2011/09/19  青年教学1級 撰時抄第32段「一閻浮提第一の聖人」

 日蓮こそ聖人。

第32段「一閻浮提第一の聖人」
 外典に曰く未萠をしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という余に三度のかうみようあり一には去し文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時宿谷の入道に向つて云く禅宗と念仏宗とを失い給うべしと申させ給へ此の事を御用いなきならば此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給うべし、二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ、第三には去年文永十一年四月八日左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず念仏の無間獄・禅の天魔の所為なる事は疑いなし、殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば頼綱問うて云くいつごろよせ候べき、予言く経文にはいつとはみへ候はねども天の御気色いかりすくなからず・きうに見へて候よも今年はすごし候はじと語りたりき、此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず只偏に釈迦如来の御神・我身に入りかわせ給いけるにや我が身ながらも悦び身にあまる法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり、経に云く所謂諸法如是相と申すは何事ぞ十如是の始の相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う、智人は起をしる蛇みづから蛇をしるとはこれなり、衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一タイ・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ
 外典には、「いまだ萠していない事柄を前もって知る人を聖人という」と説かれている。内典には、「過去、現在、未来の三世を見通している人を聖人という」と説かれている。
 私には三度の高名(手柄、功績)がある。
 一つには、去る文応元年7日16日に、「立正安国論」を最明寺入道殿(北条時頼)にたてまつった時に、宿谷入道光則に向かって「禅宗と念仏宗を捨てるよう、最明寺殿に忠告しなさい。この意見を用いないならば、この北条の一門から内乱が起き、ついには他国から攻められるであろう」と言ったことである。
 二つには、去る文永8年9月12日の夕刻、平左衛門尉頼綱に向かって「日蓮は日本国の棟梁である。私を亡き者にすることは日本国の柱を倒すことになる。たちまちに自界叛逆難といって、一族の同士打ちが始まり、さらに他国侵逼難といって、この国の人々が他国から殺されるだけではなく、多く生け捕りにされるであろう。建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏殿、長楽寺などの一切の念仏者や、禅僧などの寺院を焼き払って、彼らの首を由比が浜で斬らなければ、日本の国は必ず滅びるであろう」 と言ったことである。
 そして第3には、去年の文永11年4月8日に、平左衛門尉に「国主が支配している国に生まれ合わせた以上は、身は幕府に随えられているようであるが、心まで随えられはしない。念仏は無間地獄、禅は天魔の所為であることは疑いがない。ことに真言宗がこの日本の国土の大きな禍いである。大蒙古の調伏(祈祷によって怨敵・障魔を降伏させること)を真言師に仰せつけてはならない。もしこのような国家の大事を真言師が調伏するならば、いよいよ急いでこの国は滅びるであろう」と申したところ、頼綱は「いつごろ寄せてくるであろうか」と聞いた。そこで私は、「経文には、いつとは書かれていないが、天の様子から、諸天の怒りのありさまが激しいように思う。襲来の時は迫っていて、おそらく今年を越すことはないであろう」と答えたのである。
 この三つの大事は、日蓮が述べたのではない。ただひとえに、釈迦如来の御魂が、わが身に入り替わられたのであろうか。わが身ながらも悦びが身にあまる。
 法華経の一念三千という大事の法門は、このことである。
 法華経方便品の「いわゆる諸法の是の如き相」というのは、いかなる意味か。十如是の初めの「相如是」が第一の大事であるから、仏は世に出現されるのである。
 「智人はものごとの起こりを知り、蛇は自ら蛇を知る」というのがこのことである。
 多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となったのである。
 日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本の国にとっては一滴の水、一粒の塵のようなものである。やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう。
 仏になる道は、これより即ほかに求めてはならない。

 日蓮の予言された「自界叛逆難」「他国侵逼難」は、幕府は無視しかえって大聖人を迫害した。
 文永9年の「二月騒動」、文永11年の「文永の役」と二難とも的中する。

 建長5年の立宗宣言より、ただお一人立ち上がれたのが日蓮大聖人。
 大海でも須弥山でも始めは、たった一滴の水、一塵から出来ている。
 広宣流布も、始めの一人から二人、三人と広がって成し行く。