2010/11/18  2010年度任用試験 教学入門「信行学の実践」

 教学入門「信行学の実践」

4.信行学の実践
 ここでは、私たちが日蓮大聖人の仏法を実践していくうえでの三つの基本──信・行・学について学びます。

 自身の生命の変革を目指す、日蓮大聖人の仏法における修行の基本は、「信・行・学」の三つです。
(略)
 この三つのどれが欠けても、正しい仏道修行にはなりません。
 大聖人は、諸法実相抄で次のように「信・行・学」の在り方を示されています。
 「一間浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」
(1361ページ、通解──世界第一の御本尊を信じなきい。よくよく心して、信心を強く持って、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の守護を得ていきなさい。行学の両面の修行を励んでいきなさい。行学が絶えたところに仏法はありません。自分も実践し、人にも教え、導いていきなさい。行学は信心から起こるのです。力があるならば、一文一句でも語っていきなさい)
 この御文は確実に暗記して下さい。
 漢字で書けなくても良いので、暗唱出来るまで繰り返し読みましょう。
 ①信
 「信」は信受ともいいます。仏の教えを信じて受け入れることです。仏の境涯に入るための唯一の道が信なのです。
 法華経には、釈尊の弟子のなかで智慧第一といわれた舎利弗も、ただ信受することによってのみ、法華経に説かれた法理を体得できたと説かれています。すなわち譬喩品には「汝舎利弗すら尚お此の経に於いては信を以て入ることを得たり」(法華経197ページ)とあります。これを「以信得入」といいます。(略)
 全ての基本が「信」です。
 南無妙法蓮華経・御本尊は「信」が無ければ理解して行く事が難しいのです。
 ②行
 「行」とは、御本尊を信受したうえでの具体的な実践のことです。
(略)
 この「行」には「自行」「化他」の両面があります。車の両輪のように、どちらが欠けても修行は成り立ちません。
 「自行」とは自分が法の功徳を得るために修行することです。「化他」とは他人に功徳を受けさせるために仏法を教える実践をいいます。
 日蓮大聖人は、「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(1022ページ)と仰せです。
 すなわち、自分が御本尊を信じて題目を唱えるとともに、人々にも御本尊の功徳を教え、信心を勧めていく、自行化他にわたる実践が、大聖人の仏法における正しい仏道修行になるのです。
 具体的には、自行とは勤行(読経・唱題)であり、化他とは弘教です。また広宣流布のための、さまざまな実践活動も、化他の修行となります。
(略)
 また、法華経には「能く竊かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)とあります(如来とは仏のこと)。この文を踏まえて、大聖人は「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(1121ページ)と仰せです。
 すなわち、私たちの化他行は、仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する最も尊い行為なのです。
 自行と化他行は、どちらも大切な実践修行です。
 なぜ、他人にも勧めるのか?
 それは自身が仏の境涯へと変革しながら、同時に他人も救い仏にならしむるからです。
 「自分さえ良ければ…」では、功徳も自己の生命変革もないからです。
 ③学
 「学」とは、教学の研さんであり、日蓮大聖人が教え遺された「御書」を拝読することを根本にして、正しい仏法の法理を学ぶことです。
 正しい仏法の法理を学ぶことによって、より深く完全な信に立つことができ、また正しい行を行うことができるのです。(略)
 より深く「信」ずるにも「学」ぶことが重要で、「行」ずるにも「学」んでなければ他人に勧められません。
 「信」「行」「学」のどれも得意な人は少ないと思います。
 得手不得手は有って当然です。
 大事なのは3つ、それぞれに挑戦すること。
 「信」だけでOKな仏法ではありませんからね。

2010/11/18  創立80周年

 本日は創価学会の創立80周年記念日です。
 誠におめでとうございます。
 100周年に向けての新たな創価青年学会の出発の日ですね。
 100周年の時、私は59歳。
 バリバリの壮年部でいるでしょうか?(笑)