2011/09/01  青年教学1級 開目抄第4段「内外相対して判ず」

 儒教・外道に対して釈尊はすごい。

第4段「内外相対して判ず」
 三には大覚世尊は此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり、外典・外道の四聖・三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし、彼を船として生死の大海をわたるべしや彼を橋として六道の巷こゑがたし我が大師は変易・猶を・わたり給へり況や分段の生死をや元品の無明の根本猶を・かたぶけ給へり況や見思枝葉のソ惑をや、此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで五十年が間・一代の聖教を説き給へり、一字一句・皆真言なり一文一偈・妄語にあらず外典・外道の中の聖賢の言すらいうこと・あやまりなし事と心と相符へり況や仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人・されば一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし、初成道の始より泥オンの夕にいたるまで説くところの所説・皆真実なり。
 第3に大覚世尊(釈尊)は一切衆生の偉大な導師・偉大な眼目・偉大な橋・偉大な舵取り・偉大な福徳の田等である。
 儒教の四聖(尹寿、務成、太公望、老子)や、外道の三仙(迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒裟婆)は、その名は聖人といっても、実際には見思惑・塵沙惑・無明惑という三惑のうち一つさえ断ち切っていない迷いの凡夫である。また、賢人といっても、実は因果の道理を知らないことは、まるで赤子のようなものである。
 そのような聖人、賢人を船と頼んで、この苦悩と迷いの生死の大海を渡ることができようか。彼らを橋として六道の悪路をこえることは難しい。
 それに対して、我が釈迦仏は、変易の生死(二乗や菩薩等の迷いの生死)を超えられた方である。まして分段の生死(六道を輪廻する凡夫の生死)を超えているのはもちろんである。
 生命に本来そなわっている元品の無明(=根本の迷い)をも断ち切られている。まして見惑・思惑など枝葉の迷いを断たれているのは言うまでもない。
 この釈迦仏は、30歳で成道されてから80歳で入滅されるまで、50年間に一代聖教を説かれた。その一字一句は皆真実の言葉であり、一文一偈として偽りの語はない。
 外典や外道のなかの聖人・賢人の言葉ですら、その言っていることに誤りはなく、事(言動)と心が相一致している。ましてや仏陀は無量曠劫というはるか遠い昔から、ウソ偽りの言葉を言われなかった方である。
 故に、その一代50余年の説教は、外典や外道に対すれば、すべて大乗であり、偉大な人(大人)の真実の言葉なのである。
 30歳での成道の初めから、釈尊最後の説法の時に至るまで、説くところの法は皆、真実なのである。

 因果を弁えない外道では、生死の大海も六道の巷も渡り超えることはできない。
 内道(仏法)に比べれば、それは「赤子」のようなもので、釈尊の説く法は「大人の実語」なのです。

2011/09/01  青年教学1級 開目抄第3段「外道の三徳」

 外道の教えとは?

第3段「外道の三徳」
 二には月氏の外道・三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父・悲母・又天尊・主君と号す、迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒娑婆・此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年・已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当って六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり、一一に流流多くして我慢の幢・高きこと非想天にもすぎ執心の心の堅きこと金石にも超えたり、其の見の深きこと巧みなるさま儒家には・にるべくもなし、或は過去・二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より返つて三悪道に堕つ一人として天に留るものなし而れども天を極むる者は永くかへらずと・をもえり、各各・自師の義をうけて堅く執するゆへに或は冬寒に一日に三度・恒河に浴し或は髪をぬき或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或は草木をやき或は一切の木を礼す、此等の邪義其の数をしらず師を恭敬する事・諸天の帝釈をうやまい諸臣の皇帝を拝するがごとし、しかれども外道の法・九十五種・善悪につけて一人も生死をはなれず善師につかへては二生・三生等に悪道に堕ち悪師につかへては順次生に悪道に堕つ、外道の所詮は内道に入る即最要なり或外道云く「千年已後・仏出世す」等云云、或外道云く「百年已後・仏出世す」等云云、大涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」等云云、法華経に云く「衆に三毒有りと示し又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して衆生を度す」等云云。
 第2に、インドの外道(仏教以外のバラモン教などの諸教)においては三つの目と8本の臂をもつ摩醯首羅天と毘紐天とを二天といい、この二天を一切衆生の慈父であり、悲母であり、また天尊であり、主君であると称えている。
 また迦毘羅、ウ楼僧ギャ、勒裟婆の3人を三仙と呼んでいる。
 これら3人は釈尊が生まれる前800年前後の仙人である。
 この三仙の説いた教えを四章陀(ヴェーダ)といい、その所説は6万蔵あると言われる。
 釈尊が出現したころには、六師外道(6人の外道の論師)が、この外道の経を習い伝えて、5天竺(全インド)の王の師となり、その支流は95、96派にもなっていた。
 一つ一つの流派にまた種々の流派が多くあって、それぞれが自分の流派が最高であるとし、その慢心の幢が高いことは三界の最頂である非想天より高く、執着心の固いことは金属や岩石をも超えていた。
 その見解が深く、巧みなさまは儒教等の遠く及ぶところではない。
 過去に遡ること二生、三生、七生、さらに8万劫まで照見することができ、またあわせて未来8万劫も知ることができると称していた。
 その所説の法門の極理は、あるいは「因の中に果あり」という決定論、あるいは「因の中に果なし」という偶然論、あるいは「因の中にまたは果あり、または果なし」という折衷論などである。これがインド諸教における究極の理論である。
 なかでも、いわゆる模範的な善い外道の修行者は、五戒や十善戒などの戒律をたもち、煩悩を断ずることができない不完全な瞑想を修行して、色界無色界を極め、その最上界(非想天)を涅槃(悟りの安穏の境地)と立てて、尺取り虫のように一歩一歩修行して登っていくけれども、非想天から、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として天界にとどまる者はいない。
 しかし外道を信じる者は、一度、非想天を極めた者は永久にかえらないのだと思っていたのである。
 おのおの自派の師匠の立てた法義を受けてかたく執着するゆえに、あるいは寒い冬に1日3回、ガンジス川に沐浴し、あるいは髪の毛を抜き、あるいは巌に身を投げつけ、あるいは身を火にあぶり、あるいは両手両足と頭の5ヵ所を焼く。あるいは裸体になったり、あるいは馬を多く殺せば幸福になれると言ったり、あるいは草木を焼き払い、あるいは、一切の木を礼拝する等々、その邪義は数え当これないほどである。
 しかも、その師匠をつつしみ敬うさまは、あたかも諸天が帝釈天を敬い、諸臣が皇帝を拝するようであった。
 しかしながら、外道の法は95派あるが、それらの修行では、善い外道であっても、悪い外道であっても、一人として生と死をくり返す迷いと苦しみの流転から離れることはできない。
 善師につかえても、二生、三生等の後には悪道に堕ち、悪師に仕えては、次の生を受けるごとに悪道に堕ちていくのである。
 結局のところ、外道というものは仏教に入るための教えであり、このことが外道のもつ最重要な意義なのである。
 それ故、ある外道は「1000年以後に仏が世に出られる」と予言した。またある外道は「100年以後に仏が世に出られる」と予言した。
 涅槃経には「一切世間の外道の経書は、すべて仏説であって、外道の説ではない」とある。
 法華経の五百弟子受記品には「我が弟子たちは、自身の姿によって、衆生に貪・瞋・癡の三毒があることを示し、また邪見の相を現す。我が弟子は(実は菩薩であるが)このように方便で衆生を誘引し救済する」と説かれている。

 インドの外道の教えは、儒教よりも深くて、多少は過去・未来を知ることができる。
 しかし、因果の理法を中途半端にしか説いていない。
 だから結局、悟りに到ることはできない。

2011/09/01  青年教学1級 開目抄第2段「儒家の三徳」

 儒教の教えとは?

第2段「儒家の三徳」
 儒家には三皇・五帝・三王・此等を天尊と号す諸臣の頭目万民の橋梁なり、三皇已前は父をしらず人皆禽獣に同ず五帝已後は父母を弁て孝をいたす、所謂重華はかたくなはしき父をうやまひ沛公は帝となつて大公を拝す、武王は西伯を木像に造り丁蘭は母の形をきざめり、此等は孝の手本なり、比干は殷の世の・ほろぶべきを見て・しゐて帝をいさめ頭をはねらる、公胤といゐし者は懿公の肝をとつて我が腹をさき肝を入て死しぬ此等は忠の手本なり、尹寿は尭王の師・務成は舜王の師・大公望は文王の師・老子は孔子の師なり此等を四聖とがうす、天尊・頭をかたぶけ万民・掌をあわす、此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり、其の所詮は三玄をいでず三玄とは一には有の玄・周公等此れを立つ、二には無の玄・老子等・三には亦有亦無等・荘子が玄これなり、玄とは黒なり父母・未生・已前をたづぬれば或は元気よりして生じ或は貴賎・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。
 かくのごとく巧に立つといえども・いまだ過去・未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう、此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去をしらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし、但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば傍輩も・うやまい名も国にきこえ賢王もこれを召して或は臣となし或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう、所謂周の武王には五老きたりつかえ後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり、而りといえども過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず、孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、礼楽等を教て内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため・王臣を教て尊卑をさだめ父母を教て孝の高きをしらしめ師匠を教て帰依をしらしむ、妙楽大師云く「仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、止観に云く「我れ三聖を遣わして彼の真丹を化す」等云云、弘決に云く「清浄法行経に云く月光菩薩彼に顔回と称し光浄菩薩彼に仲尼と称し迦葉菩薩彼に老子と称す天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。
 儒教においては、三皇・五帝(中国古代の伝説上の理想的君主)、三王(夏の禹王、段の湯王、周の文王または武王)たちを天尊と名づけて崇敬し、臣下たちの統領、万民を導く橋と仰いでいる。
 三皇時代以前は、人々はみな自分の父を知らず、鳥や獣と同じであった。しかし、三皇・五帝の時代からは、父母をわきまえて孝行するようになった。
 その例として、重華(五帝の一人・舜王)は愚かな父を敬い、沛公(劉邦)は漢の高祖となって一国の王となったが、なお父の太公を深く敬った。
 また周の初代の王・武王は、父・西伯の姿を木像に刻んで、父の遺志を継いで殷の紂王の討伐に出陣し、丁蘭は母の死後、その姿を像に刻んで敬った。これらは孝行の手本である。
 段の忠臣であった比干は、紂王の暴虐な政治のために殷の世が滅びることを憂えて、紂王を諌めたが、かえって首をはねられ殺された。
 衛の公胤という人は、主君の懿公が殺され、はらわたが捨てられているのを見て、自分の腹をさいて主君の肝を隠し入れて死んだ。これらは忠の手本である。尹寿は堯王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師である。
 これら4人の師を四聖と呼び、堯・舜ら天尊も頭をたれて敬い、すべての人々も手を合わせて尊敬した。
 これらの聖人が説いたものに、「三墳」「五典」「三史」など三千余巻の書物がある。しかし、その根本は「三玄」のいずれかである。
 三玄とは、1には「有の玄」であり、周公らがこれを立てた。2には「無の玄」であり、老子らが立てた。3には「亦有亦無」(あるいは有であり、あるいは無である)という説で、荘子の説く玄がこれである。玄とは黒色のことで、深遠さを意味する。
 これらの説で人間がこの世に生まれる以前はどう説いているかといえば、あるいは(有の玄では)元気(万物を育成する根源的な気)より生じたといい、あるいは(無の玄では)貴賎、苦楽、是非、得失などの現象はみな自ずからそうなったものであるなどといっている。
 このように巧みにその理論を立ててはいるが、まだ過去世・未来世については何も知らない。
 玄とは黒であり、幽かという意味であり、微妙であるがゆえに、玄といわれているのであるが、ただ現世のことだけを知っているにすぎないようである。
 現世において仁義等の道徳を制定し、これを実践することによって身を守り、国を安穏に治めることができる。もしこの仁義等の道に相違すれば一族一家をほろぼしてしまうなどと教えている。
 これらの賢人、聖人と仰がれている人々は、聖人であるとはいっても、過去世を知らないことは、あたかも凡夫が自分の背を見ることができないのと同じであり、未来世が分からないのは、目の不自由な人が目の前を見ることができないようなものである。
 ただ現世において、家をおさめ、孝行をつくし、かたく仁・義・礼・智・信の五常を行ずれば、周囲の人々はこの人を敬い、名声も国中に広まり、賢王もこの人を召し出して、あるいは臣下となし、あるいは師とたのみ、あるいは王位を譲り、諸天善神もやってきて守り仕えるというのである。
 いわゆる周の武王には五人の老師がきて仕え、後漢の光武帝には天の28宿が天下って28人の将軍となり、守り仕えたというのがこの例である。
 このように、儒教等の徳は高いといっても、過去世と未来世を知らないので、父母・主君・師匠が亡くなった後は助けることができず、結局は不知恩の者となる。したがって本当の賢人でも聖人でもない。
 孔子が「この中国に賢人・聖人はいない。西の方に仏図(仏陀)という者があり、その人が真の聖人である」といって、外典である儒教等を仏法へ入るための門としたのはこの意味である。
 すなわち儒教等においては礼儀や音楽などを教えて、後に仏教が伝来した時、戒・定・慧の三学を理解しやすくさせるためであった。王と臣下の区別を教えて尊卑を示し、父母を尊ぶべきことを教えて孝道を尽くすことの大切さを知らせ、師匠と弟子の立場を明らかにして、師に帰依することの重要性を教え知らせたのである。
 妙楽大師は『止観輔行伝弘決』に「仏教の流布・化導は実に儒教が先にひろまって人々を教化していたからである。儒教の礼楽が先に流布されて、真の道である仏法が後に弘通されたのである」と言っている。
 天台大師は『摩詞止観』に「『金光明経』には『一切世間のあらゆる善論はみなこの経によっているのである。もし深く世間の法を識れば、即ち仏法である』と説いている」と述べている。
 さらに、「釈尊は三人の聖人を遣わして中国の人々を教化した」とも言っている。
 この文について妙楽大師は『止観輔行伝弘決』で「清浄法行経に『月光菩薩はかの地に生まれて顔回と称し、光浄菩薩は、かの地で孔子と称し、迦葉菩薩は、かの地で老子と称した』と説かれる。インドからこの中国を指して、『かの地』・と言っているのである」と述べている。

 儒教は親孝行とか、君臣・師弟の道を説いているけど、過去・未来のことは全然知らない。
 「現在」だけに通用するモラルを説いているだけ。
 だから、人々を根本的に救うことができない。親孝行もできない。仏教の準備段階としての意味があった。

2011/09/01  青年教学1級 開目抄第1段「三徳の標示」

 開目抄の各段ずつ学んで行きます。

第1段「三徳の標示」
 夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり
 そもそも、あらゆる人々が尊敬すべきものが三つある。それは主と師と親である。
 また、習い学ぶべきものが三つある。それは儒教をはじめとする中国の諸教と、外道(仏教以外のインド諸教)と内道(仏教)である。

 すべての人々が尊敬すべき主師親の三徳を備えた「人」はだれか?──という問題設定から始まる。
 そのためにこれから、儒教・外道を含むすべての教えを検証し、「最も優れた法とは法華経(その底に沈められている事の一念三千)」であり、「その法を覚知し、所持し、弘めている法華経の行者こそ日蓮大聖人」であり、「大聖人こそ一切衆生にとって主師親の三徳を備えた人」という結論に到る。
 (結論→最後の第50段「日蓮は日本国の諸人にしう(主)し(師)父母(親)なり」)