2008/11/30  池田先生の指導に学ぶ「報告・連絡・相談」

【報告・連絡】
報告は、次の作戦の第一歩である。戸田先生も、「これを実行しない者は敵だ」といわれた。
口で本門を唱え、心は外道の人である。
連絡、報告をしようという決心があるとき、その人は本当に戦っているし、躍動がある。
避けていこうというのは、仏法上下劣の精神である。
(創価学会指導集より)

【報告】
良い報告は遅くなってもよい。
特に悪い報告は早くせよ。次の戦いに先手が打てるよう、悪い報告ほど早くできる人は偉い。
責任のある人だ。黙っていたり、にぎりつぶす人は卑怯でずるい人だ。
(創価学会指導集より)


【連絡・相談】
役職のいかんをとわず、信心のある人は、お互いに励まし合い、連絡、伝達をしあって前進していかなけらばならない。
(創価学会指導集より)


【相談】
よく戸田先生が「人生にあっては、かならず語れる人をつくっておきなさい。どんなことでも、打ち明けて相談できる人をつくっておきなさい」といわれていた。
自分自身が長い人生を歩んでいくうえにおいて、当然、様々な苦難や苦悩もあることはやむをえない。
そのときに、どんなことでも話っていける先輩なり同志をつくっておかねばならない。
(創価学会指導集より)


【報告】
正確な報告、正確な報道…これこそ新時代の平和建設のバロメーターである。
いかなる団体や組織にあっても、正確な情報が流れないところは、いつか人々の信用を失い、やがてその進展も止まってしまう。
(人間革命第3巻)


【報告・連絡】
現代は情報化社会であり、スピード時代である。
「情報化」が社会の一実相である。
この傾向はますます強くなっていくに違いない。
正確な情報を迅速に手にいれ、入念に検討し、的確な手をすばやく打っていく。
その積み重ねに勝利が生まれる。
学会がここまで発展したのも、そうした緻密な、「連絡・報告」とスピーディーな「決断・実行」があったからである。
この原理は、企業をはじめ、あらゆる組繊に通ずる。
逆にもっとも恐ろしいのは、不正確・不明瞭な情報である。
また曖昧な処理である。
(本部幹部会のスピーチより)


【相談】
あらゆる人の意見を聞く耳をもつことである。
多くの人たちの意見を聞き、分析し次に進むべき道を探る。
競争に生き残り、発展している組織はこれを欠かしていない。
いいかえれば、つねに勉強し続ける「謙虚」さを失わないということである。
これらを持続できた人や団体こそ「時代の勝者」となっていけることを忘れてはならない。
(本部幹部会のスピーチより)


【連絡】
戦いは勢いである。
孤独になっては勢いは出ない。
ますます心が沈んでしまう。
これまでも連携をとれない、また連絡をとらない人の多くは退転して堕ちていった。
大変な時こそお互いに声をかけあい、励まし、ほめたたえあう、…そこに勢いが生まれる。
愉決になる。爽快になる。明朗になる。勝利へのリズムが生まれる。
(本部幹部会のスピーチより)

2008/11/28  心配りと真心

リンクにもありますが、Serverさんの「毎日の御書」に登録しております。

先日、Serverさんが御書配信をしていて、悲しくて嬉しかった事をブログに書かれてます。

受信者のご家族から受信者(お母様)がお亡くなりになり、配信の解除の旨のメールが届いた、と言う内容です。

私も、皆様も何かしらのメルマガを登録をしているかと思いますが、解除時にお断りの連絡を入れますでしょうか?
私は今まで入れたことは御座いません。

このご家族の心配りも凄いですが、何よりお母様の信心が素晴らしかったのだと思います。
Serverさんの配信を楽しみにしていた姿が、目に浮かびます。素晴らしい臨終だったとも拝せます。

今日のServerさんの配信は
遠藤左衛門尉御書
霊山に於て日蓮日蓮と呼び給え、其の時御迎えに罷り出ず可く候(P1336)
でした。
Serverさんの真心を配信に感じました。

私の父もそうでしたが、いかに臨終の時に悲壮感無く、歓喜で見送れるかではないでしょうか?

生死一大事血脈抄
相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ (P1338)

自分が臨終の時に笑えるように、遺族が歓喜できるように信心に励みたいと思います。

2008/11/27  世の中は広い。

創価学会も文化祭や音楽祭などのイベントをしていましたが、世界は広いですね。

フィリピンのセブ島の刑務所では、受刑者が団体演技をしている模様がYouTubeにアップされています。

マイケル・ジャクソンの「Thriller」を披露したり
http://jp.youtube.com/watch?v=hMnk7lh9M3o&fmt=18



ハルヒダンスをして見たり
http://jp.youtube.com/watch?v=5Xx4tszZ-DE&fmt=18


MCハマーや
http://jp.youtube.com/watch?v=yYp2Aloz-uE&fmt=18


NHKの子供番組のピタゴラスイッチの「アルゴリズム行進」など
http://jp.youtube.com/watch?v=YuNIgXfErpY&fmt=18


多彩な演目で地域の人も見学したりと、かなり文化的です。
日本の刑務所も見習ってみたら?

2008/11/20  11.18創立78周年

11月18日は創価学会の創立記念日です。
池田先生からは4つの和歌を詠み贈って戴きました。

万歳を
 共に叫ばむ
  創価かな
 君も勝ちたり
  我も勝ちたり

あな嬉し
 我らの創価の
  創立日
 世界の同志も
  大拍手

太陽も
 光り輝き
  我らをば
 護り讃えて
  今朝の青空

千万の
 広宣流布の
  英雄を
 威光勢力
  諸天も共にと

創立80周年に向けて出発だ!
20081118富士山
18日の学会本部には1万人越の来場があった模様です。
大変な着任ありがとうございます。

2008/11/19  学会宣言

昨日今日と仕事絡みの研修旅行に行って来て、先程帰宅しました。

南アルプスの携帯も通じない山奥の西山温泉に行ってきました。
昨晩11.18はしし座流星群もあって流れ星が綺麗でしたよ。

本日は身延山久遠寺が観光コースに入っていました。
一緒に行った12名程に学会宣言(一部の方は改めて)を致しました。

日蓮大聖人と日興上人、創価学会の話をしました。
「ウチの奥さんは学会やってるよ」とか「創価学会が世界に日蓮大聖人と南無妙法蓮華経を広めた」とか言って頂けました。

日程表で久遠寺の文字を見た時から下調べをして望みました。
謗法の地でしたが良い切っ掛けで学会宣言が出来ました。

2008/11/14  宗教信仰と宗教批判の大前提

前書き
我々の生きている現代日本に於ての宗教活動での前提を改めて確認したい。

1.まず基本的な所で
日本国憲法
(前略)
第19条 (思想及び良心の自由)
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第20条 (信教の自由、国の宗教活動の禁止)
 (1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 (2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することは強制されない。
 (3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。
第21条 (集会・結社・表現の自由と通信の秘密)
 (1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 (2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第22条 (居住・移転及び職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由)
(略)
第23条 (学問の自由)
 学問の自由は、これを保障する。
第24条 (家族生活における個人の尊厳と両性の平等)
 (1)婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 (2)配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
(後略)

よって日本国憲法下では、何人に於ても、どの様な宗教でも「自由」である。
また、「表現の自由」で、所謂「布教・啓蒙」も保障されている。
しかし、当然に他人も「自由」なのである。


2.それを踏まえて

☆信仰者の皆さんへ
刑法
222条 (脅迫)
 一項 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
 二項 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。
223条 (強要)
 一項 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。
 二項 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする。
 三項 前二項の罪の未遂は、罰する。

と定められている。
強引な布教・啓蒙活動は強要にあたります。
信仰者の皆さん、犯罪にならないように注意しましょう。


☆宗教批判者の皆さんへ
刑法
230条 (名誉毀損)
 一項 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀(き)損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
 二項 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
230条の2 (公共の利害に関する場合の特例)
 一項 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
 二項 前項の規定の適用については、公訴の提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
 三項 (略)
231条 (侮辱)
 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
(後略)

批判したい気持ちは解りますが、一歩間違えば名誉毀損・侮辱罪となる可能性があります。
名誉毀損は「事実」は関係ありません。名誉を毀損すれば罪です。

しかし230条の2の通り「公共の利害」の場合は別です。
公益・宗教団体など「公共性」が高くて、真実ならば罪になりません。
信仰者個人は「公共性」なんてありません。


3.例えば公然と

☆現代では合法
当たり前ですが布教活動は全くの合法です。

しかしながら度の越えた啓蒙・勧誘は違法になります。
キャッチセールスでもあるケースですが「買うまで(入るまで)帰さない」などは「監禁・強要」になります。

宗教の啓蒙・勧誘は、非勧誘者の思想・倫理・価値観に多大な影響を与えます。
相手にとって良い影響もあれば悪い影響も与えます。

無理な勧誘は、言わば「宗教レイプ」の様なもので、
本来、「癒し」の宗教が非勧誘者に「心の傷」を与えるという皮肉な結果になるやも知れません

だが世の中には「何か」に救いを求めている人が確実にいます。
その「何か」が「宗教」かも知れませんし、違う別の「何か」かも…。
しかしながら、その救いを求めている人は声を発しているとは限りません
悩み苦しんでいても、その悩みを解決しようともしない人もいます。
本人の気付かぬ悩みで苦しんでいる場合もあるでしょう
そこに救いの手を差し出すのが宗教の得意とする部分でしょう。

☆宗教批判者が
個人を「宗教やってるお前はキ○ガイだ!」と言った場合。
事実、精神病患者であったとしても名誉毀損・侮辱罪になる可能性があります。
しかし団体に「お前らのやっている○○教はテロ宗教だ」と言った場合。
事実、武器を集めて準備をしていた場合は罪は問われません。
(※犯罪行為の告発は、もともと罪に問われません)
また、「馬鹿、アホ」などど中傷・罵倒した場合は侮辱罪です。

さて、宗教指導者を批判・中傷・罵倒した場合はどうでしょう?
個人とすれば名誉毀損・侮辱罪になるでしょう。
しかし、宗教指導者は「公共性」が高いので事実であれば罪に問われないかもしれません。
侮辱罪は免れないでしょうけど・・・。

では個人格に属しない、法人格に属する教義・宗旨についてはどうでしょう?
教義・宗旨の間違いを指摘批判した場合。
それが事実(間違い)であれば罪は問われないでしょう。
ただし、この事実認定は教義の事が絡むのでえらくややこしい事になりますが・・・

※ただし、名誉毀損・侮辱罪は親告罪なので言われた当事者が告訴しなければ罪になりません。


4.そうなると

布教をしなくても良い宗教を寡聞にして聞きません。
民衆を救う事をしない教祖は殆どいないでしょう
例えばキリスト・モハメッド・ブッダなどは民族・民衆の救済を願っています。

人類の歴史において弾圧された宗教は枚挙に暇がありません。
「布教をするな」と言う弾圧は良くあります、また同じ宗派から弾圧をされたりもします。
えてして、同じ宗教者からの弾圧が一番酷かったりしますが。

宗教にも「ハヤリ」「スタリ」があり、中には弾圧はされていないのに消えていった宗教もあります。
これらは宗教と言うより「ブーム」だったのかもしれません。
ハヤリやスタリがある宗教は果たして本当に宗教でしょうか?
例えば占い・スピリチュアル・風水・家相などです、今はスピリチュアルがブームだそうです。
これを「宗教だ」という人(道教など)もいれば「いや違う、統計学だ」と言う人も居るでしょう。

やはり宗教と言うものは布教をするのが宗教なのでしょう。

信仰者からすれば布教活動は当たり前のことです。
布教活動しない宗教は死んでいる宗教です。
布教を規制することは出来ません。(破防法は議論の余地あり)


5.結論

信教の自由はありますが、強要は出来ません。
誹謗・中傷は罪ですが、批判・指摘は罪ではありません。

信仰者・宗教批判者を比べた場合、信念を持つ信仰者が強いのは自明の理です。
信仰者は何を言われても毅然とし「それは違う!」と誹謗中傷に反論を言い続けるべきです。

宗教批判者は事実と犯罪性を指摘すれば良いのです。
違法の宗教は淘汰されるでしょう。

日本は自由の国ですが、他人の自由を奪う自由はありません。

信仰者の皆さんへ
布教テロリストと呼ばれない様に

宗教批判者の皆さんへ
言論テロリストと呼ばれない様に

2008/11/13  面白くて為になる。

お笑い芸人のナイツが公明党ウェブTVに出演している。
お笑い好きな部員が教えてくれました。

「ワカモノを応援する政策×ナイツ」
http://jp.youtube.com/watch?v=II_OJt1weLA&fmt=18



「ナイツ Presents がんばれ!!公明党!!」
http://jp.youtube.com/watch?v=PyxSK623JBY&fmt=18




ちゃんとネタになっていて、かなり面白い。
スタジオのスタッフも笑っていて、かなり砕けたふいんき(←なぜか変換できない)の公明党TVです。

 追記:残念消えてしまいましたね。

2008/11/11  初めての講師

仕事で講師をして来ました。
1時間30分の持ち時間で40名ほどの前で喋って来ました。
内容は専門事業用のPCソフトウェアの操作講習。

今までの専門の講師にお願いしたくも、予算の関係で私がする事に…。

元来、人見知りな私は始まるまでは緊張で心臓バクバクでしたが、始まってみれば普通にこなせました。
講師をしながら「あー座談会と一緒だ、会館任務じゃコレの20倍は来るしなぁ」と少し余裕も出て来た(^^;

質問コーナーも無事終わり、会場撤収もテキパキとこなし、マイクのケーブル巻きはお手の物ですよ。

終わってみれば、今年度の残りの講習会講師に任命されましたw(えー後3回もやるのー)

創価班の訓練は実生活に活かされますね。会場誘導やお帰りの案内なんて日常じゃ言わないもんなぁ
責任者の方に「やり馴れてるね、どこで覚えたの?」と聞かれました。

2008/11/06  信心こそ勇気の源泉

何事にも勇気が必要です。学業でも仕事でも!

一騎当千の英雄へ育て!
御聖訓には、「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである」(御書552㌻、趣意)と仰せであります。
 何よりもまず、「語る」ことが大事です。たとえ相手が真剣に聞こうが、聞くまいが、自分自身の確信と体験を堂々と誠実に語り抜いていくことです。「臆病は敗北」「勇気は勝利」である。「最高の勇気」を引き出す源泉こそ、信心の力であり、仏法の力なのです。

 広宣流布という大ロマンの前途には、安易な道は一つもない。
「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(同509㌻)との仰せを胸に刻み、青年ならば、革命児ならば、偉大なる大闘争の中で自分自身を鍛えることです。広宣流布のための一切の苦労は、煩悩即菩提の法理に照らして、すべて偉大な自分自身の建設となるからであります。
 信心は、観念ではない。格好でもない。行動である。実証である。
 自分自身が、「一人立つ」正真正銘の師子になるか、どうかであります。
 どうか、わが直系の創価班大学校生の皆さんは、私と共に、戸田先生が「命よりも大事」といわれた、この仏意仏勅の創価学会の組織を断固と守り、誰が見ていなくとも、断じて一人立ち、戦い、勝ち栄えさせゆく一騎当千の英雄へと育っていただきたい。
 さあ、共々に、人生と広宣流布の「栄光大勝」の歴史を打ち立てよう!
【創価班大学校26期生大会 2002年9月15日[東京戸田記念講堂]】

「臆病は敗北」「勇気は勝利」

池田先生は闘争の中でこそ、自分自身を鍛え建設できるとご指導くださいました。
行動こそ実証だとも仰せです。
悩み苦しい時こそ信心です。色々言い訳をして取り繕っても最後は敗北してしまう。
勝たなければ正義の証明は出来ない。力なくば負けるのは当然いや必然です。

誠実に行動し勇気をもって語り抜き、あえて苦難の道を行く。

信心や仕事、勉強に楽な道はない。

2008/11/04  政教分離と政教一致

選挙が近づくと、またぞろと「公明党は政教一致だ」と言い出す輩がいる。
では憲法に定める「信教の自由」とは何なのか?

日本国憲法(抜粋)
第一四条[法の下の平等]
①すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二〇条[信教の自由]
①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及ひその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二一条[集会・結社・表現の自由]
①集会、結社及ひ。言論、出版その他、一切の表現の自由は、これを保障する。
第八九条[公の財産の支出又は利用の制限]
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

二〇条前段では、基本的人権として「信教の自由」が保障されています。
どんな宗教だろうと信じる自由、信じない自由信仰を表現する自由があります。
で後段では「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と規定している。
これは「政治上の権力」統治的権力の付与の事で信仰者が政治に参加してはならないとは読めない。
なぜなら前段と後段で矛盾した記述になるからだ。

ちなみに
大日本帝国憲法(抜粋)
第二八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由ヲ有ス
とある。
戦前の日本は自由と言いながら自由では無かった。「臣民たる義務」によって幾らでも制限できたのだ。

その帝国憲法を踏まえて国家と宗教の分離を明示したのが二〇条後段だ。

そもそも民主党や社民党の言う「政教一致論」はもう40年近く前からずーっと同じ質問を繰り返している。
その都度、内閣法制局は政府答弁書で答えている。前回の内容を忘れているのか、印象操作目的で質問しているかのどちらかだ。
初回は1970年4月24日付の民社党(当時)春日一幸代議士の質問の政府答弁書は「宗教団体に支持された者であっても、国政を担当(政権参加)する事は憲法に抵触するものではない」と明確に答えています。
その後1994年10月12日でも同じような答弁があり1999年7月15日にも野中弘務官房長官と大森政輔内閣法制局長が答弁をしている。
質問主意書に対する政府答弁書(抜粋) 一九八八年九月十三日付
①憲法二〇条第一項後段の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」という規定は、宗教団体が政治的活動をすることを排除している趣旨であるとはは考えていない。したがって、御質問のように、「『政治上の権力』とは、統治的権力だけでなく、統治的権力の源泉を構成する国会における政党(会派)を含む」と解することはできないと考える。
②宗教法人の政治的活動が主たる活動であるかどうかは、その宗教法人の継続的な活動全般との対比において判断すべきものであり、したがって、宗教法人が,選挙を念頭に置いた政治的活動を行ったからといって、直ちに、宗教法人法第八一条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為等と断定することはできないと考える。
③宗教法人に関する税法上の措置は、宗教法人についてその公益性にかんがみ、他の公益法人等と同様に取り扱っていることの結果であり、これを宗教団体に認められた特権というのは当たらず、憲法第二〇条第一項後段の規定に違反するものではない


野党は何度となく馬鹿の一つ覚えのように「政教一致、政教分離」と言っているが、信仰者の政治参加を禁止すれば憲法違反とは思わないのだろうか。これでは国会議員の素質があるとは思えない。

最近、賑わした「マルチ商法」にしろ民主党は「崇教真光」の46周年秋季大祭(平成17年)で祝辞を述べている。
民主党 石井一 崇教真光への祝辞
言ってる事とやってる事が正反対、パフォーマンス政党としか思えない。


先日は田母神俊雄前航空幕僚長が政府見解と違う考えの論文を書いた問題では、野党は「処分が甘い、政府答弁と違う考えの幕僚長を任命した者の責任は重い(だから責任とって辞めろ)」とか言っていましたが、同じ政府答弁書に従わない政治家は辞めないといけませんね!

2008/11/02  創価班魂

本日は創価班の日

昭和51年(1976年)11月2日、池田先生は輸送班を発展的に解消して、「創価班大学校」と命名していただき結成された。
11月4日、創価班発足式を行い正式に発足した。

発足式の席上、池田先生は「創価学会のすべてを推進していくのです。創価班こそ、広宣流布の精鋭中の精鋭である」「創価班は、一にも二にも、学会を守っていくのです」と永遠の指針を贈っていただきました。

これこそが、創価班の「使命」であり、「魂」である。

先生のご指導のままに生きた先輩がいる。

14期の大先輩でした。
本日はその創価班の先輩の通夜があった。

昨年9月に悪性リンパ腫を発病。病魔と闘った1年1ヶ月だった。

Kさんは、いつも穏やかで毅然とした人だった。
今年7月に男子部から壮年部に上がり、「(年をとったから)壮年部に上がるのは仕方ない、ただ創価班を卒業するのは納得が行かない」と言っていた。

Kさんとは私が創価班大学校生の時に正月任務が初対面だったと記憶している。
「寒いよな、こっちで暖まれ」「ホッカイロ持ってきたぞ」など、ペーペーの私を気遣っていただいた。

先々月9月の会合にも出席し回復の兆しも見えていた。しかし先日、様態が急変し亡くなられた。

病床で「もう一度着任がしたい」と言っていたそうだ。

葬式の最後にお顔を拝見させて頂いた。安らかな顔だった、闘病で痩せられたが白く微笑の寝顔だった。
Kさんの生き様は正に「創価班」だった。地区部長は葬儀中も泣きに泣いていた。

Kさんの遺志を私は受け止めた、Kさんに負けない人材になる。

先生のご指導を胸に
「創価班は師弟の大城である。
人材の大城である。」