2009/12/28  楽観と楽天

 野球の話ではなく、信心の話。(笑)

楽観主義と指導者
終了後、質問会が行われた。一人の受講者が勢いよく手を挙げた。
 「孫文にしても毛沢東にしても、楽天的だといわれますが、楽天的ということは指導者の要素なのでしようか」
 会長は、熟慮しながら答えた。
 「指導者の一つの要素として、包容力があるということは共通です。指導者は必ず包容力をもたなければならない。一念の中に、戦いを絶対に勝ち抜こうという用心と気概がなくてはならない。
 それがない楽天的というのは、民衆の心を本当に考えてない指導者の証拠になります。誤りです」
 「たとえば、あなたが悪口を言われた。また大罰を受けた。それでも、広宣流布のために、人生の確立に向かって、ほほ笑みながら、凜然として進んでいく。それが真の楽観主義です」
大白蓮華2009年12月号より

 昔の話です。
 私は信心をしていて、普通では考えられない様な苦難の乗り越え方をしました。
 「信心をしているから大丈夫だ」と「楽天的」に考えて惰性の信心になった事がある。
 そんな時に「楽天と楽観は違う」と先生の指導を聞いた。
 正に目から鱗だった。(^^)
 「信心をしているからこそ諸事に一念を尽くす」、頭で判っていても出来ませんでした。
 「そうか、私は楽天的に考えてたんだ。」
 何も考えてない事(楽天)と、考えて用心してその上で「乗り越える!」と決意する事(楽観)は違うと知った。

 楽天的にノープランで、考えている同志がいた。
 自分の苦境で最悪の事態を想定しつつ、打てる手を打って初めて楽観的になれるんだ。と話した。
 そんな中、大白蓮華が届き上記の部分を読んだ。
 時の附合に驚いた。(^^)

 学会が明るく楽しいのは、皆が楽観だからでしょう。
 棚ぼた的に宿業を乗り切った人はいない。
 「こうこうこうして、乗り越えたんだ」と用心して勝つと気概を持ったから体験を語れる。

 私も今年は今年で宿業を乗り越えたが、来年もまた違う宿業は出て来るはずだから、楽観的に行きたいと思います。(笑)