交互に去来する状態の事です。
使い方としては、「悲観するな、人生は悲喜交々、次は良い事もある。」とか。
憮然(ぶぜん)
「憮然として立ち去る」を腹を立てている様子ではありません。
「憮然」は、「失望してぼんやりしている」様です。
「やおら」と「おもむろ」
「やおら」や「おもむろ」を「いきなり」「突然に」というような意味に解釈する人が多いです。
「やおら」は「静から動へ移る動作が、悠然として見えること」を言います。
語源は「柔(らわら)」ではないかという説もあります。
「おもむろ」も「ゆっくり」の意味です。
例えば「彼は満場の拍手が鳴り止むのを待ち、やおら立ち上がってスピーチを始めた」と用います。
間違えやすい似た同音語は沢山あります。
文章でどちらを使うか、悩みますよね。
「青田買い」と「青田刈り」
卒業前の学生に対し、企業が早い時期から採用内定を出すことは、正しくは「青田買い」といいます。
「青田」は、稲がまだ実っていない田の意味。
「青田刈り」は、兵法の一つで、敵が兵糧不足になるように、敵地のまだ青い田を刈り取ってしまう作戦。
したがって、早い段階の採用内定に「青田刈り」の言葉を使うと、まだ実る前の役に立たない学生を採用するという意味になって失礼になりますので注意。
「意思」と「意志」
「意思」は、自分の思いや考えの事で、「意志」は、何とかしたいという積極的で明確な心の持ち方を意味します。ただ、法律用語としてはすべて「意思」を使っています。
「いしひょうじ」は、自分の考えを相手に向かって明らかにすることですから、「意思表示」と書きます。
「いしはくじゃく」は、何かをしたいという意志が弱いということですから、「意志薄弱」と書きます。
ややこしいね。
姥桜(うばざくら)
「しょせん私は姥桜…」なんて謙遜で聞くような気がしますが、この場合は「私は、盛りを過ぎた女…」というような意味で使っているのでしょう。
しかし、「姥桜」の本来の意味はそうではなく、娘盛りを過ぎても美しい女性のことで、誉め言葉なのです。
語源としては、葉が出るより先に花が開く桜の通称でヒガンザクラ・ウバヒガン等、葉がないことを「歯無し」に掛けて「姥」が付いた。
「おざなり」と「なおざり」
どちらも「いい加減」という意味では同じですが、この二つの言葉は微妙に違う。
「おざなり」を漢字で書くと「お座成り」「御座成」となり、「その場合わせ」という意味です。
一方、「なおざり」は「等閑に付す」の「等閑」を訓読みしたもので、いい加減なまま「放っておく」という意味です。
「おざなりな補修」は、一応の補修は行われているものの、中味はいい加減で不十分という意味になり、「補修をなおざりにする」というと、補修そのものを放ったらかしにして何も行っていないという意味です。
「伯父・伯母」と「叔父・叔母」
どちらも父母の兄弟ですが、「伯○」は父母の兄姉および父母の義理の兄姉を指し、「叔○」は父母の弟妹および父母の義理の弟妹の事をいいます。
元は中国の字の付け方「伯」「叔」「仲」「季」から。
「伯」は長子、「叔」は次子、「仲」は三子(とそれ以降)、「季」は末子を大体表します。(例外もあるよ)
なので字で、家族構成を知る事が出来ます。
「孟」も長子を意味しますが、嫡出が「伯」、庶出が「孟」です。
例えば三国志では、長男には、孫策(伯符)、陸遜(伯言)、姜維(伯約)、司馬朗(伯達)など。
次男には司馬懿(仲達)、許チョ(仲康)、董卓(仲穎)、孫権(仲謀)など。
三男は董旻(叔穎)、諸葛融(叔長)、司馬孚(叔達)など。
四男には馬良(季常)、劉璋(季玉)などがいる。
「孟」は曹操(孟徳)や馬超(孟起)など。
また、二番目には「公」とつける場合もある。周瑜(公瑾)や袁術(公路)や徐晃(公明)など。
中国は姓(1字)+名(1字)&字(2字)の組み合わせが多く、原則的に伯叔仲季が字を入れると同姓同名だらけになってしまうので、「公」とか「元」とかが使われているようだ。
因みに、「小父」も「おじ」と読みますが、これは血縁関係のない中年のおっさんのことです。
おっとり刀
「おっとり刀で駆けつける」という言い方があります。
「おっとり」という語感から、「おっとり」の意味を、「ゆっくりと」とか「のんびりした様子で」というふうに解釈している人がいますが、これは間違い。
そもそも「おっとり」は、「押し取り」が「押っ取り」に変化したもの、武士が火急の場合に余裕無くて刀を脇に差さず、手に持ったままの状態を「おっとり刀」と言う。
ですので、緊急の場合に取る物も取り敢えず駆け付ける様子を表す言葉です。
「元日」と「元旦」
「元日」は、1月1日という意味で、「元旦」は元日の朝という意味です。
したがって、「1月元日」とか「1月元旦」と書くのは、二重表現となり誤り。
なので、「元旦の午後に会おう」とは言わない。
気が置けない
この言葉も、語感から、どうしても「気が許せない」とか「油断できない」というような意味に解釈されがちです。
しかし、本当の意味は、「気にする必要がない」「気楽に接することができる」という、意味です。
このように誤解している人が多いので、誉め言葉で使ったつもりでも、悪口を言われたと受け止めらるかも知れません。
「聞く」と「聴く」
漠然ときこえる場合には「聞く」と書き、積極的に意識してきく場合には「聴く」と書きます。
また、尋ねる、従うという意味では「聞く」と書きます。
「規定」と「規程」
「規定」は法令関係、また条文一つ一つに対して使われ、「規程」は事務手続きに、また規則全体に対して使われます。
最近では「規定」に統一しているメディアもあるようです。
檄(げき)を飛ばす
激励の意味や元気のない者に刺激をあたえるや、励ます意味で用いるのは間違い。
「檄」というのは、昔の中国で諸侯を呼び集める主旨を記した木札で、「檄を飛ばす」の意味は、自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めることです。
「檄」は木ヘン、で激励の「激」はサンズイ、音が一緒だと間違うね。
けりがつく
語源は多くの和歌や俳句などが、助動詞の「けり」で終わることから。
「けりがつく」というのは、困難な問題に悩まされてなんとか解決する様です。
自分で努力して決着させる場合は「けりをつける」と言います。ですのでよい結末で終わる場合には使いません。
「喧嘩にけりがついた」とは言いますが「ハッピーエンドでけりがつく」とは言いません。
姑息(こそく)
よく「姑息な真似をするな」という言い方がされますが、「姑息」の意味は、「一時の間に合わせ、その場逃れ」という事です。
語源は『礼記』に登場し、「君子の人を愛するは徳を以てし、細人の人を愛するは姑息を以てす(教養ある人が人を愛するときは道徳により、無教養の人が人を愛するときはその場限りである)」から。
なので「姑息」には、「卑怯」とか「ずるい」といった意味はないのです。
「探す」と「捜す」
「探す」は欲しいものを見つけようとする事、「捜す」は見えなくなったものを見つけようとする事。
例えば「嫁を探す」は、結婚相手を見つけようとする意味になり、「嫁を捜す」では、行方不明になった嫁を見つけようとする意味になります。
さわり
「歌のさわりの部分」という表現をよくしますね。
この「さわり」を歌の始まりの部分だと思っている方が多い。
本来は「さわり」というのは、もともとは義太夫節のなかでいちばんの聞かせどころの意味。
それが広く解釈されて、その話や歌のなかでもっとも感動的な(印象深い)部分。
したがって、「歌のさわり」は、サビの部分を指します。
しおどき
「もう、しおどきだから止めよう」とか使われてますね。
もともとは、漁師が漁に出るときに潮の状況を判断して、最も適したときに船を出すことから出た言葉。
本来は「物事を行うのに最も良い時」という意味。
「しおどき」をマイナスイメージで、「悪い時期」で使ってる人が多いようです。
しめやか
「しめやかに婚礼の儀が行われる」と言ったら間違い。
「しめやか」とは、気分が沈んで悲しげな様を言う。
おめでたい席に使ってはいけません。
ジンクス
「2年目のジンクス」といわれるように、「ジンクス」とは縁起が悪いことを表す言葉です。
ですから、「ジンクスを守る」などと言うのは間違い。
ジンクスは「守る」んじゃなくて「破る」もの。
須く(すべからく)
これは「すべて」「総じて」という意味ではない。
漫画「はじめの一歩」鴨川会長のセリフ「努力した者が全て報われるとは限らん しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」の誤用が有名。(笑)
本当の意味は「ぜひとも」「当然・・・すべきである」で、「すべからく・・・・・・べし」という形で用いる。
たとえば、「規則をやぶった者は、すべからく処分すべし」など。
「すべて」と発音が似ていることから、誤用が増えてきたようです。
「制作」と「製作」
どちらも、何かをつくるという意味で同じですが、使い分けは「制作」は自分で考えて整え、定めるような場合に使い、「製作」は物をつくりだす、製造する場合に使います。
たとえば、絵画や彫刻などの芸術作品を生み出すのは「制作」で、工業製品をつくるのは「製作」です。
「精算」と「清算」
「精算」は、金額を細かく計算して結果を出すことで、「運賃を精算する」とか「出張費を精算する」というようなときに使います。
「清算」は、今までの貸し借りをすべて整理して後始末をつけることで、「会社を清算する」「清算人」などと使います。
また、後始末という意味で「二人の関係を清算する」「不純な関係を清算する」などでも使います。
「世間ずれ」と「世間はずれ」
世間ずれの「ずれ」は、「ずれている」のではなく、「擦(す)れている」の意味。
靴ずれや股ずれの「ずれ」と同じ。
だから、「世間ずれ」は、実社会で苦労を重ね、世間の裏表を知り尽くして悪賢くなったことを表す言葉です。
悪賢くなったわけですから誉め言葉には使いませんのでご注意。
「世間はずれ」と似ている為か、世間とずれている、非常識、世情に疎いなどの意味で使われる事も、「世間はずれ」の同義語に「世間知らず」があるので混同しやすい。
ぞっとしない
恐ろしく身の毛がよだつ思いをするのが、「ぞっとする」。
「する」の反対だからといって「ぞっとしない」が「恐ろしくない」の意味にはならない。
「ぞっとしない」は「感心しない」の意味。
ですから、感心しない。うれしくないを「あまりぞっとしない話だ」のように言います。
「する」「しない」で意味や用法が違うので、つい間違えて使うと「ぞっとしない」です。(笑)
「耐える」と「堪える」
「耐える」は、長期間の使用に耐える、高熱に耐えるのように、物理的な作用の場合に使います。
「堪える」は、おもに精神的な作用であり、感情を抑える意味で、「苦境に堪えてやり遂げる」「慚愧に堪えない」などと使います。
「体制」と「態勢」
「体制」は長期的、「態勢」は短期・部分的な内容を表します。
たとえば、「生産体制」は長期的であり、「増産態勢」は短期・部分的ですから、前者は「体制」と書き、後者は「態勢」と書きます。
まったくの同音異義語であれば、実態に合わせて使い分ける必要があります。
対談と鼎談
「対談」は二人が話すこと、三人以上が話す場合は、「鼎談(ていだん)」。
古代中国の煮炊き器具「鼎(かなえ)」が3本足であることから鼎談と言います。
「玉子」と「卵」
「生たまご」は「生卵」と書きます。ところが「たまご焼」は「玉子焼」、「たまご丼」も「玉子丼」です。
殻の付いてる調理前が「卵」、調理後が「玉子」です。
「ゆでたまご」は調理しているにもかかわらず卵の形をとどめているためか、「ゆで卵」「ゆで玉子」の両方表記を見かけますね。
天地無用(てんちむよう)
宅配便などの箱によく表示されている「天地無用」の意味は、「壊れやすいものが入っているから、逆さにしてはいけない」ということです。
これを、「心配無用」とか「問答無用」のように「ない」という意味に解釈して「天地がない」と、ひっくり返す人がいますが、駄目ですよ。
「無用」は本来「禁止する」という意味を表します。
「特徴」と「特長」
「特徴」は目立つ点という意味、「特長」は目立つ長所という意味です。
「犯人の特長」と書くと、おかしくなります。
目立つ短所で「特短」はありません。
「鳥肌が立つ」と「総毛立つ」
どちらも、そもそも恐怖や寒さなど悪いことが起こった時に使います。
最近では素晴らしいことに感動して「鳥肌が立つ」「総毛立つ」という表現がありますが、本来は使いません。
「慣れる」と「馴れる」
「慣れる」は、何度も経験して習熟する事。
「馴れる」は、動物が人になつくという意味。
「仕事に早く馴れる」と書くのは間違い。
ただし、「馴れ馴れしい」「馴れ始め」「馴れ合い」は慣用として「馴」を使います。
煮詰まる
例えば「案が煮詰まる」を「検討の結果やっと結論がまとまってきた。」ではなく「議論が堂々巡りになり、参加者の思考停止状態になってきた。」と思っている人が多い。
完成間近の意味合いで、使いましょう。
「配布」と「配付」
「配布」の「布」は「しく」とも読み、「広布」「公布」「布陣」と「広く行き渡らせる」といった意味。
配布とは「広く一般に行き渡らせるように配る」ことです。
一方「配付」の「付」は「つく、つける」と読み、「付着」「交付」と「相手につける→相手に渡す」という意味。
配付とは「一人一人の手に渡るように配る」ことです。
不特定多数に配る場合は「配布」、関係者めいめいに配る場合は「配付」となります。
ですので、試験の申込書を「はいふする」は「配布」、試験問題を「はいふする」は「配付」になります。
「羽」と「羽根」
鳥や昆虫などの、体にくっついている状態のハネは「羽」、体から離れてばらばらにされたハネは「羽根」と書きます。
例えば「ハネを伸ばす」の「ハネ」は「羽」で、「赤いハネ募金」の「ハネ」は「羽根」となります。
悲喜こもごも
漢字で書くと「悲喜交々」。
同じ場所で喜んでいる人と悲しんでいる人が混じり合っている状態をさす言葉ではない。
本来の意味は、一人の人間の心の中で悲しみと喜びが混じり合う、あるいは交互に去来する状態の事です。
使い方としては、「悲観するな、人生は悲喜交々、次は良い事もある。」とか。
憮然(ぶぜん)
「憮然として立ち去る」を腹を立てている様子ではありません。
「憮然」は、「失望してぼんやりしている」様です。
「やおら」と「おもむろ」
「やおら」や「おもむろ」を「いきなり」「突然に」というような意味に解釈する人が多いです。
「やおら」は「静から動へ移る動作が、悠然として見えること」を言います。
語源は「柔(らわら)」ではないかという説もあります。
「おもむろ」も「ゆっくり」の意味です。
例えば「彼は満場の拍手が鳴り止むのを待ち、やおら立ち上がってスピーチを始めた」と用います。