2009/02/27  そりゃぁ、大阪府の財政が破綻目前になるよ。

ちょっと2ちゃんねるで話題ですね。

橋下知事、返還に前向き 児童文学館廃止で寄贈本問題
2009年2月26日朝日新聞
 大阪府立国際児童文学館(同府吹田市)に本や資料を寄贈した人たちが、同館の廃止条例案を2月議会に提出した府に返還を求めている問題で、橋下徹知事は25日、「お返しするのも大きな解決策」と報道陣に述べ、返還に前向きな姿勢を示した。寄贈者も記者会見して改めて返還を主張。府立中央図書館(同府東大阪市)への蔵書移転を計画した府教委は「蔵書がばらばらになってしまう」と戸惑う。

 同館の蔵書70万冊のうち50万冊は寄贈分。14万冊の寄贈者で児童文学研究者の鳥越信さん(79)はこの日の記者会見で「資料が散逸するのは本意ではない」としつつ、「1万人近くいる個人の寄贈者全員が返還を求めることで、移転のための予算審議を凍結させたい」と語った。

 しかし、府教委幹部によると、橋下知事はたとえ返還しても、館の廃止と残る蔵書の移転は実現するつもりという。この幹部は「蔵書をまとめて保存する最善策を考えてきただけに困った」と話す。返還には新たな議決や費用負担などの課題もあり、難航しそうだ。(小河雅臣)

話はこんな流れ

鳥越 30年前 「早稲田大学で集めた貴重な児童文学書12万冊寄付するぞー」(自称20億円の価値)
大阪府 「是非うちに寄付してください 国際児童文学館つくります」
鳥越  「じゃあ、財団法人国際児童文学館の総括専門員(のちに理事)をつくって就任、
    それから貴重な資料なので一般には閲覧も禁止ね」
大阪府 「児童文学の研究目的だけでは来館者が少なく、
     補助金がだせないので漫画やラノベを充実させますね」
    (例 あんどろトリオ ttp://members.at.infoseek.co.jp/AZICON1/SSC1_P48.jpg
     それでも場所が不便なので来館者は増えない)

鳥越氏1984年より、1991年まで総括専門員として児童文学館に勤務

現在は児童文学館の理事に就いている(財団法人大阪国際児童文学館理事)

橋下  「国際児童文学館は来館者が中央の1/14 年間維持費2億円(うち人件費 9人で1億円)なので廃館。
     蔵書は中央図書館新しい書庫を作ってに移送します」
鳥越(児文館理事) 「話が違う、それなら寄贈した蔵書を返してくれ」
綛山哲男教育長(児文館理事) 「寄贈されたら府の財産なので返還できません」
鳥越(児文館理事) 「なら廃館をやめて国際児童文学館を継続しろ、府の予算案は凍結だ」
橋下 「府が方針を廃止に変更したので、寄贈者の意思を尊重して、12万冊返しましょう」
鳥越(児文館理事) 「…本を公開していく方法を一緒に検討しましょう…って意味だったんです」

で今日には「1万人近くいる個人の寄贈者全員が返還を求めることで、移転のための予算審議を凍結させたい」と言っている。
完全に保身の為の行動ですよ。
文化財を使ったヤクザみたいな手口ですね。

2009/02/27  同志と共にあるリーダー。

先日の池田先生のスピーチから

婦人部・女子部最高協議会での名誉会長のスピーチ 中
   (前略)
「仏に誉められる境涯に」

 一、きょうも戸田先生の指導に学びたい。先生はよく言われた。
 「生活の上に、いろいろな試練が出てきても、負けてはいけない。
 どんなことがあっても、それは『護法の功徳力』によるものである。必ず全部、宿業が軽く転換できることは間違いない」
 また、健気に戦う同志を、こう励ましてくださった。
 「仏法の話をして、誰も話を聞いてくれなかったとしても、諸天善神が、聞いてくださっているよ。あなたを必ず護る」
 広宣流布のために戦う善き人を、諸天善神は必ず守護する。
 自分自身の生命には倶生神(人が生まれるときに倶に生ずるとされる神)がいる。常に、その人自身の行動を見ている。信心の上の、どんな努力も、苦労も、天は見逃さない。
 広宣流布という、最極の正義に生き抜く皆様方が、断じて護られないわけがない。
 一、さらに戸田先生は言われた。
 「広宣流布のために会い、勇敢に、誠実に仏縁を結んだ人は、未来において、その人が必ず自分の眷属となり、諸天となって、自分を護り支えてくれるようになるのだ」
 「よき友、よき同志に守られた人生は、絶対に負けない」
 まったくその通りである。
 また、自分自身が善知識になっていかねばならない。
 一、人に接する時には、ツンとした、冷たい態度ではいけない。
 焼きもちを焼いてはいけない。信仰においても、人生においても、一番、気をつけるべきことである。
 嫉妬の人は伸びない。妬んでばかりの人とつきあっても、何の得もない。
 ともあれ、同志を守ってこそ、リーダーだ。女性を尊重してこそ、紳士だ。多くの後輩を伸ばしてこそ、先輩である。
 それをはき違えて、女性に対して威張る男性、若い人をいじめる幹部が、もしも将来、出たならば、心ある皆さんが、勇気をもって戦うのだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「信仰の上に立って、目標を完遂して、凡夫に誉められるのではなくて、たえず、仏様に誉められる境涯になろうではありませんか」
 この気概で、胸を張って進んでいきたい。

同志を護り抜け

 一、戸田先生は、私と妻に言い残された。
 「学会員がいなければ、広宣流布はできない。大作と香峯子は、この尊い仏様である学会員を、生命の続く限り護ってほしい」
 私と妻は、このご指導通りに生き抜き、戦い抜いてきた。
 また、「真剣に、そして雄々しく戦いゆく同志を、最大に励まし護れ!」とも言われていた。
 同志の幸福を、広布の前進を、真剣に祈り戦うことだ。その時、仏に等しい力が、自分自身の中から湧き起こってくる。そして、自分自身も護られるのである。
 反対に、この正道を踏み外してしまえば、諸天善神から見放されてしまう。
 戸田先生は厳しくおっしゃった。
 「仏意仏勅の学会を私利私欲のために利用したり、大恩ある学会を裏切ったりした者は、必ずや諸天から裁かれる」と。
 自ら決めた、尊い誓願を、絶対に裏切ってはならない。
 仏法の世界は不思議である。因果の理法は厳しい。仏法の眼で見れば、すべてが明快である。
   (後略)
2009年2月23日付聖教新聞
婦人部・女子部向けだけのスピーチと思ってはいけませんよ(笑)
壮年部・男子部も同じく拝しなければなりません。

リーダーたる要諦は老若男女関係がありません。

2009/02/21  仮想と現場と己心と葛藤。

あくまでも仮想現実
ネット活動を他人があれこれ揶揄や指図するには、限度があると思います。
「ああっ、そんな事書いちゃ」とか「違うよ、そうじゃない」とか言いたくなる書き込みも散見されます。
私の書き込みも他人から見れば一家言あると思いますし、それが当然でしょう。

信心の軸足が『現場』なのは当然で『ネット弁慶』では幸せにはなれない。
幸せになる為に信心をしていて、その信心活動で得たモノをネットで書くのが「ネット活動」でしょう。

歓喜の無く「愚癡」や「批判」ばかり書いていては只の『退転者』にしかならない。
統監が組織にあるだけで、ちっとも『広布』に役には立っていない。

『現場』で活動して、どうしても腑に落ちない事があるでしょう。
指導を受けるまででもなく、身近に聞ける人もなく「う~~ん、コレってどうなんだろう?」とネットでググル事は皆、経験はないでしょうか?

「ああっ、同じ事を思っている人がいる」と安堵するかもしれません。
しかし、心得なければならないのが『ネットは3次資料』だと言う事。

信心の指針は
「御書・先生の講義や著作」>「現場の指導・体験」>「ネット・体験談」だと思う。
ネットの活動や体験は所詮『仮想』です。実体を殆ど確かめ様がない。

ネットでスゴイと思った人が、現実で会ったら「え~~何か違う」となるかも知れませんよ。
ネットはテキストで構成されるから、読み手のリテラシィ・読解力次第で歓喜もすればヘコミもする。
書き手の思惑を離れ歪曲だってされる。

自分の思った事を書いて否定されたら、躍起になって反論もするかもしれない。
同意をされ、嬉しくなり饒舌になって余計な事まで書くかもしれない。


賢者の振る舞い
日蓮大聖人は「九思一言」と故事を引かれた。
これは読み手聞き手に判るように発言者が心得ているか?でしょう。

何も考慮せずその場の勢いで発言しては賢者ではない。
通常ネットでは発言が何時までも残ります。

ひいてはネットの体験・意見を鵜呑みにしてはなりません。
よくよく脈絡を読み真意を汲まなければ「退転」の元になるかもしれません。

私もそうですが発言者は書き込み時に「これは書いて大丈夫か?」とボタンを押す前に考えましょう。
特定のHNに対しての書き込みでも、ネットでは他者が見ています。
影響を考えなければいけませんね。

日蓮大聖人は御書・お手紙を認められる時には皆で読み廻す事を想定されていますね。
池田先生も各種メッセージは男子部に宛ても、婦人部に宛ても他者が読む事を考慮されていますね。

自分の書き込みで『誰か』が退転しては、エライ業を積んでしまいます。
考え抜いた善かれと思っての書き込みも、相手が聞く耳を持たなければ仕方ないのです。
日蓮大聖人も「御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず(日厳尼御前御返事P1262)」とも仰せです。
必要以上に攻めたてては慈悲がありませんし、相手が機根を見ましょうよ。
毎日同じ文章趣意を書き立てては「粘着質」「中二病」とか言われますよ。


執着との葛藤
中には己心に執着し、御書を引かれて指摘されても素直に意見を変えられない人もいるでしょう。
自分の執着との葛藤もあるでしょう。
その葛藤を乗り越えれば境涯革命はできると思います。

人間的に魅力のある人は、信仰者か否かを問わずいます。
魅力のある人を庇いたくなるのが人情でしょう。しかし我々は信仰者です。

人情に流されて広布が進まなければ意味はないのです。
言い負かされては悔しいかもしれないが、「悔しい」の元が『何』なのかジックリと御本尊の前で考えてみましょう。


最後に
こうしたネット上での議論や炎上は私は『無意味』とは思いません。『有意義』だと思います。
こうした議論炎上で葛藤が起き思索を重ねる事は、人生に於て無駄にはならないと思います。
片や指摘され葛藤すれば自己成長し、片や指摘して「勝他の念」に支配されない発言力を増せば自己成長をします。

自分は何が言いたいのか?
自分は何を指摘されたのか?
相手は何が言いたいのか?
相手は何を指摘したいのか?

これが対話だと思います。

そして結果『この対話で何を得たのか?』だと思います。
無意味な対話はしたくないよね?

2009/02/21  わが勇気ある永遠の同志に贈る

池田先生、連日の長編詩
わが勇気(ゆうき)ある永遠(えいえん)同志(とも)(おく) 山本 伸一

青春は前進だ!
人生は勝利だ!


君よ
青春は前進だ!
前に進むのだ。
前進するのだ。
汝自身を鍛えながら
強い人間になることだ。

君よ
人生は勝利だ!
正義は
勝たねば正義ではない。

負ける人生は情けない。
そんな
意気地なしの人生を
諸天は護らない。
「仏法と申すは
 勝負をさきとし」と
仏が明言しておられる。

おお
今朝から
大雨が
嵐が
やってきている。

君よ
若き勇気の魂で
迎え撃つのだ!

君よ
見たまえ!
嵐を勝ち越えた
今日の
雲一つなき
大晴天の天空を!

君よ
見たまえ!
何ものをも
勝ち抜いた
偉大な人間の
魂の光を!

おお
今日は
晴天だ。
朝日の光が
眩しい。

君よ
晴天の心で
今日も勝つのだ!

どんよりした
薄曇の魂など
断じて
あってはならない。

十九世紀イギリスの作家
ブロンテ三姉妹の一人
エミリーは詠った。
「太陽が昇れば
 あの霧も晴れるだろう
 そしてこの魂も
 悲しみを忘れるだろう」

妙法蓮華経は
宇宙の大法則である。
生命の大法則である。

御義口伝には仰せだ。
「我等が
 頭は妙なり
 喉は法なり
 胸は連なり
 胎は華なり
 足は経なり
 此の五尺の身
 妙法蓮華経の五字なり」

わが生命
それ自体が
妙法蓮華経の当体として
尊極に輝きわたるのだ。

人生は
幸福になるためにあるのだ。
それには
不幸に
戦い勝っていかねばならない。

教育も
政治も
経済も
科学も
すべて
人間の幸福を
目的にしているはずだ。

その根本の目的を
見失って
慢心となり
無責任となり
自分勝手に
威張りゆく姿よ!

なんで
そこから
真実の後輩が
生まれ育ちゆこうか!

私が青年時代から
愛読してきた
ドイツの大文豪
ゲーテは断言した。

「人を生かしてこそ
 自分も生きる」
「打ちこわすことではなく、
 人類にうつくしい希望を
 あたえるような
 何ものかをつくること。
 これが一ばん肝要である」

戦いだ!
人の幸福を思う
信念を創ることは
最も大切な教育だ。
この思想は
今でも私の心に
息づいている。

そのためには
まず自らが
あらゆる不幸を
忍耐で乗り越えて
揺るぎない勝利の自分を
創り上げていくことだ。

「頂上を制覇する者は
 粘り強く歩む者である」とは
中央アジアの
カザフ民族に伝わる
英知の言葉である。

君よ
今日も
生き抜くのだ!
断じて負けるな!
あきらめは
敗者の情けない
上滑りの生き方だ。

御聖訓には
「苦をば苦とさとり
 楽をば楽とひらき」と
説かれている。

苦しい時は
苦しみを喜びとして
それに立ち向かうのだ。
その不屈の流転が
勝利の人生だ。

偉大なる
私の師匠・戸田城聖先生は
よくお話しになった。
「現代は五濁悪世である。
 ゆえに
 悩みがないわけがない。
 対話においても
 相手の悩みの中心に触れ
 相手が求めるものに
 応えていくのだ」

勇気の対話を!
信念の対話を!
確信の対話を!
声を惜しまず
賢く朗らかに
広げゆくことだ。

ドイツの哲学者
カントは喝破した。
「嘘つきは
 臆病な人間である」
「勇気ある人は
 真実を愛する」

真実ほど
強いものはない。
真実ほど
誇り高いものはない。

フランスの思想家
ボルテールも叫んだ。
「沈黙は
 恥ずべきことです」
「私は真実を述べ、
 述べつづけるでしょう」
「真実を述べるという喜びが
 私のすべてだったのです」

前進しゆく魂の
持ち主である
自分を鍛えよ!
さらに さらに
わが魂を鍛えよ!

それが
真実だ!
宗教だ!
哲学だ!
教育だ!
芸術だ!

フランスの
印象派の大画家
クロード・モネは
胸を張って語った。
「僕は
 不可能なことに
 取り組んでいる」

可能なことは
誰にでもできる。
不可能に
青年が挑みゆくからこそ
壁を破れるのだ。
これが
人類の創造の歴史である。

どうすれば
この一瞬の美を
この妙なる光を
表現できるのか?
モネは
猛烈な勉強と精進を重ねた。

遣を開くには
徹する以外にない。
一心不乱に
突き進む以外にない。
今ある境地に止まらず
前へ前へと
新たなる挑戦を
始める以外にないのだ。

勇敢に前進する魂は
数多の非難にも
打ち砕かれることはない。
いな攻撃があればあるほど
いやまして闘志を
燃え上がらせるのだ。

モネは
わが友の名誉のためにも
敢然と戦った。
不遇のなか
亡くなった同志の
正当な評価を
勝ち取るために奔走した。
それゆえに
圧迫を受けようとも
モネは奮然と言い放った。
「あとは最後まで
 徹底的に戦うだけです」
麗しき友情の名画である。

良き友を持った
青春に停滞はない。
真の友と励まし合う
人生に敗北はない。

フランスの名宰相
クレマンソーは
モネの若き日からの
親友であった。
晩年 失明の不安のなか
創作に取り組むモネを
彼は支え力づけた。

「これまであなたは、
 成功の危機と
 自信喪失を
 何度も経験して来ました。
 それはあなたの
 勝利の条件でさえあります」
「あなたは
 モネではないですか」

友の激励に
モネは奮起し
描きに措き抜いた。
そして
ついに「睡蓮」の
世界的に有名な大傑作を
完成させたのである。

友情の深さ!
誠実な行動!
同志の心のつながり!
これこそ
人生の究極の魂だ。

戸田先生は
大事な幹部との懇談の折
厳然と言われた。
古い学会本部の
二階の会長室であった。

「不知恩の輩は
 断固 追放せよ!」
「師弟を忘れた幹部は
 断じて追放せよ!」
そして
「負けるなよ!
 この一生を
 勝利者と飾るのだ!」

師匠への
深い報恩の決意と
深い目標を待った
弟子こそが
深い価値ある人間として
生き抜いていけるのだ。

それは
先生の人生の最終章に入った
昭和三十二年
四月の頃であった。
私は一人
会長室に呼ばれた。

先生は布団を敷かれ
横になっておられた。
先生は言われた。
「大作!
 大作のような弟子をもって
 俺は本当に嬉しい。
 大作!
 おまえも
 俺も勝った……」
静かな声であられたが
力強く
先生は言い残された。

先生のお体は
大変に弱り果てておられた。
私の手を握りながら
先生は
「君よ
 世界広布を頼むよ!」と
仰せになられた。

私は泣いた。
涙が溢れた。
偉大な師匠の目にも
笑顔と同時に
涙が見えた。

あまりにも小さい
会長室であった。
今のような暖房なども
整っておらず
寒い感じがしていた。

それから
先生は静養され
いったん回復なされたが
体力の衰えは否めなかった。
二年間の獄中闘争は
あまりにも先生の身体を
痛めつけていたのである。

そして翌年
明るい光の春--
桜花に包まれるなか
常楽我浄の旅立ちの
あの四月二日を
迎えられた。

仏法の真髄には
「師弟不二」の法理が
明かされている。

「弟子は枝葉の如く
 師は根の和し」
「弟子は流れの如く
 師は源の如し」
「弟子は火の如く
 師は薪の如し」
「弟子は草木の如く
 師は大地の如し」

弟子の栄光こそが
師匠の栄光である。
弟子の勝利こそが
師匠の勝利である。

近代経済学の父
アダム・スミスは
青春時代
スコットランドの名門
グラスゴー大学で
恩師ハチスン博士から
若き英知を鼓舞された。

「人類の幸福」のために
何が重要か?
それに向かって学べ!
探究せよ! と。

のちに スミスは
傑出した知性となって
師が自分を育んでくれた
大恩ある母校へ舞い戻った。
師と同じ教壇に立って
青年の育成に臨んだのだ。

自らが総長となっても
「あの決して忘れえぬ
 ハチスン博士」と
終生 恩師に感謝し
深く慕い続けたという。

崇高な師弟の劇が
幾重にも織り成されてきた
このグラスゴー大学から
私は名誉博士号を拝受した。
一九九四年の六月--
その荘厳なる儀式は
一生涯
忘れることはできない。

大学評議会のマンロー議長が
おごそかに
「推挙の辞」に立たれた。
壮麗なビュート・ホールに
幾たびも幾たびも
「ジョウセイ・トダ」と
わが師の名前が
高らかに響きわたった。

それは
戸田大学に学び
薫陶を受けた私が
永遠の師に捧げゆく
報恩の栄誉となった。
不二の宝冠となった。

私が会見の話を
いただいていた
アメリカの
若き第三十五代
ケネディ大統領は語った。
「歴史は、
 人間が作るものである」

自分自身の歴史は
自分自身が創るものだ。
いかなる苦労も
いかなる苦難も
いかなる戦いも
いかなる怒涛も
自分自身に与えられた
希望であり
宿命であり
わが人生の教科書だ。

恐れなく
それらを乗り越え
勝ち越えゆく信念を
一段と持ちながら
努力の魂を磨いた人間が
勝利者となるのだ。

さらに
ケネディ大統領は言った。
「もしわれわれが
 つかの間でも休止するならば
 過去の業績に
 甘んじているならば
 進歩の歩調に
 さからうならば
 危険に陥るだろう。
 時と世界は
 じっとしていないからだ。
 変化は生命の法則である」

たしか
このような文言であったと
私は記憶する。

人生は過去に
囚われるものではない。
いな
囚われてはいけない。

ゆえに
青年よ
君たちよ!
未来を常に見つめて
歩むのだ!
戦うのだ!
断固として進むのだ!

宇宙の森羅万象は
たゆみなく動いている。
その一切を
より良く変化させていく
究極の力が妙法である。
そして
この大宇宙をも包みゆく
偉大なる生命力は
わが胸の中にあるのだ。

さあ
朝が来た!
太陽が輝き昇る。
我らの心も
太陽のようでなければ
ならないはずだ。

青年よ
生き抜くのだ!


戦い抜くのだ!
勝ち抜くのだ!
一人ももれなく
幸福になるのだ!
そのための
一日一日である。

充実の一日とは
汝自身に勝つことだ!
人のため
社会のため
未来のために
大いなる魂を
燃え上がらせることだ!
悩み苦しむ友を
励まし救い
不滅の希望を
贈りゆくことだ!

さあ!
わが勇気ある
永遠の同志よ!
青春は前進だ!
人生は勝利だ!

 二〇〇九年二月十八日

  学会本部・師弟会館にて
  青年・勝利座談会を
         記念して

       桂冠詩人
       世界桂冠詩人
       世界民衆詩人
※フロンテの言葉は中岡洋訳、ゲーテの言葉は内藤道雄訳、大山定一訳、カントの言葉は御子柴善之訳、ポルテールの言葉は高橋安光訳、モネとクレマンソーの言葉は高階秀爾監訳、渡辺隆司・村上伸子訳、スミスの言葉は鈴木亮訳、ケネディの言葉は高村暢児編。
2009年2月20日付聖教新聞
池田先生の苦闘時代のエッセンスが込められています。

今、苦しい状況にあって答えが見つからず右往左往しない様に指針を示して頂いています。
苦労も、悩みも、苦難も、戦いも全て人生の勝利の為にある。

友を励まし自身に勝ってこそ幸せになれる。
大勝利のご報告をして、誉れの2月に致します。

2009/02/19  忘れ得ぬ 戦時の青春

池田先生の長編詩
忘れ得ぬ 戦時の青春 山本 伸一

我らは戦う!
人権と平和と
幸福のために


我らは戦う!
人権と
平和と
幸福のために!

人間の尊厳を侵し
青年の生命を奪い
そして
母たちを苦しめる
ありとあらゆる
権力の魔性と
我らは
断固と戦い続ける!

わが師・戸田城聖先生と
幾たびとなく語り合った
大事な一書が
フランスの大思想家ルソーの
『エミール』である。

その鮮烈な一節に
「圧制と戦争こそ
 人類の
 もっとも大きな
 災厄ではないか」とあった。

私が十七歳の時
あの暗い暗い
苦しい苦しい
第二次世界大戦は
日本の大敗北で終わった。
時に--
昭和二十年(一九四五年)の
八月十五日である。

この年の弥生三月まで
わが家は
もう老い始めた父が
老後を楽しく
暮らすために作った
まあまあ立派な
大きな庭のある
屋敷であった。

蒲田の糀谷二丁目五四六番地
行き交う人びとも
「ずいぶん立派な家だな」
と感じながら
見上げておられた。
その風景は
今でも忘れ得ぬ
若き日の一つの思い出と
心に残っている。

ところが
この父の誉れの家も
度重なる大空襲の
類焼を防ぐための
あの忌まわしい
国家権力による
強制疎開で
ぶち壊されてしまった。

行く所がなくなった
家族は
近くの
強制疎開を免れた家々に
下宿させていただいた。

都会は空襲で危ないので
母の妹がいる
大森の西馬込に
新しく家を作って
疎開することになっていた。
当時の西馬込は
まだまだ静かな
広々とした
田園が残る土地であった。

その新しい家で
計画通り生活していけると
皆が楽しみにしていたが
でき上がった
まさに その日の
暗い暗い晩
けたたましい
空襲警報が鳴った。

あちら こちらで
群衆が見上げる夜空から
低空飛行の爆撃機B29が
焼夷弾をばらまき落とした。

何百人もの人びとが
「わあーわあー」と
大声をあげながら
逃げ惑っていった。
その地獄の苦しみの泣き声が
今もって耳朶から離れない。

私たち家族は
静かな裏山の
防空壕に入って
爆撃を逃れた。

この時の大空襲で
西馬込に完成したばかりの
わが家は
直撃を受け
燃え尽きてしまった。
それは昭和二十年
五月二十四日の夜であった。

蒲田の矢口にあった
私の妻の実家も
この一カ月前の空襲で
全焼していた。
妻は疎開先の岐阜でも
大空襲に遭っている。

わが家は
働き盛りの兄四人が
次々に召集されて
国家の命令通りに仕えていた。

私が敬愛する
長兄の喜一は
最後は
ビルマ(現・ミャンマー)方面の
派遣隊となって
その地で戦死した。

長兄が外地へ発ったのは
昭和十四年の初春であった。
その出立を前にして
家族との面会が
東京駅の近くの
広場でなされた。

戦地である中国へ行く
総勢二、三百人ほどの
軍服姿の兵隊たちであった。
父や母や新妻などと
別れを告げゆく面談が
賑やかに広がっていった。

しかし
見送りの家族のいない
兵士も多かった。
みな寂しそうであった。
急遽の命令のゆえ
遠く離れた
国元への連絡は
間に合わなかったのか。
交通も不便な時代である。
駆けつけたくても
お金を工面できぬ家も
少なくなかったであろう。

百名近くの兵士たちは
面会者もなく
談笑の輪から離れて
お茶を飲んだりして
出発までの時間を
過ごしていた。
あの打ち沈んだ瞳を
私は いまだに
忘れることができない。

私の母は
そうした方々へ
「こちらへ
 いらしてください。
 ご一緒に、どうぞ!」と
親しく声をかけた。
わが家の海苔を巻いた
おにぎりを
たくさん用意してきた
母であった。
遠慮がちな兵士たちには
私が走っていって
おにぎりを差し上げた。

「人間性の根源は、
 母性にあり、
 隣人愛の根源は
 母性愛にあり、
 善良さの根源は
 女性らしさにある」
これは
後に私が深き交友を結んだ
ヨーロッパ統合の父
クーデンホーフ・
カレルギー伯の洞察であった。

ともあれ
あの東京駅での
わびしい残酷なる別れの姿は
まだ十一歳だった私の胸に
今もって焼きついている。

期待に応えて
一家を支えながら
人生を生き生きと走り

自らの歴史を創りゆく
優秀な青年たちが
国の奴隷の如く
心寂しく戦地に向かいゆく
あまりにも切ない場であった。
惜別の涙と涙の
悲しみの笑顔はあったが
明るい爆笑などは
一つもなかった。

この 本当に人の良い
紅顔の青年たちを!
未来に希望を燃やしながら
人生を生きてゆかんとする
若人たちを!
国家権力は
微塵の慈悲もなく
愛する家族から断ち切り
地獄の戦場に向かわせた。
その責任は
どこにあるかと思うと
今なお 私の胸は痛い。

インドの大詩人タゴールは
痛切に訴えた。
「権力者こそ
 最大の責任を
 負わなければならない、
 そして
 権力の座という
 立場から考えるとき、
 彼が犯すいかなる悪行も
 最大限の非難に値すべきだ」

面会を終えて
東京駅から帰る道すがら
「あの人たちは若いのに
 皆 お父さん お母さんを
 悲しませてしまって
 可哀想だ。可哀想だ」と
涙ぐんで語る母の姿は
私の瞼から
一生 消えることはない。

わが家では
長男・喜一に続いて
次男・増雄も
三男・開造も
四男・清信も徴兵された。
そのたびに
父も母も力が弱っていった。
母は涙が無くなるくらい
寂しがって泣いていた。

兄弟四人は
一人はビルマの戦線へ
あとの三人は
中支派遣軍などとして
国家より出征を
命じられていたのだ。
ほとんど文通はなかった。

日本にいた兵士たちは
終戦と同時に
たくさんの荷物を持って
復員してきた。
けれども
中国で敗戦を迎えた
三人の兄たちは
終戦の翌年になって
何も持たず
みすぼらしい
憔悴しきった格好で
ようやく帰ってきた。

長男・喜一は
戻ってはこなかった。
「日本軍はひどすぎる。
 中国の人たちが
 あまりにも可哀想だ!」と
憤怒していた兄であった。
戦死公報が届いたのは
終戦から二年も
経ってからであった。

戦地へ行く時
私に向かって
「父母や弟妹を頼むよ」と
託した言葉が遺言になった。

長兄の言葉を胸に
私は十四歳の春から
鉄工所に勤め始めた。
三男の開造が
出征する前まで働いていた
ディーゼル機関を製造する
蒲田の軍需工場である。

肺病を患い
血痰を吐く身であった。
辛くとも
苦しくとも
血を吐いても
いくら熱があっても
家での青年の静養は
非難の的であった。
若いくせに戦争に行かず
何を自分の家で
楽をしているのかと
罵られるばかりであった。

無敵日本
勝利勝利の
大日本帝国--
政治家も軍人も
報道機関も
華やかに動いていた。
しかし
全部が大嘘であった。

苦しみを耐え忍び
勝たねばならぬと決意して
国民は生き抜いていった。
ところが指導者たちには
国民を煽り
口先は上手であっても
狡賢い
弱い信念の姿が見え始めた。

ドイツの法学者
イェーリングは喝破した。
「歴史はいつでも、
 大声ではっきりと、
 こう教えているのだ。
 国民の力は
 国民の権利感覚の力に
 ほかならず、
 国民の権利感覚の涵養が
 国家の健康と力の涵養を
 意味する、と」

ともあれ
誰も信じられない。
心ある人びとは
自分自身で
生き抜く方法を求めた。
そして自分自身に
勝つ以外なかった。

老いた父も
まことに可哀想であった。
人生の総仕上げのために
立派な邸宅を作り
子どもたちが働いて
自分を助けてくれると
信じていた。

母も同じ心であった。
一家で一人だけなら
まだしも
頼りにしていた
四人の息子が次々に
危ない戦地に行かされた。

「国って
 どうなっているのだろう」と
独り言を
真剣に厳しく
自分自身に言い聞かせて
いるようであった。

時代は
この母たちの希望を
ことごとく打ち砕き
暗黒の天地に変えてしまった。

戦争の犠牲になったのは
出征した兄たちだけではない。
残された父母も
私も同じであった。
いくら
父母を励まそうとしても
その親子の心情さえも
通じていかないほど
無惨な人生に
追いやられてしまった。

国家とは何か?
政治とは何か?
戦争とは何か?
どうすれば
一日も早く家族と
楽しみゆく時が来るのか?
どうすれば
平和な日本になるのか?
幸福な人類になるのか?

お先は真っ暗となっていた。
軍人だけが
胸を張って歩いている姿が
皆の心の奥に焼きついた。

肺病の私は
本を読むのが好きであった。
いな
本だけが楽しみであった。

「良書を読むのは
 良い人との交りに
 似ている」とは
アメリカ・ルネサンスの旗手
エマソンの言葉である。

「良書は
 最良の大学の
 かわりをする」
この哲人エマソンの確信を
オーストリアの作家
ツヴァイクは
若き日の向学の指針とした。

私が夜遅くまで
読書をしていると
母からは
「身体に悪いよ」と
いつも心配された。

父からも
--兄たちは戦争から
いつ帰ってくるか わからぬ。
おまえだけは健康に--と
静かに本を閉じる
仕草をされた。

疎開先の西馬込から
詩情豊かな森ケ崎海岸の
近くの家へ移ったのは
終戦の直後であった。

この家は
もともと父の持ち家で
人に貸していたのである。
長く二組の知人が
父の配慮で入っていた。
そこが焼け残っていたのだ。
やがて この方々も
深く感謝しながら
他の家に移って行かれた。
父も母も
ほっとしたようだった。
私もほっとした。

二所帯分の大きい家である。
父は私にも
わりあい広い部屋を
使わせてくれた。
今でも感謝している。

戦時中
防空壕に入れて守った
多くの本なども どんどん
その部屋へ置くようにした。

一冊また一冊
宝の如く集めた蔵書を
私は後に
わが創価大学へ寄贈した。
これが
七万冊の池田文庫である。

正しき活字文化を
興隆させゆくことは
野蛮な暴力に
打ち勝つ道であると
私は信じてきた。

当時 どの本から見つけたか
ある英知の言葉があった。
「波浪は
 障害にあうごとに
 その頑固の度を増す」

さらにまた
ある賢人の言には
「艱難に勝る教育なし」

いずれも
わが青春の座右の銘と決めた。
私は私の部屋に
この言葉を書いて飾った。

この忘れ得ぬ読書も
終戦の年
十七歳の時であったと
記憶する。
青春時代の思い出は
あまりにも懐かしく蘇る。

私が永遠の師と仰ぐ
戸田先生にお会いできたのは
この二年後の八月十四日
二回目の終戦記念日の
前夜であった。
「立正安国論」を講義される
座談会であった。

あの戦乱の嵐の時代に
わが師は
軍国主義と戦い
二年間の投獄を耐え抜かれた。

先師・牧口常三郎先生に
「あなたの慈悲の広大無辺は
 わたくしを牢獄まで連れて
 いってくださいました」と
心から感謝なされていた。

この師弟にこそ
いかなる魔性にも屈しない
最も強く
最も誇り高き
人間生命の尊厳の道がある。

この師弟にこそ
人類の悲劇の流転を止めゆく
最も正しく
最も希望に燃えた
平和と幸福の創造の力がある。

十九歳の私は
そう心に決定して
師と共に
大闘争を開始した。

権力ではなく民衆を!
暴力ではなく対話を!
狂信ではなく哲学を!
蛮性ではなく文化を!
命令ではなく教育を!
独善ではなく連帯を!
罵声ではなく歌声を!
権威ではなく青年を!

戦争の世の善悪を
一つ一つ大転換しながら
創価の人間主義の光は
今や世界百九十二の国々へ
地域へと広がった。

御聖訓には仰せである。
「大悪は
 大善の来るべき瑞相なり、
 一閻浮提うちみだすならば
 閻浮提内広令流布は
 よも疑い候はじ」

庶民の絶望を希望へ!
母たちの悲嘆を歓喜へ!
そして
青年の落胆を勇気へ!
蘇らせながら
我らは行進する。

我らは戦う!
人権と
平和と
幸福のために!
正義の勝利のために!

 二〇〇九年二月十三日
  学会本部・師弟会館にて
       桂冠詩人
       世界桂冠詩人
       世界民衆詩人

※ルソーの言葉は今野一雄訳。クーデンホーフ・カレルギー伯の言葉は鹿島守之助訳。タゴールの言葉は森本達雄訳。イェーリングの言葉は村上淳一訳。エマソンの言葉は入江勇起男訳。ツヴァイクは原田義人訳。
2009年2月18日付聖教新聞
民衆・対話・哲学・文化・教育・連帯・歌声・青年と、明るく朗らかに歓喜の前進をして行きます!

2009/02/16  人間革命が国を変える。

先日ニュースにもなりましたが、熊本日日新聞社の子どもネットの記事から

不法入国
まじめに暮らしても退去

 埼玉[さいたま]県蕨[わらび]市に住むフィリピン人家族が「日本から出て行きなさい」という強制退去処分を日本政府から受けました。カルデロン・アランさんという男性と妻、長女で中学一年、のり子さんです。

 特別に日本にいさせてほしいと求めたところ、一月十四日まで日本に残ることが認められましたが、その後どうなるかわかりません。

 カルデロンさんと妻は十五年前と十六年前に相次いで日本に来ました。外国に行くときは、身分や国籍[こくせき]を証明する旅券(パスポート)を自分の国から発行してもらいます。それがにせものだと「不法入国」となり、母国に帰されます。カルデロンさん夫婦の場合は、二〇〇六年に他人の名前の旅券だったことがわかったのです。

 考えなければならない点がいくつかあります。

 まず住む場所を決めたり、あちこちを旅行したりするのは自由で、だれかに指図[さしず]されたり、禁止されたりしないという原則があります。「居住・移転の自由」として憲法もすべての人に認めています。憲法は外国に移住したり、国籍をはなれたりする自由も認めています。それなのに憲法の下にある法律や制度がきびしすぎないかどうか。

 また貧しい国の人々は、家族の暮らしを助けるため、賃金の高い豊かな国で働きたいと、法律をおかしても入国してくることがあります。入国の仕方は悪くても、その後まじめに働き、社会にとけこんで暮らしている人も少なくありません。

 そういう人を、十年以上も前の法律違反[いはん]を理由に、無理やり追い出していいのかどうか。

 のり子さんは日本で生まれ、日本語しかしゃべれません。日本の学校に通い、友達がたくさんいて、日本に残れるように応援しています。記者会見では「自分は日本人だと思っていた。両親に重い責任があるが、日本で勉強してがんばりたい」とうったえています。
真面目なのは当たり前で「日本人」も「外国人」も関係が無いね。
くまにちの記者はマクリーン事件を知らないらしい。

日本と言う国は東アジア諸国の中では大変裕福です。
日本に出稼ぎに来ている外国人はたくさん居ます。(適法不法は問わず)

来日の理由も色々あるでしょう。
知り合いのイラン人はイ・イ戦争で来日し摘発されて国に帰りましたし、韓国の方は日本に留学し貿易会社に就職して日本にいます。

日本は難民認定も少ないですし、問題もまだまだありますが、安易に「日本に行けばお金が稼げる」では駄目だと思います。

日蓮大聖人は御書で
立正安国論
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや(P32)

上野殿後家尼御返事
夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う (P1504)
と仰せです。

まず、自分の故郷で三変土田をしなければ豊かな国になりません。
戦争や飢餓、政情不安もあるでしょう、しかし自分の家族のいる故郷を変えなければ(正法を打ち立てねば)何時までも同じ様な状況です。

先日、東南アジアからの留学生に出会いました。日本の大学に農業を学びに来ているそうです。
「勉強して帰って、国を豊かにするんだ」と言っていました。
インドからの国費留学生にも会った事もあります。
「日本は負けた戦争後にも、また豊かになって先進国になっている。日本の教育はスバラシイ」と言ってました。

国を豊かにするのは『人』で『物資』ではありません。
物資が足りない国は「そんな事言ってられない」と言うでしょうが、援助に頼ってばかりでは人材は外国に流出し国は変わらない。

「衣食足りて礼節を知る」(菅子)とも言いますが、衣食の足りる日本でも礼節が足りてません。
仏法的には「礼節(正法)を知って衣食足りる」かなと思います。

創価班の同志が外国人の友人を折伏しました。月末に御本尊送りが出来る様です。
彼には「最初の一人」になり幸せになって貰いたいと思います。

2009/02/13  真意を勝手に変えるのは捏造だよね。

先日の麻生の見直し発言報道が作為的な物を感じたが、ノーカットで国会中継を見ないと真意は判らないね。

民主党筒井の2/9の質疑。筒井が何を質問したいか?判る人いる?
【ニコニコ動画】【衆院予算委員会】続・作られた?!「郵政」騒動の発端1/2【09.02.09】

【ニコニコ動画】【衆院予算委員会】続・作られた?!「郵政」騒動の発端2/2【09.02.09】

私には難癖にしか聞えない(笑)

【ニコニコ動画】【べらんめぇ日記】麻生首相ぶらさがり取材 2009-02-09
【ニコニコ動画】【べらんめぇ日記】麻生首相ぶらさがり取材 2009-02-10(音声調整版)
マスコミはブレた、ブレた言うけどブレて無いよ。

こちらは元の麻生発言
【ニコニコ動画】【衆院予算委員会】作られた?!「郵政」騒動の発端【09.02.05】

昨日の小泉のコメントもノーカットを見ないと信用できないな。
マスコミの作為的な編集にはうんざりする。だから『マスゴミ』って言われるんだよ。

麻生総務大臣閣議後記者会見の概要 平成16年9月10日(金)
当時の記者会見でも同じ事言っている。
閣僚反対が問題なら、なんでコレを取りあげない?

ニコニコ動画はコメントが面白いね。
ツッコミがあって、皆で国会中継を見ているみたいだ。

自民党が好きな訳でも、小泉・麻生が好きな訳でもないが、信念のある人は好きだな。
学会はデマに辛酸を舐めているのだから、こういった捏造、切り張り編集、切り文を見抜かないとね。

2009/02/12  台湾で効果があって日本では効果がない?

お金が入り用になる旧正月前に給付したのが効果的だった模様です。

特需呼ぶ台湾版「給付金」…百貨店売り上げは1割以上増

 【台北=源一秀】台湾当局が、景気浮揚策として、約2300万人の全住民を対象に1月18日から配布している3600台湾ドル(約1万円)相当の商品券「消費券」が、一種の特需を巻き起こしている。

 百貨店の売り上げは軒並み1割以上アップし、地元テレビの世論調査では73%が「(消費券が)経済振興に役立つ」と回答。支持率低迷に悩んでいた馬英九総統にとっては政権浮揚の追い風になった形で、政権内には「今年後半に、もう一回配布」(行政院新聞局)の声が出ている。

 効果に疑問符が付けられている日本の定額給付金とは好対照だが、台湾の専門家は、現金でなく商品券だったこと、配布時期が台湾の旧正月(1月26日)を前にした“歳末商戦”に重なったことが奏功したと分析している。消費券は、500台湾ドル分6枚と200台湾ドル3枚。換金・預金はできず、9月30日までの使用期限も設けられている。発行総額は約835億台湾ドル(約2200億円)で、これまでに全住民の95・5%が受け取りを済ませた。

 台北市内の商店街を歩くと、「消費券使用歓迎」のポスターや旗を掲げた店舗が目立つ。

 高級百貨店や大手スーパーが「消費券使用の場合は3~4割引き」と特典を打ち出したほか、小規模商店も「3600台湾ドル分で現金4000台湾ドル分の買い物」と負けてはいない。「現金払いよりも授業時間数増」と、消費券使用を勧める学習塾も現れた。消費券が現金の数倍に化けることもある。台湾経済への効果については「あくまで一時的」との見方があるものの、大手百貨店「新光三越」「太平洋そごう」が1月、前年同期比10%増の売り上げを記録するなど、小売業への効果は出ている。

 台湾当局は当初、2009年の経済成長率を0・66%押し上げる効果があると予測していたが、住民の歓迎ぶりに気を良くしており、「消費券の押し上げ効果は1%」(経済建設委員会)と“上方修正”した。

(2009年2月12日12時45分 読売新聞)
前回の地域振興券は自民党の為に規模を4兆円から6,194億円に減らされ、不評に。

今回は民主党の為に時期を外し、不評になりそう。

ちゃんと、実施すれば効果があるのにアンチはそこに触れない!
台湾のこの報道はどうなの?まだ、愚策と言うのか?

2009/02/11  きょう、戸田第2代会長生誕の日

社説
偉大な師弟の闘争に学べ!

 「戸田先生は世界に二人とない大指導者です。私は若輩ですが、どこまでも戸田先生についていきます。皆さんも、どんなことがあっても、信心から離れず、戸田先生についていきなさい」
 1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で、京都・舞鶴から駆けつけた友に、池田室長は、こう語った。
 連載「若き指導者は勝った 池田大作――その行動と軌跡」に記された一幕である。
 連載では、今回、初めて明らかとなった秘話やエピソードを満載し、知られざる真実に迫ると同時に、戸田城聖第2代会長の実像も浮かび上がらせてきた。

”必ず会長に”-誓願と苦闘

 池田青年という新入社員を採用し、「来年から来い」としながら、出勤日も定めなかった豪胆さ。
 「今は貧乏でも心配するな。そのうち聖徳太子(当時の千円札)がオイッチニー、オイッチニーと行列を作って家に入ってくるぞ」等と、幾十万の庶民を励まし続けた慈悲――。
 なかでも、50年(同25年)8月、戸田会長が、最悪の事態を迎えた時のエピソードは胸に迫る。
 当時、理事長職にあった戸田会長が、事業の営業停止から、理事長の辞意を表明する。その戸田会長に、こう誓う一人の青年がいた。
 「戸田先生に必ず創価学会の会長になっていただきます。そのために私が全力で戦い、お守りします」
 その青年こそ、池田名誉会長であった。名誉会長の生命を削るような苦闘の積み重ねによって、事業の苦境、後を襲った最高幹部の邪心等を打ち破り、戸田第2代会長が誕生したのである。

師の構想を一つ残らず実現

 きょう2月11日は、109年前に、不世出の民衆指導者である戸田会長が生誕した記念日である。
 45年(同20年)7月、不敬罪および治安維持法違反の容疑で捕らわれていた戸田会長は、生きて牢獄を出て学会を再建。「地球民族主義」の提唱、「原水爆禁止宣言」、「75万世帯の達成」……師・戸田会長の構想を、弟子・池田名誉会長は一つ残らず実現した。偉大な弟子ありて偉大な師匠あり、であったのだ。
 「青年・勝利の年」の年初を飾った「若き指導者は勝った」(連載は今月4日付で終了)に学び、特に青年部は広布第2幕の「若き指導者」として、一日一日を雄々しく勝利していきたい。
2009年2月11日付聖教新聞

本日、5件回ってなんとか新聞1部1P取りました。
3/1までに本流も決めるぞ!

2009/02/11  代表代行って誰でもなれるの?

民主党菅直人代表代行、近世滅多にいないタイプの政治家です。
公党の代表にまでなりながら、ここまで資質のない政治家も珍しい。

傑作の動画があります。制作者の方はセンスがありますね。スバラシイ!!

【笑ってはいけない】菅直人の予算委員会【09.02.04】

なにがスゴイかって登壇全てがオチの前振りになっている。
芸人になった方が良いかもよ?

最近、政治ネタが多くてスミマセン。

2009/02/10  指導を受ける姿勢

信心をしていると行き詰まり悩みますね。
そこでよく「指導を受けよう」と言われませんか?

そもそも学会の言う「指導」とは何なのでしょう?

小野不一さんの創価王道指導主義に次の様にある。
 創価学会は指導主義である。つまり、“御本尊を拝もうではないか”と御本尊を指し示していくことが指導である。御本尊とは何かと説明することは第二義でよい。それよりも、具体的な実践活動を教え、題目をしっかりあげさせることが指導なのである。
『指導メモ』 1966-06-01発行
学会は信心根本。
信心即生活です。
悩み苦しい時は題目を上げていても空回りする時もあります。

解決の為に焦ったり、世法に走ったりします。
世法に解決を求めては信仰者で無くなってしまいます。

私は我が強く二世なのもあって、指導が中々受けられませんでした。
これは自分が臆病なのと、妙なプライドからでした。
今考えると、素直に指導を受ければ良かった、と思います。

指導を受ける人に何を求めて指導を受けるのか?
「結局は題目を上げようしか言わない」「言われる事は判っている」「やっぱり受けるんじゃなかった」など、怨嫉してはいけない。
指導をする幹部だって人間です。間違った事を言うかもしれません。
大事なのは『自分』の信心の姿勢がどうなっているか?です。

特殊な仕事をしている人の指導で仕事のアドバイスはしてくれません。当然でしょ!

幹部(他人)から見ての「信心の姿勢」をチェックしてもらうのが指導です。
祈り方が間違っている。(愚癡や後ろ向きな信心)
祈っていても行動をしていない。(他力本願な祈り)
具体的な目標がない。(いついつまでに解決する)
世法で考えている。(なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし)
などなど、自分では気がつかない信心の姿勢が判ります。

指導を受けても宿業がありますから、また元に戻ったりしますので何回でも指導は受けましょう。

というか、指導はドンドン受けて行きましょう。(指導を受ける事自体で安心しては駄目だけどね)

指導を受けるにも、幹部を選んだり、何人にも指導を受ける人がいますが良い傾向ではないですよ。
私の経験上、「ああ、あの幹部はキツイ事言うし、正直へこむんだよな~」って人から指導を受けた方が良いですね。
「いいよ、いいよ」と優しい指導よりは、やっぱり命への指導の刺さり具合が違うので、結果として早い解決になります。
戸田先生、池田先生の指導はやっぱりキツイ指導だそうですよ。
キツイ指導の裏には「慈悲」がありますから的確ですよ。

2009/02/09  政治家の評価

私は政治家の評価は「なにを成したか?」だと思います。
「何もしていない」と批判するには少し時間が足りない。

後10数年後に「何もしなかった」と評価するのが妥当で、就任半年に満たない首相を「やるやる詐欺」だとか言うのは間違っている。
例えば「明日までに契約を10件取ってこい」は無理な評価ですが「先月は1件しか契約取らなかったね」と評価するのが当たり前です。

最近のマスコミは首相の揚げ足取りばかりで、発言の一部分だけを切り取って報道する。
民主党の不祥事なんかは報道しない。明らかに不公平だ。

今回の麻生の発言も映像では9分20秒頃の答弁で「私の担当ではない」(見直しする立場にない)と見直し権限が無い旨を発言してます。
それなのに筒井は「総理の考えを言って下さい、逃げないでください」としつこく言質を取ろうとしている。

麻生も誘導されて「見直し」や「反対だった」発言をしてしまい、今日の午前に「(政府の)委員会で検討している最中で、話を受ける立場だ」と発言を訂正している。

閣僚が始めは反対意見でのちに賛成になる事なんて普通にあるし、郵政の時だけの事例じゃないよ。

閣僚だった人が軽々しく反対だったと言ってはいけない、との意見は少しは納得できるが全面的には賛成できない。
これを許すと閣僚は反対意見が言えなくなる。これこそ民主主義の滅亡だ。
マスコミの前では無口な閣僚が増える事になる。

それに政治家は政策で評価すべきであって、ここ最近の内閣が出した決定で失策はあったのでしょうか?

貴方は、明日までに契約を10件取れない時(経済対策ができないのは民主党の為)は辞めろと言われて納得できますか?

2009/02/09  議論の末に意見を変えるのは悪い事か?

なんか矛盾してない?

麻生首相「郵政民営化に反対だった」

 麻生首相は5日の衆議院予算委員会で、小泉内閣当時、郵政民営化には反対だったと明言した上で、今の郵政民営化の形を見直すべきところに来ていると述べた。

 民主党・筒井信隆議員「麻生首相に確認したいんですが、(施政方針演説は)小泉、竹中路線との決別を宣言?」

 麻生首相「ひずみに対応するためには、改革をさらに進化させる必要があると。市場経済原理主義との決別ならその通りです」

 筒井議員「(郵政)分割民営化は見直すと」

 麻生首相「小泉首相の下で賛成ではなかったんで、私の場合は。たった一つだけ言わせてください。みんな勘違いしているが(総務相だったが)郵政民営化担当相ではなかったんです」

 現在の与党の議席は「郵政民営化は改革の本丸だ」と訴えて圧勝した4年前の総選挙の結果で、麻生首相の発言は自分が寄って立つ議席の根拠を否定するものとして今後も波紋を広げそうだ。

 自民党では、郵政民営化見直しの風潮は強いが、小泉改革路線を支持している議員は少なくない。その路線の違いが党内の亀裂にも直結していて、最大派閥の町村派は5日、小泉改革を支持し、反麻生の代表格である中川元幹事長が派閥のトップから事実上降格され、麻生首相を支持する町村前官房長官が会長になることが決まった。感情的なしこりが残るのは必至となった。

 定額給付金や消費税問題での自民党の内紛はいったん収まっているが、このままの支持率で総選挙が近づけば、亀裂が大きなひび割れに発展する可能性もある。
麻生太郎が好きな訳ではないけども、2月5日の衆議院予算委員会での発言が波紋を呼んでいるが、どうも発言時よりもその後の報道で叩かれている様に感じる。

上記衆議院TVのリンクをクリックして民主党の筒井信隆の所から見てもらいたい。

12分過ぎに問題の発言があるけども質疑の流れから言って、麻生首相は「始めは民営化反対だったけども最終的には賛成した。民営化担当は竹中さんだ」(趣意)と言っているよね。

そもそも民主・筒井は「小泉・竹中路線で郵政民営化でサービスが悪くなっている。4社分割は見直すべきでは?また(麻生)総理の責任は?」(趣意)との問いに対しての答えだ。

麻生が「見直さない」と答えたら、あわよくば口撃の材料にするつもりだったろうし、「見直す」と言えば責任論にするつもりも見て取れる。

民主としては小泉改革は失敗にしたいし、先の衆院選での自民の圧勝を覆したい。
その為には圧勝の原因の「郵政民営化」を失敗にしたい。
だから、民営化によってのサービスの悪化や、かんぽ売却で叩くのでしょう。

しかし麻生は「見直す」と言ったので、筒井は「民営化後すぐに見直す様な状況を作った責任を」と矛先を変えている。
しかも筒井は民営化の担当を当時総務相の麻生と勘違いしている。
実際は竹中さんだった訳で、質疑としては不発に終わっている。
すぐに他の質疑に移っているしね。

始めから民営化法では、平成18年に発足した政府の郵政民営化委員会に、3年ごとに民営化の進ちょく状況や経営形態を総合的に見直すよう求めてる、平成21年3月が期限だ。

これを踏まえて自民党内に「郵政民営化推進に関する検討・検証プロジェクトチーム」がある。
郵便局会社と郵便事業会社を統合して3社体制にする案や、過疎地で金融サービスを維持する仕組みの導入も協議している。
そんな状況で発言部分が切り取られ、さも無責任な発言の様に編集され報道されている。
麻生が始めは民営化反対だったのも事実で、その後賛成に回っているのも事実。4社民営化の状況を作った責任は竹中にあるのも事実だ。
麻生が「事実を言ってるまで」と言うのは本当だし、そこには問題が無い。

賛成反対意見があって議論になるのであって、議論後に意見を内閣として統一するのは当たり前だ。
党だって党議結束で反対意見を説得する。

民主が知ってか知らずか見直しが予定されている中で「見直すのか?」と質問し「見直す」と答えたまでだ。

責任論にしたい思惑で「見直すならば問題だ、総理の責任は?」と質問する民主党の姿勢こそ問題ではないのか?

苦言を言う議員もいるが皆が皆、予算委員会を見ている訳ではないだろうし、始めから質疑を見れば判る事だ。

私は議論をし自分の持論を覆し、対立意見に賛同するのが悪い事には思えない。
賛成に回ったり反対に回ったりと変節する輩は問題外だけどね。
(民主の様に「法案反対」→「対案提出」→「与党、民主案を受け入れた修正法案提出」→「それでも、修正案も反対」とかね)

麻生はべらんめいで語弊が多くて、損をしているね。

ニコ動を追加02/12
【ニコニコ動画】【衆院予算委員会】作られた?!「郵政」騒動の発端【09.02.05】

2009/02/08  海賊退治ではなくて対策。

ソマリアの海賊は2日に1件の頻度で海賊家業に勤しんでいる。
今現在も日本の船は狙われ、まだ人質も帰って来ていない。
まさに「今そこにある危機」だ。

そんな海賊対策が後手後手になっている、民主党のせいで!!

進まぬ民主の海賊対策 船の安全より政局優先

 アフリカ・ソマリア沖の海賊対策は、与党の要請を受けた政府が海上自衛隊の護衛艦派遣など具体的な準備に入っている。一方、民主党はと言えば、党内論議の取りまとめが一向に進まず、対応の遅れが際立っている。

 同海域の海賊事件は昨年10月以降、ほぼ2日に1件のペースで発生。日本関係船舶も被害を受けている。国際社会と歩調を合わせ、日本としていかに迅速に航路の安全確保に取り組むかは外交上の喫緊の課題だ。

 にもかかわらず、報道によると、3日の民主党外交防衛部門会議では、「海賊の定義は何か。犯罪なのか。テロなのか」「まず民間船舶会社の自己責任と国の責任の区別をきちっとすべきだ」などの「そもそも論」が噴出。

 同党の平田健二参院幹事長も、1月20日の記者会見で「ソマリア沖で、日本の船舶が海賊から襲撃を受けて被害を受けたということがあったのか」と言ってのけ、マスコミから「驚くべき発言」「同党の安全保障政策の不安な一面を、浮き彫り」(1月26日付 産経)と呆れられる始末だ。

 党内論議が遅々として進まないのは「(党内に)幅広い意見を抱えているから、(党の)外務・防衛部門では議論を避けてきた」(同党の長島昭久衆院議員)から。要するに党内の意見がバラバラなのである。

 また、海自の護衛艦派遣には「衆院選後の連立政権を想定して連携する社民、国民新両党が慎重姿勢を示している」(同29日付 日経)のも理由のようで、国益より、野党共闘・政局優先という訳だ。

 海賊対策という外交課題に、民主党は、党内はもちろん野党内の意見集約さえできない。民主党の政権担当能力のなさが明らかになってきている。
公明新聞2月6日
http://www.komei.or.jp/news/2009/0206/13683.html
2008年11月15日には日本の海運会社が運航するケミカルタンカー「ケムスター・ヴィーナス号」が襲撃を受け、人質23名は現在も拘束されている。
なんと言う無知な国会議員だろう。

本来であれば海上保安庁が対策に出られれば良いのだけれども、なにせ相手はRPG-7(ロケット砲)で武装している。海保で対抗できる船は巡視船PLH31「しきしま」ぐらいしかない。
他にしきしま同型艇はなく、一隻しかないので日本近海の任務で手一杯。
密漁・密航やら麻薬の取り締まりやらで、送れない。
あと同型艦艇2隻ぐらいは配備してほしいね。


仕方ないので自衛隊艦艇に逮捕権のある海上保安官を乗せようとしているが、ここでも問題。
本来、指揮系統では海上保安庁は海上自衛隊の下部組織にあたるので、命令系統に混乱が生じる。
この辺は事務方で対策はすると思うが、どうなんでしょう?

取り敢えず海上自衛隊、むらさめ型護衛艦DD-106「さみだれ」DD-113「さざなみ」が派遣されるようだ。

この自衛隊派遣はほぼ確実に海賊との交戦があるでしょう。
防衛のみ武器使用が出来る現法では無理があると思うな。
なにせ相手が打って来てからでは確実に被害がでるんだからね。

相手はアメリカ海軍のイージス艦でも交戦する海賊ですよ。
無事に帰ってくる事を願います。

そうそう、救われるのは派遣艦のさみだれには珍しくエアコンが付いている事。他の艦艇にはエアコンは付いてません。
暑い暑いインド洋ソマリア沖で任務に就く自衛隊員には朗報でしょうね。


2009/02/06  世界各国で行われている定額給付金と同様の政策

民主党の妨害でちっとも先に進まない第2次補正予算。
定額給付がどれ程世界で実施されているかを、知ってますか?

国[対象人数]手法<実旛主体>規模[GDP比]内容(対象・額)時期
日本[1億2,700万人]給付金(振込又は現金)
<市町村が給付(国が全額補助)>
2兆円[0.4%]全世帯を対象1人当たり1万2千円
(18歳以下と65歳以上は1人2万円)
年度内実施目標
アメリカ[3億人]所得税減税(小切手等で給付)
<政府が各世帯に小切手を送付>
1,067億ドル
(10兆円弱)[0.8%]
・1人当たり300ドル(27,000円)から600ドル(54,000円)
(夫婦の場合600ドル(54,000円)から1,200ドル(108、000円))を給付
・子供1人当たり300ドル(27,000円)を上乗せして給付
・高所得者は、7.5万ドル(675万円×夫婦の場合15万ドル(1,350万円))を超過した所得の5%を給付額から減額
実施済み 2008年4月末~8月
オーストラリア[2,000万人]給付金(銀行振込)
<政府が個人の納税 口座に振込>
87億豪ドル(約5,600億円)
[0.8%]
・子供1人当たり1,000豪ドル(65,000円)を200万世帯程度に支給
・年金受給者(400万人程度)に対して、単身年金生活者で1,400豪ドル(91,000円)を給付
実施済み 2008年12月
台湾[2,300万人]消費券(学校等に窓ロを設置して配布)
<中央政府が発行して配布>
837億台湾元(約2,300億円)
[0.6%]
・全国民を対象(所得要件なし)
・一人当たり3,600台湾元の「消費券」を発行。
実施済み 2009年1月
(使用期限は2009年9月末まで)


他の低所得者など対象者限定の政策
・ドイツ:サラリーマンなど約3千万人を対象に消費券500ユーロを配布【約150億ユーロ(約1兆8千億円) 】
・フランス:低所得者(380万世帯程度)を対象とした特別給付金の配布【約7,6億ユーロ(約970億円)】
・イタリア:低所得者(800万世帯程度)を対象とした給付金等を実施【約24億ユーロ(約3000億円)】
・韓国:中・低所得の労働者(980万入程度)及び自営業者(400万入程度)を対象として石油還付金を支給【約3.16兆ウォン(約2,212億円)】

バラマキと安易に批判する人がいますが、不況は消費を刺激しないと駄目なのはご存じですか?
世界で概ね好評ですね、なぜ日本では不評なの?
それは実施もしていない政策が叩かれるのは、マスコミの報道の仕方にバイアスが掛っているからではないでしょうか?

批判の引き合いに地方振興券を出す人もいますが、振興券は6,194億円の規模で今回と全然違う状況ですね。

2009/02/06  お知らせ

著作権のご指摘があり、「歴史の巨人」と語るの第1~10回、「御書と師弟」の全篇、「若き指導者は勝った」全篇は隠し部屋に移動しました。

隠し部屋はIDとパスがないと見れません。

こちらから連絡を頂ければメンバーIDとパスを発行しますよ。

しゅうたろうさん、修正情報ありがとうございます。

2009/3/28一部記事修正

2009/02/06  君子豹変す。

易経、革、上六の言葉で「君子豹変 小人革面 征凶 居貞吉」が出典。
【君子は豹変し 小人(しょうじん)は面(めん)を革(あらた)む 征(ゆ)けば凶。貞(ただ)しきに居(お)れば吉。】
君子が過ちを改めることは豹の模様のようにはっきりしているが、小人はただ外面だけを改めるにすぎない。改めずにいれば凶、貞すれば吉である。

豹変とは、しなやかな豹の換毛にたとえて、『あざやかに変わる』と言うのが、原意です。
薄汚れた古い毛が抜け落ちて、まるで見違えるように新しい毛が生えて、別人のように変わってしまうのを豹変という。

現在では君子は過ちを改め、善に移ることが際だってはっきりしている。俗に、態度や考えが急変する例えにも使う。

また悪い意味でも使われる。
くんし-ひょうへん 【君子豹変】|〈―スル〉
君子が過ちを改めて善に移るのは、ひょうの皮のまだら模様のように非常にはっきりしているということ。転じて、現在では主張や態度が急にがらりと変わることをいう。また、その無節操ぶりを非難する語。▽「君子」は教養や徳の高い立派な人。人格者。「豹変」は季節によってひょうのまだら模様が美しくなることから、主張や態度などが急に変わること。 (goo辞書)
悪い意味のほうが一般的になってるかもね。

で、本題です。

小沢外交「政権取れば豹変」=民主・長島昭久氏インタビュー
 次期衆院選で民主党が政権交代を実現した場合、わが国の外交・安全保障政策は変わるのか。同分野に詳しい同党の長島昭久衆院議員にインタビューした。概要は次の通り。
 -ソマリア沖の海賊対策への党の対応は。
 (党内に)幅広い意見を抱えているから、(党の)外務・防衛部門では議論を避けてきた。党の意見くらいはきちんと集約しないといけない。

 -民主、社民、国民新の3党連立政権となれば政策調整が大変では。
 自公連立とそんなに変わらない。とことん議論していくしかない。

 -海上警備行動を発令しての護衛艦派遣について党の結論は。
 (今は)海上保安庁にどういう限界があるか検証する段階だ。海保では難しいと理解できれば、早晩結論が出る。

 -派遣を認めれば、麻生政権に協力することになるが。
 最終的に小沢一郎代表が決断することだ。今は自民党を倒すことが大義だから、協力しないという決断は、政治論として理解できる。過渡期だから仕方がない。
 米国の知人から「インド洋での海上自衛隊の給油活動などに反対する民主党はめちゃくちゃだ」と心配されるが、「小沢代表は必ず君子豹変(ひょうへん)する。政権を取ったら現実的な対応をする」と答えている。そうでなかったら政権運営できない。

 -自民党も民主党も支持しない層が増えていないか。
 常々感じている。そういう意味で、渡辺喜美元行政改革担当相の反乱は、意味がある行動だ。ただ民主党が、官僚主導ではなく、生活者主権、地域主権というマニフェストをきちんと議論し、発信できれば、民意を吸収できる。1日も早くマニフェストをまとめて訴えた方がいい。(了)
(2009/02/04-17:59)時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009020400772
民主党の小沢代表が君子か小人か、どうかは置いといて、「豹変」するそうです。
どう変るのでしょうか?
小人ならば「表面」だけ改めるのではないでしょうか?

それに『政権を取ったら現実的な対応をする』って現在は現実的な対応はしていないと言ってるよね。
あまりにも無責任な政党ですね。本当に公党なんですか?趣味活動じゃないのだから責任もてよ!

悪い意味の君子豹変して、小人の様に表面だけ取り繕う「小沢」にしか見えないのは私だけ?

2009/02/05  政治というか経済の話。

今、自民党で取りざたされている「政府紙幣」の話。
政府紙幣とは「政府」が直接発行し通貨としての強制通用力を与えられた紙幣のこと。
同じ物として1~500円までの「政府硬貨」がある

紙で出来てる「紙幣」は日本銀行発行で、金属の「硬貨」は政府発行です。
皆、知ってた?

現在、発行されて流通している「政府貨幣」の総額は4兆3千億円前後であるが、それは、政府の負債勘定には計上されてはいない。
その発行額(額面価額)から原料費や加工費などの造幣コストを差し引いた差額としての正味の造幣益は、政府の財政収入として一般会計に繰り入れられている。(「貨幣発行益(シニョレッジ=seignorage)」の事)

要は高額硬貨(紙幣)の発行をしようと言う訳で、これなら現行法の改正は要らない。
1929(昭和4)年の世界恐慌でもルーズベルトが33年に政府紙幣の発行をしているし、日本でも53年まで発行していた。
デフレギャップの大きい日本ならではの政府紙幣案。

ノーベル賞経済学賞受賞の経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは2003年4月16日に、国の諮問機関である関税・外国為替等審議会の専門部会で、日本の財務省に対してこう言った。
政府紙幣の発行を提言したいと思います。
少なくとも、議論に値する考え方だと思われます。
「政府紙幣の発行を始めれば、ハイパーインフレを招かないか」と質問される方がおられるでしょう。
日銀と財務省の適切な政策についての私の観察では、たとえ政府紙幣の発行を始めたとしても印刷機のスピードをただ速めるようなことはしない(=緩やかでない増刷はしない)と確信しています。
(政府紙幣を)緩やかに増発すればハイパーインフレを引き起こすことはありません。
債務ファイナンスの場合には、(中略)債務を借り替える必要があります。しかし、政府紙幣を発行した場合にはその必要はありません。
 第2の利点として、会計上の枠組みにおいて政府の債務の一部として計上されないことが指摘できます(=政府の格付けも下がらない)。
日本政府の債務負担が増えないようにするために、伝統的な考え方とは異なる考え方を提言しています。
物の価値が安くなって薄利多売でも利益が出ない現状ではインフレ方向に持って行く紙幣発行はやりすぎなければ有効な手段らしい。

<政府紙幣>景気対策財源で関心、インフレの恐れ=Q&A
2月4日22時2分配信 毎日新聞

景気対策の財源確保のため、政府が紙幣を独自に発行する「政府紙幣」構想が自民党内で浮上している。その背景や疑問点をQ&Aでまとめた。【赤間清広】

Q 政府紙幣って、いつも使っているお札と違うの?

A 現在の1000円札や1万円札などの「お札」の正式名は「日本銀行券」。政府から独立した中央銀行の日銀が発行し、日々のお札の流通量を調節することで通貨の価値を保っている。一方、政府紙幣は国が自ら発行する紙幣で、例えば「麻生1万円券」と印刷し、今の1万円札と同じ価値を保証することで、買い物や給料の支払いにも使えるようにする仕組みだ。

Q 政府紙幣が発行された例はあるの?

A 明治政府が戊辰戦争の戦費調達目的で発行した「太政官札」が代表例。米国でも南北戦争の戦費調達のため政府紙幣を発行したケースがある。ただ、いずれも中央銀行ができる前の話だ。景気悪化で税収が不足する中で国が大規模事業を行う場合、通常は国債を発行して財源を調達するが、国債には毎年の利払いや元本返済の義務がある。これに対し、政府紙幣ならコストは紙代や印刷代だけで発行分だけ歳出を拡大できる。

Q なぜいま、政府紙幣が急浮上しているの?

A 急激な景気悪化で政府は追加経済対策を迫られているが、税収は大幅に減り、特別会計の「埋蔵金」流用も限界に近づいており、追加対策を実施するにも財源のやりくりが難しい。財政が先進国中最悪の水準にある中、これ以上の赤字国債増発を避けたい自民党内で「借金を増やさず、財源調達ができる妙手」と着目された。元財務官僚の高橋洋一東洋大教授らが提唱していたが、麻生太郎首相と親密な菅義偉・自民党選挙対策副委員長が前向きな姿勢を示し関心がさらに高まった。

Q 弊害はないの?

A 政府紙幣が発行できるようになれば、与党からの歳出圧力はますます高まり、財政規律が失われる危険がある。また、政府紙幣の大量発行は市中に出回るお札の流通量を急増させ、急激なインフレを引き起こし、通貨の価値が低下する懸念もある。このため、与謝野馨経済財政担当相は「異説のたぐい」と否定的で、麻生首相も導入には消極的だ。自民党内には政府紙幣を持ち出すことで、日銀に「通貨価値が損なわれる」との警戒感を抱かせ、国債買い入れの増額など財政政策への一層の協調を日銀に迫る思惑もあるようだ。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090205k0000m020114000c.html
最近の言い出しっぺが渡辺喜美なのが、なんだかな~だけどね。

日銀総裁の白川氏は当然、インフレになると商品「日本銀行券」の価値が下がる訳だから反対の様です。
それに白川氏は「貨幣発行益」を良く判ってないみたいだ。
就任と同時に物価連動国債で見た期待インフレ率がマイナスに転じた日銀総裁であるから、この反応は驚くに当たらない。
むしろ日銀がデフレを脱却する政策を打つ気が無いことを示したという意味では政府紙幣の議論は役に立ったかもしれないね。

働いても働いてもお金にならないデフレ日本では、隣の韓国の様に徳政令を出す訳にもいかないから検討する意義はあるのでは無いでしょうかね?

2009/02/02  民主党さん、ブレブレですね。

相変わらずな民主党、自分たちが何を言っているか判ってないのかな?

民主、日本主導でアフガン和平 政権交代にらみ素案
2009年2月1日 02時05分

 民主党が政権交代後に実現を目指すアフガニスタン安定化策の素案が31日、判明した。

 国連にも働き掛け、アフガンに軍隊を駐留させる米国など関係国と、反政府武装勢力タリバンの双方に戦闘停止を要請。アフガンとパキスタン国境地帯から米軍、北大西洋条約機構(NATO)軍、パキスタン軍が撤退、代わりに日本を含む複数国でつくる国際停戦監視団が現地に展開する構想だ。日本政府がホスト役となり、和平実現に向けた国際会議を東京で開催することも想定している。

 現状では停戦合意の形成は極めて困難とみられ、党内で異論が出ることも予想されるが、小沢一郎代表は基本的に了承しており、鉢呂吉雄「次の内閣」外相を中心に近く成案をとりまとめる考えだ。

 アフガン支援に関し小沢氏は従来、国連決議に基づき活動している国際治安支援部隊(ISAF)への自衛官派遣を実現させる方針を表明していたが、戦闘が泥沼化する中、対話を基調とした包括的な平和構築を目指す路線に転換した。

 素案によると、国際停戦監視団は、これまで戦闘に関与していないサウジアラビア、ヨルダンなどのアラブ諸国と日本で構成。武器は携帯せず、アフガン警察やパキスタン側の自警組織の治安維持を支援する。日本からは自衛官の派遣を想定している。

(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009013101000594.html
先日のソマリア海賊対策では、自衛隊の派遣に関して反対してましたよね。

今度は派遣案ですか。

「武器は携帯せず、アフガン警察やパキスタン側の自警組織の治安維持を支援する。」
って武器も持たないでどうやって治安維持支援するの?
自衛隊員に死んでこいとでも?

相手はアサルトライフルからRPG-7ロケット弾まで持ってるのに丸腰で行けと……

自衛隊員の命までも政局のネタにするのね。