2009/09/23  空気の読めない学会員

 「KY」(空気読めない)が流行語になったのが2007年、昨年は「KY」が(漢字読めない)だった。
 別に今後「KY」がどう読まれようと、どうでも良い。(笑)

 本来の「KY」『場の空気を読めない』を考えてみる。
 空気を読まずに「水を差す」事をしてしまったりと、「雰囲気」が悪くなったりと対人コミニュケーションに於て「空気」が読めないと困ったことになりますね。

 で、当然の如く学会内にも同じことが言えますね。
 学会内での空気の読めない人いますね。

 現在の目標に焦点が合ってない言動をしたり、現在の戦いを殊更に公表したりね。
 新しい局面に来ているのに、何時までも過去にこだわって次に行かない人もいる。

 他の皆が「さぁ、行くぞ!」って時に水を差してるのに気付かない。
 過去の総括は、もう皆は済んでるのに「自分が」済んでないからって……ねぇ。(笑)

 当たり前だが、折伏戦の最中に選挙支援はしない。
 逆に選挙支援中に折伏出来たり新聞啓蒙したりはするけど、それは私たちの軸足が信仰だから当然ですよ。
 今回の戦いで、我が地区は折伏が出来たけども、それは本部長と連携とって呼吸は合わしているしね。

 中には、諸事情で違う戦いになる人もいる。
 病気や仕事、海外赴任など自身の思いとは違う戦いをしている人もいる。
 それは空気が読めてない訳ではないので、問題はない。

 学会が定めてもいない戦いを主戦場にしても境涯革命も変毒為薬もないよ。
 例えば文化活動は折伏の方便方策であって、目的ではない。
 創価思想は懐は広いので多少違う戦いをしても許容をしてくれる。
 頭ごなしに否定はしない。
 でも、指導はあるよね。「それは違うだろう」と。
 自分の遣り易い戦いしかしなければ、それは信心の戦いではないしね
 「え~っ、そんな事やりたくねぇ」って戦いの方が成長も境涯革命もある。
 「六難九易」を知れば、その通りなんだよね。
 折伏よりか、藁背負って大火の中突っ切る方が簡単なんだってさ。(笑)

 他にも空気読む場面はある。
 ネットでの学会員の在り方です。
 活動家の諸氏は、都度の戦いで佳境に入れば諸会合で先生からのメッセージを戴いていると思う。
 それをネットで発表してはならないのは、普通に考えれば判るよね?
 何故ならば、そのメッセージはその場その都度のメッセージだからだ。
 また、諸敵に利用される恐れもあるからね。
 だから、今の戦いを逐次ネットに掲載なんてしてはいけないよ。
 終わった戦いを載せるのは、まだ良い方で、今後の予定なんて以ての外だ。(聖教紙上に掲載分は除く)
 決意を込めて活動報告をする事はあるだろうが、子細には載せない。
 概略だけでも、閲覧者には決意が伝わる。何より「如何に自身が」決意が出来るかが、大事。
 我々の信心はパフォーマンスでもない、「私はこんなにやってます」って公表しても確認のしようがないしね。(笑)

 むしろ空気が読めると、戦いの先駆が切れる。(笑)
 空気が読めれば、するべき事が読める。
 今度は何が主眼なのか?
 まず、何をすべきなのか?
 我が組織(部)の問題点は何か?

 もう誰が決意するのか? 判るよね?

 先駆が切れれば、歓喜を呼ぶ。勢いが付く。

 まぁ、偉そうな事書いてるけど、私も未熟者なんですよ。(^^)
 この記事の空気読んで下さい。(笑)