勧持品に説かれる三類の強敵。


第38段「三類の強敵を顕す」
 已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅・律・念仏者・並びに諸檀那の謗法をしらしめん、日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。
 勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、記の八に云く「文に三初に一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」等云云、東春に智度法師云く「初に有諸より下の五行は第一に一偈は三業の悪を忍ぶ是れ外悪の人なり次に悪世の下の一偈は是上慢出家の人なり第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、又云く「常在大衆より下の両行は公処に向つて法を毀り人を謗ず」等云云、涅槃経の九に云く「善男子一闡提有り羅漢の像を作して空処に住し方等大乗経典を誹謗せん諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云、六巻の般泥オン経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず、一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん羅漢に似たる一闡提有りとは是の諸の衆生方等を誹謗するなり、一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰し広く方等を説くなり衆生に語つて言く我れ汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有る故に然も彼の衆生一闡提なりと謂わん」等云云、涅槃経に云く「我涅槃の後乃至正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少かに経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養す、袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現わし内には貪嫉を懐かん唖法を受けたる婆羅門等の如し、実に沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。
 以上、宝塔品の三箇の勅宣と、提婆達多品の二箇の諌暁、あわせて五箇の鳳詔に仏弟子たちは驚いて、勧持品で弘経の誓いを述べた。
 明鏡であるその経文を出して、今の禅・律・念仏の僧、ならびにそれらを支える有力者たちの謗法を、はっきりと明らかにしよう。
 日蓮という者は、去年(文永8年=1271年)9月12日の深夜、子丑の時に、頚をはねられた。
 これ(開目抄)は、その魂魄が佐渡の国に至って、翌年の2月、雪深い中で記して、有縁の弟子に贈るのであるから、ここに示す勧持品に説かれる難は恐ろしいようであるが、真の法華経の行者にとっては、決して恐ろしいものではない。しかし、これをわからず経文を見る人は、どれほどおじけづくだろうか。
 この経文は、釈迦・多宝・十方の諸仏が未来、すなわち日本の今の様子を映し出された明鏡である。形見とも見るべきものである。
 勧持品には、こう説かれている。
 「ただ願うところは、釈尊よ、心配しないでください。仏が入滅された後、恐るべき悪世の中において、私たちは法華経を広く説いていくだろう。
 その時、諸々の無智の人があって、法華経の行者の悪口を言ったり、罵ったり、また刀や杖で打つなどする者があるだろう。私たちは皆、それらを耐え忍ぶであろう。
 悪世の中の僧は、邪智をもち、心はへつらい曲がっており、まだ悟りを得ていないのに得たと思い、慢心の心が充満している。
 あるいは、喧騒を離れたところ(阿練若)で粗末な袈裟・衣を着て、静かなところ(空閑)にいて、自分は真の修行をしていると思って、世間の人々をいやしむ者がいるだろう。
 内心は、利益を貧り執着するゆえに、在家の人々(白衣)の歓心を買う教えを説き、世間の人々から尊敬されるさまは、六神通を得た阿羅漢のようである。
 この人は悪心をいだき、常に世俗のことを思い、人里離れた閑静なところにいる修行者という名に隠れて、人々の中で法華経を実践する行者の欠点を好んで言い出すだろう。
 常に多くの人々の中で、正法の行者を謗ろうとして、国王や大臣や婆羅門や居士、およびその他の僧に向かって、正法の行者を謗って、悪口し、”この者たちは、邪見の人であり、外道の論議を説いている”と言うだろう。
 濁悪の世の中には、多くの諸々の恐ろしいことがある。悪鬼が人々の身に入って、正法の行者を謗り、辱めるだろう。
 濁世の悪僧は、仏の方便の教え、衆生の機根に従って説かれた法を知らないで、それに執着し、真実の教えである法華経を行じる人々の悪口を言い、顰蹙する(顔をしかめる)。(そのため法華経の行者は)しばしば追い出されるだろう」と。
 『法華文句記』第8巻には、こうある。
 「この勧持品の文は、三つに分けられる。はじめの1行は、通じて邪見の人を明かしている。すなわち俗衆増上慢である。次の1行は、道門増上慢の者を明かしている。第3に、次の7行は、僧聖増上慢の者を明かしている。
 この三つの中で、はじめの俗衆増上慢は耐え忍ぶことができるが、第2は、第1のものよりも悪質である。第3の者が一番悪質である。
 第1よりも第2、第2よりも第3の者の方が、より一層、正体を見抜き難いからである」と。
 『東春』で、妙楽の弟子・智度法師は、こう述べている。
 「はじめに『有諸』以下の5行において、第1に最初の一偈は身・口・意の三業の悪を耐え忍ぶことを述べている。これは、外道、在家の悪人による迫害である。
 次の『悪世』以下の1偈は、上慢の出家の人による迫害である。
 第3に『或有阿練若』以下の3偈は、出家のところに一切の悪人が集まるのである」と。
 また「『常在大衆』以下の2行は、公の立場の人に向かって、法を謗り、人をけなすということである」と。
 涅槃経第9巻には、こうある。
 「善男子よ、一闡提がいて、阿羅漢の姿をして、静寂なところに住み、大乗経典を誹謗するだろう。
 凡夫の人々はこれを見て、皆が、彼こそ真の阿羅漢であり、大菩薩であると思うだろう」と。
 また、こうある。
 「その時に、この経を全世界に広く流布すべきである。
 この時には、諸々の悪僧がいて、この経を切り取って捨てたり、バラバラにし、正法の色・香・美味を失わせてしまうだろう。
 この諸々の悪人は、またこのような経典を読誦するといっても、如来が説こうとする深い意味のある重要な義を消し去ってしまって、世間の飾りたてた、美しいだけで意味のない語を置くだろう。前を取って後につけ、後を取って前につけ、前と後を中ほどにつけ、中ほどを前や後につける。
 まさに知るべきである。このような諸々の悪比丘は魔の伴侶であると」と。
 6巻の般泥オン経には、こうある。
 「阿羅漢に似た一闡提の者がいて、悪業を行う。一闡提に似た阿羅漢がいて、慈悲の心を起こすだろう。
 阿羅漢に似た一闡提がいるというのは、その者たちが大乗経を謗るということである。
 一闡提に似た阿羅漢とは、声聞を謗り、卑しめて、広く大乗の教えを説く者である。
 衆生に語って言うには、『私はあなたがたとともに菩薩である。理由はなぜか。一切の人には皆、仏の性分があるからだ』と。
 しかし、それを聞いた衆生は、その人を一闡提だと言うだろう」と。
 涅槃経には、こうある。
 「私(釈尊)が入滅した後、正法が減して後、形ばかり法が残っている時代において、次のような出家者が現れるだろう。
 形は律を持っているようであって、わずかに経を読誦し、飲食を貧って身を養い、袈裟を着ているとはいっても、信徒の布施を狙うさまは、猟師が細目で見てゆっくりと獲物に近づくようであり、猫がネズミをとらえようとしているようである。
 常にこの言葉を唱えるだろう。『自分は阿羅漢の悟りを得た』と。
 外には賢人・善人の姿を表し、内には貧りや嫉妬の気持ちをいだき、無言の修行をしている婆羅門などのようである。
 実には出家者でもないのに、出家者の姿をしており、邪見が非常に盛んで、正法を謗るであろう」と。

 勧持品に説かれる三類の強敵を経文にしたがって顕す。
 ①俗衆増上慢…「諸の無智の人あって…刀杖瓦石を加う」
 ②道門増上慢…「悪世の中の比丘は邪智にして…我慢の心充満せん」
 ③僣聖増上慢…「阿練若に納衣にして空閑に在って…六通の阿羅漢の如くならん」

 ※このうち、三番目の僣聖増上慢が見破りにくいから一番悪い。