2011/09/25 青年教学1級 最後に。
以上で、今回の1級試験のテキストは終わります。
申し訳ありませんが、「日顕宗を破す」のテキストはアップしません。m(_ _)m
各記事のコメント欄において、予想問題を書き込む予定です。
あとは細々とした修正はする予定です。
何はともあれ、来週が試験日です。
ラストスパートです。(;゚д゚)
皆さん、一緒に合格いたしましょう。\(^o^)/
「第廿二自我偈始終の事」御義口伝に云く自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。(自我偈の「始終」について)御義口伝に次のように仰せである。
(自我偈の冒頭に「自我得仏来」とあるように)「自」が(自我偈の)始め(の文字)である。(自我偈末尾に)「速成就仏身」とあるように「身」が(自我偈の)終わり(の文字)である。
(このように、自我偈の文は)始めと終わりで「自身」となっている。
(初めと終わりの文字の間にある、自我偈全体の)中の文字は、「受用」を明かしている。
したがって、自我偈は(全体で)自受用身となるのである。
法界を「自身」と開き、法界がそのまま「自受用身」であるならば、(法界は)自我偈に非ずということはない。(法界は、ことごとく自我偈となるのである)
自受用身とは、一念三千である。
伝教大師は次のように釈している。「一念三千の法を、そのまま体現しているのが自受用身の仏である。また、自受用身とは尊形を超え出た仏である。この出尊形仏とは無作の三身ということである」と。
今、日蓮及びその門下として南無妙法蓮華経と唱え奉る者は自受用身である、と。
「第十九毎自作是念の事」御義口伝に云く毎とは三世なり自とは別しては釈尊惣じては十界なり、是念とは無作本有の南無妙法蓮華経の一念なり、作とは此の作は有作の作に非ず無作本有の作なり云云、広く十界本有に約して云わば自とは万法己己の当体なり、是念とは地獄の呵責の音・其の外一切衆生の念念・皆是れ自受用報身の智なり是を念とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念なり云云。(寿量品の「毎自作是念〈毎に自ら是の念を作す〉」の経文について)御義口伝に次のように仰せである。
「毎」とは三世である。
「自」とは別しては釈尊を指し、総じては十界のことである。
「是念」とは無作本有の南無妙法蓮華経の一念である。
「作」とは、この「作」は有作の「作」ではなく、無作本有の「作」である、と。
(以上は仏の一念に約したが)広く十界本有に約していえば、「自」とは万法それぞれの当体である。
「是念」とは、地獄の呵責の音や声や、そのほか一切衆生の念々が皆、自受用報身の智である。これを念というのである。
今、日蓮及びその門下が南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念である、と。
「第十一自我得仏来の事」御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。(寿量品の自我偈の冒頭の「我れは仏を得て自り来」の経文について)御義口伝に次のように仰せである。
この経文は、この(「自我得仏来」の)一句で三身のことを習得する文である。といわれている。
すなわち「自」とは九界、「我」とは仏界である。この十界の衆生は本有無作の三身にして来る仏であるというのである。
この経文は、「自」(九界)も「我」(仏界)も本然的にそなえた仏が来たという意味で、十界本有の明文である。
「我」は法身、「仏」は報身、「来」は応身である。この三身は無始無終の古仏であり、自ら得たものである。信解品に「無上の宝聚は求めざるに自ら得たり」とある経文を思うべきである。
したがって、(このような仏を説く)顕本遠寿の説は諸教には絶えて説かれなかったのである。
今、日蓮及びその門下が南無妙法蓮華経と唱え奉るのは自我得仏来の行者なのである。
「第四如来如実知見三界之相無有生死の事」御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり、無とは法界同時に妙法蓮華経の振舞より外は無きなり有とは地獄は地獄の有の侭十界本有の妙法の全体なり、生とは妙法の生なれば随縁なり死とは寿量の死なれば法界同時に真如なり若退の故に滅後なり若出の故に在世なり、されば無死退滅は空なり有生出在は仮なり如来如実は中道なり、無死退滅は無作の報身なり有生出在は無作の応身なり如来如実は無作の法身なり、此の三身は我が一身なり、一身即三身名為秘とは是なり、三身即一身名為密も此の意なり、然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。(寿量品の「如来は如実に三界の相を知見するに、生死の若しは退、若しは出有ること無く、亦た在世及び滅度の者無く」の経文について)御義口伝には、次のように仰せである。
(経文に説かれている)「如来」とは、久遠実成の釈尊だけではなく、さらには三界の衆生である。
寿量品の眼を開けて、この三界の衆生を見れば、そのまま十界本有の当体である、とありのままに知見できるのである。
(また、経文にある、如来が知見している)「三界之相」とは、生老病死である。それを本有の生死と見れば、「無有生死(生死が有るということは無い)」なのである。(「無有生死、若退若出」と経文にあるが)生死が無ければ退出も無いのである。ただ生死が無いということではない。
生死を見て、厭い離れようとすることを迷いといい、始覚というのである。そのままで本有の生死と知見することを悟りといい、本覚というのである。
今、日蓮及びその門下が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、本有の生死、本有の退出と開覚するのである。
(また「無有生死、若退若出、亦無在世及滅度者〈生死の若しは退、若しは出有ること無く、亦た在世及び滅度の者無く〉」の文は、次のようにも読むことができるのである)
「無」も「有」も、「生」も「死」も、「若退」も「若出」も、「在世」も「減後」も、ことごとく皆、本有常住の妙法の振る舞いである、と。
「無」とは法界同時に妙法蓮華経の振る舞いよりほかには「無い」ということである。「有」とは、地獄ならば地獄の「有りのまま」が十界本有の妙法の全体であるということなのである。
「生」とは妙法の生であるから随縁である。
「死」とは寿量の死であるから法界同時に真如である。
「若退」の故に「滅後」である。
「若出」の故に「在世」である。
したがって、(これらを空仮中の三諦に約せば)「無」「死」「退(若退)」「減(減度)」は空諦である。「有」「生」「出(若出)」「在(在世)」は仮諦である。「如来如実」は中道である。
(また、法報応の三身に約せば)「無」「死」「退(若退)」「減(減度)」は無作の報身である。「有」「生」「出(若出)」「在(在世)」は無作の応身である。「如来如実」は無作の法身である。
この三身は我が一身である。「一身即三身なるを名づけて秘と為す」とはこのことである。「三身即一身なるを名づけて密と為す」もこの意味である。
ゆえに無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮の弟子檀那等である。南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故である。
「第三我実成仏已来無量無辺等の事」御義口伝に云く我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり成とは能成所成なり成は開く義なり法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知するを云うなり已とは過去なり来とは未来なり已来の言の中に現在は有るなり、我実と成けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり、百界千如一念三千と説かれたり、百千の二字は百は百界千は千如なり此れ即ち事の一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり、惣じては迹化の菩薩此の品に手をつけいろうべきに非ざる者なり、彼は迹表本裏・此れは本面迹裏・然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す云云。(寿量品の「我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」の経文について)御義口伝に次のように仰せである。
「我実」とは、釈尊が久遠に実に成道した(五百塵点劫の昔に成道した)ということを説かれているのである。
しかし、この寿量品の意は、この「我」とは法界の一切衆生のことである。すなわち、十界の衆生それぞれを指して「我」といったのである。
「実」とは、それら十界の衆生が無作三身の仏であると定めたのである。このことを「実」というのである。
「成」とは、能成・所成の二面がある。
「成」とは開くという意味であり、法界(十界の衆生)が無作の三身の仏であると開いたのである。「仏」とはこのことを覚知することをいうのである。
(「已来」の)「已」とは過去であり、「来」とは未来である。この「已来」の言葉の中に現在はあるのである。
(以上のことから「我実成仏已来無量無辺」の文は)我実と成けた仏にして已も来も無量であり無辺である(と読むのである)。
このことを百界千如・一念三千と説かれている。すなわち、「百千」の二字は、「百」とは百界であり、「千」とは千如を意味している。これが即ち事の一念三千である。
今、日蓮及びその門下として南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主である。
総じていえば迹化の菩薩はこの寿量品に手をつけ関与する資格を持っていない。それゆえ、迹化の菩薩は「迹表本裏(迹を表とし本を裏とする)」である。これに対して本化の菩薩は「本面迹裏(本を面とし迹を裏とする)」で弘めるのである。
しかしながら、(本化の菩薩が本門を表にするからといって)寿量品は末法の要法とはならない。
なぜならば寿量品は釈尊在世の衆生のための脱益であり、ただ題目の五字のみが末法の衆生の下種となるからである。
そうであるから、釈尊の在世は脱益、滅後は下種であり、下種の妙法をもって末法弘通の究極の法と為すのである、と。
「第二如来秘密神通之力の事」御義口伝に云く無作三身の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり獄卒の罪人を苛責する音も皆神通之力なり、生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、仍つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。(寿量品の「如来秘密神通之力」の経文について)御義口伝に次のように仰せである。
「如来秘密神通之力」の文は、無作三身の根拠となる文証である。この文においてさまざまな相伝がある。
「神通之力」とは、私たち衆生が一瞬一瞬活動しているところを「神通」と言うのである。例えば獄卒が罪人を苛責する声もみな「神通之力」である。
生・住・異・減する森羅三千(森羅万象)の現象の当体は、ことごとく「神通之力」の本体である。
今、日蓮及びその門下の意においては、我が身が凡夫の身そのままの姿で成仏するのである(即身成仏)と開覚し、その境地を開くことを「如来秘密神通之力」というのである。
成仏すること以外に「神通」も「秘密」もあいりえないのである。
この無作の三身をば一字をもって得るのである。いわゆる「信」の一字である。ゆえに経には「我らは仏語を信受します」とある。この「信受」の二字に心を留めるべきである。
「第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事」文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、寿量とは詮量なり、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。『法華文句』の巻9には「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別しては本地三仏の別号である。寿量とは詮量すなわち、詳しく量ることである。十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量する故に寿量品というのである」とある。
御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり、六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云。
(寿量品の題名について)御義口伝には次のように仰せである。
この品(寿量品)の題目は日蓮の身に当たる大事である。神力品の付嘱がまさにこれである。
如来寿量品の「如来」とは、釈尊のことであり、総じては十方三世の諸仏のことであり、別しては本地無作の三身のことである。
今、日蓮及びその門下の意においては、総じては如来とは一切衆生である。別しては日蓮の弟子檀那のことである。
ゆえに「無作の三身」とは、末法の法華経の行者のことである。無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経というのである。寿量品の事の三大事とはこのことである。
六即に配立すれば、寿量品の如来は「理即の凡夫」にあたる。
頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時が「名字即」である。なぜならば、その時に南無妙法蓮華経の題目を初めて聞くからである。
その題目を聞いて修行するのが「観行即」である。この観行即とは事の一念三千の本尊を観ずることである。
そして惑障を伏することを「相似即」というのである。
化他の実践に踏み出した境涯を「分真即」というのである。
自身を無作の三身の仏であると究竟することを「究竟即」の仏というのである。
総じて伏惑という在り方を寿量品の究極とはせず、ただ凡夫の当体の本来ありのままを、この寿量品の極理であると心得るべきである。
無作の三身の所作とは何物かといえば、それは南無妙法蓮華経そのものなのである。
「南無妙法蓮華経」御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と、又帰とは我等が色法なり命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり、釈に云く一極に帰せしむ故に仏乗と云うと、又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語・妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり、又云く梵語には薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧と云う此には妙法蓮華経と云うなり、薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり蘇多覧は経なり、九字は九尊の仏体なり九界即仏界の表示なり、妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり、法界は妙法なり法界は蓮華なり法界は経なり蓮華とは八葉九尊の仏体なり能く能く之を思う可し已上。(「南無妙法蓮華経」について)御義口伝に次のように仰せである。
「南無」とは梵語(古代インドの言語。サンスクリットのこと)である。漢語では「帰命」という。(帰命には)「人」への帰命と、「法」への帰命がある。「人」への帰命とは釈尊に帰命し奉ることである。「法」への帰命とは法華経に帰命し奉ることである。
また、(帰命の)「帰」とは、迹門不変真如の理に帰することである。(帰命の)「命」とは、本門随縁真如の智に命くことである。帰命とは南無妙法蓮華経そのものである。ある釈には「随縁不変・一念寂照」とある。
また、「帰」とは、私たちの色法であり、「命」とは、私たちの心法である。これらの色心が一体不二であることを一極というのである。妙楽の釈には「一極に帰せしめる故に仏乗という」(「玄義釈籤」)とある。
また、次のように仰せである。南無妙法蓮華経の「南無」とは梵語、「妙法蓮華経」は漢語である。梵語と漢語が一体となって南無妙法蓮華経というのである。
また、次のように仰せである。梵語では薩達摩・芬陀梨伽・蘇多覧という。漢語では妙法蓮華経というのである。薩は「妙」である。達磨は「法」である。芬陀梨伽は「蓮華」である。蘇多覧は「経」である。これらの九字は九尊の仏体である。九界即仏界を表している。
「妙」とは法性である。「法」とは無明である。無明と法性とが一体であることを「妙法」というのである。「蓮華」とは因果の二法である。これもまた因果が一体である。「経」とは一切衆生の言語音声を「経」というのである。章安の釈には「声が仏事を為す、これを名づけて経という」と。あるいは三世にわたって常恒であることを「経」というのである。
法界は妙法である。法界は蓮華である。法界は経である。蓮華とは八葉九尊の仏体である。よくよくこのことを思うべきである。以上。
「御義口伝」は、身延において日蓮大聖人が法華経の要文を識義された内容を日興上人が筆録され、大聖人の御允可を得て完成したものと伝えられている。
「御義」とは大聖人の法門を指す。それを「口伝」すなわち口頭で講義された内容を記録したのが「御義口伝」である。
構成は上下2巻から成り、初めに「南無妙法蓮華経」について論じられた後、巻上では法華経序品第1から従地涌出品第15まで、巻下では如来寿量品第16から普賢菩薩勧発品第28までと開結二経(無量義経、普賢経)の要文講義が収められている。また巻下では別伝として「廿八品に一文充の大事」と「廿八品悉南無妙法蓮華経の事」が収録されている。
それぞれの項目では、初めに法華経あるいは開結二経の文を挙げ、それに関する天台・妙楽の釈を引用された後、「御義口伝に云く」として文底下秘法門の立場からの法華経解釈を展開されている。すなわち「御義口伝」では、種脱相対、三大秘法、人法体一など、大聖人の秘要の法門が法華経の要文を通して縦横に示されており、そこに日蓮仏法の法華経観を拝することができる。
ここで日蓮大聖人と釈尊の法華経との関係について確認すれば、大聖人は釈尊の法華経そのものを弘通されたのではなく、法華経の文底に秘沈された下種の妙法を自ら悟られ、それを三大秘法の南無妙法蓮華経として顕し、末法に弘通されたのである。法華経は、末法における大聖人の妙法弘通を予言した経典であり、大聖人は御自身の弘通の序分・流通分として法華経を用いられたのである。
したがって、「御義口伝」において示されているのは法華経の語義に縛られた解釈ではなく、御本仏の御境涯のうえから法華経の文を文底下種法門の説明として自在に用いられ、活用されていく「活釈」といえる。
第32段「一閻浮提第一の聖人」外典に曰く未萠をしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という余に三度のかうみようあり一には去し文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時宿谷の入道に向つて云く禅宗と念仏宗とを失い給うべしと申させ給へ此の事を御用いなきならば此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給うべし、二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ、第三には去年文永十一年四月八日左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず念仏の無間獄・禅の天魔の所為なる事は疑いなし、殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば頼綱問うて云くいつごろよせ候べき、予言く経文にはいつとはみへ候はねども天の御気色いかりすくなからず・きうに見へて候よも今年はすごし候はじと語りたりき、此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず只偏に釈迦如来の御神・我身に入りかわせ給いけるにや我が身ながらも悦び身にあまる法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり、経に云く所謂諸法如是相と申すは何事ぞ十如是の始の相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う、智人は起をしる蛇みづから蛇をしるとはこれなり、衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一タイ・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ。外典には、「いまだ萠していない事柄を前もって知る人を聖人という」と説かれている。内典には、「過去、現在、未来の三世を見通している人を聖人という」と説かれている。
私には三度の高名(手柄、功績)がある。
一つには、去る文応元年7日16日に、「立正安国論」を最明寺入道殿(北条時頼)にたてまつった時に、宿谷入道光則に向かって「禅宗と念仏宗を捨てるよう、最明寺殿に忠告しなさい。この意見を用いないならば、この北条の一門から内乱が起き、ついには他国から攻められるであろう」と言ったことである。
二つには、去る文永8年9月12日の夕刻、平左衛門尉頼綱に向かって「日蓮は日本国の棟梁である。私を亡き者にすることは日本国の柱を倒すことになる。たちまちに自界叛逆難といって、一族の同士打ちが始まり、さらに他国侵逼難といって、この国の人々が他国から殺されるだけではなく、多く生け捕りにされるであろう。建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏殿、長楽寺などの一切の念仏者や、禅僧などの寺院を焼き払って、彼らの首を由比が浜で斬らなければ、日本の国は必ず滅びるであろう」 と言ったことである。
そして第3には、去年の文永11年4月8日に、平左衛門尉に「国主が支配している国に生まれ合わせた以上は、身は幕府に随えられているようであるが、心まで随えられはしない。念仏は無間地獄、禅は天魔の所為であることは疑いがない。ことに真言宗がこの日本の国土の大きな禍いである。大蒙古の調伏(祈祷によって怨敵・障魔を降伏させること)を真言師に仰せつけてはならない。もしこのような国家の大事を真言師が調伏するならば、いよいよ急いでこの国は滅びるであろう」と申したところ、頼綱は「いつごろ寄せてくるであろうか」と聞いた。そこで私は、「経文には、いつとは書かれていないが、天の様子から、諸天の怒りのありさまが激しいように思う。襲来の時は迫っていて、おそらく今年を越すことはないであろう」と答えたのである。
この三つの大事は、日蓮が述べたのではない。ただひとえに、釈迦如来の御魂が、わが身に入り替わられたのであろうか。わが身ながらも悦びが身にあまる。
法華経の一念三千という大事の法門は、このことである。
法華経方便品の「いわゆる諸法の是の如き相」というのは、いかなる意味か。十如是の初めの「相如是」が第一の大事であるから、仏は世に出現されるのである。
「智人はものごとの起こりを知り、蛇は自ら蛇を知る」というのがこのことである。
多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となったのである。
日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本の国にとっては一滴の水、一粒の塵のようなものである。やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう。
仏になる道は、これより即ほかに求めてはならない。
第5段「経文を引いて末法広宣流布を証す」問うて云く其の証文如何、答えて云く法華経の第七に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給うに広宣流布と云云、同第六の巻に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」等云云又第五の巻に云く「後の末世の法滅せんとする時」等・又第四の巻に云く「而も此経は如来現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」又第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云く「悪魔魔民諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便を得ん」大集経に云く「我が法の中に於て闘諍言訟せん」等云云、法華経の第五に云く「悪世の中の比丘」又云く「或は阿蘭若に有り」等云云又云く「悪鬼其身に入る」等云云、文の心は第五の五百歳の時・悪鬼の身に入る大僧等・国中に充満せん其時に智人一人出現せん彼の悪鬼の入る大僧等・時の王臣・万民等を語て悪口罵詈・杖木瓦礫・流罪死罪に行はん時釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌の大菩薩らに仰せつけ大菩薩は梵帝・日月・四天等に申しくだされ其の時天変・地夭・盛なるべし、国主等・其のいさめを用いずば鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし其の時・日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば彼のにくみつる一の小僧を信じて無量の大僧等八万の大王等、一切の万民・皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし、例せば神力品の十神力の時・十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。問う。大集経の白法隠没の次に、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法が一閻浮提に広宣流布していく、との証文はどこにあるか。
答う。法華経の第7巻には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、この閻浮提に於いて断絶させてはならない」(薬王品第23)と。
このように経文には、大集経の白法隠没の次の時を説き示して広宣流布と言っている。
また同第6巻には「悪世末法の時、能く是の経を持つ者」(分別功徳品第17)とあり、また第5巻には「後の末世の法が滅しようとする時」(安楽行品第14)とあり、また第4巻には「而も此の法華経は如来の現在にすらなお怨嫉が多い。まして滅度の後にはさらに多い」(法師品第10)とある。
また第5巻には「一切世間には怨が多くして信じがたい」(安楽行品)とあり、また第7巻に第五の五百歳・闘諍堅固の時代相を説いていうには「悪魔や魔民や諸の天、竜、夜叉、鳩槃荼等の悪鬼、悪魔が其の便りを得るであろう」(薬王品)とある。
また大集経には「我が仏法の中に於いて互いに闘諍言訟するであろう」とある。
さらに法華経の第5巻には「悪世の中の比丘」(勧持品第13)とか「或は閑静な処に居て」(同)とか、「悪鬼が其の身に入る」(同)等とある。
さて、これら経文の意は、次のようなものである。
すなわち、第五の五百歳・白法隠没の時、悪鬼がその身に入った高僧が国中に充満する。
その時に智人が一人出現する。
かの悪鬼が身に入った高僧等が、時の王臣、万民等をかたらって、その一人の智人を悪口罵詈し、杖木瓦礫を加え、流罪、死罪に処するであろう。
その時に釈迦・多宝・十方の諸仏が地涌の大菩薩らに命令し、大菩薩はまた梵天・帝釈、日天・月天、四天王等に申し下して、彼らの謗法を責めるから、天変地異が盛んに起こるであろう。それでも国主等がその諌めを用いないで謗法を続けるならば、隣国に仰せつけてそれらの国々の悪王、悪比丘等を責めるだろう。もしそうなれば、「前代未聞の大闘諍」が一閻浮提に起こるであろう。
その時に日月によって照らされている全ての世界の一切衆生は、あるいは国を惜しみ、あるいはわが身を惜しむゆえに、一切の仏菩薩に祈りをかけるが叶う兆候が見られないので、ついに、あの迫害を加えていた一人の小僧(智人)を信じて、無量の高僧、8万の大王、一切の万民がことごとく頭を地につけ、掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱えるであろう。
例えば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生が、一人も残らず裟婆世界に向かって大音声を放ち、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同に叫んだようなものである。
背景(5巻107紙・玉沢妙法華寺外4所散蔵)この前年(文永11年)4月、佐渡から鎌倉に戻られた大聖人は、鎌倉幕府の権力者である平左衛門尉と対面し、3度目の国主諫暁をなされました。(三度の高名)
「撰時抄」は、建治元年(1275年)、日蓮大聖人が、駿河国(現在の静岡県中央部)の西山由比(由井)氏に与えられたとされる御書である。
本抄御執筆の前年、文永11年(1274年)10月に蒙古が襲来して、壱岐・対馬と北九州の一部が襲われた(文永の役)。そして、この建治元年春には、蒙古の使者が再度来航した。蒙古の再びの襲来が想定される騒然としたなかで、大聖人は本抄を著されたのである。
題号の意義仏法は、どこまでも「時」を重視します。
撰時とは、「時を選ぶ」ことである。すなわち、法華経の肝心である南無妙法蓮華経の大白法が広宣流布する時として、末法を選び取るということである。
大意
末法は、「闘諍言訟・白法隠没」といって、仏教の中で自説に執着する者が多く、争いが絶えず、正しい仏の教えが見失われていく時代である。大聖人は、この時代にあって、南無妙法蓮華経の大法こそが、末法の人々を根本的に救う大良薬であると示され、末法の今こそ、南無妙法蓮華経が広宣流布していくべき時であることを明かされたのである。
本抄は、まず冒頭に「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(256ページ)と仰せられ、仏法の弘通にあっては、必ず「時」を根本基準としていかなければならないことを示されている。そのうえで、末法が南無妙法蓮華経の広宣流布の時であることを、経釈を引きながら示されている。
そして、大集経の五箇の五百歳に沿って、釈尊滅後の仏教史を描かれる。その結論として、白法隠没の時に続いて、仏の真意を直ちに明かす最も勝れた肝要の法が、日本国並びに一閻浮提に広宣流布することは疑いようがないことを示されていく。
続いて、広宣流布の法と時を把握された人は誰かを明かされていく。
その最初に、大聖人が「閻浮第一の法華経の行者」(266ページ)であると一応の結論を示されたうえで、再び釈尊入滅後の正法・像法二千年の仏教史をたどられている。これは、正法時代の竜樹、天親も、像法時代の天台、伝教も、まだ明かしていない「最大の深密の正法」が、末法の始めに広宣流布することを確認するためである。
続いて、この正法を弘めていく「法華経の行者」を明かすために、まず破邪顕正のうち、破邪を軸に、念仏、禅、真言の三宗を破折し、さらに法華宗であるべき天台宗を真言密教化させた慈覚らを師子身中の虫として糾弾されている。
そして、この「大謗法の根源」をただした日蓮大聖人こそが、閻浮提第一の法華経の行者であり、智人であり、聖人であることを明らかにされていく。
そして、最後に、弟子たちに不惜身命の修行を勧められて、本抄を結ばれている。
第50段「結勧」夫れ法華経の宝塔品を拝見するに釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ「令法久住・故来至此」等云云、三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそ・みへたるを法然いたはしとも・おもはで末法には法華経の門を堅く閉じて人を入れじとせき狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに法華経を抛させける心こそ無慚に見へ候へ、我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人・寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とを・みて制せざる者は・かくのごとし「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」等云云。そもそも法華経の宝塔品を拝見すると、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まられたのは、何のためであろうか。
日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云、無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり、日蓮が御勘気を・かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に入り羅什は秦に入り伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をうる楽法は骨を筆とす、天台の云く「適時而已」等云云、仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし。
「法を久しく存続させるために、ここにやって来た」とある。
この三仏が未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子たちに与えようとされた御心のうちを推察すると、わが子が大きな苦しみにあっているのを見る父母よりも、何としてでも救わずにはおかないとの思いが強く盛んであったと思われる。
それなのに、法然は、その切実な思いをいたわしいとも思わないで、末法には法華経の門をかたく閉じて、人を入れさせまいとせき止め、判断の狂った子をだまして宝を捨てさせるように、法華経をなげ捨てさせたのである。この法然の心こそ、恥知らずに思える。
自身の父母を人が殺そうとしているのに、そのことを父母に教えないでおられようか。悪にそまった子が、酔って狂って父母を殺そうとしているのを、制止しないでおられようか。悪人が寺塔に火を放とうとしているのに、制止しないでおられようか。わが子が重病にかかっているのに、お灸の治療をしないでおられようか。
日本の禅と念仏者とを見て制止しない者は、このようなものである。
「慈悲がなくて、いつわって親しくするのは、すなわち、その人にとって敵である」(『涅槃経疏』)と。
日蓮は日本国の諸の人にとって、主であり、師であり、父母である。
一切の天台宗の人達はかれらの大怨敵である。
「かれのために悪を除くのは、すなわち、かれの親である」(「涅槃経疏』)と。
仏道を求める心がない者は、生死の苦悩を離れることはできない。
教主釈尊は一切の外道から大悪人とののしられた。天台大師は南三北七の諸宗の人々にそしられ、さらに日本の徳一から「三寸の舌で五尺の仏身を破壊する」とののしられた。伝教大師は南都の人々に「最澄はまだ唐の都を見たことがない」と非難された。
このように悪口を言われたのは、皆、法華経の故なので、恥ではない。愚かな人に誉められることこそ、第一の恥である。
日蓮が権力者から処罰を受けたので、天台・真言の法師らは喜ばしく思っているようであるが、まことに恥知らずであり、常軌を逸したことでもある。
そもそも、法華経のために、釈尊はこの苦悩に満ちた裟婆世界に生まれ、羅什三蔵は中国に入り、伝教大師は中国に渡り、提婆菩薩・師子尊者は法のために身を捨て、薬王菩薩は臂を焼き、聖徳太子は手の皮をはいで経を写し、釈迦菩薩は自らの肉を売って供養し、楽法梵志はわが身の骨を筆としたのである。
天台大師がいうには、「時に適うのみ」(『法華文句』)と。
仏法は時によるのである。
日蓮の流罪は、今世での小さな苦であるから嘆くにあたらない。来世には大きな楽を受けることができるので、大いに喜ばしい。
第49段「折伏を行ずる利益」問うて云く摂受の時・折伏を行ずると折伏の時・摂受を行ずると利益あるべしや、答えて云く涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く如来の法身は金剛不壊なり未だ所因を知ること能わず云何、仏の言く迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり、迦葉我護持正法の因縁にて今是の金剛身常住不壊を成就することを得たり、善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし、是くの如く種種に法を説くも然も故師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん、乃至時に破戒の者有つて是の語を聞き已つて咸共に瞋恚して是の法師を害せん是の説法の者・設い復命終すとも故持戒自利利他と名く」等云云、章安の云く「取捨宜きを得て一向にす可からず」等、天台云く「時に適う而已」等云云、譬へば秋の終りに種子を下し田畠をかえさんに稲米をうることかたし、建仁年中に法然・大日の二人・出来して念仏宗・禅宗を興行す、法然云く「法華経は末法に入つては未有一人得者・千中無一」等云云、大日云く「教外別伝」等云云、此の両義・国土に充満せり、天台真言の学者等・念仏・禅の檀那を・へつらいをづる事犬の主にををふり・ねづみの猫ををそるるがごとし、国王・将軍に・みやつかひ破仏法の因縁・破国の因縁を能く説き能くかたるなり、天台・真言の学者等・今生には餓鬼道に堕ち後生には阿鼻を招くべし、設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずば・いかでか生死を離るべき。問うていうには、摂受をなすべき時に折伏を行じた場合や、折伏をなすべき時に摂受を行じる場合に、利益はあるのだろうか。
問うて云く念仏者・禅宗等を責めて彼等に・あだまれたる・いかなる利益かあるや、答えて云く涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」等云云、「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云云。
答えていうには、涅槃経には、「迦葉菩薩が仏に申しあげて言うには、『如来の法身は金剛のように壊れないものである。しかし、まだそれを成就された因を知ることができません。その因はどのようなものでしょうか』、と。
仏は答えた。「迦葉よ、よく正法を護持した因縁によって、この金剛の身を成就することができたのである。
迦葉よ、私は正法を護持した因縁で今のこの常住で壊れない金剛の身を成就することができたのである。
善男子よ、正法を護持する者は、五戒を受けず、行儀を修めず、刀剣や弓矢を持つべきである。
このように種々に法を説いても、悪法を打ち破る獅子吼をなさず、法にそむく悪人を降伏させられないような出家僧は、自らを利益することも、衆生を利益することもできない。
このような輩は、怠け者であると知るべきである。
戒を持ち、清らかな実践を守っているといっても、この人は何もできていないと知るべきである。
(中略)ある時、戒を破る者がいて、この人が折伏を行ずる言葉を聞き終わって、皆ともに怒って、この法師を害したとする。
この説法の者は、たとえそのために死んだとしても、それでもなお戒を持ち、自身をも利益し、他をも利益するものであるというのである』」とある。
章安が言うには、「(摂受・折伏の)取捨を適切に行い、一方に偏ってはいけない」(『涅槃経疏』)と。
天台がいうには、「時にかなうのみである」(『法華文句』)と。
譬えば、秋の終わりに種を蒔いて田畑を耕しても、米の収穂は難しいようなものである。
建仁年間に、法然と大日能忍の二人が出現して、念仏宗と禅宗を隆盛させた。
法然は「末法になれば、法華経によっては、いまだ一人として得道した者がなく、千人の中でも一人もいない」と言った。
大日能忍は「仏の真実の悟りは言葉による教えとは別に伝えられた」と言って法華経を排斥した。
この二つの教義が、今や日本の国土に充満している。
天台・真言の学者らが、(これら法華経誹謗の念仏・禅を破折もせず、かえって)念仏や禅を信じている庇護者にへつらい、おそれるさまは、まるで犬が主人に尾をふり、ネズミが猫をおそれるようである。
そして、彼らは国王・将軍に仕えて、仏法を破壊する因縁、国を破滅させる因縁となる間違った教えを、積極的に説き語っているのである。
こうした天台・真言の学者らは、今世では餓鬼道に堕ち、来世には阿鼻地獄の苦を招くであろう。
たとえ(権力者に媚びないで)山林に籠って、一念三千の観法に専心したとしても、人里離れた静かなところで、真言の三密の修行を油をこぼさぬように細心に行じたとしても、時と衆生の機根を知らず、摂受と折伏の二門を弁えなければ、どうして生死の苦しみから離れることができようか。
問うていうには、念仏者・禅宗等を責めて、かれらに憎まれることに、どのような利益があるのか。
答えていうには、涅槃経には「もし、善比丘が、法を破る者を見て捨て置いて、呵責(厳しく責めること)し、駈遣(追放)し、挙処(罪を挙げて処断すること)しなければ、この人は仏法の中の敵であると知るべきである。
もし、よく追放し、厳しく責め、罪を挙げて処断すれば、仏の弟子であり、真の声聞である」等とある。
また、「仏法を破壊し乱す者は仏法の中の敵である。慈悲がなくていつわって親しくするのは、その人にとって敵である。
その悪を糾し、退治する人が、法を護る声聞であり、真のわが弟子である。
その人のために悪を取り除く者は、その人にとっては親である。
悪を厳しく責める者は私の弟子である。悪を追放しようとしない者は、仏法の中の敵である」(『涅槃経疏』)とある。
第48段「適時の弘教を明かす」疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、又法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか、答て云く止観に云く「夫れ仏に両説あり一には摂・二には折・安楽行に不称長短という如き是れ摂の義なり、大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという是れ折の義なり与奪・途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」等云云、弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは大経に刀杖を執持すとは第三に云く正法を護る者は五戒を受けず威儀を修せず、乃至下の文仙予国王等の文、又新医禁じて云く若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし是くの如き等の文並びに是れ破法の人を折伏するなり一切の経論此の二を出でず」等云云、文句に云く「問う大経には国王に親付し弓を持ち箭を帯し悪人を摧伏せよと明す、此の経は豪勢を遠離し謙下慈善せよと剛柔碩いに乖く云何ぞ異ならざらん、答う大経には偏に折伏を論ずれども一子地に住す何ぞ曾て摂受無からん、此の経には偏に摂受を明せども頭破七分と云う折伏無きに非ず各一端を挙げて時に適う而已」等云云、涅槃経の疏に云く「出家在家法を護らんには其の元心の所為を取り事を棄て理を存して匡に大経を弘む故に護持正法と言うは小節に拘わらず故に不修威儀と言うなり、昔の時は平にして法弘まる応に戒を持つべし杖を持つこと勿れ今の時は嶮にして法翳る応に杖を持つべし戒を持つこと勿れ、今昔倶に嶮ならば倶に杖を持つべし今昔倶に平ならば倶に戒を持つべし、取捨宜きを得て一向にす可からず」等云云、汝が不審をば世間の学者・多分・道理とをもう、いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人の・ごとくなるゆへに先づ天台・妙楽等の釈をいだして・かれが邪難をふせぐ、夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし。疑っていうには、念仏者と禅宗等に対して無間地獄に堕ちると言っているのは、争う心がある。修羅道に堕ちることになるであろう。
また法華経の安楽行品には「好んで人や経典の欠点をあげつらってはいけない。また他の諸々の法師たちを軽んじたりしてはいけない」とあるが、あなたはこの経文に相違しているから諸天に見捨てられたのではないのか、と。
答えていう。『摩訶止観』には「そもそも仏には二つの説がある。一つには摂受であり、二つには折伏である。法華経安楽行品に『長所・短所をあげつらってはいけない』というのは、摂受の義である。大般涅槃経に『刀杖を執って持ち、また首を斬れ』というのは、折伏の義である。一応、相手の意見に配慮する行き方と、相手の誤りを真っ向から打ち破る行き方ではまったく異なるが、ともにその人を救うためである」等とある。
『弘決』にはこの文をさらに注釈して「『そもそも仏には二つの説がある』等といううちの『大般涅槃経に刀杖を執って持ち』というのは、涅槃経巻3の金剛身品第2に『正法を護る者は、五戒を受けず、威儀(作法にかなった立ち居振る舞い)を修することがない』等とあり、また以下の文に、大乗経典を誹謗した者を厳しく処断した仙予国王等の文がある。また『新しくきた優れた医師が、旧来の劣った医師の乳薬を禁じて、もしこれからも用いるようなことがあれば、その者の首をはねるべきである、と言った』とある。
このような文は、すべて破法の人を折伏する行き方を示している。一切の経論は、この摂受・折伏の二つを出ることはない」と述べている。
また『法華文句』にはこうある。
「問う。大般涅槃経には、国王に直接に託して、弓を持ち、箭を帯し、悪人を打ち砕き伏させよ、と明かしている。法華経は、権力を用いる行き方を遠ざけ、へりくだって慈善の心をもってせよ、と述べている。この二つは、一方は剛、一方は柔と大いに反している。違いがないなどと、どうしていえよう。
答える。大般涅槃経には偏に折伏を論じているようだけれども、その一方で一切衆生を我が子のように慈愛する一子地という境地に住すべきことを説いている。どうして摂受がまったくなかったということがあろうか。法華経には偏に摂受を明かしているようだが、陀羅尼品には『頭が七分に破れる』等とあり、折伏がないのではない。それぞれ一端を挙げているのであって、時にかなった行き方をとるよう教えているのである」等と。
『涅槃経疏』にはこうある。
「出家であれ在家であれ、法を護ろうとする者は、その根本の精神にかなった行いをすべきで、表面的な事(行動面)である五戒を受けず、本質的な理としての大乗の教えを守って、まさに大乗の教えを弘めるべきである。
それゆえ、正法を護持するには、枝葉末節にこだわらないのであり、『形や儀式にとらわれない』と言うのである。
昔の時代は、世の中が平穏で法が順調に広まっていた。それ故、戒を持つべきであり、棒などの武器を持ってはいけない。今の時代は、世の中が険悪であり正しい法が見失われている。まさしく棒などを持つべきである。
今も昔もともに、険悪である場合は、同じように棒を持つのがよい。逆に、今も昔も。ともに、平穏であれば、同じく戒を持つのがよい。これらの取捨は適切に行って、一つに固執してはならない」と。
あなたの不審を、世間の学者の多くは道理であると思うにちがいない。どのように諌め、真実を明らかにしても、日蓮の弟子らも、このような思いを捨てていない。あたかも一闡提人のようであるので、まず天台・妙楽等の釈を出して、そのような誤った非難を防いだのである。
そもそも摂受・折伏・という二つの法門は、水と火のように相容れないものである。火は水を厭い、水は火を憎む。摂受の者は折伏を笑う。折伏の者は摂受を悲しむ。
無智・悪人が国土に充満している時は、摂受を優先させるのがよい。安楽行品に説かれている通りである。邪智・謗法の者が多い時は、折伏を優先させるべきである。常不軽品に説かれている通りである。
譬えば、熱い時に冷たい水を用い、寒い時に火を好むようなものである。草木は太陽の眷属で、寒い月に苦をなめる。水は月の所従で、熱い時には本来の性質を失ってしまう。
末法において、摂受と折伏の両方がある。いわゆる悪国と破法の両方の国があるからである。しかしながら、日本国の今の時代は、悪国か破法の国かをわきまえなければならない。
第47段「不求自得の大利益」涅槃経に曰く「譬えば貧女の如し居家救護の者有ること無く加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す、他の客舎に止り一子を寄生す是の客舎の主駈逐して去らしむ、其の産して未だ久しからず是の児をケイ抱して他国に至らんと欲し、其の中路に於て悪風雨に遇て寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫毒虫のスい食う所となる、恒河に逕由し児を抱いて渡る其の水漂疾なれども而も放ち捨てず是に於て母子遂に共倶に没しぬ、是くの如き女人慈念の功徳命終の後梵天に生ず、文殊師利若し善男子有つて正法を護らんと欲せば彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ、善男子護法の菩薩も亦是くの如くなるべし、寧ろ身命を捨てよ是くの如きの人解脱を求めずと雖も解脱自ら至ること彼の貧女の梵天を求めざれども梵天自ら至るが如し」等云云、此の経文は章安大師・三障をもつて釈し給へり、それをみるべし、貧人とは法財のなきなり女人とは一分の慈ある者なり、客舎とは穢土なり一子とは法華経の信心・了因の子なり舎主駈逐とは流罪せらる其の産して未だ久しからずとはいまだ信じて・ひさしからず、悪風とは流罪の勅宣なり蚊虻等とは諸の無智の人有り悪口罵詈等なり母子共に没すとは終に法華経の信心をやぶらずして頚を刎らるるなり、梵天とは仏界に生るるをいうなり引業と申すは仏界までかはらず、日本・漢土の万国の諸人を殺すとも五逆・謗法なければ無間地獄には堕ちず、余の悪道にして多歳をふべし、色天に生るること万戒を持てども万善を修すれども散善にては生れず、又梵天王となる事・有漏の引業の上に慈悲を加えて生ずべし、今此の貧女が子を念うゆへに梵天に生る常の性相には相違せり、章安の二はあれども詮ずるところは子を念う慈念より外の事なし、念を一境にする、定に似たり専子を思う又慈悲にも・にたり、かるがゆへに他事なけれども天に生るるか、又仏になる道は華厳の唯心法界・三論の八不・法相の唯識・真言の五輪観等も実には叶うべしともみへず、但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ、此の一念三千も我等一分の慧解もなし、而ども一代経経の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり、余経の理は玉に・にたる黄石なり沙をしぼるに油なし石女に子のなきがごとし、諸経は智者・猶仏にならず此の経は愚人も仏因を種べし不求解脱・解脱自至等と云云、我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん、多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし。涅槃経には次のように説かれている。
「誓えば、一人の貧しい女性がいる。その人は居るべき家もなく、助けてくれる者もいない。それに加えて病苦や飢え、のどの渇きにせめられながら、さまよい、ものごいをしていた。
ある時、ゆかりもない宿にとどまって、子どもを産んだが、この宿の主人は、この女性を追い出してしまった。
出産してまだ日もたっていないこの子を抱いて、他の国に行こうとした。
ところが、その途中でひどい風雨にあって寒さや苦しみにせめられ、多くの蚊や虻や蜂や刺す虫や毒虫などにくわれた。
ガンジス川にさしかかって、子を抱いて渡り始めた。その水は急流であったが、子どもを放さなかったため、ついに母子ともに沈んでしまった。
この女性は、子を慈しみ念った功徳によって、亡くなった後、梵天に生まれた。
文殊師利よ、もし善男子がいて正法を護ろうとするなら、この貧しい女性がガンジス川で子どもを愛し思うゆえに自らの命を捨てたようにせよ。
善男子よ、法を護ろうとする菩薩もまた、まさにこの例のようになるであろう。
むしろ正法を護るためには命を捨てよ。このような人が、悟りの境涯を求めなくても、悟りの境涯が自然と訪れることは、この貧しい女性が梵天に生まれることなどは求めなかったのに、梵天に自然と至ったようなものである」等と。
この経文については、章安大師が三障に当てはめながら解釈している。それを参照するがよい。
ここで「貧しい人」というのは、法の宝がないことである。「女人」というのは、一分の慈悲がある人のことである。「宿」というのは、穢土のことである。
「一人の子」というのは、法華経の信心であり、正了縁の三因仏性のうちの了因仏性という子である。
「宿の主人が追い出す」というのは、流罪にされることである。
「子どもを産んで日がたっていない」というのは、まだ信じて日が浅いことである。
「悪風」というのは、流罪の命令である。「蚊・虻」等というのは「もろもろの無智の人が悪口をいい、ののしる」等のことである。
「母子もろとも沈んだ」というのは、最後まで法華経の信心を破ることなくして、首をはねられることである。
「梵天に生ずる」というのは、仏界に生まれることをいうのである。
次の生の境涯を決める引業というのは、(六道や九界だけでなく)仏界にも当てはまる。
日本・中国の万国の人々を殺したとしても、五逆罪や謗法がなければ、無間地獄には堕ちない。それ以外の悪道で、多くの歳月を過ごすのである。
色界の天に生まれることだが、多くの戒を持ち、多くの善業を修めても、散乱した心で行えば、生まれることはできない。また、梵天の王となることは、煩悩のなごりが残っている有漏の禅定の修行を引業として、これに慈悲の行を加えて生まれることができる。
今、この貧しい女性が子を思う慈悲の心のゆえに梵天に生まれたのは、通常の因果の様相とは違っている。
それについては、章安大師が二つの理由をあげて解釈しているが、結局は、子を思う慈悲心よりほかに梵天に生じた因はない。
思いを一つの対象に定めているのは、禅定と同じである。もっぱら子どものことを思うのは、また慈悲に似ている。このような理由で、他に何の善根もないけれども天に生まれたと言えよう。
また仏に成る道について、華厳宗は唯心法界、三論宗は八不中道、法相宗は唯識、真言宗は五輪観などを立てているが、これらは実際にはかなうとは思えない。
ただ天台宗の一念三千こそ、仏に成ることができる道であると思われる。
この一念三千についても、私たちには智慧による理解が一分もない。しかし、釈尊一代の諸経の中で、この法華経だけが一念三千の宝珠をいだいている。
他の経の法理は、宝玉に似ているがただの黄色い石である。
涅槃経に「砂をしぼっても油は出ない」「石女に子どもはいない」とあるようなものである。
諸経は智者ですら仏に成らない。この経は愚かな人でも仏と成る因をうえることができる。
「解脱(苦しみからの根源的解放)を求めなくても、解脱が自然に訪れる」等とあるのは、このことである。
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。
諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを、嘆いてはいけない。
私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。
つたない者の習性として、約束したことをいざという時には忘れてしまうものである。
妻子をふびんと思うため、この現世の別れを嘆くのであろう。
しかし、これまでのきわめて多くの生死流転の中で、なれ親しんだ妻子には、自分から願って離れたであろうか。それとも仏道を成就するために離れたであろうか。いずれにしても必ず別れが待っているのである。
まず、自分が法華経の信心を破らずに成仏して、霊山浄土へ赴き、そのうえで妻子を導くがよい。
第46段「転重軽受を明かす」疑つて云くいかにとして汝が流罪・死罪等を過去の宿習としらむ、答えて云く銅鏡は色形を顕わす秦王・験偽の鏡は現在の罪を顕わす仏法の鏡は過去の業因を現ず、般泥オン経に云く「善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業を作るに是の諸の罪報は或は軽易せられ・或は形状醜陋・衣服足らず・飲食ソ疎・財を求むるに利あらず・貧賎の家邪見の家に生れ・或は王難に遭い・及び余の種種の人間の苦報あらん現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由るが故なり」云云、此の経文・日蓮が身に宛も符契のごとし狐疑の氷とけぬ千万の難も由なし一一の句を我が身にあわせん、或被軽易等云云、法華経に云く「軽賎憎嫉」等云云・二十余年が間の軽慢せらる、或は形状醜陋・又云く衣服不足は予が身なり飲食ソ疎は予が身なり求財不利は予が身なり生貧賎家は予が身なり、或遭王難等・此の経文疑うべしや、法華経に云く「数数擯出せられん」此の経文に云く「種種」等云云、斯由護法功徳力故等とは摩訶止観の第五に云く「散善微弱なるは動せしむること能わず今止観を修して健病虧ざれば生死の輪を動ず」等云云、又云く「三障四魔紛然として競い起る」等云云我れ無始よりこのかた悪王と生れて法華経の行者の衣食・田畠等を奪いとりせしこと・かずしらず、当世・日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし、又法華経の行者の頚を刎こと其の数をしらず此等の重罪はたせるもあり・いまだ・はたさざるも・あるらん、果すも余残いまだ・つきず生死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし、功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、権経を行ぜしには此の重罪いまだ・をこらず鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる、麻子を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし、今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし、鉄は火に値わざれば黒し火と合いぬれば赤し木をもつて急流をかけば波山のごとし睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ。疑って言うには、どうしてあなたの流罪や死罪などが、過去世からの宿業によると分かるのか、と。
答えて言うには、銅の鏡は、姿や形をはっきりと映し出す。
中国・秦の始皇帝の用いたという験偽の鏡は、今世の罪を映し出したという。
仏法の鏡は、過去世の業因を映し出す。
般泥オン経には、「善男子よ。過去世に数え切れないほどの諸罪、種々の悪業を作った場合、この諸々の罪の報いとして、人に軽んじられ、あるいは姿や顔かたちが醜く、衣服が不足したり、飲食物が粗末で不自由したり、財宝をいくら求めても利益がなく、貧しく賎しい身分の家や邪教を信じる家に生まれたり、あるいは権力者による難にあったり、その他の種々の人間としての苦しみの報いを受けるであろう。これらの報いを現世で軽く受けるのは、仏法を護る功徳の力による故である」と説かれている。
この経文は、日蓮の身にあたかも割り符を合わすように一致している。これによって、なぜ難にあうのかという疑いがとけた。千万の疑難も、もはや、何でもないことである。一々の句を我が身に引き合わせてみよう。
「あるいは人に軽んじられ」等、また、法華経譬喩品にも「軽んじられ、賎しまれ、憎まれ、ねたまれる」等と説かれているように、私は20年余りの間、軽んじられ、あなどられてきた。
「あるいは姿や顔かたちが醜い」、また「衣服が不足する」というのは、私の身の上である。
「飲食物が粗末で不自由する」とは、私の身の上である。
「財宝をいくら求めても利益がない」というのは、私の身の上である。
「貧しく、賎しい家に生まれる」というのは、私の身の上である。
「あるいは国主による難にあう」等というのも、今まさにその通りで、この経文を疑うことができようか。
法華経勧持品には、「しばしば所を追われるだろう」とあり、般泥オン経には「そのほか種々の苦の報いを受ける」等と説かれている。
「これは仏法を護る功徳の力によるのである」とあるのは、『摩訶止観』第5巻に「散乱した心で行う微弱な善の修行では、宿業を揺り動かすことはできないが、今、止観を修行すれば、健康と病の状態の両方の状態を欠けずに観察し把握するので、生死を繰り返す輪廻の輪が動くのである」と。
また、『摩訶止観』に「(修行に励み仏法を理解しようと努力を重ねたなら)三障四魔が紛然と競い起こる」と説かれている。
私は無始の昔から今に至るまで、悪王と生まれて、法華経の行者の衣服や食べ物、田畑などを奪い取ってきたことは数知れない。それは、今の世の日本国の諸々の人が、法華経の寺々を破壊しているのと同じである。また、法華経の行者の首をはねたことは、数知れないほどである。
これらの重罪の中には、すでに報いを受けて終わったものもあれば、まだ終わっていないものもあるだろう。
一応、報いは受けたけれども、その残滓がまだ尽きていないものもある。
生死の迷苦を離れて成仏する時には、必ずこの重罪を消し切って、苦しみの境涯から離れていくのである。
これまで積んできた功徳は浅く軽い。これらの罪は深く重い。権経を修行していた時には、この重罪の報いは起こってこなかった。
たとえば、鉄を焼く時、強く鍛えないと、その中の傷は隠れたままで見えない。たびたび強く責めて鍛えると、傷が現れてくるようなものである。
また、麻の種子をしぼる時、強く責めてしぼらないと、取れる油が少ないようなものである。
今、日蓮は、強盛に日本国中の謗法を責めたので、この大難が起こってきたのであり、これは過去世につくった重罪が、今世の護法の実践で招きだされてきたものであろう。
鉄は火にあわなければ黒いままである。火とあえば赤くなる。木をもって急流をかけば、波が山のようにおこる。眠っている獅子に手をつければ、大いに吠える。これらと同じ原理なのである。
第45段「法華経の行者を顕す文を結す」詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にもあおう。身命をなげうつ覚悟である。
舎利弗が過去世に60劫という長い間、修行してきた菩薩行を途中で退転したのは、舎利弗の眼を求めた婆羅門の責め苦に堪えられなかったからである。
久遠五百塵点劫、および三千塵点劫の昔に、法華経の下種を受けながら、退転して悪道に堕ち、五百塵点劫や三千塵点劫を経たのは悪知識にあって惑されたからである。
善につけ悪につけ、法華経を捨てることは地獄に堕ちる業となる。
「私は、大願を立てよう。たとえ、『日本国の王の位を譲るから、法華経を捨てて観無量寿経等に付き従って、後生の浄土への往生を目指せ』と誘惑されたり、『念仏を称えなければ父母の首をはねる』と脅されるなどの種々の大難が出てきても、私の正義が智者に破られることがない限り、彼らの要求を決して受け入れることはない。
それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、とるに足りないものである。
私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」等と誓った大願は、決して破ることはない。
第44段「行者値難の故を明かす」有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり、此の経に云く「天の諸の童子以て給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能わざらん」又云く「若し人悪罵すれば口則閉塞す」等、又云く「現世には安穏にして後・善処に生れん」等云云、又「頭破れて七分と作ること阿梨樹の枝の如くならん」又云く「亦現世に於て其の福報を得ん」等又云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」等云云、答えて云く汝が疑い大に吉しついでに不審を晴さん、不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云、涅槃経に云く「若しは殺若しは害」等云云、法華経に云く「而かも此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し」等云云、仏は小指を提婆にやぶられ九横の大難に値い給う此は法華経の行者にあらずや、不軽菩薩は一乗の行者といはれまじきか、目連は竹杖に殺さる法華経記ベツの後なり、付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ、此等は法華経の行者にはあらざるか、竺の道生は蘇山に流されぬ法道は火印を面にやいて江南にうつさる・此等は一乗の持者にあらざるか、外典の者なりしかども白居易北野の天神は遠流せらる賢人にあらざるか、事の心を案ずるに前生に法華経・誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ずこれを世間の失によせ或は罪なきをあだすれば忽に現罰あるか・修羅が帝釈をいる金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一時に損するがごとし、天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る今生の修福は報・将来に在り」等云云、心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云、不軽品に云く「其の罪畢已」等云云、不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪・身に有るゆへに瓦石をかほるとみへたり、又順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり、涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊・仏の所説の如く大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云、又云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊云何んぞ未だ菩提の心を発さざる者・菩提の因を得ん」等云云、仏・此の問を答えて云く「仏迦葉に告わく若し是の大涅槃経を聞くこと有つて我菩提心を発すことを用いずと言つて正法を誹謗せん、是の人即時に夜夢の中に羅刹の像を見て心中怖畏す羅刹語つて言く咄し善男子汝今若し菩提心を発さずんば当に汝が命を断つべし是の人惶怖し寤め已つて即ち菩提の心を発す当に是の人是れ大菩薩なりと知るべし」等云云、いたうの大悪人ならざる者が正法を誹謗すれば即時に夢みて・ひるがへる心生ず、又云く「枯木・石山」等、又云く「ショウ種甘雨に遇うと雖も」等・又「明珠淤泥」等、又云く「人の手に創あるに毒薬を捉るが如し」等、又云く「大雨空に住せず」等云云、此等多くの譬あり、詮ずるところ上品の一闡提人になりぬれば順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし例せば夏の桀・殷の紂の世には天変なし重科有て必ず世ほろぶべきゆへか、又守護神此国をすつるゆへに現罰なきか謗法の世をば守護神すて去り諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし還つて大難に値うべし金光明経に云く「善業を修する者は日日に衰減す」等云云、悪国・悪時これなり具さには立正安国論にかんがへたるがごとし。ある人が次のように言っていた。今の世に三類の強敵は、ほぼ現れたといってよい。しかし、法華経の行者はいない。あなたを法華経の行者といおうとすれば、法華経の経文と大きな違いがある。
この経には次のようにある。
まず「天の諸の童子がきて、法華経の行者に仕えるであろう。(このため)行者に害を加えようとしても、刀や杖も役に立たず、毒も害することができないであろう」(安楽行品)とある。
また「もし人が法華経の行者を口悪くののしれば、口は閉じふさがってしまうであろう」(同品)とある。
また「法華経を持つ人は、現世は安穏であり、後生は善いところに生まれるであろう」(薬草喩品)とある。
また「(法華経を持つ人を悩ます者は)頭が七つに破れて阿梨樹の枝のようになるであろう」(陀羅尼品)とある。
また「また(法華経を持つ者は)現世において、その福徳の果報を得るであろう」(普賢品)とある。
また「もしまた法華経を受持する者を見て、その人の過ちや悪を取り出して指摘するならば、たとえそれが事実であっても、または事実でなくとも、この人は現世において重病に苦しむであろう」(同品)とある。
答えていうには、あなたの疑いは大変にもっともである。この機会に不審を晴らそう。
不軽品には「(法華経の行者は)悪口され、ののしられる」等とある。
また同品には「あるいは杖や棒で打たれたり、瓦や石を投げつけられたりする」とある。
涅槃経には「殺されたり、害されたりする」とある。
法華経には、「しかも法華経を弘通する者には、釈尊の在世ですら怨みやねたみを抱くものが多い」(法師品)とある。
釈尊は提婆達多から命をねらわれて、足の小指を傷つけられるなど、九つの大難にあわれた。これは仏が法華経の行者でないということなのだろうか。
不軽菩薩は、一乗(法華経)の行者といえないということだろうか。
目連尊者は、竹杖外道に殺された。これは法華経で成仏の記別を受けた後である。
付法蔵の第14の提婆菩薩と第25の師子尊者の2人は、ともに人に殺された。これらは法華経の行者ではないのだろうか。
中国でも、竺の道生は、蘇山に流された。法道は火印を顔に押されて江南に流罪された。これらは、一乗の教えを持った人ではなかったか。
外典の人であるが、白居易や、北野天神として祭られている菅原道真は、遠方へ流罪された。これらの人は賢人ではないということか。
矛盾するように見えるこれらのことの意味を考えると、まず、前世に法華経誹謗の罪がない者が今世で法華経を行じている場合、これを世間の上のあやまちにこと寄せたり、あるいは罪もないのに迫害すれば、たちまちに現罰があるであろう。
これは、阿修羅が帝釈に矢を射たり、金翅鳥が竜を食べようとして阿耨池に入ったのが、必ずたちまちにその報いを受けてその身を損なったようなものである。
天台大師は「今の自身の病苦は皆、過去世(の業)による。今生に行っている福徳を得るための修行は、未来世に報いがある」(『法華玄義』)と 述べている。
心地観経には「過去世に作った因を知りたいと思うなら、その現在における結果を見よ。未来世の結果を知ろうと思うなら、その現在の因を見よ」とある。
不軽品には、「その罪が終えおわって」とある。不軽菩薩は、過去世に法華経をそしった罪があるので、瓦礫を投げつけられるなどの難を受けたという意味である。
また、次の生で必ず地獄に堕ちると決まっている者は、重罪をつくっていても現罰を受けない。一闡提の人がこれである。
(必ずしも地獄に堕ちると決まっていない人については)涅槃経には、次のような問答がある。「迦葉菩薩が仏に申しあげていうには、世尊よ、仏が説かれているように、大涅槃の光は一切衆生の毛孔に入るだろう、と」。また、さらに「迦葉菩薩が仏に申しあげて言うには、世尊よ、どうしていまだ菩提を求める心を起こしていない者が、菩提の因を得ることができるのでしょうか、と」等と。
仏がこの問いに答えていうには「仏が迦葉に告げていわれる、もし(ある人が)この大涅槃経を聞きながら、私は菩提を求める心を起こさないしといって、正法を誹謗したとする。この人は、ただちにその夜、夢の中で羅刹の姿を見て、心中におそれの気持ちを起こした。羅刹が語っていうには、つたないかな、善男子よ、お前が今、もし菩提心をおこさなければ、お前の命を断つであろう、と。この人は、おじ恐れて、目覚めてからただちに菩提心をおこした。まさにこの人は大菩薩であると知りなさい」等とある。
このように、はなはだしい大悪人でない者は、正法を誹謗すれば、即座に夢をみて反省する心が生まれると述べているのである。
(これに対し一闡提については)「枯れ木には花が咲かず、石の山にも草木ははえない」、また「炒った種は甘雨(恵みの雨)にあっても芽を出さない」、また「清水に変える力のある珠を入れても泥のままである」、また「人の手に傷があるのに毒薬を手にするようなものだ」、また「大雨は空にとどまらない」──。
これら多くの譬喩をもって示されるように、結局、はなはだしい一闡提人になってしまった場合は、次の生で必ず無間地獄に堕ちることになっているので、今世での現罰はない。
これは例えば、中国・夏の桀王、段の紂王の世には、天変地異はなかった。重い罪のため、必ずその王朝が滅びることが定まっていたためであろう。
また、守護の諸天善神がこの国を捨ててしまっているゆえに、現罰がないのか。
謗法の世は守護の善神も捨てさり、諸天が守ることはない。このため、正法を行じる者に対し、諸天が守護の働きを顕さず、かえって、正法の行者は大難にあうのである。
金光明経には「善業を修める人は日々に減少する」とある。これが悪国・悪時のさまである。
具体的には、立正安国論で考察した通りである。
第43段「正しく法華経の行者なるを顕す」仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん、抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし、日蓮は法華経の行者にあらず天これを・すて給うゆへに、誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん、仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし。仏の言葉が偽りでないので、三類の怨敵は、すでに国中に充満している。
しかし、仏の金言が破れるということであろうか、法華経の行者が見当たらない。これは一体どうしたらよいのだろうか。どうしたらよいのだろうか。
そもそも、どの人が法華経のために多くの俗人に悪口をいわれ、ののしられているだろうか。どの僧が刀で切り付けられ、杖で打たれただろうか。どの僧が法華経の故に公家や武家に訴えられただろうか。どの僧が「しばしば所を追われる」(勧持品)との文のままに度々、流罪にあっただろうか。
日蓮以外に、日本国でこのような人を取り出そうとしても、他に人はいない。
ところが、日蓮は法華経の行者ではない。なぜなら、天が見捨てておられるからである。
一体、今の世で、だれを法華経の行者として、仏の言葉を真実の言葉として証明できるのか。
釈尊と提婆達多とは、身とその影のような関係である。いつの世に生まれても常に一緒である。聖徳太子と、それに敵対した物部守屋とは、蓮華の花と実が同時に成るように、同時代に生まれた。
これと同じく、法華経の行者がいれば、必ず三類の怨敵が現れる。
三類の怨敵は、すでにいる。法華経の行者は一体、だれであろうか。探し求めて師とすべきである。
法華経の行者にあうことは、一眼の亀が浮木にあうようにまれなことである。
第42段「諸宗の非を簡ぶ」当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。今の世の念仏者たちが、天台法華宗の檀那である国王・大臣・婆羅門・居士らに向かって、「法華経は理が深くて、我々はほとんど理解できない。法は非常に深く、衆生の機根は非常に浅い」などと言って、法華経を遠ざけている。
これは、『摩訶止観』で破折された「法華経は聖者が修行する高い教えで、自分のような智慧のない者には用はない」という者と同じではないだろうか。
また禅宗は、次のように言っている。
「法華経は月をさす指で、禅宗は月そのものである。月を得たなら、指は何の役に立つだろうか。禅は仏の心であり、法華経は仏の言葉である。仏は、法華経などの一切経を説かれた後、最期臨終の時に一房の花をひねった際に、その意味をただ一人、理解した迦葉にだけ仏の心を授けられた。そのしるしとして、仏の袈裟を迦葉に譲り、その禅の教えがインドの付法蔵の28人、中国の第6祖まで伝えられた」と。
これらの大妄語が、国中をたぶらかし、酔わせてから、長い年月がたった。
また天台宗・真言宗の高僧たちは、名前だけは天台宗・真言宗を名乗っているが、自分の宗の教義について、よく分かっていない。
貪欲が深いので、公家や武家を恐れて、念仏や禅などの大妄語の邪義を正しいと言って、ほめたたえている。
昔、多宝仏・分身の諸仏は、「法をして久しく住せしめん」(法華経を永久に存続させる)重要性を示し、法華の正しさを証明した。
今、天台宗の碩徳(徳望があるとされている高僧)は、「法華経は理が深くて、下根の衆生には理解できない」などという邪義を正しいなどと言って受け入れている。
このようなありさまであるから、日本国には、法華経は名があるだけで、得道の人は一人もいない。だれを法華経の行者とするのであろうか。
寺塔を焼いたために、流罪にされる僧侶は数知れないほど多くいる。公家や武家にこびへつらって、人から憎まれる高僧も多くいる。しかし、これらの僧侶を法華経の行者ということができるであろうか。
第41段「第三僭聖増上慢を明かす」第三は、法華経に云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在つて乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん」等云云、六巻の般泥オン経に云く「羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行じ一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん、羅漢に似たる一闡提有りとは是諸の衆生の方等を誹謗するなり一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰して広く方等を説き衆生に語つて言く我汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有るが故に然かも彼の衆生は一闡提と謂わん」等云云、涅槃経に云く「我れ涅槃の後・像法の中に当に比丘有るべし持律に似像して少かに経典を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現し内には貪嫉を懐く唖法を受けたる婆羅門等の如く実には沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云、妙楽云く「第三最も甚し後後の者転識り難きを以つての故に」等云云、東春云く「第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、東春に「即是出家の処に一切の悪人を摂する」等とは当世・日本国には何れの処ぞや、叡山か園城か東寺か南都か建仁寺か寿福寺か建長寺か・よくよく・たづぬべし、延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうを・さすべきか、園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか、彼等は経文に納衣在空閑と指すにはにず為世所恭敬・如六通羅漢と人をもはず又転難識故というべしや華洛には聖一等・鎌倉には良観等ににたり、人をあだむことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ、止観の第一に云く「止観の明静なることは前代未だ聞かず」等云云、弘の一に云く「漢の明帝夜夢みし自り陳朝にオヨぶまで禅門に予り厠て衣鉢伝授する者」等云云、補注に云く「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云、止の五に云く「又一種の禅人乃至盲跛の師徒二倶に堕落す」等云云、止の七に云く「九の意世間の文字の法師と共ならず、事相の禅師と共ならず、一種の禅師は唯観心の一意のみ有り或は浅く或は偽る余の九は全く此無し虚言に非ず後賢眼有らん者は当に証知すべきなり」、弘の七に云く「文字法師とは内に観解無くして唯法相を構う事相の禅師とは境智を閑わず鼻膈に心を止む乃至根本有漏定等なり、一師唯有観心一意等とは此は且く与えて論を為す奪えば則ち観解倶に闕く、世間の禅人偏えに理観を尚ぶ既に教を諳んぜず観を以つて経を消し八邪八風を数えて丈六の仏と為し五陰三毒を合して名けて八邪と為し六入を用いて六通と為し四大を以つて四諦と為す、此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅くして論ず可けんや」等云云、止観の七に云く「昔ギョウ洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、臨終に皆悔ゆ」等云云、弘の七に云く「ギョウ洛の禅師とはギョウは相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」等云云、六巻の般泥オン経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に向い法を毀り人を謗ず」等云云、夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや。第三類の怨敵は、法華経に次のように説かれている。
「あるいは人里離れた静かな所に、粗末な袈裟・衣をつけて閑静な座にいて、在家の人たちに法を説いて、世間から敬われる姿はあたかも六神通を得た聖者のようである」等と。
6巻本の般泥オン経には、次のようにある。「阿羅漢に似た一闡提の者があって、悪業を行ずる。これと反対に、一闡提に似た阿羅漢があって、慈悲の心を起こすであろう。
『阿羅漢に似た一闡提がある』というのは、その者たちが大乗経を謗るということである。
『一闡提に似た阿羅漢』とは、声聞を謗り、卑しめて、広く大乗の教えを説く者である。そして衆生に語っていうには、『私は汝たちとともにこれ菩薩である。理由はなぜか。一切の人々には皆、仏性(仏の性分)があるからである』と。しかし、それを聞いた衆生は、かえって一闡提だと言うだろう」と。
涅槃経には、次のようにある。「私(釈尊)が入滅した後、教えが形骸化した時代において、次のような僧が現れるであろう。
それは、形は戒律をたもっているように見せかけて、少しばかり経文を読み、食べ物をむさぼって我が身を養っている。
その僧は、袈裟を身にまとっているけれども、信徒の布施を狙うありさまは、猟師が獲物を狙って、細めに見て静かに近づいていくようであり、ネコがネズミをとらえようとしているようなものである。
そして、常に『自分は羅漢の悟りを得た』と言うであろう。
外面は賢人・善人のように装っているが、内面は信徒の布施をむさぼり、正法をたもつ人に嫉妬心を強くいだいている。
法門のことなど質問されても、答えられないありさまは、ちょうど唖法の修行で黙り込んでいる婆羅門たちのようである。
実際には、正しい僧侶でもないのに、僧侶の姿をしており、邪見が非常に盛んで、正法を謗るであろう」と。
妙楽は、「第3の僣聖増上慢の迫害は、最も甚だしい。第一類より第二類、第二類より第三類がより一層、正体を見抜きにくいからである」(『法華文句記』)と言っている。
『東春』には、「第3に『或有阿練若』から下の3偈が僭聖増上慢で、この出家者のところに一切の悪人が集まるのである」等といっている。
『東春』にある、「出家者のところに一切の悪人が集まる」等というのは、今の世の日本国には、いずれの所の出家者であろうか。比叡山か、園城寺か、東寺か、奈良の諸寺か、建仁寺か、寿福寺か、建長寺か、よくよくたずね考えるべきである。
比叡山延暦寺の僧たちが出家の頭に甲胃を身につけているのを指すべきであろうか。園城寺の僧たちが五分法身(仏・阿羅漢がそなえている五つの功徳を有する身)の膚に、鎧・杖をまとっているのをいうべきであろうか。
しかし彼らは、経文に「袈裟・衣をつけて閑静な座について」と指摘しているのには似ていないし、「世間に敬われること六神通を得た聖者のようである」と、人は思っていない。
また、彼らを「より一層、正体を見抜きにくいからである」というべきであろうか。それは考えにくい。
こうしてみると、第三類の怨敵は、京都では聖一ら、鎌倉では良観らに似ている。
こう言われたからといって、人をうらんではならない。眼があるなら、経文に我が身を合わせてみよ。
『摩訶止観』巻1には、「止観の明静なることは前代にいまだ聞かないところである」とある。
『止観輔行伝弘決』の1に、「中国・後漢の明帝が夜、夢を見て、仏教が中国へ伝来してから、陳朝におよぶまで、禅門にまじわって師から弟子へと、仏教を受け継ぐ証しとして衣と鉢を伝える者たちがいた」とある。
『法華三大部補註』には、「衣鉢を伝授する者とは、達磨からの流れを指す」とある。
『摩訶止観』巻5には、止観を説くに値しない人の例が挙げられ「禅を修行するある種の人は、両極に偏った教えに執着し、その結果、そうした両極に偏った師弟は、ともに堕落して仏道から外れる」とある。
同じく『摩訶止観』巻7に、「(天台自身が明かした、仏法を理解するための10種の、心得のうち)9種の意は、『文字の法師(世間の文字や理論ばかりに執着する法師)』が立てる意とも違うし、『事相の禅師(座禅の形式ばかりにとらわれている禅師)』が立てる意とも異なるのである。
1種の禅師は、(10の心得のうち)ただ観心の1種だけは修行する。その観心も、あるいは浅く、あるいは偽っている。他の9種の心得は全く見られない。
以上述べたことは決して虚言ではない。後世の賢人で眼ある者は、まさにこれをはっきりと知るにちがいない」と。
妙楽は『止観輔行伝弘決』巻7に、次のように言っている。
「『文字の法師』とは、内心に智慧をもって経教の義意を理解しようとするのでなく、ただ教えの解釈に終始する者をいう。『事相の禅師』とは、境智ということをなおざりにし、呼吸法などの形ばかりに気をとられている者をいう。これらの座禅は、外道の根本の修行である不完全な瞑想行と同じで、煩悩を断つことはできない。
『1種の禅師は、ただ観心の1種だけは修行する』というのは、これは一応、仮に認めた言い方であり、厳しくいえば、観心の修行も教相の理解も、ともに欠いているということである。
世間の禅人は、ひたすら真理を観ずることのみを尊び、少しも教えを習おうとしない。
観心によって経文を解釈するなどといって、たとえば八邪と八風を合わせて一丈六尺の仏としたり、五陰と三毒をあわせて名づけて八邪であるとしたり、六入をもって六通としたり、四大をもって四諦としている。
このような経文の解釈法は、偽りの中の偽りである。あまりに浅すぎて、論ずることもできない」と。
『摩訶止観』巻7に、「昔、ギョウ洛の禅師(達磨)は、その名は国を越えて広く行き渡り、とどまる時は四方から人々が雲のように集まってきて仰ぎ、去る時は別れを惜しんで多くの人が群れをなし、遠くまで音が響くような賑わいであったが、なんの利益があったであろうか。臨終の時には、皆後悔した」とある。
妙楽はこれについて、『止観輔行伝弘決』の7に、「『ギョウ洛の禅師』とは、ギョウは相州にあって斉や魏が都を置いたところである。この禅師はおおいに仏教を興隆させ、禅宗の祖として、その地を教化した。天台は当時の人たちの意を守ってその名を出していない。『洛』とはすなわち洛陽である」と言っている。
6巻本の般泥オン経には、「究極のところを見ないとは、かの一闡提の輩がつくる究極の悪業、すなわち法華経誹謗が底しれず深くて見えないことである」とある。
妙楽は「第三類の僭聖増上慢は、最も悪質である。第一類より第二類、第二類より第三類というように、ますますその謗法がわかりにくいからである」と言っている。
仏教に無知な者や、仏教の一部分しか知らない者や、邪見の者は、末法のはじめの三類の強敵を見分けることができないであろう。
ただ、一分の仏眼を得た者が、これを知ることができるのである。
法華経には、「国王・大臣・高僧や社会の有力者たちに向かって」とあり、これについて『法華文句東春』には、「公の立場の者(権力者)に向かって正法を謗り、その行者の悪口を言う」と解釈している。
昔、像法時代の末には、護命や修円ら(法相宗の僧)が奏状を朝廷にささげて、伝教大師を無実の罪で訴えた。
今、末法のはじめには、良観や念阿らが偽書をつくって、将軍家にささげている。これこそ三類の怨敵ではないだろうか。
第40段「別して俗衆・道門を明かす」第一の有諸無智人と云うは経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那と見へたり、随つて妙楽大師は「俗衆」等云云、東春に云く「公処に向う」等云云、第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん」等云云、涅槃経に云く「是の時に当に諸の悪比丘有るべし乃至是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除せん」等云云、止観に云く「若し信無きは高く聖境に推して己が智分に非ずとす、若し智無きは増上慢を起し己れ仏に均しと謂う」等云云、道綽禅師が云く「二に理深解微なるに由る」等云云、法然云く「諸行は機に非ず時を失う」等云云、記の十に云く「恐くは人謬り解せん者初心の功徳の大なることを識らずして功を上位に推り此の初心を蔑にせん故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す」等云云、伝教大師云く「正像稍過ぎ已て末法太はだ近きに有り法華一乗の機今正しく是其の時なり何を以て知ることを得る安楽行品に云く末世法滅の時なり」等云云、慧心の云く「日本一州円機純一なり」等云云、道綽と伝教と法然と慧心といづれ此を信ずべしや、彼は一切経に証文なし此れは正しく法華経によれり、其の上日本国・一同に叡山の大師は受戒の師なり何ぞ天魔のつける法然に心をよせ我が剃頭の師をなげすつるや、法然智者ならば何ぞ此の釈を選択に載せて和会せざる人の理をかくせる者なり、第二の悪世中比丘と指さるるは法然等の無戒・邪見の者なり、涅槃経に云く「我れ等悉く邪見の人と名く」等云云、妙楽云く「自ら三教を指して皆邪見と名く」等云云、止観に云く「大経に云く此よりの前は我等皆邪見の人と名くるなり、邪豈悪に非ずや」等云云、弘決に云く「邪は即ち是れ悪なり是の故に当に知るべし唯円を善と為す、復二意有り、一には順を以つて善と為し背を以つて悪と為す相待の意なり、著を以つて悪と為し達を以つて善と為す相待・絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり況や復余をや」等云云、外道の善悪は小乗経に対すれば皆悪道小乗の善道・乃至四味三教は法華経に対すれば皆邪悪・但法華のみ正善なり、爾前の円は相待妙なり、絶待妙に対すれば猶悪なり前三教に摂すれば猶悪道なり、爾前のごとく彼の経の極理を行ずる猶悪道なり、況や観経等の猶華厳・般若経等に及ばざる小法を本として法華経を観経に取り入れて還つて念仏に対して閣抛閉捨せるは法然並びに所化の弟子等・檀那等は誹謗正法の者にあらずや、釈迦・多宝・十方の諸仏は法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり、法然並に日本国の念仏者等は法華経は末法に念仏より前に滅尽すべしと豈三聖の怨敵にあらずや。三類の強敵のうち、第一類の「諸の無智の人有って」というのは、経文の第二類の「悪世の中の比丘」と第三類の「納衣の比丘」に帰依している大檀那たちであるといえる。
したがって、妙楽大師はこの第一類を「俗衆増上慢」と言っている。
また、智度法師は『東春』に、「公の立場の人(国王・大臣らの権力者)に向かって」等と言っている。
法華経の怨敵の第二類は、経文に「悪世の中の僧は、よこしまな智慧にたけて、心が曲がってこびへつらい、いまだ何も分かっていないのに悟りを得たと思い、慢心が充満している」等とある。
これについて涅槃経には、「この時に諸の悪い僧があるであろう。そして、この諸の悪人は、このような大乗経典を読誦していながら、如来が説こうとする深い真意を滅除する」等と説かれている。
『摩訶止観』には、「もし法華経に対して信心のない者は、法華経は聖者が修行する高い教えで、自分のような智慧のない者には用はないという。
また、もし真実の智慧のない者は増上慢を起こして、自分は仏に等しいと思う」等とある。
道綽禅師は、浄土以外の教えである聖道門を捨てよと主張し、その理由として、「第二に、理が深くてほとんどの人には理解できない」(『安楽集』)と言っている。
法然は、「念仏以外の諸の修行は衆生の機根に合わず、時代に適っていない」(『選択集』)と言っている。
妙楽は『法華文句記』巻10に、「おそらく法華経を誤って理解する者は、初心の功徳が大きいことを知らないで、その功徳を上位の聖者が受けるものと考え、初心の功徳をないがしろにするだろう。
だから今、初心の修行は浅くとも、その功徳が深いことを示し、法華経の功徳力を顕すのである」と言っている。
伝教大師は、「正法・像法時代はもう少しで過ぎ終わり、末法がはなはだ近くにきている。一仏乗の法華経によって、一切衆生が即身成仏するのは、今まさしくこの時である。
どうしてそれを知ることができるのかといえば、安楽行品に『末世において法が減する時に』とあるからである」(『守護国界章』)と言っている。
慧心は「日本国中は、円教である法華経によって修行すべき機根のみである」(『一乗要決』)と言っている。
道綽と伝教、また法然と慧心とは、反対のことを言っているが、どちらを信ずるべきであろうか。
道綽と法然の主張は、一切経に証文がない。伝教と慧心の主張は、まさしく法華経に依っている。
そのうえ、日本国一同にとって、比叡山の伝教大師こそ受戒の師である。
どうして天魔のついた法然に心をよせ、自分にとって出家・剃髪の師である伝教を捨てるのであろうか。
法然が智者であるなら、なぜ天台や妙楽、伝教や慧心らの解釈を、『選択集』にのせて、筋道を立てて道理を明らかにしなかったのであろうか。
それをしなかった法然の主張は、人の道理を隠すものである。
したがって、経文に第二類の「悪世の中の比丘」と指されているのは、法然ら無戒・邪見の者のことである。
涅槃経に、「法華経以前の教えに執する人を我々はことごとく邪見の人と名づける」等とある。
妙楽は「自ら法華経以前の蔵・通・別の三教を指して、皆邪見と名づけている」(『法華玄義釈籤』)と言っている。
天台の『摩訶止観』には、「涅槃経に、『これより以前は、我々は皆、邪見の人と名づける』とある。「邪とはすなわち悪ではないか」等とある。
妙楽の『止観輔行伝弘決』には、「邪はすなわちこれ悪のことである。このゆえに、ただ円教を善となすことを知るべきである。
これには二つの意味がある。一には円教に順うを善となし、円教に背くを悪となす。これは円教と他の三教を比較相対して勝劣を判ずる相待妙のうえからの善悪の意味である。
二には、三教が円教に含まれるからといって三教のどれかに執着するのを悪となし、執着せずに円教に達するのを善となす。これは絶待妙のうえからの善悪の意味である。このように、相待・絶待、いずれの意味でも悪をはなれるべきである。
円に執着することでさえ、なお悪である。まして、その他のものに執着することはなおさらである」とある。
外道の善道・悪道は、小乗経に対すれば、ともにみな悪道であり、小乗経の善道をはじめとする爾前の四味三教は、法華経に対すれば皆邪悪であり、ただ法華経のみ正善である。
爾前経に説かれた円教は相待妙である。絶待妙に対すれば、これすら悪である。
また爾前の円教を蔵・通・別の三教のどれかに位置づければ、さらに悪となる。
まして観無量寿経など、華厳経や般若経などにも及ばない小法をもととして、法華経をこの観無量寿経に取り入れて、かえって念仏と対比して法華経を閣き、抛ち、閉ざし、捨てよと唱えたのであるから、法然並びにその化導を受けた弟子たち、檀那たちは「誹誇正法の者」ではないか。
釈迦・多宝・十方の諸仏は、法華経を永久に存続させるために法華経の会座に来られたのである。
しかし、法然並びに日本国の念仏者たちは、「法華経は末法には念仏より先に滅ぶであろう」といっている。
これこそ釈迦・多宝・十方分身の諸仏の怨敵ではないか。
第38段「三類の強敵を顕す」已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅・律・念仏者・並びに諸檀那の謗法をしらしめん、日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。以上、宝塔品の三箇の勅宣と、提婆達多品の二箇の諌暁、あわせて五箇の鳳詔に仏弟子たちは驚いて、勧持品で弘経の誓いを述べた。
勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、記の八に云く「文に三初に一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」等云云、東春に智度法師云く「初に有諸より下の五行は第一に一偈は三業の悪を忍ぶ是れ外悪の人なり次に悪世の下の一偈は是上慢出家の人なり第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、又云く「常在大衆より下の両行は公処に向つて法を毀り人を謗ず」等云云、涅槃経の九に云く「善男子一闡提有り羅漢の像を作して空処に住し方等大乗経典を誹謗せん諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云、六巻の般泥オン経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず、一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん羅漢に似たる一闡提有りとは是の諸の衆生方等を誹謗するなり、一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰し広く方等を説くなり衆生に語つて言く我れ汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有る故に然も彼の衆生一闡提なりと謂わん」等云云、涅槃経に云く「我涅槃の後乃至正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少かに経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養す、袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現わし内には貪嫉を懐かん唖法を受けたる婆羅門等の如し、実に沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。
明鏡であるその経文を出して、今の禅・律・念仏の僧、ならびにそれらを支える有力者たちの謗法を、はっきりと明らかにしよう。
日蓮という者は、去年(文永8年=1271年)9月12日の深夜、子丑の時に、頚をはねられた。
これ(開目抄)は、その魂魄が佐渡の国に至って、翌年の2月、雪深い中で記して、有縁の弟子に贈るのであるから、ここに示す勧持品に説かれる難は恐ろしいようであるが、真の法華経の行者にとっては、決して恐ろしいものではない。しかし、これをわからず経文を見る人は、どれほどおじけづくだろうか。
この経文は、釈迦・多宝・十方の諸仏が未来、すなわち日本の今の様子を映し出された明鏡である。形見とも見るべきものである。
勧持品には、こう説かれている。
「ただ願うところは、釈尊よ、心配しないでください。仏が入滅された後、恐るべき悪世の中において、私たちは法華経を広く説いていくだろう。
その時、諸々の無智の人があって、法華経の行者の悪口を言ったり、罵ったり、また刀や杖で打つなどする者があるだろう。私たちは皆、それらを耐え忍ぶであろう。
悪世の中の僧は、邪智をもち、心はへつらい曲がっており、まだ悟りを得ていないのに得たと思い、慢心の心が充満している。
あるいは、喧騒を離れたところ(阿練若)で粗末な袈裟・衣を着て、静かなところ(空閑)にいて、自分は真の修行をしていると思って、世間の人々をいやしむ者がいるだろう。
内心は、利益を貧り執着するゆえに、在家の人々(白衣)の歓心を買う教えを説き、世間の人々から尊敬されるさまは、六神通を得た阿羅漢のようである。
この人は悪心をいだき、常に世俗のことを思い、人里離れた閑静なところにいる修行者という名に隠れて、人々の中で法華経を実践する行者の欠点を好んで言い出すだろう。
常に多くの人々の中で、正法の行者を謗ろうとして、国王や大臣や婆羅門や居士、およびその他の僧に向かって、正法の行者を謗って、悪口し、”この者たちは、邪見の人であり、外道の論議を説いている”と言うだろう。
濁悪の世の中には、多くの諸々の恐ろしいことがある。悪鬼が人々の身に入って、正法の行者を謗り、辱めるだろう。
濁世の悪僧は、仏の方便の教え、衆生の機根に従って説かれた法を知らないで、それに執着し、真実の教えである法華経を行じる人々の悪口を言い、顰蹙する(顔をしかめる)。(そのため法華経の行者は)しばしば追い出されるだろう」と。
『法華文句記』第8巻には、こうある。
「この勧持品の文は、三つに分けられる。はじめの1行は、通じて邪見の人を明かしている。すなわち俗衆増上慢である。次の1行は、道門増上慢の者を明かしている。第3に、次の7行は、僧聖増上慢の者を明かしている。
この三つの中で、はじめの俗衆増上慢は耐え忍ぶことができるが、第2は、第1のものよりも悪質である。第3の者が一番悪質である。
第1よりも第2、第2よりも第3の者の方が、より一層、正体を見抜き難いからである」と。
『東春』で、妙楽の弟子・智度法師は、こう述べている。
「はじめに『有諸』以下の5行において、第1に最初の一偈は身・口・意の三業の悪を耐え忍ぶことを述べている。これは、外道、在家の悪人による迫害である。
次の『悪世』以下の1偈は、上慢の出家の人による迫害である。
第3に『或有阿練若』以下の3偈は、出家のところに一切の悪人が集まるのである」と。
また「『常在大衆』以下の2行は、公の立場の人に向かって、法を謗り、人をけなすということである」と。
涅槃経第9巻には、こうある。
「善男子よ、一闡提がいて、阿羅漢の姿をして、静寂なところに住み、大乗経典を誹謗するだろう。
凡夫の人々はこれを見て、皆が、彼こそ真の阿羅漢であり、大菩薩であると思うだろう」と。
また、こうある。
「その時に、この経を全世界に広く流布すべきである。
この時には、諸々の悪僧がいて、この経を切り取って捨てたり、バラバラにし、正法の色・香・美味を失わせてしまうだろう。
この諸々の悪人は、またこのような経典を読誦するといっても、如来が説こうとする深い意味のある重要な義を消し去ってしまって、世間の飾りたてた、美しいだけで意味のない語を置くだろう。前を取って後につけ、後を取って前につけ、前と後を中ほどにつけ、中ほどを前や後につける。
まさに知るべきである。このような諸々の悪比丘は魔の伴侶であると」と。
6巻の般泥オン経には、こうある。
「阿羅漢に似た一闡提の者がいて、悪業を行う。一闡提に似た阿羅漢がいて、慈悲の心を起こすだろう。
阿羅漢に似た一闡提がいるというのは、その者たちが大乗経を謗るということである。
一闡提に似た阿羅漢とは、声聞を謗り、卑しめて、広く大乗の教えを説く者である。
衆生に語って言うには、『私はあなたがたとともに菩薩である。理由はなぜか。一切の人には皆、仏の性分があるからだ』と。
しかし、それを聞いた衆生は、その人を一闡提だと言うだろう」と。
涅槃経には、こうある。
「私(釈尊)が入滅した後、正法が減して後、形ばかり法が残っている時代において、次のような出家者が現れるだろう。
形は律を持っているようであって、わずかに経を読誦し、飲食を貧って身を養い、袈裟を着ているとはいっても、信徒の布施を狙うさまは、猟師が細目で見てゆっくりと獲物に近づくようであり、猫がネズミをとらえようとしているようである。
常にこの言葉を唱えるだろう。『自分は阿羅漢の悟りを得た』と。
外には賢人・善人の姿を表し、内には貧りや嫉妬の気持ちをいだき、無言の修行をしている婆羅門などのようである。
実には出家者でもないのに、出家者の姿をしており、邪見が非常に盛んで、正法を謗るであろう」と。
第37段「二箇の諌暁を引き一代成仏不成仏を判ず」宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諌暁あり、提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、涅槃経四十巻の現証は此の品にあり、善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、一切の五逆・七逆・謗法・闡提・天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり、竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、諸の大乗経には成仏・往生をゆるすやうなれども或は改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり、挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし、儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり、外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶かなひがたし何に況や父母をや但文のみあつて義なし、今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり、二箇のいさめ了んぬ。宝塔品の三箇の勅宣に加えて、提婆達多品において、(悪人成仏・女人成仏の)二箇の諌暁がある。
提婆達多は一闡提の者であった。しかし、法華経において、未来に天王如来となる記別を与えられた。
涅槃経40巻には、一切衆生に仏性があると説き、一闡提の成仏の理を一応明かしているが、その現証は提婆品にあるのである。
善星比丘や阿闍世王ら、無数の五逆罪を犯した者や、謗法の者の中から、一つの例を取り上げ、頭を挙げて、他のすべてをそこに収め、枝葉をしたがえたものである。
すなわち、一切の、五逆罪・七逆罪を犯した者や、謗法の者、一闡提の成仏が、提婆達多が天王如来の記別を与えられたことによって、明確になったのである。
これは、毒薬が変じて甘露(不死の妙薬)となることであり、それはあらゆる味にすぐれているのである。
また、竜女の成仏も竜女一人だけの成仏ではなく、一切の女人が成仏することを示している。法華経以前の諸の小乗教では、女人の成仏は許していない。
諸の大乗経には、女人の成仏・往生を許しているように見えるが、あるいは、女人は身を改めて男となって成仏できるという改転の成仏であって、一念三千の成仏、すなわち即身成仏ではないので、有名無実の成仏・往生である。「一つを挙げてすべてに通じる例とする」といって、竜女の成仏は、末法の女人の成仏往生の道を踏み開けたのである。
儒教で説く孝養は、ただ今世に限られている。父母の未来を救わないのだから、儒教などで言われる聖人・賢人は、有名無実である。
インドの外道は、過去世・未来世を知っているが、父母を助ける方法は説かれていない。仏道こそ、父母の来世を助けることができるので、真実の聖賢の名があるのである。
しかし、法華経以前に説かれた大乗・小乗の経々を立てる宗派は、自分自身の成仏さえ叶えられない。
まして、父母については、なおさらである。成仏といっても、ただその言葉があるだけで、内実はないのである。
今、法華経の時に至って、女人が成仏した時、すべての悲母の成仏の道も明らかとなり、悪人の提婆達多が成仏した時、すべての慈父の成仏も実証されたのである。ゆえに、この法華経こそ仏教典内の孝経ともいうべきである。
以上で、二箇の諌暁は終わる。
第36段「諸経の浅深勝劣を判ず」一タイ(サンズイに帯)をなめて大海のしををしり一華を見て春を推せよ、万里をわたて宋に入らずとも三箇年を経て霊山にいたらずとも竜樹のごとく竜宮に入らずとも無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも二所三会に値わずとも一代の勝劣はこれをしれるなるべし、蛇は七日が内の洪水をしる竜の眷属なるゆへ烏は年中の吉凶をしれり過去に陰陽師なりしゆへ鳥はとぶ徳人にすぐれたり。日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡をしのぶゆへなり、彼の人人は天台・伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、大海の主となれば諸の河神・皆したがう須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。一滴の水をなめただけで大海の塩味を知り、一つの花が咲いたのを見て、春の訪れを推し量りなさい。
万里を渡って宋の国まで行かなくても、(中国の法顕のように)3ヵ年かかって霊鷲山に行かなくても、竜樹菩薩のように竜宮に行かなくても、無著菩薩のように弥勤菩薩に会わなくても、法華経の二処三会の会座にあわなくても、釈尊一代仏教の勝劣は知ることができるのである。
蛇は7日以内に洪水が起こることを知ると言われるが、それは竜の誉属だからである。
烏が、年中の良い出来事と悪い出来事を知っているのは、過去世に陰陽師(陰陽道によって占術を行う人)だったからである。鳥は飛ぶ力では、人よりすぐれている。
日蓮は諸経の勝劣を知ることにおいては、華厳宗の澄観、三論宗の嘉祥、法相宗の慈恩、真言宗の弘法よりすぐれている。それは、(正師である)天台、伝教の跡を継承しているからである。
かの諸宗の人々は、天台・伝教に帰伏しなかったならば、謗法の罪を免れることができなかったであろう。
今の世において、日本国で第一に富んでいる者は、日蓮である。命は法華経にたてまつり、名を後代にとどめるであろう。
大海の主となれば、諸の河の神も皆、したがう。須弥山の王に、諸の山の神がしたがわないことがあろうか。
法華経の六難九易をわきまえれば、一切経を読まなくても、六難九易をわきまえた人にしたがってくるのである。
第34段「菩薩等守護無き疑いを結す」されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は彼彼の経経にして仏にならせ給うやうなれども実には法華経にして正覚なり給へり、釈迦諸仏の衆生無辺の総願は皆此の経にをいて満足す今者已満足の文これなり、予事の由を・をし計るに華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば・その経経の仏・菩薩・天等・守護し給らん疑あるべからず、但し大日経・観経等をよむ行者等・法華経の行者に敵対をなさば彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし、例せば孝子・慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる孝の至りなり、仏法も又かくのごとし、法華経の諸仏・菩薩・十羅刹・日蓮を守護し給う上・浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩・真言宗の千二百等・七宗の諸尊・守護の善神・日蓮を守護し給うべし、例せば七宗の守護神・伝教大師をまほり給いしが如しと・をもう、日蓮案じて云く法華経の二処・三会の座にましましし、日月等の諸天は法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく月の水に遷るがごとく須臾に来つて行者に代り仏前の御誓をはたさせ給べしとこそをぼへ候にいままで日蓮をとぶらひ給はぬは日蓮・法華経の行者にあらざるか、されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて、身の失をしるべし。以上のことから、諸経に説かれている諸仏や菩薩や人界・天界などの衆生は、それぞれの経において仏に成ったようであるが、実際には法華経によって真の悟りを得たのである。
釈迦仏や諸仏が立てた、すべての衆生を苦しみから救おうとする誓願は、すべて法華経において成就したのである。法華経方便品の「今、ついに満足した」との経文はこのことである。
私がこうしたいきさつから考えると、華厳経や観無量寿経や大日経などを読み修行する人を、それぞれの経に説かれている仏や菩薩や諸天などが守護することは疑いない。ただし、大日経や観無量寿経などを読む行者が、法華経の行者に敵対したならば、仏菩薩たちはそれらの行者を捨てて法華経の行者を守護するはずである。例えば孝行な子は、慈父が王の敵となった場合に、その父を捨てて王につくのである。それが本当の孝である。仏法もまた同じである。
法華経で説かれている諸仏や菩薩や十羅刹女が日蓮を守護するうえ、浄土宗の六方(東西南北と上下)の諸仏や二十五の菩薩、真言宗の千二百あまりの仏・菩薩、七宗のすべての仏・菩薩や守護の善神が日蓮を守護するはずである。例を挙げれば、かつて七宗(南都六宗と真言宗)の守護神が伝教大師を守ったのと同様であると、このように考えるのである。
日蓮はこう思う。法華経の二処三会の場にいた日天・月天などの諸天は、法華経の行者が現れたならば、磁石が鉄を吸い寄せるように、月が水面に身を移すように、すぐにやって来て、行者に代わって難を受け、守護する。という仏前での誓いを果たすはずであると思っていたが、今まで日蓮を訪ねてこないのは、日蓮は法華経の行者ではないということか。それならば、重ねて経文を検討して我が身に引き当てて、自身の誤りを知ろうと思う。
第33段「本尊への迷妄を呵責し正しく下種の父を明かす」而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎・成実・律宗は三十四心・断結成道の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり、法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子・我が父は侍と・をもうがごとし、華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるに・つけり、浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもうて教主をすてたり、禅宗は下賎の者・一分の徳あつて父母をさぐるがごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、例せば三皇已前に父をしらず人皆禽獣に同ぜしが如し、寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ不知恩の者なり、故に妙楽云く「一代教の中未だ曾て遠を顕さず、父母の寿知らずんばある可からず若し父の寿の遠きを知らずんば復父統の邦に迷う、徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず」等云云、妙楽大師は唐の末・天宝年中の者なり三論・華厳・法相・真言等の諸宗・並に依経を深くみ広く勘えて寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷える才能ある畜生とかけるなり、徒謂才能とは華厳宗の法蔵・澄観・乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能の人師なれども子の父を知らざるがごとし、伝教大師は日本顕密の元祖・秀句に云く「他宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も然も但愛のみ有つて厳の義を闕く、天台法華宗は厳愛の義を具す一切の賢聖・学・無学及び菩薩心を発せる者の父なり」等云云、真言・華厳等の経経には種熟脱の三義・名字すら猶なし何に況や其の義をや、華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり、種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せんとせしがごとし。ところが、天台宗以外の諸宗は皆、本尊に迷っている。
宗宗・互に種を諍う予此をあらそはず但経に任すべし、法華経の種に依つて天親菩薩は種子無上を立てたり天台の一念三千これなり、華厳経・乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子・皆一念三千なり天台智者大師・一人此の法門を得給えり
倶舎宗・成実宗・律宗は、34種の心で見思惑を断じて成道したとされる小乗の釈尊を本尊としている。これは天尊の太子が迷って、わが身は民の子であると思っているようなものである。
華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗などの4宗は大乗教の宗派である。
このうち法相宗・三論宗は、勝応身に似た仏を本尊としている。これは、天王の太子が、わが父は天子に仕える侍であると思っているようなものである。
華厳宗・真言宗は、釈尊をさげすんで慮舎那仏、大日如来などを本尊と定めている。これは天子である父をさげすみ、素性も知れないものが法王のように見せかけているのに、つきしたがっているようなものである。
浄土宗は、釈尊の分身である阿弥陀仏を自らの有縁の仏であると思って、教主釈尊を捨ててしまった。
禅宗は、下賎の者が自分に一分の徳があるからといって、それをもって父母をさげすんでいるようなもので、仏と経を見下している。
これらの各宗は皆、本尊に迷っている。たとえば、中国古代の三皇時代以前には、人々は自らの父親を知らず、鳥や獣と同じだったようなものである。
寿量品を知らない諸宗の者は、これらの獣と同じで、不知恩の者である。
それゆえ、妙楽大師は「釈尊一代の仏教のうち、寿量品までの経は、いまだかって仏の久遠の寿命を明らかにしていない。子としては父母の寿命を知らないでいて良いわけはない。もし父の寿命が長遠であることを知らなければ、父の統治する国に迷うのである。いたずらに才能があるといっても空しく、これでは全く人の子ではない」(『五百問論』)と述べている。
妙楽大師は、唐の末期、天宝年間の人である。三論宗・華厳宗・法相宗・真言宗などの諸宗、ならびにその依経を深く見、広く考えたうえで、「寿量品の仏を知らない者は父の統治する国に迷っている、才能ある畜生である」と書かれたのである。
「いたずらに才能があるという」とは、華厳宗の法蔵・澄観、および真言宗の善無畏らのことで、彼らは才能ある人師であるけれども、父を知らない子のようなものである。
伝教大師は日本における顕教・密教の祖である。その伝教の著した『法華秀句』で、「他宗が依り処としている経には、仏の母としての性質が一分は有るといえるが、ただ母の徳たる衆生をあわれむ愛だけがあって、父の徳たる(法を正しく教えて成仏へと導く)厳の義を欠いている。天台法華宗は、厳と愛の義をともに具備している。だから、一切の賢人・聖人、学ぶべきことのある声聞・もはや学ぶべきものがない声聞、および菩薩の心を起こした人すべての父である」等と述べている。
真言宗・華厳宗などが依り所としている経々には、仏に成るための下種・調熟・得脱の三つの義について、その名称すらない。まして、その実義があるわけがない。
したがって、華厳宗や真言宗などの経でも、「この一生のうちに初地にはいって、この身のままで成仏する」などといっているが、これらの経は権経であって、仏の久遠の過去を明かしていない。
下種を知らない得脱なので、それはあたかも、中国・秦代の反逆者・趙高が皇帝の位にのぼろうとし、奈良時代の僧・道鏡が天皇の位につこうとしたのと同じである。
各宗派が互いに成仏の種は自宗にあると争い合っている。私はこれについては争わない。ただ経文に任すのである。
法華経に説かれている成仏の種にもとづいて、天親菩薩は法華経の種子が無上であると述べたのである。天台大師の一念三千がその種子である。
華厳経はじめ諸々の大乗経、また大日経などの諸尊が成仏した種子は皆、一念三千なのである。天台智者大師だけが、この法門を得られたのである。
第32段「脱益の三徳を明かす」此の過去常顕るる時・諸仏皆釈尊の分身なり爾前・迹門の時は諸仏・釈尊に肩を並べて各修・各行の仏なり、かるがゆへに諸仏を本尊とする者・釈尊等を下す、今華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属なり、仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪い取り給いき、今爾前・迹門にして十方を浄土と・がうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる、仏は久遠の仏なれば迹化・他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり、一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の・国に大王の・山河に珠の・人に神のなからんが・ごとくして・あるべきを華厳・真言等の権宗の智者とをぼしき澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往・権宗の人人・且は自の依経を讃歎せんために或は云く「華厳経の教主は報身・法華経は応身」と・或は云く「法華寿量品の仏は無明の辺域・大日経の仏は明の分位」等云云、雲は月をかくし讒臣は賢人をかくす・人讃すれば黄石も玉とみへ諛臣も賢人かとをぼゆ、今濁世の学者等・彼等の讒義に隠されて寿量品の玉を翫ばず、又天台宗の人人もたぼらかされて金石・一同のをもひを・なせる人人もあり、仏・久成に・ましまさずば所化の少かるべき事を弁うべきなり、月は影を慳ざれども水なくば・うつるべからず、仏・衆生を化せんと・をぼせども結縁うすければ八相を現ぜず、例せば諸の声聞が初地・初住には・のぼれども爾前にして自調自度なりしかば未来の八相をごするなるべし、しかれば教主釈尊始成ならば今此の世界の梵帝・日月・四天等は劫初より此の土を領すれども四十余年の仏弟子なり、霊山・八年の法華結縁の衆今まいりの主君にをもひつかず久住の者にへだてらるるがごとし、今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光・月光・西方阿弥陀如来の観音勢至・乃至十方世界の諸仏の御弟子・大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩・猶教主釈尊の御弟子なり、諸仏・釈迦如来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず何に況や此の土の劫初より・このかたの日月・衆星等・教主釈尊の御弟子にあらずや。このように過去常(釈尊が久遠の過去に成仏して以来、仏として婆婆世界に常住してきたこと)が明らかにされた時、諸仏は皆、釈尊の分身であ ることになった。
爾前経や法華経迹門の時は、諸仏は釈尊と肩を並べた対等の仏で、おのおのの修行をして悟りを得た仏であった。そのため、諸仏を本尊とする者は釈尊ら他の仏を見下していた。
ところが寿量品が説かれた今は、華厳経に説かれる台上の慮舎那仏も、方等経・般若経・大日経等に説かれる諸仏も皆、釈尊の春属であるということになったのである。
釈尊は、30歳で成道された時に、大梵天王と第六天の魔王らが所有し治めていた裟婆世界を奪い取り、釈尊の国土とされた。
しかし今は、爾前経や迹門において、十方の世界を浄土と名づけ、この裟婆世界を穢土と説かれていたのを打ち返して、この裟婆世界こそが釈尊の本国土であり、十方の浄土は垂迹の穢土となったのである。
寿量品の釈尊は久遠の仏なので、迹化・他方の大菩薩も、教主釈尊の弟子である。
一切の経の中に、この寿量品がなければ、天に太陽と月がなく、国に大王がなく、山河に宝珠がなく、人に魂がないようなものである。
それなのに、華厳宗や真言宗などの権教の智者と思われている澄観・嘉祥・慈恩・弘法らの、一往の権教に基づく宗の人々は、自らの依り所とする経を讃嘆するために、次のように言っている。
すなわち華厳宗では、「華厳経の教主が報身であるのに対して、法華経の教主は応身仏で劣っている」と言っている。
あるいは真言宗では「法華経寿量品の仏はまだ無明惑を断ち切っていない境涯であり、大日経の仏は明の分位(悟りを得た境地)である」などと言っている。
雲は月を隠し、讒言をする臣下は賢人を隠してしまう。人がほめれば、ただの黄色の石も宝玉と見え、こびへつらう臣下も賢人かと思われるものである。
今、末法濁世の学者らは、澄観らの正法誹誇の邪義に惑わされて、寿量品の宝珠を見失い、それを愛玩することがない。
また、法華経を依経とする天台宗の人々の中にも、彼らにたぶらかされて、黄金とただの石を同じだと思いこんでしまっている人々がいる。
仏が久遠実成の仏でないならば、その仏から化導を受ける弟子も少ないはずであることをわきまえるべきである。
月はその影を映すことを惜しまないが、水がなければ映ることができない。それと同じく、仏が衆生を化導しようと思っても、結縁がうすければ、仏は八相(下天・託胎・出胎・出家・降魔・成道・転法輪・入涅槃)を現じて化導することができない。
たとえば、もろもろの声聞は、修行して初地・初住の位までのぼっても、爾前経の時に自分の悟りを得るためだけの修行をしていたので、彼ら自身が八相を現ずるのは未来世を待つしかなかった。
よって、教主釈尊が始成正覚の仏であるならば、今、この裟婆世界の梵天や帝釈天、日天、月天、四天王らは、この世界の成り立った初めからこの世界を治めているけれども、わずか40余年間の仏弟子であるにすぎない。
まして、霊鷲山での8年間で法華経に結縁した衆生などは、新参者が主君になじまず、古くからいる者によって隔てられているようなものであろう。
今、久遠実成が顕されたので、東方世界の仏である薬師如来の脇士である日光菩薩・月光菩薩、西方世界の仏である阿弥陀如来の脇士である観音菩薩・勢至菩薩、あるいは十方世界の諸仏の弟子、大日経・金剛頂経などの金剛・胎蔵両部の大日如来の弟子である諸大菩薩なども、すべて教主釈尊の弟子となったのである。
諸仏が釈迦如来の分身である以上は、この諸仏により化導された弟子も釈迦如来の弟子であることはいうまでもない。
ましてや、この裟婆世界が成り立った最初から住んでいる日月、多くの星などが、教主釈尊の弟子であることはいうまでもないことである。
第23段「疑いを挙げて法華経の行者なるを釈す」但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者には・さるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身・法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし。ただし世間の疑いとして、また自身の心から生まれる疑いとして、日蓮が法華経の行者であるなら、どうして諸天善神はこれを助けないのか。諸天らの守護神は、仏の御前での誓いがある。
法華経の行者に対しては、たとえ猿であったとしても法華経の行者というならば、早々に仏前での誓いを成就しようと思われるべきであるのに、その義がないのは、我が身が法華経の行者ではないからであろうか。
この疑いは、この書(開目抄)の肝心かなめであり、日蓮の一生の大事であるから、繰り返しこれを書き、疑いを強くし、その上で答えを示そう。
第22段「経文に符合するを明かす」されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む、還つて此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天・善神等の此の国をすてて去り給えるか・かたがた疑はし、而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし、経に云く「諸の無智の人あつて・悪口罵詈等し・刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ、「悪世の中の比丘は・邪智にして心諂曲」又云く「白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如し」此等の経文は今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊は又大妄語の人、常在大衆中・乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世の僧等・日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、又云く「数数見擯出」等云云、日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや、末法の始のしるし恐怖悪世中の金言の・あふゆへに但日蓮一人これをよめり、例せば世尊が付法蔵経に記して云く「我が滅後・一百年に阿育大王という王あるべし」摩耶経に云く「我が滅後・六百年に竜樹菩薩という人・南天竺に出ずべし」大悲経に云く「我が滅後・六十年に末田地という者・地を竜宮につくべし」此れ等皆仏記のごとくなりき、しからずば誰か仏教を信受すべき、而るに仏・恐怖悪世・然後末世・末法滅時・後五百歳なんど正妙の二本に正しく時を定め給う、当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん、南三・北七・七大寺等・猶像法の法華経の敵の内・何に況や当世の禅・律・念仏者等は脱るべしや、経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし、此れも又かくのごとし当時の責はたうべくも・なけれども未来の悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり。そうである(法華経を末法に弘通して前代未聞の難にあっている)から、日蓮が法華経の法理を理解する智慧は天台大師や伝教大師には千万分の一にも及ばないけれども、難に耐え、慈悲が優れていることについては、誰もが恐れさえ抱くであろう。
きっと諸天善神の配慮にもあずかるだろうと思うのであるが、少しの兆候もない。いよいよ重罪に陥れられている。ひるがえって、このことを考えてみると、我が身が法華経の行者ではないということなのか。また、諸天善神らがこの国を捨てて去ってしまっているということなのか。さまざまに疑わしいことである。
しかしながら法華経の第5巻の勧持品の二十行の偈は、日蓮がこの国に生まれなければ、ほとんど釈尊は大嘘つきの人となってしまうのであり、80万億那由他の菩薩たちは提婆達多と同じ嘘つきの罪に堕ちてしまうにちがいない。
法華経には「仏法に無知な多くの人がいて、法華経の行者に対して、悪口し罵倒し、刀や杖や瓦や石で攻撃してくる」(勧持品の二十行の偈のうち、俗衆増上慢の箇所)とある。今の世の中を見てみると、日蓮以外の諸僧の誰が、法華経のことで多くの人たちに悪口をいわれ罵倒され刀や杖などで攻撃されているだろうか。日蓮がいなければこの一偈に示された未来の予言はウソになってしまったところである。
「悪世の中の比丘は邪智で心は諂い曲がっている」(同、道門増上慢の箇所)とある。また「在家の人の歓心を買うために法を説いて、世間で尊敬されているさまは六つの神通力を得た阿羅漢のようである」(同、僧聖増上慢の箇所)とある。これらの経文は、今の世の念仏者や禅宗・律宗などの法師がいなければ、釈尊はまた大嘘つきである。
さらに「常に人々の中にいて(中略)国王、大臣、婆羅門、居士などに対して(法華経の行者の悪口をいう)」(同)等とある。今の世の僧らが日蓮のことを讒言して流罪に陥れていなければ、この経文も空しいものとなっていた。
また「数数所を追われる」等とある。日蓮が法華経のゆえに度々、流されていなかったら、この「数数」という2字はどう考えればいいのだろう。
この2字は、天台・伝教ですらまだ身で読んでいない。まして他の人はいうまでもない。今が末法の始めである証拠として、「恐ろしい悪世の中で」という仏の言葉が的中しているからこそ、ただ日蓮一人だけがこの経文を身で読んだのである。
例を挙げれば、釈尊が付法蔵経に記していうには「私の滅後、100年たった時に、阿育大王という王が出現するだろう」と。また摩耶経には「私の滅後、600年には、竜樹菩薩という人が、南インドに生まれるだろう」と。大悲経には「私の滅後60年には末田提という者が、その土地に竜王の伽藍を築くであろう」と。これらはすべて皆、仏が予言したとおりに実現した。そうでなければ、誰が仏教を信受したであろうか。
そして、仏は、「恐ろしい悪世」(勧持品)、「しかるに後の末の世」(正法華経)、「末の法滅の時」(安楽行品)、「後の五百年」(薬王品)などと説き、正法華経・妙法蓮華経の二つの漢訳本のどちらをみても、明確に時を定められている。
(その末法である)今の世に法華経に説かれた三類の強敵がなければ、誰が仏説を信受するだろうか。日蓮がいなければ誰を(仏がその出現を予言した)法華経の行者であると定めて、仏の言葉が真実であると証明し助けることができようか。
中国の南三北七の僧や奈良の7大寺の僧でさえも、(それぞれ天台や伝教に敵対したゆえに)像法の法華経の敵に含まれる。まして、(末法の法華経の行者を迫害している)当世の禅・律・念仏の徒らは法華経の敵と呼ばれるのを免れることはできない。
経文の予言に、我が身が符合している。それ故、幕府から迫害を受ければ、いよいよ喜びが増してくる。たとえば、小乗経の菩薩でまだ煩悩を断じ切っていない者が願兼於業といって、つくりたくない罪であるけれども、父母らが地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、決まった形式の通り同じ業をつくって自ら願って地獄に堕ちて苦しみ、父母たちの苦しみに代われることを喜びとするようなものである。
日蓮もまたこれと同じである。今現在の責めは耐えがたいほどの苦であるが、来世に悪道に堕ちることを免れることができるであろうと思えば、喜びである。
第21段「略して法華経行者なるを釈す」既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし。(建長5年に立宗宣言して以来)すでに20年余りの間、この法華経の法門を申してきたが、日々、月々、年々に難が重なっている。
法華経の第四に云く「而も此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云、第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん」等云云、第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、又云く「諸の無智の人の悪口罵詈する有らん」等、又云く「国王・大臣・婆羅門・居士に向つて誹謗し我が悪を説いて是れ邪見の人なりと謂わん」と、又云く「数数擯出見れん」等云云、又云く「杖木瓦石もて之を打擲せん」等云云、涅槃経に云く「爾の時に多く無量の外道有つて和合して共に摩訶陀の王・阿闍世の所に往き、今は唯一の大悪人有り瞿曇沙門なり、一切世間の悪人利養の為の故に其の所に往集して眷属と為つて能く善を修せず、呪術の力の故に迦葉及び舎利弗・目ケン連を調伏す」等云云、天台云く「何に況や未来をや理化し難きに在るなり」等云云、妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く」等云云、南三・北七の十師・漢土無量の学者・天台を怨敵とす、得一云く「咄かな智公・汝は是れ誰が弟子ぞ三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説を謗ずる」等云云、東春に云く「問う在世の時許多の怨嫉あり仏滅度の後此経を説く時・何が故ぞ亦留難多きや、答えて云く俗に良薬口に苦しと云うが如く此経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ、故に凡を斥け聖を呵し大を排い小を破り天魔を銘じて毒虫と為し外道を説いて悪鬼と為し執小を貶して貧賎と為し菩薩を挫きて新学と為す、故に天魔は聞くを悪み外道は耳に逆い二乗は驚怪し菩薩は怯行す、此くの如きの徒悉く留難を為す多怨嫉の言豈唐しからんや」等云云、顕戒論に云く「僧統奏して曰く西夏に鬼弁婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭沙門あり、此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云、論じて曰く「昔斉朝の光統に聞き今は本朝の六統に見る、実なるかな法華に何況するをや」等云云、秀句に云く「代を語れば則ち像の終り末の始め地を尋ぬれば則ち唐の東羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉・況滅度後・此の言良に以有るなり」等云云、夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう、在世猶をしかり乃至像末辺土をや、山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし、像法の中には天台一人法華経・一切経をよめり、南北これをあだみしかども陳隋・二代の聖主・眼前に是非を明めしかば敵ついに尽きぬ、像の末に伝教一人・法華経一切経を仏説のごとく読み給へり、南都・七大寺蜂起せしかども桓武・乃至嵯峨等の賢主・我と明らめ給いしかば又事なし、今末法の始め二百余年なり況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに非理を前として濁世のしるしに召し合せられずして流罪乃至寿にも・をよばんと・するなり。
少々の難は数知らず、大きな難が4度あった。そのうち2度は、しばらくおいておく。国の権力者による迫害はすでに2度に及んでいる。
特にこのたびの迫害は、私の命に及ぶものであった。
そのうえ、弟子といい、檀那といい、わずかに法門を聞いただけの在家の人などまで、重い罪に処せられた。まるで謀反などを起した者のようであった。
法華経第4巻の法師品には「しかも、この法華経を弘める人に対しては、釈尊の在世ですら、怨みやねたみを懐く者が多い。まして、釈尊の滅後、末法においてはなおさら迫害があるであろう」とある。
第2巻の譬喩品には「法華経を読誦し、書写して受持しようとする者を人々が見て、軽んじ、卑しみ、憎み、ねたんで、うらみを抱くであろう」とある。
第5巻の安楽行品には「法華経を弘めていこうとするなら、世間の一切の人々が、かたきのように思い迫害するので、信じぬくことは難しい」とある。
また同じく第5巻の勧持品には「仏法に無智な多くの人が悪口をいい、ののしるであろう」とある。
また同品には「(正法の行者を憎む悪僧たちは)国王や大臣、婆羅門や居士に向かって、法華経の行者を誹誇してその悪行・悪見を説き聞かせて、この者は邪見をいだいている者だ、と訴えるであろう」とある。
また同品には「法華経の行者はしばしば住所を追われるだろう」とある。
更にまた不軽品に「杖、木、瓦、石をもって、法華経の行者を打ちたたこうとするだろう」とある。
涅槃経には「その時に、数え切れないほど、たくさんの外道の者がいて、結束して、摩訶陀国の王・阿闍世のもとに行き、”今、ただ一人の大悪人がいる。それは瞿曇沙門(釈尊)である。一切の世間の悪人が利を貧るために瞿曇沙門(釈尊)のもとに集まって仲間となって、善を修行しない。また、呪術の力で、迦葉や舎利弗や目連らを取り込み従わせている”と訴えた」とある。
天台大師は『法華文句』の中で、法師品の文を解釈して「『釈尊在世ですら迫害があるのだから、まして未来はいうまでもない』と説かれているその意味は、滅後の未来は化導が難しいということである」と述べている。
妙楽大師は『法華文句記』で、怨嫉について「求道を妨げるものがまだ取り除かれていないのを『怨』といい、正法を聞くことを喜ばないのを『嫉』というのである」と述べている。
中国の南三北七の10派の師や、中国全土の無数の学者が、天台大師を怨敵として憎んだのである。
日本でも、法相宗の僧・得一が「つたないかな智公(天台大師智ギ)よ。汝はいったいだれの弟子か・三寸にも足りない舌をもって、顔を覆うような広く長い舌で真実を自在に説いた仏の教えを謗っているとは」と非難した。
(このように法華経の行者に迫害があることについて)天台大師の『法華文句』等を釈した智度法師の『東春』には、こう記している。
「問う、釈尊在世の時にも多くの怨嫉・迫害があった。仏の滅度の後、この法華経を説く時にも難が多いのはなぜか。
答えていうには、俗に『良薬、口に苦し』というように、この法華経は五乗へのこだわりを打破して、唯一究極の教えである妙法を立て、成仏することを説いているのである。
それゆえに、六道の凡夫をしりぞけ、二乗以上の聖位のものを叱り、権大乗経を排斥し、小乗経を破折して、天魔を毒虫と言い切り、外道を悪鬼である。と断言し、小乗経に執着している二乗を心貧しくいやしいものとし、権大乗経の菩薩を責めて未熟な初心者にすぎないとするのである。
そのため、天魔はこの法を聞くのを憎み、外道は反発し、二乗は驚きあやしみ、菩薩はおびえてしまう。
これらの者たちすべてが法華経の行者に難を加えてくるのである。『怨嫉する者が多い』という経文の言葉が、どうして虚妄と言えるであろうか」と。
伝教大師の『顕戒論』にはこうある。
「奈良の僧たちを取り締まる僧統が天皇に上奏して言うには『西北インドに鬼弁婆羅門と呼ばれる論弁をもてあそぶ者がいた。東土の日本には巧みな言説を弄する僧まがいのものがいる。これらの同類の者がひそかに意を通じ合って世間の人々をたぶらかし惑わしている』と。
この讒言に伝教が反論して言うには、『昔、中国の斉の時代に光統らが達磨に反対したという話があるが、今、日本国には南都六宗の輩が伝教を批判するのを見る。法華経に”いわんや仏の滅後には法華経の行者は更に迫害される”と説いているのは、実に本当のことである』と」
また伝教大師の『法華秀句』には「法華経の大白法が広まる時代について語れば、それは像法の末、末法のはじめであり、その地を尋ねれば唐の東、羯の西であり、その人々について探り求めてみると、五濁の中で生まれた人々であり、正法が見失われて争いが盛んな時である。
法華経には『釈尊の在世ですらなお怨嫉する者が多い。まして滅後にはもっと甚だしい』とある。この言葉は、実に理由のあることである」とある。
そもそも小さな子どもに灸の治療を行うと、必ず母を憎む。重病の者に良薬を与えると、きっと口に苦いといやがる。
これと同じく、釈尊の在世でさえ、人々は法華経に対して怨嫉が多かった。
ましてや像法・末法、更に日本のような辺地においては、なおさらである。
山の上に山を積み重ね、波の上に波を重ねるように、難に難を加え、非に非を増すであろう。
像法時代の中では、天台大師ただ一人が法華経、一切経を正しく読んだ。
南北の諸派がこれを憎んだけれども、陳の宣帝と隋の楊帝という2王朝の優れた王が直接、教えの是非を明らかにしたので、敵はついにいなくなった。
像法時代の終わりには、伝教大師ただ一人が法華経、一切経を仏の教えの通りに読まれた。
これに反発して奈良の7大寺が蜂起したが、桓武天皇から嵯峨天皇までの賢明な君主が自ら正邪を明らかにしたので、伝教大師の場合も事なきを得た。
今、末法のはじめ200年余りである。「況滅度後」の世の前兆であり、闘諍の世の始まりであるがゆえに、理不尽なことがまかり通り、濁った世である証拠に、日蓮には正邪を決する場も与えられず、むしろ流罪になり、命まで奪われようとしている。
第20段「末法法華経行者の所由」此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賎・其の上貧道の身なり、輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も・強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。ここに、日蓮が考えるには、世はすでに末法の時代に入って200年余りが過ぎた。しかも日蓮は、日本の辺地に生を受け、そのうえ身分は低く、更に貧しい僧の身である。
これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ。
かつて、地獄から天界までの六道を輪廻している間に、あるいは人界・天界の大王と生まれて、大風が小さな木の枝を吹きゆるがすように多くの人々をなびかせたこともあったが、その時も仏になることはなかった。
大乗経や小乗経を修行して、一分の理解もない凡夫から少分の理解を得た凡夫へ、そして大菩薩へと修行の位をのぼり、一劫・二劫・無量劫という長い間の菩薩の修行を実践して、すでに不退転の境地に入ろうとしていた時も、強盛な悪縁によって退転させられてしまい、成仏できなかった。
このような日蓮は、三千塵点劫の昔に大通智勝仏の法華経に結縁しながら全く信じなかった第三類の者で釈尊在世の法華経の会座にももれた者なのであろうか。あるいは、五百塵点劫という久遠の昔に、法華経の下種を受けながら退転して、今ここに生まれ来たのであろうか。
(いずれにせよ)法華経を修行していくうちに、世間の悪縁、政治の権力者からの迫害、外道からの迫害、小乗経の人々からの迫害などは耐え忍んできたけれども、権大乗経・実大乗経を究めたように思われる道綽・善導・法然らのような、仏法を破壊する悪魔がその身に入った者が、法華経を強く褒めあげる一方で、衆生が仏法を理解し実践していく力(=機)は低いとし、(道綽が『安楽集』で言っているように)「法華経の法理は深いけれども、ほとんどの人は理解できない」と立て、「法華経を修行する人はいまだに一人も得道した人はいない」(未有一人得者)と述べ、(善導が『往生礼讃』で言っているように)「法華経は千人が修行しても一人も得道できない」(千中無一)などと言ってだましたのである。そのような者に、無量生の間、ガンジス川の砂粒のように数えきれないほどだまされて、法華経を捨てて権経に堕ちてしまった。
更に権経から小乗経に堕ち、更に外道・外典の教えに堕ちた。
そして結局は、悪道に堕ちてしまったのだということを深く知ったのである。
日本国でこのことを知っている者は、ただ日蓮一人である。
このことを一言でも言い出すならば、父母や兄弟、師匠、更に国の権力者による迫害が必ず起こってくるにちがいない。
しかし、言わなければ無慈悲と同じことになってしまう。
どうすべきかと考え、法華経や涅槃経などの文に、言うか、言わないか、の二つを照らし合わせてみた。
すると、言わないでおけば、今世では何ごともなくても、来世には必ず無間地獄に堕ちてしまう。もし、言うならば、三障四魔が必ず競い起こってくる、ということが分かった。
この二つの中では「言う」ほうを選ぶべきである。
しかしながら、国の権力者による迫害などが起こってきた時に退転してしまうようであるなら、はじめから思いとどまるのがよいだろうと、しばらく思いめぐらしていたのであるが、その時に思い当たったのが法華経見宝塔品の六難九易であった。
「私たちのような力がない者が須弥山を投げることができても、私たちのような神通力がない者が枯れ草を背負って、燃え盛る火の中で焼けないことがあっても、私たちのような無智の者が、ガンジス川の砂のように、数え切れないほど多くの経典を読み覚えることができたとしても、法華経の一句一偈すら末法の世で持つことは難しい」と説かれているのが、まさにこれである。
このたびこそ、仏の悟りを得ようとの強盛な求道心を起こして、決して退転しない、との誓いを立てたのである。
第17段「難信の相を示す」日蓮案じて云く二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ、久遠実成は又にるべくも・なき爾前づりなり、其の故は爾前・法華相対するに猶爾前こわき上・爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず、本門十四品も涌出・寿量の二品を除いては皆始成を存せり、雙林最後の大般涅槃経・四十巻・其の外の法華・前後の諸大経に一字一句もなく法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず、いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすてて但涌出・寿量の二品には付くべき。日蓮が考えていうには、二乗作仏についてすら、爾前の二乗不作仏の教説が有力であるように感じられる。久遠実成については、それとは比べものにならないほどに、多くの経説が爾前経の始成正覚よりである。
なぜかと言えば、爾前と法華を比べてみると、爾前のほうが優勢である上、爾前だけでなく法華経のなかでも迹門14品は一向に爾前と同じ始成正覚の立場であるからである。
本門14品でさえも、涌出・寿量の2品を除いては、皆、始成正覚の立場が残っている。
そのうえ、沙羅双樹の林で釈尊が最後に説かれた大般涅槃経40巻をはじめ、その外の法華前後の諸大経には、一字一句たりとも「久遠実成」という言葉はなく、法身の無始無終は説いているけれども、応身・報身の顕本は説かれていない。
どうして、広博な爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経を捨てて、ただ涌出・寿量品の2品だけに付くことができようか。
第16段「爾前・迹門の二失を顕す」華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり、此等の経経に二つの失あり、一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり、此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににたり、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし、かうて・かへりみれば華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦・方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は・此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給うを・諸宗の学者等・近くは自宗に迷い遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想いをなし或は入つて取らんと・をもひ或は縄を・つけて・つなぎとどめんとす、天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云。華厳経をはじめ般若経・大日経などの諸経は、二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を隠して説かなかった。
これらの経典には、二つの欠点がある。
一つには、「行布すなわち段階や差別を設ける考え方を残している故に、まだ方便の教えにとどまり、真実を明かしていない」と言われるように、迹門の一念三千を隠しているのである。
二つには、「仏の成仏は始成正覚であると説くので、まだ仏の仮の姿を取り払っていない」と言われるように本門の久遠実成を隠しているのである。
(迹門の一念三千と本門の久遠実成という)これらの二つの大法は、釈尊一代の教えの大綱・骨格であり、全経典の心髄である。
迹門の方便品は、一念三千・二乗作仏を説いて、爾前経がもつ二種の欠点のうちの一つを脱れている。そうはいっても、まだ釈尊が発迹顕本していないので、真実の一念三千も顕れていないし、二乗作仏も定まっていない。
それは、(天の月を求めて)水中の月を見ているようなものである。根なし草が波の上に浮かんでいるのに似ている。
本門にいたって、始成正覚の教えを打ち破ったので、それまで説かれた四教の果は打ち破られてしまった。四教の果が打ち破られたので、(その果に至るための)四教の因も打ち破られた。
爾前・迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕した。これが即ち本因本果の法門である。
九界も無始の仏界に具わり、仏界も無始の九界に具わって、真の十界互具・百界千如・一念三千となる。
こうして振り返ってみると、華厳経の台上の十方の諸仏、阿含経の小釈迦、方等部・般若部の金光明経・阿弥陀経・大日経等の権仏などは、この寿量品の仏という天月がしばらくその影を大小の器に浮かべたのにすぎない。
ところが、諸宗の学者らは、近因としては自宗の邪義への迷いのために、遠因としては法華経の寿量品を知らないために、水中の月について、実の月のように想いこんで、あるいは水に入って取ろうと思い、あるいは縄をつけてつなぎとどめようとしているのである。
このことを、天台大師は「天の本物の月を識らないで、ただ池に映った影の月を観じているだけである」と述べている。
第15段「本迹相対して判ず」二には教主釈尊は住劫・第九の減・人寿百歳の時・師子頬王には孫・浄飯王には嫡子・童子悉達太子・一切義成就菩薩これなり、御年十九の御出家・三十成道の世尊・始め寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して十玄・六相・法界円融・頓極微妙の大法を説き給い十方の諸仏も顕現し一切の菩薩も雲集せり、土といひ機といひ諸仏といひ始めといひ何事につけてか大法を秘し給うべき、されば経文には顕現自在力・演説円満経等云云、一部六十巻は一字一点もなく円満経なり、譬へば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ一珠も万宝を尽して雨し万珠も万宝を尽すがごとし、華厳経は一字も万字も但同事なるべし、心仏及衆生の文は華厳宗の肝心なるのみならず法相・三論・真言・天台の肝要とこそ申し候へ、此等程いみじき御経に何事をか隠すべき、なれども二乗闡提・不成仏と・とかれしは珠のきずと・みゆる上三処まで始成正覚と・なのらせ給いて久遠実成の寿量品を説きかくさせ給いき、珠の破たると月に雲のかかれると日の蝕したるがごとし不思議なりしことなり、阿含・方等・般若・大日経等は仏説なれば・いみじき事なれども華厳経にたいすれば・いうにかいなし、彼の経に秘せんこと此等の経経にとかるべからず、されば雑阿含経に云く「初め成道」等云云、大集経に云く「如来成道始め十六年」等云云、浄名経に云く「始め仏樹に坐して力めて魔を降す」等云云、大日経に云く「我昔道場に坐して」等云云、仁王般若経に云く「二十九年」等云云。(爾前・権教と比較して法華経が信じがたい点として、第1に二乗作仏を説いていることを、これより以前の部分〈第11段~第14段〉で述べてきたが)その第2は久遠実成である。教主釈尊は、住劫の第9番目の減劫の時代、人間の寿命が100歳の時に、師子頬王には孫、浄飯王には嫡子として生まれ、子どものときの名を悉達太子という。漢訳では、一切義成就菩薩(すべての徳を成就した菩薩)である。
此等は言うにたらず只耳目を・をどろかす事は無量義経に華厳経の唯心法界・方等・般若経の海印三昧・混同無二等の大法をかきあげて或は未顕真実・或は歴劫修行等・下す程の御経に我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たりと初成道の華厳経の始成の文に同せられし不思議と打ち思うところに此は法華経の序分なれば正宗の事をいはずもあるべし、法華経の正宗・略開三・広開三の御時・唯仏与仏・及能究尽・諸法実相等・世尊法久後等・正直捨方便等・多宝仏・迹門八品を指して皆是真実と証明せられしに何事をか隠すべきなれども久遠寿量をば秘せさせ給いて我始め道場に坐し樹を観じて亦経行す等云云、最第一の大不思議なり、されば弥勒菩薩・涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を仏・爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ等と・とかせ給いしを疑つて云く「如来太子為りし時・釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり、是より已来始めて四十余年を過ぎたり世尊・云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまえる」等云云、教主釈尊此等の疑を晴さんがために寿量品を・とかんとして爾前迹門のききを挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏・釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等と云云、正しく此の疑を答えて云く「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」等云云。
御年19歳で出家し、30歳で成道された世尊は、はじめは寂滅道場で実報土と蓮華蔵世界の教主の荘厳な儀式を示して、十玄・六相などの法門を中心に一切の事象が互いに妨げがなく融合していることを明かし、ただちに究極の悟りを得ることができる不可思議なる大法を説かれた。
その場には、十方の諸仏も顕現し、一切の菩薩も雲のごとく集った。
その立派な国土といい、説法を受けた衆生の機根といい、集った諸仏といい、説法の最初であることといい、どこに大法を秘し隠される理由があろうか。
故に華厳経の経文には、「自在の力を顕現して、(真理をすべて明かした)円満な経を説き示す」とある。華厳経一部60巻は、一字一点のどの一つもが円満経なのである。
警えば如意宝珠は、たった一珠であっても無量珠であっても同じことである。一珠であっても、万宝をことごとく降らすことができるし、万珠であっても万宝を降らし尽くすことができる。それと同じである。
華厳経は、一字であっても、万字であっても、ただ同じことなのである。
この華厳経の「心と仏と衆生の三つには差別がない」との文は、華厳宗の肝心であるだけではなく、法相・三論・真言・天台の各宗の肝要であるといわれる。
これほどまでに素晴らしい御経であるのに、何事を説かずに隠してい るといえようか。
けれども、”二乗と一闡提とは、成仏できない“と説いているのは、珠のきずのように思われる。
そのうえ、3ヵ所にまで、釈尊自身が”始成正覚である”と名のられていて、久遠実成の寿量品を説き隠しておられる。これは、珠が割れ、月に雲がかかり、太陽が蝕しているようなものである。不可解なことである。
阿含・方等・般若・大日経などは、仏の説かれた経であるので、その点では尊い経ではあるけれども、華厳経に対すれば、とるにたりない劣った経典である。
あの華厳経に秘されていることをこれらの経典に説かれるはずがない。
そこで、雑阿含経には「初めて成道して」とある。大集経には「如来が始めて成道してから16年」とある。浄名経(維摩経)には「始め仏樹(菩提樹)のもとに坐して、つとめて魔を降す」とある。大日経には「私は昔、道場に坐して」とある。仁王般若経には「(成道してから)29年間説いてきた」とある。
以上のことは取り立てて言うに足りないことである。ただ耳目を驚かすことは、以下のことである。
法華経の開経である無量義経では、華厳経の「唯心法界」とか、方等経の「海印三昧」とか、般若経の「混同無二」などの大法を列挙して、これらに対して「いまだ真実を顕していない」、あるいは「歴劫修行の説である」などと下しているが、これほどのこの御経に、「私は、かつて道場の菩提樹の下に端坐すること6年にして、阿耨多羅三藐三菩提という最上の悟りを成ずることを得た」と説いて、初成道の華厳経の始成の文に同じられているのである。不可解なことだと思うが、これはまだ法華経の序分であるので、正宗分のことは、きっと言わないでおいたということもあるのであろう。
その法華経の正宗分で「略開三顕一」「広開三顕一」の法門が説かれた時、「唯、仏と仏とのみがよく諸法の実相を究め尽くされている」、「世尊は久しく方便の教えを説いた後に真実の教えを説く」、「正直に方便を捨ててただ無上の道を説く」と述べ、さらに多宝仏が迹門8品を指して「皆、これは真実である」と証明された。このような法華経正宗分に何事を隠す必要があろうか。
けれども、久遠の寿量を秘し隠されて、「私ははじめ道場に坐して樹を観じて、また経行した」と説かれている。これこそは、最第一の大不思議である。
そこで、弥勒菩薩は、涌出品で、仏が40余年の間いまだ見たことがなく今はじめて見た大菩薩たちを呼び出し、「私がこれらの無数の大菩薩たちを教化して初めて道心を発させた」と説かれたことを疑って、こう述べた。
「如来は、太子であった時、釈迦族の宮殿を出て、伽耶城を去ること遠くない道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提という最上の悟りを成ずることを得られた。この時以来、40年余りが過ぎただけである。世尊よ、どのようにしてこのわずかな時に仏としての大いなる仕事をなされたのか」と。
教主釈尊は、これらの疑いを晴らすために、寿量品を説こうとして、爾前・迹門で人々が聞いてきたことを挙げて、こう述べられた。
「一切の世間の天・人、及び阿修羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈迦族の宮殿を出て、伽耶城を去ること遠くない道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得られた、と思っている」と。
そして、まさしくこの疑いに答えて、こう言われた。
「しかしながら、善男子たちよ。私は実に成仏して以来、無量無辺百千万億那由他劫なのである」と。
第6段「文底真実を判ず」但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。ただし、この法華経に二つの大事な法門(迹門理の一念三千と本門事の一念三千)がある。
倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗などは、一念三千の名さえ知らない。華厳宗と真言宗との二宗は、一念三千の法門をひそかに盗んで自宗の教義の骨格とし、眼目としている。
この一念三千の法門は釈尊の一代仏教の中でもただ法華経、法華経の中でもただ本門寿量品、本門寿量品の中でもただその文底に秘し沈められたのである。
正法時代の竜樹や天親は、一念三千の法門が法華経に秘められていることは知っていたが、それを拾い出して説くことはせず、ただ像法時代の正師であった中国の我が天台智者だけがこれを心の中に懐いていたのである。
第5段「権実相対して判ず」但し仏教に入て五十余年の経経・八万法蔵を勘たるに小乗あり大乗あり権経あり実経あり顕教・密教・ナン語・ソ語実語・妄語・正見・邪見等の種種の差別あり、但し法華経計り教主釈尊の正言なり三世・十方の諸仏の真言なり、大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒河の諸経を未顕真実・八年の法華は要当説真実と定め給しかば多宝仏・大地より出現して皆是真実と証明す、分身の諸仏・来集して長舌を梵天に付く此の言赫赫たり明明たり晴天の日よりも・あきらかに夜中の満月のごとし仰いで信ぜよ伏して懐うべし。ただし、仏教の中に入って、50年余りの間に説かれた経々、すなわち八万法蔵といわれる数多くの経について考えてみると、そのなかに小乗経もあり、大乗経もある。
大乗経の中でも、真実の教えを説くための方便として仮に説かれた権経もあり、真実を明かした実経もある。
衆生の機根に応じて真意をはっきりと言葉で説いた顕教と仏の真意を秘密にして説かれた密教、あるいは意を尽くした語(ナン語)と粗雑で意を尽くさない語(ソ語)、また、真実の言葉(実語).と偽りの言葉(妄語)、正しい見方(正見)と誤った見方(邪見)等々、種々の差別がある。
こうしたなかで法華経だけが教主釈尊の正しい真実の言葉であり、三世十方、すなわち全宇宙の一切の仏のまことの言説である。
釈尊は法華経以前の40年余りという年限を指して、その期間に説かれた数多く、の経々を無量義経で「いまだ真実を顕さず」と述べられ、最後の8年間に説いた法華経において「要ず当に真実を説くべし」(方便品)と定めたところ、多宝仏は大地から出現して「釈尊の説法は皆これ真実である」(宝塔品)と証明した。
さらに分身の諸仏は十方の世界から集まりきたって、長舌を梵天につけ、法華経が真実であることを証明した。
この「法華経が真実である」等の言葉は光り輝いて、晴天の太陽よりも明らかであり、夜中の満月のように明るくはっきりしている。仰いで信じ、伏して思うべきである。
第4段「内外相対して判ず」三には大覚世尊は此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり、外典・外道の四聖・三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし、彼を船として生死の大海をわたるべしや彼を橋として六道の巷こゑがたし我が大師は変易・猶を・わたり給へり況や分段の生死をや元品の無明の根本猶を・かたぶけ給へり況や見思枝葉のソ惑をや、此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで五十年が間・一代の聖教を説き給へり、一字一句・皆真言なり一文一偈・妄語にあらず外典・外道の中の聖賢の言すらいうこと・あやまりなし事と心と相符へり況や仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人・されば一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし、初成道の始より泥オンの夕にいたるまで説くところの所説・皆真実なり。第3に大覚世尊(釈尊)は一切衆生の偉大な導師・偉大な眼目・偉大な橋・偉大な舵取り・偉大な福徳の田等である。
儒教の四聖(尹寿、務成、太公望、老子)や、外道の三仙(迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒裟婆)は、その名は聖人といっても、実際には見思惑・塵沙惑・無明惑という三惑のうち一つさえ断ち切っていない迷いの凡夫である。また、賢人といっても、実は因果の道理を知らないことは、まるで赤子のようなものである。
そのような聖人、賢人を船と頼んで、この苦悩と迷いの生死の大海を渡ることができようか。彼らを橋として六道の悪路をこえることは難しい。
それに対して、我が釈迦仏は、変易の生死(二乗や菩薩等の迷いの生死)を超えられた方である。まして分段の生死(六道を輪廻する凡夫の生死)を超えているのはもちろんである。
生命に本来そなわっている元品の無明(=根本の迷い)をも断ち切られている。まして見惑・思惑など枝葉の迷いを断たれているのは言うまでもない。
この釈迦仏は、30歳で成道されてから80歳で入滅されるまで、50年間に一代聖教を説かれた。その一字一句は皆真実の言葉であり、一文一偈として偽りの語はない。
外典や外道のなかの聖人・賢人の言葉ですら、その言っていることに誤りはなく、事(言動)と心が相一致している。ましてや仏陀は無量曠劫というはるか遠い昔から、ウソ偽りの言葉を言われなかった方である。
故に、その一代50余年の説教は、外典や外道に対すれば、すべて大乗であり、偉大な人(大人)の真実の言葉なのである。
30歳での成道の初めから、釈尊最後の説法の時に至るまで、説くところの法は皆、真実なのである。
第3段「外道の三徳」二には月氏の外道・三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父・悲母・又天尊・主君と号す、迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒娑婆・此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年・已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当って六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり、一一に流流多くして我慢の幢・高きこと非想天にもすぎ執心の心の堅きこと金石にも超えたり、其の見の深きこと巧みなるさま儒家には・にるべくもなし、或は過去・二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より返つて三悪道に堕つ一人として天に留るものなし而れども天を極むる者は永くかへらずと・をもえり、各各・自師の義をうけて堅く執するゆへに或は冬寒に一日に三度・恒河に浴し或は髪をぬき或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或は草木をやき或は一切の木を礼す、此等の邪義其の数をしらず師を恭敬する事・諸天の帝釈をうやまい諸臣の皇帝を拝するがごとし、しかれども外道の法・九十五種・善悪につけて一人も生死をはなれず善師につかへては二生・三生等に悪道に堕ち悪師につかへては順次生に悪道に堕つ、外道の所詮は内道に入る即最要なり或外道云く「千年已後・仏出世す」等云云、或外道云く「百年已後・仏出世す」等云云、大涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」等云云、法華経に云く「衆に三毒有りと示し又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して衆生を度す」等云云。第2に、インドの外道(仏教以外のバラモン教などの諸教)においては三つの目と8本の臂をもつ摩醯首羅天と毘紐天とを二天といい、この二天を一切衆生の慈父であり、悲母であり、また天尊であり、主君であると称えている。
また迦毘羅、ウ楼僧ギャ、勒裟婆の3人を三仙と呼んでいる。
これら3人は釈尊が生まれる前800年前後の仙人である。
この三仙の説いた教えを四章陀(ヴェーダ)といい、その所説は6万蔵あると言われる。
釈尊が出現したころには、六師外道(6人の外道の論師)が、この外道の経を習い伝えて、5天竺(全インド)の王の師となり、その支流は95、96派にもなっていた。
一つ一つの流派にまた種々の流派が多くあって、それぞれが自分の流派が最高であるとし、その慢心の幢が高いことは三界の最頂である非想天より高く、執着心の固いことは金属や岩石をも超えていた。
その見解が深く、巧みなさまは儒教等の遠く及ぶところではない。
過去に遡ること二生、三生、七生、さらに8万劫まで照見することができ、またあわせて未来8万劫も知ることができると称していた。
その所説の法門の極理は、あるいは「因の中に果あり」という決定論、あるいは「因の中に果なし」という偶然論、あるいは「因の中にまたは果あり、または果なし」という折衷論などである。これがインド諸教における究極の理論である。
なかでも、いわゆる模範的な善い外道の修行者は、五戒や十善戒などの戒律をたもち、煩悩を断ずることができない不完全な瞑想を修行して、色界無色界を極め、その最上界(非想天)を涅槃(悟りの安穏の境地)と立てて、尺取り虫のように一歩一歩修行して登っていくけれども、非想天から、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として天界にとどまる者はいない。
しかし外道を信じる者は、一度、非想天を極めた者は永久にかえらないのだと思っていたのである。
おのおの自派の師匠の立てた法義を受けてかたく執着するゆえに、あるいは寒い冬に1日3回、ガンジス川に沐浴し、あるいは髪の毛を抜き、あるいは巌に身を投げつけ、あるいは身を火にあぶり、あるいは両手両足と頭の5ヵ所を焼く。あるいは裸体になったり、あるいは馬を多く殺せば幸福になれると言ったり、あるいは草木を焼き払い、あるいは、一切の木を礼拝する等々、その邪義は数え当これないほどである。
しかも、その師匠をつつしみ敬うさまは、あたかも諸天が帝釈天を敬い、諸臣が皇帝を拝するようであった。
しかしながら、外道の法は95派あるが、それらの修行では、善い外道であっても、悪い外道であっても、一人として生と死をくり返す迷いと苦しみの流転から離れることはできない。
善師につかえても、二生、三生等の後には悪道に堕ち、悪師に仕えては、次の生を受けるごとに悪道に堕ちていくのである。
結局のところ、外道というものは仏教に入るための教えであり、このことが外道のもつ最重要な意義なのである。
それ故、ある外道は「1000年以後に仏が世に出られる」と予言した。またある外道は「100年以後に仏が世に出られる」と予言した。
涅槃経には「一切世間の外道の経書は、すべて仏説であって、外道の説ではない」とある。
法華経の五百弟子受記品には「我が弟子たちは、自身の姿によって、衆生に貪・瞋・癡の三毒があることを示し、また邪見の相を現す。我が弟子は(実は菩薩であるが)このように方便で衆生を誘引し救済する」と説かれている。
第2段「儒家の三徳」儒家には三皇・五帝・三王・此等を天尊と号す諸臣の頭目万民の橋梁なり、三皇已前は父をしらず人皆禽獣に同ず五帝已後は父母を弁て孝をいたす、所謂重華はかたくなはしき父をうやまひ沛公は帝となつて大公を拝す、武王は西伯を木像に造り丁蘭は母の形をきざめり、此等は孝の手本なり、比干は殷の世の・ほろぶべきを見て・しゐて帝をいさめ頭をはねらる、公胤といゐし者は懿公の肝をとつて我が腹をさき肝を入て死しぬ此等は忠の手本なり、尹寿は尭王の師・務成は舜王の師・大公望は文王の師・老子は孔子の師なり此等を四聖とがうす、天尊・頭をかたぶけ万民・掌をあわす、此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり、其の所詮は三玄をいでず三玄とは一には有の玄・周公等此れを立つ、二には無の玄・老子等・三には亦有亦無等・荘子が玄これなり、玄とは黒なり父母・未生・已前をたづぬれば或は元気よりして生じ或は貴賎・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。儒教においては、三皇・五帝(中国古代の伝説上の理想的君主)、三王(夏の禹王、段の湯王、周の文王または武王)たちを天尊と名づけて崇敬し、臣下たちの統領、万民を導く橋と仰いでいる。
かくのごとく巧に立つといえども・いまだ過去・未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう、此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去をしらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし、但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば傍輩も・うやまい名も国にきこえ賢王もこれを召して或は臣となし或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう、所謂周の武王には五老きたりつかえ後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり、而りといえども過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず、孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、礼楽等を教て内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため・王臣を教て尊卑をさだめ父母を教て孝の高きをしらしめ師匠を教て帰依をしらしむ、妙楽大師云く「仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、止観に云く「我れ三聖を遣わして彼の真丹を化す」等云云、弘決に云く「清浄法行経に云く月光菩薩彼に顔回と称し光浄菩薩彼に仲尼と称し迦葉菩薩彼に老子と称す天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。
三皇時代以前は、人々はみな自分の父を知らず、鳥や獣と同じであった。しかし、三皇・五帝の時代からは、父母をわきまえて孝行するようになった。
その例として、重華(五帝の一人・舜王)は愚かな父を敬い、沛公(劉邦)は漢の高祖となって一国の王となったが、なお父の太公を深く敬った。
また周の初代の王・武王は、父・西伯の姿を木像に刻んで、父の遺志を継いで殷の紂王の討伐に出陣し、丁蘭は母の死後、その姿を像に刻んで敬った。これらは孝行の手本である。
段の忠臣であった比干は、紂王の暴虐な政治のために殷の世が滅びることを憂えて、紂王を諌めたが、かえって首をはねられ殺された。
衛の公胤という人は、主君の懿公が殺され、はらわたが捨てられているのを見て、自分の腹をさいて主君の肝を隠し入れて死んだ。これらは忠の手本である。尹寿は堯王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師である。
これら4人の師を四聖と呼び、堯・舜ら天尊も頭をたれて敬い、すべての人々も手を合わせて尊敬した。
これらの聖人が説いたものに、「三墳」「五典」「三史」など三千余巻の書物がある。しかし、その根本は「三玄」のいずれかである。
三玄とは、1には「有の玄」であり、周公らがこれを立てた。2には「無の玄」であり、老子らが立てた。3には「亦有亦無」(あるいは有であり、あるいは無である)という説で、荘子の説く玄がこれである。玄とは黒色のことで、深遠さを意味する。
これらの説で人間がこの世に生まれる以前はどう説いているかといえば、あるいは(有の玄では)元気(万物を育成する根源的な気)より生じたといい、あるいは(無の玄では)貴賎、苦楽、是非、得失などの現象はみな自ずからそうなったものであるなどといっている。
このように巧みにその理論を立ててはいるが、まだ過去世・未来世については何も知らない。
玄とは黒であり、幽かという意味であり、微妙であるがゆえに、玄といわれているのであるが、ただ現世のことだけを知っているにすぎないようである。
現世において仁義等の道徳を制定し、これを実践することによって身を守り、国を安穏に治めることができる。もしこの仁義等の道に相違すれば一族一家をほろぼしてしまうなどと教えている。
これらの賢人、聖人と仰がれている人々は、聖人であるとはいっても、過去世を知らないことは、あたかも凡夫が自分の背を見ることができないのと同じであり、未来世が分からないのは、目の不自由な人が目の前を見ることができないようなものである。
ただ現世において、家をおさめ、孝行をつくし、かたく仁・義・礼・智・信の五常を行ずれば、周囲の人々はこの人を敬い、名声も国中に広まり、賢王もこの人を召し出して、あるいは臣下となし、あるいは師とたのみ、あるいは王位を譲り、諸天善神もやってきて守り仕えるというのである。
いわゆる周の武王には五人の老師がきて仕え、後漢の光武帝には天の28宿が天下って28人の将軍となり、守り仕えたというのがこの例である。
このように、儒教等の徳は高いといっても、過去世と未来世を知らないので、父母・主君・師匠が亡くなった後は助けることができず、結局は不知恩の者となる。したがって本当の賢人でも聖人でもない。
孔子が「この中国に賢人・聖人はいない。西の方に仏図(仏陀)という者があり、その人が真の聖人である」といって、外典である儒教等を仏法へ入るための門としたのはこの意味である。
すなわち儒教等においては礼儀や音楽などを教えて、後に仏教が伝来した時、戒・定・慧の三学を理解しやすくさせるためであった。王と臣下の区別を教えて尊卑を示し、父母を尊ぶべきことを教えて孝道を尽くすことの大切さを知らせ、師匠と弟子の立場を明らかにして、師に帰依することの重要性を教え知らせたのである。
妙楽大師は『止観輔行伝弘決』に「仏教の流布・化導は実に儒教が先にひろまって人々を教化していたからである。儒教の礼楽が先に流布されて、真の道である仏法が後に弘通されたのである」と言っている。
天台大師は『摩詞止観』に「『金光明経』には『一切世間のあらゆる善論はみなこの経によっているのである。もし深く世間の法を識れば、即ち仏法である』と説いている」と述べている。
さらに、「釈尊は三人の聖人を遣わして中国の人々を教化した」とも言っている。
この文について妙楽大師は『止観輔行伝弘決』で「清浄法行経に『月光菩薩はかの地に生まれて顔回と称し、光浄菩薩は、かの地で孔子と称し、迦葉菩薩は、かの地で老子と称した』と説かれる。インドからこの中国を指して、『かの地』・と言っているのである」と述べている。
第1段「三徳の標示」夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなりそもそも、あらゆる人々が尊敬すべきものが三つある。それは主と師と親である。
また、習い学ぶべきものが三つある。それは儒教をはじめとする中国の諸教と、外道(仏教以外のインド諸教)と内道(仏教)である。