2010/09/18  誉め上手になりたひ。

 今月の大白蓮華の連載「社会で光る」で「誉める」がテーマ。
 中々、連載文中にもあるように、他人を誉めるのは難しい。

金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる(妙密上人御消息P1242)
 金は焼いて精練すれば色がさらに輝きを増し、剣は磨げばさらに鋭くなる。法華経の功徳はほめ称えれば称えるほど功徳が一層増す。

 日蓮大聖人は門下に宛てたお手紙で「法華経の功徳はほめ称えれば称えるほど功徳が一層増す」と仰せです。
 また、法華経は「讃(ほ)むる言(ことば)」が多いとも仰せです。

 良い所を良いと誉めるのがなぜ難しいか?
 「大抵は、相手の良さに気づけない”鈍さ”、良さに気づいても、欠点をなじってしまう”くせ”などでしょう。それはいわば心の狭さです。」(大白蓮華2010年9月号)
 照れや心の壁などの「些細な”引っかかり”を、少しばかりの勇気を奮い起こして打ち破っていくことが、心を大きくしていく第一歩なのではないでしょうか。」(大白蓮華2010年9月号)

 業を切ってくれる「厳しさ」も大事ですが、TPOも大事ですね。
 「他人のマイナスを探すのは名人でも、プラスを見つけるのが苦手。そんな人が多いですね。そんな人ばかりでは、同僚や部下、周囲にヤル気を起こす人が減ってしまうように思えてなりません。」(大白蓮華2010年9月号)
 殺伐とした空気では、能力が発揮出来ませんよね。

 池田先生は「人をほめたたえることは、温かな人間性の発露である。」「お世辞でもよい(笑い)ほめてあげれば、どれほどか、ほのぼのとした心の豊かな触れ合いが生まれることか」(大白蓮華2010年9月号)とご指導さなっています。

 例えば、私は人生の全発言をカウントしたとしたら、「プラス」の言葉が「マイナス」の言葉を上回るようにして行きたい。
 私だって発展途上中、叱られる事だって一杯ある。
 部下を叱らなきゃならない時もある。
 言いたくない事だって、言わなきゃならない。
 そんな時も出来るだけ、マンツーマンで叱って「マイナス」の言葉をカウント1。
 100人の皆の前で誉めて「プラス」の言葉をカウント100にしたい。

 他人のアラを探すのは止めて、朗らかに行きましょうよ。ねッ!

2010/09/02  反省、再度確認、そして決意!

 人材育成と自己改革をします。
 決意も新たに!

 指導から
ひとつの組織のにおいて、建設的な反対意見を出す者がいなければ、その組織は発展しない(戸田二代会長指導より)

新しい息吹を入れることが、組織をくさらせぬ唯一の方法である。(戸田二代会長指導より)
 批判的な部員さんが、人材になることもある。
 「駄目だ」と決めているのは「私」だったんですね。

先輩と後輩の関係は善知識であり、同志である。善知識とは師弟の関係ではないが、他の人たちを正しい信仰に導いていくべき存在の人々である。反対に悪知識は他人の信心を妨害する魔の存在である。自分本位にふるまい純粋な後輩を惑わしていくような先輩は悪知識である。後輩の信心をどこまでも伸ばしていける先輩こそ善知識である。(池田三代会長指導より)
 やる気を削いじゃ駄目。
 自分の都合で動いては駄目。
 それは部員さんには、関係ないもんね。

中心者に、力なく、信頼と尊敬とを失ったとき、組織は、沈滞し、崩壊する以外にない。(人間革命第7巻)
 「また来たの?」では駄目。
 「また来てよ」と言われるようにします。

「異体同心」の”心”というものは心(こころ)ではないのである。異体同心の心は、信ずる心である。信仰が同じという意味である。それが異体同心である。その心が強ければ強いほど、いかなることがあっても青年は敗れることはない。青年は、自ら信ずるものをもたねばならない。自らの心を信じなければならない。この心はあぶないものであるから、御本尊によってこの信を立てるのである。そうすれば、一生涯、悠々と生きていけると信ずるものである。この立場に自らも生き、他人をも指導していってほしい。(戸田二代会長指導より)
 お手本を示せる先輩にならないとね。

 色々と反省ばかりの決意をした日。
 夏休みボケでは、駄目ですね。
 11.18までに結果を出すと決めました。