2008/11/04  政教分離と政教一致

選挙が近づくと、またぞろと「公明党は政教一致だ」と言い出す輩がいる。
では憲法に定める「信教の自由」とは何なのか?

日本国憲法(抜粋)
第一四条[法の下の平等]
①すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二〇条[信教の自由]
①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及ひその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二一条[集会・結社・表現の自由]
①集会、結社及ひ。言論、出版その他、一切の表現の自由は、これを保障する。
第八九条[公の財産の支出又は利用の制限]
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

二〇条前段では、基本的人権として「信教の自由」が保障されています。
どんな宗教だろうと信じる自由、信じない自由信仰を表現する自由があります。
で後段では「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と規定している。
これは「政治上の権力」統治的権力の付与の事で信仰者が政治に参加してはならないとは読めない。
なぜなら前段と後段で矛盾した記述になるからだ。

ちなみに
大日本帝国憲法(抜粋)
第二八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由ヲ有ス
とある。
戦前の日本は自由と言いながら自由では無かった。「臣民たる義務」によって幾らでも制限できたのだ。

その帝国憲法を踏まえて国家と宗教の分離を明示したのが二〇条後段だ。

そもそも民主党や社民党の言う「政教一致論」はもう40年近く前からずーっと同じ質問を繰り返している。
その都度、内閣法制局は政府答弁書で答えている。前回の内容を忘れているのか、印象操作目的で質問しているかのどちらかだ。
初回は1970年4月24日付の民社党(当時)春日一幸代議士の質問の政府答弁書は「宗教団体に支持された者であっても、国政を担当(政権参加)する事は憲法に抵触するものではない」と明確に答えています。
その後1994年10月12日でも同じような答弁があり1999年7月15日にも野中弘務官房長官と大森政輔内閣法制局長が答弁をしている。
質問主意書に対する政府答弁書(抜粋) 一九八八年九月十三日付
①憲法二〇条第一項後段の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」という規定は、宗教団体が政治的活動をすることを排除している趣旨であるとはは考えていない。したがって、御質問のように、「『政治上の権力』とは、統治的権力だけでなく、統治的権力の源泉を構成する国会における政党(会派)を含む」と解することはできないと考える。
②宗教法人の政治的活動が主たる活動であるかどうかは、その宗教法人の継続的な活動全般との対比において判断すべきものであり、したがって、宗教法人が,選挙を念頭に置いた政治的活動を行ったからといって、直ちに、宗教法人法第八一条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為等と断定することはできないと考える。
③宗教法人に関する税法上の措置は、宗教法人についてその公益性にかんがみ、他の公益法人等と同様に取り扱っていることの結果であり、これを宗教団体に認められた特権というのは当たらず、憲法第二〇条第一項後段の規定に違反するものではない


野党は何度となく馬鹿の一つ覚えのように「政教一致、政教分離」と言っているが、信仰者の政治参加を禁止すれば憲法違反とは思わないのだろうか。これでは国会議員の素質があるとは思えない。

最近、賑わした「マルチ商法」にしろ民主党は「崇教真光」の46周年秋季大祭(平成17年)で祝辞を述べている。
民主党 石井一 崇教真光への祝辞
言ってる事とやってる事が正反対、パフォーマンス政党としか思えない。


先日は田母神俊雄前航空幕僚長が政府見解と違う考えの論文を書いた問題では、野党は「処分が甘い、政府答弁と違う考えの幕僚長を任命した者の責任は重い(だから責任とって辞めろ)」とか言っていましたが、同じ政府答弁書に従わない政治家は辞めないといけませんね!