2010/03/28  正確に言っておきたいので。(笑)

 間違った用語で会話すると、齟齬が生じますね。
 正しい日本語で会話しましょう。

意味を間違えやすい言葉

有られもない【あ-られもない】
 「あられもない姿」なんて言葉からエッチでなまめかしい意味と思っている人がいるが、本当は「あってはならない」と言う意味。

寝穢い【い-ぎたな-い】
 ・いつまでも眠りこけている様子や寝相が悪いさまを形容する言葉。
 「意地汚い」とは全く別物。

一姫二太郎【ひちひめ-にたろう】
 ・第一子が女の子、第二子に男の子が生まれる事。
 女の子一人、男の子が二人授かる事ではない。

色を作す【いろ-を-なす】
 ・怒りのため顔色を変えるさま。
 うろたえたり、びっくりしたりする様は「色を失う」。

告発【こくはつ】
 ・悪事や不正を明らかにして、世間に知らせる事。
 ・犯罪とは直接関係のない者が、捜査機関に犯罪事実を申告し、犯人の訴追を求める事。被害者が訴え出る場合は告訴という。

しどけない
 ・身なりが乱れていてだらしがない。無造作でしまりがない。
 ・うちとけた感じで、つくろわない。乱雑であるが、親しみを覚えて好ましい。
 ・幼くて頼りない。分別が足りない。

弱冠【じゃっかん】
 二十歳の事。「礼記」曲礼上の「二十を弱と曰ひて冠す」から。
 弱冠十五歳とか弱冠二十五歳と表現するのは間違い。

斜に構える【しゃ-に-かまえる】
 ・剣道で剣先を斜めに構える事。
 ・身構える。改まった態度をする。
 今ではもっぱら「皮肉な態度をとる」意味に使われている。

酒池肉林【しゅちにくりん】
 ・酒や食べ物がふんだんにある、贅(ぜい)を極めた酒宴の事。「史記」殷本紀の「酒を以て池となし、肉を懸けて林となす」から。
 「肉林」を、並び立つハダカの女性のことだと誤解している人がいるが、この「肉」はあくまでご馳走としての肉の事。

折檻【せっかん】
 ・厳しくしかったり、こらしめの体刑を加えたりする事。
 ・強く諌(いさ)める事。厳しく諫言(かんげん)する事。
 漢の孝成帝が、朱雲の強いいさめを怒り、朝廷から引きずり出そうとしたとき、朱雲が欄檻(らんかん)につかまったため、それが折れたという「漢書」朱雲伝の故事による。

流れに棹さす【ながれ-に-さおさす】
 ・棹を操って舟を進める事から、時流に乗る意に使う。
 流れに逆らうの意ではない。

生さぬ仲【な-さぬ-なか】
 ・血のつながりのない親子の間柄。柳川春葉の同名の新聞小説が、大正2年に劇化されてから広まった語。
 漢字で書くと判りやすい「生さぬ」つまり「生んでいない仲」血のつながりのない親子の間柄。「親密な男女関係」で使う例が見られるが間違い。

餞【はなむけ】
 ・昔、旅に出る人の道中の無事を祈って、乗る馬の鼻をその行く先へ向けてやったところから、旅立つ人の安全を祈り、前途を祝して、酒食をもてなしたり、品物を贈ったりする事。
 ・また、その品物。餞別(せんべつ)。はなむけ。
 「花を向ける」のではない。土佐日記では「馬の鼻向け」と言った。

耳障り【みみ-ざわ-り】
 ・聞いて不快に感じることの意。
 「耳障りがいい」とか「よい耳障り」とは言わない。「肌触り」と混同した使い方が目立つ。

役不足
 ・俳優などが割り当てられた役に不満を抱く事。
 ・力量に比べて、役目が不相応に軽い事。また、そのさま。
 「力不足」と混同されやすい。

 まぁ、間違った用法が定着してて、本来の使い方の方が意思疎通出来ない場合(折檻とか)もありますが…(笑)

2010/03/27  大楠公

 本部幹部会でも何度となく歌われる「大楠公」「桜井の訣別」の歌。
 先日、壮年部大会で使う為に某本部長が趣味のビデオ編集を生かしミュージッククリップ(&カラオケ)を作って来た。

 焼いたDVDを開場前に試写してみてと音響係の私に持って来た。

♪青葉茂れる桜井の
 里のわたりの夕まぐれ
 木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて
 世の行く末をつくづくと
 忍ぶ鎧(よろい)の袖(そで)の上(え)に
 散るは涙かはた露か

 正成(まさしげ)涙を打ち払い
 我子(わがこ)正行(まさつら)呼び寄せて
 父は兵庫へ赴かん
 彼方(かなた)の浦にて討死(うちじに)せん
 いましはここまで来(きつ)れども
 とくとく帰れ故郷(ふるさと)へ

 父上いかにのたもうも
 見捨てまつりてわれ一人
 いかで帰らん帰られん
 この正行は年こそは
 未(いま)だ若けれ諸共(もろとも)に
 御供(おんとも)仕(つか)えん死出の旅

 いましをここより帰さんは
 わが私(わたくし)の為ならず
 己れ討死為さんには
 世は尊氏(たかうじ)の儘(まま)ならん
 早く生い立ち大君に
 仕えまつれよ国の為め

 この一刀(ひとふり)は往(いに)し年
 君の賜いし物なるぞ
 この世の別れの形見にと
 いましにこれを贈りてん
 行けよ正行故郷へ
 老いたる母の待ちまさん

 共に見送り見返りて
 別れを惜む折りからに
 復(また)も降り来る五月雨(さみだれ)の
 空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
 誰れか哀(あわれ)と聞かざらん
 あわれ血に泣くその声を
※大楠公の歌詞は、正式には上記なんですが、学会では慣習的に
 2番の「いまし」は「汝(なんじ)」、「来れ(きつれ)」は「来れ(きたれ)」
 4番の「いまし」は「汝(なんじ)」、「わが私(わたくし)の」は「われ私(わたくし)の」
 と歌われているようです。
 説教オヤジさん忘れてました。ありがとうございました。


 とてもキレイな満開の桜をバックに奥山朝恭の曲が流れ、落合直文の詞が流れる。
 音量もバッチリ丁度良い。歌詞の大きさも色も読みやすい。
 素晴らしい出来栄えのミュージックDVDだ。

 ほぼ全篇満開桜のDVDだった。

 本部長「ヤッパ、大楠公は桜だよな。この為に去年苦労して桜を撮っておいたんだ。ホントは咲き乱れる桜の樹の下に、武将がいる画が欲しかったんだけど、コスプレは無理だもんなぁ~」と制作秘話を語ってくれた。
 私「…本部長…桜井の別れって…湊川の戦いの時期は初夏(7月)ですよ…、楠木正成が正行と別れた地名が『桜井』なだけです…。」
 本部長「……………」
 本部長「…いや…ほら…今、桜が…咲き始めたじゃない…時期的にピッタリだし・・・」orz
 私「(^^;;;本部長、勘違いしてたんですね…」(笑)

 ちなみに大結集した壮年大会ではDVDに合わた、大合唱で幕を閉じ絶賛でした。(^^)
 担当幹部からも絶賛だったが、本人は「次こそは完璧なのを…」と満足はしていない様だ。(笑)

2010/03/27  絶縁状

 阿部日ケ~ン(院政)殿
 これは私から貴方への絶縁状である。
 今後、話しかけられても返答をしない

 それに辺り、私の思いをここに書き連ねる。

 1.貴方は「○○殿」と相手に敬称のつもりで「殿」を付けるが、「殿」単体では「目下」の相手に書く時に使う。
 「殿」を使う場合は「役職+氏名+殿」で使わないと失礼にあたる。
 相手の役職が判らない場合は使わないのが礼儀だ。
 よい大人が、そんな事も知らずに使っている様なので警告する。
 貴方は常に「殿」を誰に対しても使う。
 要するに貴方は相手を敬ってなんかいない。
 また若しくは、貴方は博識の様だからご存じで、ワザと使っているのかもしれないね。

 2.貴方は他人に「よい機会だから思索しましょう」と言うが、それは相手を試しているだけだ。
 相手が答えられなければ「駄目出し」をし、答えられれば「では、さらに思索しましょう」と持ちかける。
 大抵、自身から「答え」は言わない。
 いや、答えられないのだ。
 若しくはワザとイヤミを言い、反応を試しもする。
 初めっから人を値踏みしているのだ。
 私は貴方の質問に全て答えて来た。しかし貴方は私の質問に答えてはくれなかった。
 決して自身に都合の悪い事には答えないのが、貴方だ。
 先生の指導の「誠実であれ」を実践しない学会員を私は信用しない。

 3.貴方の書く文章には歓喜が無い。
 これは学会員として致命的な欠点だ。
 貴方の文章に勇気を貰う人はいるのでしょうか?
 貴方は常に「批評」「批判」しか書いていない。
 この一ヵ月のFB投稿を検索して見ても「価値」のある文章を書いていない。
 どこかの記事をコピペして寸評を書くだけだ。
 ちっとも価値創造なんかしていない。
 たまには「~記事引用~これって○○ですよね」形式以外の文章を書いてみろ。
 誰も貴方の感想文なんか期待していない。
 現に誰もその文章にレスをしないではないか?
 「○○は××で、■■だから☆☆だ」複合的に考察して記事にするブログ主に嫉妬をしているだけだ。
 個人的なブログを持っているとか言っていたが、ならばさぞかしコメントが一杯なんでしょうな?
 でも、FBでレスが付かないのにブログで付くとは到底思えない。
 共感を呼ばない文章をなんと言う?

 4.貴方は捏造グセがある。
 他人の文章を要約する時に自身の評価や想像を組み入れる。
 「言った」と断言しながら、そのソースは示せない。
 なぜなら脳内妄想がソースだからだ。
 それに、その捏造に対し謝った事がない。
 大抵は別の話を始め、話題逸らしを常套手段とする。
 現実世界とネット世界の話なのに、出て来た指導は「現実主義と理想主義」。
 ネットは理想か? 違うだろう。
 仮想と理想は同じ意味か?
 頓珍漢な引用は先生も迷惑だろう。
 自身の補強の為に先生を利用しないで貰いたい。
 根本は謝るのがイヤなのだ。
 形だけ「お詫びします」とか書くが「面従腹背」で謝っていない。
 なぜなら同じ事を繰り返すからだ。

 5.貴方はお手本は示さない。
 常に、「こうあるべきだ」と書くが自身はそれが出来ない。
 お手本を示せない人に、誰が尊敬が出来ますか?
 先陣に立たない将軍が勝てますか?
 「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
 山本五十六の言葉だが、流石、軍のトップの元帥の言葉は真理を突いている。
 貴方が、読者に違和感のない体験談を発表すれば良いのだ。
 貴方が、お手本のブログを作れば良いのだ。
 貴方が、雑談のない価値的な「創価」の金看板を掲げた掲示板を運営すれば良いのだ。
 どれ一つ、自身がやりもしないで苦情を言う。
 それを世間では、それを「クレーマー」と言うのだ。

 6.貴方は逃げグセがある。
 上記の様に問い詰められると何とか言って逃げる。
 逃走せずに闘争してみたら如何でしょう。
 ブログでクレームを付けたが、しっかりと回答され逆に質問されると逃げる。
 そして、負けず嫌いだ。
 逃げた後に、安全な「FB」で延々と書き連ねる。
 そこで味方になる人が入れば、「共(依)存関係」と書き蔑む。
 なのに自身に味方になる人には甘い。
 擁護に出た「欠席裁判」と、貴方の言う「欠席裁判」は違う意味でしたよね。
 むしろ「欠席裁判」は擁護にならなかったが、貴方は「違う」とも言わなかった。
 これは「共依存」ではないのか。
 擁護してくれるから言わなかったのでしょう?
 態度を改めたらとの提案もHNがHNだから「叩かれ役だから変えない」と言う。
 誰がそんな役を頼んだのだ。
 誰がそんなHNの為に諸々のブログで嫌われて来いと言った。
 HNも利用しての言いたい放題が許されるのでしょうか?

 7.貴方は何より自己矛盾の人だ。
 「ネットより現場」と言いながら、自身は現場の話を書いていない。
 「ネットは現場と乖離を生む」と言いながら、ネットに常駐している。
 「ネットは訓練にはならない」と言いながら、人に思索を強要し指導する。
 他人に「指導」をするが、貴方は人からの「指導」に聞く耳を持っていない。
 「自称学会員との雑談が学会に泥を塗る(対話ではない)」と言いながら、批判ばかりで自身が泥を塗っている。
 他人にダブルスタンダードと貶しながら、自身のダブルスタンダードは棚に置く。

 ならば、貴方がネットから撤退しなさい。
 まるで、どこぞの御仁の様に矛盾だらけだ。
 何をもって「ネット」より「現場」を軽んじていると判断するのか?
 何をもって「ネット依存」していると判断するのか?
 何をもって「訓練にならない」と判断しているのか?
 「雑談が」と言うが、座談会で趣味の話をする人を「制止」して止めるのか?
 友人に雑談を全くしないで仏法対話が出来るのか?
 指導ばかりの対話が楽しいのか?
 先生は雑談をされませんか?
 先生の「明るく、楽しく、朗らかに」をちっとも実践してませんよ。

 貴方は私より教学も信心もあるでしょう。
 私より年上で、長年の活動をされているでしょう。
 しかし、貴方が私の上司でも友人でもない。
 ただの「自称学会員」同志と言うだけだ。
 「自称学会員と言うだけでは仲良くしない」と言う貴方のこの言葉を取り入れて宣言します。

 これをもって私JunkDarkは自称学会員「阿部日ケ~ン(院政)」と縁を切ります。 以上
平成22年3月27日 JunkDark 


 ※拙ブログにコメントを書かれても構わないが、貴殿からのは非公開コメントであろうと一切を公開し削除はしない。
 しかし名誉毀損等、不法内容の書き込みはログ保存の上、削除する。
 貴方が素直に言い過ぎました御免なさいって謝ればこんな事にはならないんだよ。

2010/03/13  個人指導・家庭訪問の重要性について

 ちょっと、ecoさんとは中断して新・人間革命から研鑽です。
 ecoさん申し訳ありません。m(_ _)m

 引用が多いですが、大事な部分なのです、申し訳ありません。
新・人間革命 第8巻 宝剣(P102-)
 次いで、伸一は、「女子部の皆さんも、どうか真心を込めて、一人ひとりのメンバーの個人指導を実践していっていただきたい」と呼びかけた。
 彼は、男女青年部の活動が、会合や行事の運営などが中心となり、個人指導がなおざりになっていくことを心配していたのである。
 学会活動の基本は、自行としての勤行・唱題と、化他行としての折伏と個人指導にある。
 また、見方によっては、折伏とは、一人の人が入会することで終わるのではなく、個人指導を重ね、その人が自分以上の人材に育ってこそ、完結するということができる。
 「折伏を…」「人材を…」と頑張ってみても、中途半端では駄目ですね。
 最終目的を見失っては、空しいだけになってしまう。

 会合も大切であることはいうまでもないが、会合に出席する人というのは限られている。たとえば、座談会を見ても、参加者に倍するほどのメンバーが、それぞれの組織にはいるはずである。そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、盤石な学会がつくられ、それが拡大にもつながり、広宣流布の広がりも生まれる。いわば、個人指導なき活動は、画竜点晴を欠いているといってよい。
 ひとくちに個人指導といっても、決して、容易なことではない。
 会員のなかには、さまざまな人がいる。会って話すことを拒む人もいれば、子供のころに親と一緒に入会してはいるが、自分は信仰をした覚えはないという人もいるかもしれない。あるいは、学会に著しく批判的な人もいるだろう。さらに、病苦や経済苦などに悩み、未来への希望を見いだせずに悶々としている人もいる。そうした人びとの家を訪ね、知恵を絞って対話の糸口を探し、友情を結び、信仰の大切さを語り、勤行や教学を教えていくことは、並大抵のことではない。
 会合に出るだけ、運営をする事で満足をしてはならない。
 夜遅くまで活動をしていると、それだけで「やった気」になってしまう心を戒めないとね。
 会い易い人にだけ訪問しても駄目だ。
 行き難い所に行って友誼を結ばないと真の連帯も人材も出来ない。

 それは、会合で話をしたり、行事の運営をすることより、はるかに難しいにちがいない。しかし、そこにこそ、自身の鍛錬がある。他者を育成するなかにこそ、自己の成長もあるからだ。また、その労作業のなかに、まことの仏道修行がある。
 会合に集って来る人だけを相手に、活動を進めることは楽ではあるが、そこには本当の広宣流布の広がりはない。それでは、海の彼方の岸辺をめざしながら、入り江のなかを巡って満足しているに等しいといえよう。学会活動の主戦場となる舞台は、会合の先にこそあることを、幹部は深く認識しなければならない。
 リーダーの意識も持ちようで、その組織が広宣流布の主戦場に立っているかいないかが決まる。
 いつも来るNL、地区Lとだけ活動するのは楽だ。
 でも、それでは組織が停滞してしまう。
 自分の成長は、他人の成長と共にある事を自覚しよう。

 創価学会の真心のネットワークを形成してきたものも、家々を訪問しての個人指導であった。大樹が、網の目のように、地中深く張り巡らされた根によって支えられているごとく、学会を支えているものも、この地道な個人指導の積み重ねであるといってよい。
 臆病で怠惰なスタンドプレーヤーには、この勇気と忍耐の労作業を成し遂げることはできない。民衆のなかへ、友のなかへ、人間のなかへと、個人指導の歩みを進める人こそが、仏の使いであり、まことの仏子であり、真正の勇者といえるのだ。
 山本伸一は、青年部の幹部が、個人指導に徹していくならば、学会の未来は永遠に磐石であると確信していた。川が流れるにつれて川幅を広げ、水かさを増すように、時代を経るごとに、人の輪が広がり、数多の人材が輩出されていくことになるからである。
 しかし、青年部の幹部がそれを怠るならば、学会という大樹の根を、自らの手で断ち切ることに等しい。ゆえに彼は、この女子部の幹部会で、個人指導の大切さを訴えたのである。
 個人指導と家庭訪問をしない「臆病者」になってはならない。
 リーダーなら、打って出る勇気と忍耐を身に付けよう。
 点での訪問では人との繋がりは出来ない。
 足繁く通い、話を聞き、共に進み行くリーダーになろう。


 ここ最近の聖教紙上でもずーっと「対話」「仏子を敬え」「同志を護り抜け」等など、ご指導されている。
 大白蓮華でも、同時中継でも同じ事を師匠は仰しゃられている。

 訪問しづらい家庭は、中々敬えないかもしれない。
 塩をまく部員さんは、同志と思えないかもしれない。
 でも、個人指導と家庭訪問は自身の成長と、惰性を排する事になる。
 なにより、そこに価値の創造がある。

2010/03/05  家主へ一言! その3

 ご意見・ご要望がありましたらコメントはこちらに下さい。
 がコメントで一杯なので、続きはコチラで…。(^^)

※各記事へのコメントは、記事を非公開にすると登録メンバーにしか見られなくなります。
リンク貼ってとか、質問とか消えて欲しくない時は、こちらにコメントをして下さい。

2010/03/02  拝啓、eco様

 寒春の侯、格別のご意見を賜り誠に感謝申し上げます。
 いつもいつも、ネットの創価系ブログ&掲示板に対しご意見を執筆頂きましてお礼申し上げます。

 貴重なご意見を今後の参考にし、より良い考察を心がけます。
 さて、一つ拙者からも、ご意見を申し上げます。
 eco様の、ご意見は貴重だと存じますが、語意、定義、起承転結、主旨が御不明なご意見が散見されます。
 拙者も向学の徒で御座いまして、eco様の真意が判らず疎通に難儀を致しております。
 eco様が「すり替えだ」「視野が狭い」等々仰しゃられるに当り、文題と文中、文末に於て統一して頂くと大変に有り難く存じます。
 また
>・・・と遠まわしで書いていたのですが
>その辺は伝わらなかったようです。
 愚昧な私は、遠まわしな文章では齟齬が御座いますので、簡略な御指摘をお願い申し上げます。
 理知的な文章を標榜されておりますeco様の事ですので、差し出がましいお願いとは存じますが、何とぞ御考慮頂きます様重ねて申し上げます。
敬具 

JunkDark拝 

 eco様