2009/02/10  指導を受ける姿勢

信心をしていると行き詰まり悩みますね。
そこでよく「指導を受けよう」と言われませんか?

そもそも学会の言う「指導」とは何なのでしょう?

小野不一さんの創価王道指導主義に次の様にある。
 創価学会は指導主義である。つまり、“御本尊を拝もうではないか”と御本尊を指し示していくことが指導である。御本尊とは何かと説明することは第二義でよい。それよりも、具体的な実践活動を教え、題目をしっかりあげさせることが指導なのである。
『指導メモ』 1966-06-01発行
学会は信心根本。
信心即生活です。
悩み苦しい時は題目を上げていても空回りする時もあります。

解決の為に焦ったり、世法に走ったりします。
世法に解決を求めては信仰者で無くなってしまいます。

私は我が強く二世なのもあって、指導が中々受けられませんでした。
これは自分が臆病なのと、妙なプライドからでした。
今考えると、素直に指導を受ければ良かった、と思います。

指導を受ける人に何を求めて指導を受けるのか?
「結局は題目を上げようしか言わない」「言われる事は判っている」「やっぱり受けるんじゃなかった」など、怨嫉してはいけない。
指導をする幹部だって人間です。間違った事を言うかもしれません。
大事なのは『自分』の信心の姿勢がどうなっているか?です。

特殊な仕事をしている人の指導で仕事のアドバイスはしてくれません。当然でしょ!

幹部(他人)から見ての「信心の姿勢」をチェックしてもらうのが指導です。
祈り方が間違っている。(愚癡や後ろ向きな信心)
祈っていても行動をしていない。(他力本願な祈り)
具体的な目標がない。(いついつまでに解決する)
世法で考えている。(なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし)
などなど、自分では気がつかない信心の姿勢が判ります。

指導を受けても宿業がありますから、また元に戻ったりしますので何回でも指導は受けましょう。

というか、指導はドンドン受けて行きましょう。(指導を受ける事自体で安心しては駄目だけどね)

指導を受けるにも、幹部を選んだり、何人にも指導を受ける人がいますが良い傾向ではないですよ。
私の経験上、「ああ、あの幹部はキツイ事言うし、正直へこむんだよな~」って人から指導を受けた方が良いですね。
「いいよ、いいよ」と優しい指導よりは、やっぱり命への指導の刺さり具合が違うので、結果として早い解決になります。
戸田先生、池田先生の指導はやっぱりキツイ指導だそうですよ。
キツイ指導の裏には「慈悲」がありますから的確ですよ。