2009/04/26  シュに交われば修羅シュシュシュ。

仏法では当たり前なのですが、私たちの精神状態は環境と影響しあう関係です。
不思議な物で環境から受ける影響は勿論、環境へ与える影響もある。

これを「依正不二」と言います。

環境(依報)に特化すれば「エコロジー」や「人と自然との共生」などになると思う。
ここでは心・生命(正報)に主眼をおいてみたい。
前提として簡単に判り易い様に「心」=「生命」=「精神状態」=「境涯」=「正報」とします。

私たちの心・生命は10個に分類できる。参考:十界と十界互具

地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の10個です。
地獄界の生命には地獄界の環境が涌現し、天界に天界がと、それぞれ生命に相応した環境が出てくるのです。
また逆も又しかりで、地獄界の環境には地獄界の生命が涌出する。

例えば修羅界では
奥さんがイライラしています、家庭内のふいんき(←なぜか変換できない)が悪いですね。
その空気ではご主人もイライラしてきますね。
些細な切っ掛けで夫婦喧嘩が始まって「修羅場(界)」が涌現しました(笑)

この様に生命によって環境が如何様にも変りますね。
しかし、大事なのは生命・精神状態はコントロールする事が出来ます。
奥さんのイライラにご主人が紛動されなければ修羅場は出てきません。

「ああ、なんか奥さんイライラしてるな、釣られない様にしないと」と用心できれば良いのです。
境涯が落ちると、そんな余裕もなくなって釣られて同じ修羅界になってしまいますが…。
もっと簡単に言うと他人のゲ○を見て貰いゲ○をする様なものですね。
人によっては貰いゲ○をしない人がいますね、貰わない(境涯を高める)様にしましょう。(スマン、下品でした)

この様に自分の生命が環境に影響し、同じ環境にいる他人の生命にも影響させる事が判りますね。
これらは他の十界でも同じで、菩薩界や仏界の生命の人は菩薩界・仏界の環境が涌現します

穏やかな人の周りは居心地が良いのは道理ですね。

御書には
一生成仏抄
衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり(P384)
と仰せですね。
自分の生命によって穢土(地獄)も浄土(仏国土)も涌現するのです。

夫婦喧嘩の時は自分の生命を見つめましょう。
「お、オレは今プチ修羅界だ、冥伏(悪い生命を出て来ないように)、冥伏」と心で題目を上げましょう(笑)これで夫婦円満一家和楽ですよ。(笑)

2009/04/14  幸福とは?

WHO(世界保健機関)における「健康」の定義は、「完全な肉体的、精神的及び社会福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(WHO憲章前文より)とされていてかなり広い目標を掲げている。
日本の厚生労働省も批准した考え方だ。
通常考える健康とは「病気でない」状態を思いがちだ。
一歩踏み込んでの「健康」を定義すると一層の努力目標になるし達成時にはより良い社会が築ける。

同じ様に「幸福」の定義とは?

よく創価学会では「相対的幸福」と「絶対的幸福」を言う。
第2代会長戸田城聖先生が提唱した幸福の概念である。

「相対的幸福」とは、環境や条件によってたやすく変化する経済的な豊かさや社会的な地位や名誉、良好な人間関係など、自分自身が立脚する環境下において外部外界から得られる幸福である。
一方、「絶対的幸福」とは、この宇宙と生命を支配する永遠普遍の妙法を信仰する事により、そうした外部環境に左右されず、あらゆる苦難・不幸を克服していく事のできる境涯(内部内界)を持ち得られる幸福である。
同じ「幸福」だが、後者はより踏み込んだ「幸福」だ。

例えばただ単に病気でない「健康」と、WHO定義の「健康」のどちらが良いだろうか?
豊かさや地位や名誉の「幸福」と何者にも壊せない「幸福」のどちらが良いだろうか?

学会の言う「絶対的幸福」はまやかし、幻想であり得ないと断定する人がいる。
創価学会が搾取する為の方便だと言う人もいる。

だが、考えて見てほしい、なぜ他人が人の幸せを判断できるのだ。
それはその人が「幸せそうに」振る舞うからだ。

健康そうに見える人に「あなたは健康そうね」と問えば、本当に健康の人は「その通り」と言うでしょう。
実は不健康であれば「いや、そうではないよ」と言うかもしれないし、見栄を張って「その通り」と言うもしれない。
確実なのは「いや、そうでもないよ」という人は不健康な事だ。
「その通り、健康だ」と言う人は真実「健康」「不健康」入り交じっている断定なんか出来ない。
断定できるのは本人だけだ。

同じ事が幸福でも言えないだろうか?
「幸せだ」と言う人は真実「幸福」と「不幸」が入り交じっている。
確実なのは「不幸だ」と言っている人は真実だ。

だから、日蓮大聖人は立正安国論で「不幸の原因」をご執筆された。
不幸の基を「一凶」とされた。不幸を取り除けば「幸福」になれるからだ。
立正安国論
如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。(P24)

要は「不幸」と思わない人が「絶対的幸福」だと言う事。