2011/09/05  青年教学1級 開目抄第23段「疑いを挙げて法華経の行者なるを釈す」

 それでも信じられない。

第23段「疑いを挙げて法華経の行者なるを釈す」
 但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者には・さるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身・法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし
 ただし世間の疑いとして、また自身の心から生まれる疑いとして、日蓮が法華経の行者であるなら、どうして諸天善神はこれを助けないのか。諸天らの守護神は、仏の御前での誓いがある。
 法華経の行者に対しては、たとえ猿であったとしても法華経の行者というならば、早々に仏前での誓いを成就しようと思われるべきであるのに、その義がないのは、我が身が法華経の行者ではないからであろうか。
 この疑いは、この書(開目抄)の肝心かなめであり、日蓮の一生の大事であるから、繰り返しこれを書き、疑いを強くし、その上で答えを示そう。

 この段が開目抄のテーマ。
 それにしても、諸天が日蓮を守護しないのはどういうわけだ、と疑っている人もいる。
 諸天善神は、猿になっても法華経の行者を守護すると誓ったはず。
 この疑いは、この書の肝心であり、私の一生の大事であるから、繰り返しこれを書き疑いを強くし、その上で答えを示そう。

 このように開目抄は、疑惑や疑問を重ねられて徹底的な理解が得られるように書かれている。

 <第24段以降は、二乗や菩薩たちは法華経のおかげで成仏できたんだから、法華経には深い恩があり、法華経の行者を守護すべきであることが記される。
 とくに次の31段以降は、菩薩が法華経に恩があることを言う>

2011/09/05  青年教学1級 開目抄第22段「経文に符合するを明かす」

 日蓮大聖人こそ法華経を身で読んでいる。

第22段「経文に符合するを明かす」
 されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む、還つて此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天・善神等の此の国をすてて去り給えるか・かたがた疑はし、而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし、経に云く「諸の無智の人あつて・悪口罵詈等し・刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ、「悪世の中の比丘は・邪智にして心諂曲」又云く「白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如し」此等の経文は今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊は又大妄語の人、常在大衆中・乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世の僧等・日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、又云く「数数見擯出」等云云、日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや、末法の始のしるし恐怖悪世中の金言の・あふゆへに但日蓮一人これをよめり、例せば世尊が付法蔵経に記して云く「我が滅後・一百年に阿育大王という王あるべし」摩耶経に云く「我が滅後・六百年に竜樹菩薩という人・南天竺に出ずべし」大悲経に云く「我が滅後・六十年に末田地という者・地を竜宮につくべし」此れ等皆仏記のごとくなりき、しからずば誰か仏教を信受すべき、而るに仏・恐怖悪世・然後末世・末法滅時・後五百歳なんど正妙の二本に正しく時を定め給う、当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん、南三・北七・七大寺等・猶像法の法華経の敵の内・何に況や当世の禅・律・念仏者等は脱るべしや、経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし、此れも又かくのごとし当時の責はたうべくも・なけれども未来の悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり。
 そうである(法華経を末法に弘通して前代未聞の難にあっている)から、日蓮が法華経の法理を理解する智慧は天台大師や伝教大師には千万分の一にも及ばないけれども、難に耐え、慈悲が優れていることについては、誰もが恐れさえ抱くであろう。
 きっと諸天善神の配慮にもあずかるだろうと思うのであるが、少しの兆候もない。いよいよ重罪に陥れられている。ひるがえって、このことを考えてみると、我が身が法華経の行者ではないということなのか。また、諸天善神らがこの国を捨てて去ってしまっているということなのか。さまざまに疑わしいことである。
 しかしながら法華経の第5巻の勧持品の二十行の偈は、日蓮がこの国に生まれなければ、ほとんど釈尊は大嘘つきの人となってしまうのであり、80万億那由他の菩薩たちは提婆達多と同じ嘘つきの罪に堕ちてしまうにちがいない。
 法華経には「仏法に無知な多くの人がいて、法華経の行者に対して、悪口し罵倒し、刀や杖や瓦や石で攻撃してくる」(勧持品の二十行の偈のうち、俗衆増上慢の箇所)とある。今の世の中を見てみると、日蓮以外の諸僧の誰が、法華経のことで多くの人たちに悪口をいわれ罵倒され刀や杖などで攻撃されているだろうか。日蓮がいなければこの一偈に示された未来の予言はウソになってしまったところである。
 「悪世の中の比丘は邪智で心は諂い曲がっている」(同、道門増上慢の箇所)とある。また「在家の人の歓心を買うために法を説いて、世間で尊敬されているさまは六つの神通力を得た阿羅漢のようである」(同、僧聖増上慢の箇所)とある。これらの経文は、今の世の念仏者や禅宗・律宗などの法師がいなければ、釈尊はまた大嘘つきである。
 さらに「常に人々の中にいて(中略)国王、大臣、婆羅門、居士などに対して(法華経の行者の悪口をいう)」(同)等とある。今の世の僧らが日蓮のことを讒言して流罪に陥れていなければ、この経文も空しいものとなっていた。
 また「数数所を追われる」等とある。日蓮が法華経のゆえに度々、流されていなかったら、この「数数」という2字はどう考えればいいのだろう。
 この2字は、天台・伝教ですらまだ身で読んでいない。まして他の人はいうまでもない。今が末法の始めである証拠として、「恐ろしい悪世の中で」という仏の言葉が的中しているからこそ、ただ日蓮一人だけがこの経文を身で読んだのである。
 例を挙げれば、釈尊が付法蔵経に記していうには「私の滅後、100年たった時に、阿育大王という王が出現するだろう」と。また摩耶経には「私の滅後、600年には、竜樹菩薩という人が、南インドに生まれるだろう」と。大悲経には「私の滅後60年には末田提という者が、その土地に竜王の伽藍を築くであろう」と。これらはすべて皆、仏が予言したとおりに実現した。そうでなければ、誰が仏教を信受したであろうか。
 そして、仏は、「恐ろしい悪世」(勧持品)、「しかるに後の末の世」(正法華経)、「末の法滅の時」(安楽行品)、「後の五百年」(薬王品)などと説き、正法華経・妙法蓮華経の二つの漢訳本のどちらをみても、明確に時を定められている。
 (その末法である)今の世に法華経に説かれた三類の強敵がなければ、誰が仏説を信受するだろうか。日蓮がいなければ誰を(仏がその出現を予言した)法華経の行者であると定めて、仏の言葉が真実であると証明し助けることができようか。
 中国の南三北七の僧や奈良の7大寺の僧でさえも、(それぞれ天台や伝教に敵対したゆえに)像法の法華経の敵に含まれる。まして、(末法の法華経の行者を迫害している)当世の禅・律・念仏の徒らは法華経の敵と呼ばれるのを免れることはできない。
 経文の予言に、我が身が符合している。それ故、幕府から迫害を受ければ、いよいよ喜びが増してくる。たとえば、小乗経の菩薩でまだ煩悩を断じ切っていない者が願兼於業といって、つくりたくない罪であるけれども、父母らが地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、決まった形式の通り同じ業をつくって自ら願って地獄に堕ちて苦しみ、父母たちの苦しみに代われることを喜びとするようなものである。
 日蓮もまたこれと同じである。今現在の責めは耐えがたいほどの苦であるが、来世に悪道に堕ちることを免れることができるであろうと思えば、喜びである。

 日蓮は、法華経を理解する智慧が天台・伝教に及ばないとしても、難に耐え、慈悲がすぐれていることは、恐れさえ抱くであろう。
 それなのに諸天の加護がないのは、どうしたわけだ。
 法華経の勧持品には三類の強敵が説かれている。
 日蓮がいなければ、釈尊は大うそつきになってしまったであろう。
 『法華経の行者は、しばしば所を追われる」と書いてある。
 私は法華経のゆえに、たびたび流された。
 私がいなければ、この法華経の「しばしば(数数)』の文字は、どうなったのか。

 ※三類の強敵…第38、40、41段で詳しく。

2011/09/05  青年教学1級 開目抄第21段「略して法華経行者なるを釈す」

 法華経に書いてる通りの難に遭っている。

第21段「略して法華経行者なるを釈す」
 既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし。
 法華経の第四に云く「而も此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云、第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん」等云云、第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、又云く「諸の無智の人の悪口罵詈する有らん」等、又云く「国王・大臣・婆羅門・居士に向つて誹謗し我が悪を説いて是れ邪見の人なりと謂わん」と、又云く「数数擯出見れん」等云云、又云く「杖木瓦石もて之を打擲せん」等云云、涅槃経に云く「爾の時に多く無量の外道有つて和合して共に摩訶陀の王・阿闍世の所に往き、今は唯一の大悪人有り瞿曇沙門なり、一切世間の悪人利養の為の故に其の所に往集して眷属と為つて能く善を修せず、呪術の力の故に迦葉及び舎利弗・目ケン連を調伏す」等云云、天台云く「何に況や未来をや理化し難きに在るなり」等云云、妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く」等云云、南三・北七の十師・漢土無量の学者・天台を怨敵とす、得一云く「咄かな智公・汝は是れ誰が弟子ぞ三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説を謗ずる」等云云、東春に云く「問う在世の時許多の怨嫉あり仏滅度の後此経を説く時・何が故ぞ亦留難多きや、答えて云く俗に良薬口に苦しと云うが如く此経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ、故に凡を斥け聖を呵し大を排い小を破り天魔を銘じて毒虫と為し外道を説いて悪鬼と為し執小を貶して貧賎と為し菩薩を挫きて新学と為す、故に天魔は聞くを悪み外道は耳に逆い二乗は驚怪し菩薩は怯行す、此くの如きの徒悉く留難を為す多怨嫉の言豈唐しからんや」等云云、顕戒論に云く「僧統奏して曰く西夏に鬼弁婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭沙門あり、此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云、論じて曰く「昔斉朝の光統に聞き今は本朝の六統に見る、実なるかな法華に何況するをや」等云云、秀句に云く「代を語れば則ち像の終り末の始め地を尋ぬれば則ち唐の東羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉・況滅度後・此の言良に以有るなり」等云云、夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう、在世猶をしかり乃至像末辺土をや、山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし、像法の中には天台一人法華経・一切経をよめり、南北これをあだみしかども陳隋・二代の聖主・眼前に是非を明めしかば敵ついに尽きぬ、像の末に伝教一人・法華経一切経を仏説のごとく読み給へり、南都・七大寺蜂起せしかども桓武・乃至嵯峨等の賢主・我と明らめ給いしかば又事なし、今末法の始め二百余年なり況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに非理を前として濁世のしるしに召し合せられずして流罪乃至寿にも・をよばんと・するなり。
 (建長5年に立宗宣言して以来)すでに20年余りの間、この法華経の法門を申してきたが、日々、月々、年々に難が重なっている。
 少々の難は数知らず、大きな難が4度あった。そのうち2度は、しばらくおいておく。国の権力者による迫害はすでに2度に及んでいる。
 特にこのたびの迫害は、私の命に及ぶものであった。
 そのうえ、弟子といい、檀那といい、わずかに法門を聞いただけの在家の人などまで、重い罪に処せられた。まるで謀反などを起した者のようであった。
 法華経第4巻の法師品には「しかも、この法華経を弘める人に対しては、釈尊の在世ですら、怨みやねたみを懐く者が多い。まして、釈尊の滅後、末法においてはなおさら迫害があるであろう」とある。
 第2巻の譬喩品には「法華経を読誦し、書写して受持しようとする者を人々が見て、軽んじ、卑しみ、憎み、ねたんで、うらみを抱くであろう」とある。
 第5巻の安楽行品には「法華経を弘めていこうとするなら、世間の一切の人々が、かたきのように思い迫害するので、信じぬくことは難しい」とある。
 また同じく第5巻の勧持品には「仏法に無智な多くの人が悪口をいい、ののしるであろう」とある。
 また同品には「(正法の行者を憎む悪僧たちは)国王や大臣、婆羅門や居士に向かって、法華経の行者を誹誇してその悪行・悪見を説き聞かせて、この者は邪見をいだいている者だ、と訴えるであろう」とある。
 また同品には「法華経の行者はしばしば住所を追われるだろう」とある。
 更にまた不軽品に「杖、木、瓦、石をもって、法華経の行者を打ちたたこうとするだろう」とある。
 涅槃経には「その時に、数え切れないほど、たくさんの外道の者がいて、結束して、摩訶陀国の王・阿闍世のもとに行き、”今、ただ一人の大悪人がいる。それは瞿曇沙門(釈尊)である。一切の世間の悪人が利を貧るために瞿曇沙門(釈尊)のもとに集まって仲間となって、善を修行しない。また、呪術の力で、迦葉や舎利弗や目連らを取り込み従わせている”と訴えた」とある。
 天台大師は『法華文句』の中で、法師品の文を解釈して「『釈尊在世ですら迫害があるのだから、まして未来はいうまでもない』と説かれているその意味は、滅後の未来は化導が難しいということである」と述べている。
 妙楽大師は『法華文句記』で、怨嫉について「求道を妨げるものがまだ取り除かれていないのを『怨』といい、正法を聞くことを喜ばないのを『嫉』というのである」と述べている。
 中国の南三北七の10派の師や、中国全土の無数の学者が、天台大師を怨敵として憎んだのである。
 日本でも、法相宗の僧・得一が「つたないかな智公(天台大師智ギ)よ。汝はいったいだれの弟子か・三寸にも足りない舌をもって、顔を覆うような広く長い舌で真実を自在に説いた仏の教えを謗っているとは」と非難した。
 (このように法華経の行者に迫害があることについて)天台大師の『法華文句』等を釈した智度法師の『東春』には、こう記している。
 「問う、釈尊在世の時にも多くの怨嫉・迫害があった。仏の滅度の後、この法華経を説く時にも難が多いのはなぜか。
 答えていうには、俗に『良薬、口に苦し』というように、この法華経は五乗へのこだわりを打破して、唯一究極の教えである妙法を立て、成仏することを説いているのである。
 それゆえに、六道の凡夫をしりぞけ、二乗以上の聖位のものを叱り、権大乗経を排斥し、小乗経を破折して、天魔を毒虫と言い切り、外道を悪鬼である。と断言し、小乗経に執着している二乗を心貧しくいやしいものとし、権大乗経の菩薩を責めて未熟な初心者にすぎないとするのである。
 そのため、天魔はこの法を聞くのを憎み、外道は反発し、二乗は驚きあやしみ、菩薩はおびえてしまう。
 これらの者たちすべてが法華経の行者に難を加えてくるのである。『怨嫉する者が多い』という経文の言葉が、どうして虚妄と言えるであろうか」と。
 伝教大師の『顕戒論』にはこうある。
 「奈良の僧たちを取り締まる僧統が天皇に上奏して言うには『西北インドに鬼弁婆羅門と呼ばれる論弁をもてあそぶ者がいた。東土の日本には巧みな言説を弄する僧まがいのものがいる。これらの同類の者がひそかに意を通じ合って世間の人々をたぶらかし惑わしている』と。
 この讒言に伝教が反論して言うには、『昔、中国の斉の時代に光統らが達磨に反対したという話があるが、今、日本国には南都六宗の輩が伝教を批判するのを見る。法華経に”いわんや仏の滅後には法華経の行者は更に迫害される”と説いているのは、実に本当のことである』と」
 また伝教大師の『法華秀句』には「法華経の大白法が広まる時代について語れば、それは像法の末、末法のはじめであり、その地を尋ねれば唐の東、羯の西であり、その人々について探り求めてみると、五濁の中で生まれた人々であり、正法が見失われて争いが盛んな時である。
 法華経には『釈尊の在世ですらなお怨嫉する者が多い。まして滅後にはもっと甚だしい』とある。この言葉は、実に理由のあることである」とある。
 そもそも小さな子どもに灸の治療を行うと、必ず母を憎む。重病の者に良薬を与えると、きっと口に苦いといやがる。
 これと同じく、釈尊の在世でさえ、人々は法華経に対して怨嫉が多かった。
 ましてや像法・末法、更に日本のような辺地においては、なおさらである。
 山の上に山を積み重ね、波の上に波を重ねるように、難に難を加え、非に非を増すであろう。
 像法時代の中では、天台大師ただ一人が法華経、一切経を正しく読んだ。
 南北の諸派がこれを憎んだけれども、陳の宣帝と隋の楊帝という2王朝の優れた王が直接、教えの是非を明らかにしたので、敵はついにいなくなった。
 像法時代の終わりには、伝教大師ただ一人が法華経、一切経を仏の教えの通りに読まれた。
 これに反発して奈良の7大寺が蜂起したが、桓武天皇から嵯峨天皇までの賢明な君主が自ら正邪を明らかにしたので、伝教大師の場合も事なきを得た。
 今、末法のはじめ200年余りである。「況滅度後」の世の前兆であり、闘諍の世の始まりであるがゆえに、理不尽なことがまかり通り、濁った世である証拠に、日蓮には正邪を決する場も与えられず、むしろ流罪になり、命まで奪われようとしている。

 立宗宣言以来、これまで20年あまりたったが、難に次ぐ難の連続だった。
 そのうち、大きな難は4回。
 その中でも権力による迫害は2回(伊豆流罪と佐渡流罪)法華経や天台・伝教らの言ったとおりの難に遭っている。

 二度の王難……伊豆・佐渡の二度の流罪のこと。

2011/09/05  青年教学1級 開目抄第20段「末法法華経行者の所由」

 真実を知っている。
 それを言わなければ無間地獄、言えば三障四魔。
 皆を救う為に不退転の誓願をした。

第20段「末法法華経行者の所由」
 此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賎・其の上貧道の身なり、輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も・強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。
 これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ。
 ここに、日蓮が考えるには、世はすでに末法の時代に入って200年余りが過ぎた。しかも日蓮は、日本の辺地に生を受け、そのうえ身分は低く、更に貧しい僧の身である。
 かつて、地獄から天界までの六道を輪廻している間に、あるいは人界・天界の大王と生まれて、大風が小さな木の枝を吹きゆるがすように多くの人々をなびかせたこともあったが、その時も仏になることはなかった。
 大乗経や小乗経を修行して、一分の理解もない凡夫から少分の理解を得た凡夫へ、そして大菩薩へと修行の位をのぼり、一劫・二劫・無量劫という長い間の菩薩の修行を実践して、すでに不退転の境地に入ろうとしていた時も、強盛な悪縁によって退転させられてしまい、成仏できなかった。
 このような日蓮は、三千塵点劫の昔に大通智勝仏の法華経に結縁しながら全く信じなかった第三類の者で釈尊在世の法華経の会座にももれた者なのであろうか。あるいは、五百塵点劫という久遠の昔に、法華経の下種を受けながら退転して、今ここに生まれ来たのであろうか。
 (いずれにせよ)法華経を修行していくうちに、世間の悪縁、政治の権力者からの迫害、外道からの迫害、小乗経の人々からの迫害などは耐え忍んできたけれども、権大乗経・実大乗経を究めたように思われる道綽・善導・法然らのような、仏法を破壊する悪魔がその身に入った者が、法華経を強く褒めあげる一方で、衆生が仏法を理解し実践していく力(=機)は低いとし、(道綽が『安楽集』で言っているように)「法華経の法理は深いけれども、ほとんどの人は理解できない」と立て、「法華経を修行する人はいまだに一人も得道した人はいない」(未有一人得者)と述べ、(善導が『往生礼讃』で言っているように)「法華経は千人が修行しても一人も得道できない」(千中無一)などと言ってだましたのである。そのような者に、無量生の間、ガンジス川の砂粒のように数えきれないほどだまされて、法華経を捨てて権経に堕ちてしまった。
 更に権経から小乗経に堕ち、更に外道・外典の教えに堕ちた。
 そして結局は、悪道に堕ちてしまったのだということを深く知ったのである。
 日本国でこのことを知っている者は、ただ日蓮一人である。
 このことを一言でも言い出すならば、父母や兄弟、師匠、更に国の権力者による迫害が必ず起こってくるにちがいない。
 しかし、言わなければ無慈悲と同じことになってしまう。
 どうすべきかと考え、法華経や涅槃経などの文に、言うか、言わないか、の二つを照らし合わせてみた。
 すると、言わないでおけば、今世では何ごともなくても、来世には必ず無間地獄に堕ちてしまう。もし、言うならば、三障四魔が必ず競い起こってくる、ということが分かった。
 この二つの中では「言う」ほうを選ぶべきである。
 しかしながら、国の権力者による迫害などが起こってきた時に退転してしまうようであるなら、はじめから思いとどまるのがよいだろうと、しばらく思いめぐらしていたのであるが、その時に思い当たったのが法華経見宝塔品の六難九易であった。
 「私たちのような力がない者が須弥山を投げることができても、私たちのような神通力がない者が枯れ草を背負って、燃え盛る火の中で焼けないことがあっても、私たちのような無智の者が、ガンジス川の砂のように、数え切れないほど多くの経典を読み覚えることができたとしても、法華経の一句一偈すら末法の世で持つことは難しい」と説かれているのが、まさにこれである。
 このたびこそ、仏の悟りを得ようとの強盛な求道心を起こして、決して退転しない、との誓いを立てたのである。

 さてそこで、自分のことを振り返ってみると、片田舎の、身分の低い家に生まれ、しかも ビンボーである。
 前世において、王様になったことも、法華経を修行したこともあったけど、悪縁にあって成仏はできなかった。
 今世になって、法華経こそ成仏の法で、その他の念仏なんかは地獄の法であると主張しようかと思ったけど、そんなこと言い出したら、すごい迫害があるだろう。
 かといって、言わないでいたら、人々が不幸になるのをむざむざ見過ごすようなもので無慈悲だ。
 法華経などを読むと、言わないと地獄に落ちる、言えば三障四魔が競い起こると書いてある。
 どうしたもんかなと考えているうちに、宝塔品の六難九易に思い当たった。
 そして、今度こそ絶対に退転しないぞと誓った。(そして立教開宗した)

 ※六難九易……法華経の宝塔品で、釈尊が「滅後の弘教は、すごく難しいが、それでもがんばる人がいるか?そんな人がいたら、仏はとても喜ぶし、賛嘆するよ!」と言うために説いた「6つの難しいこと」(六難)と「9つのやさしいこと」(九易)。
 「やさしいこと」は、たとえば、枯れ草を背負って炎の中に入っても焼けないとか、エベレストみたいな山を投げることなど。
 「難しいこと」は、法華経を一句一偈でも説くなど。
 つまり、仏の滅後(すなわち今)、折伏するのは、本当に本当に難しいこと。
 それでも苦難に負けずに、広宜流布せよ!その人こそ真の仏の使いだ!と覚悟を決めさせる意味がある。

2011/09/05  青年教学1級 開目抄第17段「難信の相を示す」

 そうは言っても信じがたいのです。

第17段「難信の相を示す」
 日蓮案じて云く二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ、久遠実成は又にるべくも・なき爾前づりなり、其の故は爾前・法華相対するに猶爾前こわき上・爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず、本門十四品も涌出・寿量の二品を除いては皆始成を存せり、雙林最後の大般涅槃経・四十巻・其の外の法華・前後の諸大経に一字一句もなく法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず、いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすてて但涌出・寿量の二品には付くべき
 日蓮が考えていうには、二乗作仏についてすら、爾前の二乗不作仏の教説が有力であるように感じられる。久遠実成については、それとは比べものにならないほどに、多くの経説が爾前経の始成正覚よりである。
 なぜかと言えば、爾前と法華を比べてみると、爾前のほうが優勢である上、爾前だけでなく法華経のなかでも迹門14品は一向に爾前と同じ始成正覚の立場であるからである。
 本門14品でさえも、涌出・寿量の2品を除いては、皆、始成正覚の立場が残っている。
 そのうえ、沙羅双樹の林で釈尊が最後に説かれた大般涅槃経40巻をはじめ、その外の法華前後の諸大経には、一字一句たりとも「久遠実成」という言葉はなく、法身の無始無終は説いているけれども、応身・報身の顕本は説かれていない。
 どうして、広博な爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経を捨てて、ただ涌出・寿量品の2品だけに付くことができようか。

 そうはいっても、やはり爾前経のほうが、本当っぽいような気がする(爾前づよ・爾前づり)。
 つまり、二乗作仏も久遠実成も、なかなか信じられない。
 なぜなら、法華経に比べれば、爾前経のほうが量的に多いし、法華経に入っても迹門ではまだ久遠実成は説かれていない。
 また、法華経本門でも、涌出品と寿量品以外は始成正覚の立場が残っている。
 ほとんどの経典に反して、涌出品と寿量品だけが説いていることを信じるのは、ちょっと難しい。

 <第18、19段は、二乗作仏と久遠実成は法華経寿量品には限らない、という法相宗の主張などを取り上げ、そういう意味から言っても法華経を信じることが、とても難しいことを示す>