2008/11/14 宗教信仰と宗教批判の大前提
前書き
我々の生きている現代日本に於ての宗教活動での前提を改めて確認したい。
1.まず基本的な所で
よって日本国憲法下では、何人に於ても、どの様な宗教でも「自由」である。
また、「表現の自由」で、所謂「布教・啓蒙」も保障されている。
しかし、当然に他人も「自由」なのである。
2.それを踏まえて
☆信仰者の皆さんへ
と定められている。
強引な布教・啓蒙活動は強要にあたります。
信仰者の皆さん、犯罪にならないように注意しましょう。
☆宗教批判者の皆さんへ
批判したい気持ちは解りますが、一歩間違えば名誉毀損・侮辱罪となる可能性があります。
名誉毀損は「事実」は関係ありません。名誉を毀損すれば罪です。
しかし230条の2の通り「公共の利害」の場合は別です。
公益・宗教団体など「公共性」が高くて、真実ならば罪になりません。
信仰者個人は「公共性」なんてありません。
3.例えば公然と
☆現代では合法
当たり前ですが布教活動は全くの合法です。
しかしながら度の越えた啓蒙・勧誘は違法になります。
キャッチセールスでもあるケースですが「買うまで(入るまで)帰さない」などは「監禁・強要」になります。
宗教の啓蒙・勧誘は、非勧誘者の思想・倫理・価値観に多大な影響を与えます。
相手にとって良い影響もあれば悪い影響も与えます。
無理な勧誘は、言わば「宗教レイプ」の様なもので、
本来、「癒し」の宗教が非勧誘者に「心の傷」を与えるという皮肉な結果になるやも知れません
だが世の中には「何か」に救いを求めている人が確実にいます。
その「何か」が「宗教」かも知れませんし、違う別の「何か」かも…。
しかしながら、その救いを求めている人は声を発しているとは限りません
悩み苦しんでいても、その悩みを解決しようともしない人もいます。
本人の気付かぬ悩みで苦しんでいる場合もあるでしょう
そこに救いの手を差し出すのが宗教の得意とする部分でしょう。
☆宗教批判者が
個人を「宗教やってるお前はキ○ガイだ!」と言った場合。
事実、精神病患者であったとしても名誉毀損・侮辱罪になる可能性があります。
しかし団体に「お前らのやっている○○教はテロ宗教だ」と言った場合。
事実、武器を集めて準備をしていた場合は罪は問われません。
(※犯罪行為の告発は、もともと罪に問われません)
また、「馬鹿、アホ」などど中傷・罵倒した場合は侮辱罪です。
さて、宗教指導者を批判・中傷・罵倒した場合はどうでしょう?
個人とすれば名誉毀損・侮辱罪になるでしょう。
しかし、宗教指導者は「公共性」が高いので事実であれば罪に問われないかもしれません。
侮辱罪は免れないでしょうけど・・・。
では個人格に属しない、法人格に属する教義・宗旨についてはどうでしょう?
教義・宗旨の間違いを指摘批判した場合。
それが事実(間違い)であれば罪は問われないでしょう。
ただし、この事実認定は教義の事が絡むのでえらくややこしい事になりますが・・・
※ただし、名誉毀損・侮辱罪は親告罪なので言われた当事者が告訴しなければ罪になりません。
4.そうなると
布教をしなくても良い宗教を寡聞にして聞きません。
民衆を救う事をしない教祖は殆どいないでしょう
例えばキリスト・モハメッド・ブッダなどは民族・民衆の救済を願っています。
人類の歴史において弾圧された宗教は枚挙に暇がありません。
「布教をするな」と言う弾圧は良くあります、また同じ宗派から弾圧をされたりもします。
えてして、同じ宗教者からの弾圧が一番酷かったりしますが。
宗教にも「ハヤリ」「スタリ」があり、中には弾圧はされていないのに消えていった宗教もあります。
これらは宗教と言うより「ブーム」だったのかもしれません。
ハヤリやスタリがある宗教は果たして本当に宗教でしょうか?
例えば占い・スピリチュアル・風水・家相などです、今はスピリチュアルがブームだそうです。
これを「宗教だ」という人(道教など)もいれば「いや違う、統計学だ」と言う人も居るでしょう。
やはり宗教と言うものは布教をするのが宗教なのでしょう。
信仰者からすれば布教活動は当たり前のことです。
布教活動しない宗教は死んでいる宗教です。
布教を規制することは出来ません。(破防法は議論の余地あり)
5.結論
信教の自由はありますが、強要は出来ません。
誹謗・中傷は罪ですが、批判・指摘は罪ではありません。
信仰者・宗教批判者を比べた場合、信念を持つ信仰者が強いのは自明の理です。
信仰者は何を言われても毅然とし「それは違う!」と誹謗中傷に反論を言い続けるべきです。
宗教批判者は事実と犯罪性を指摘すれば良いのです。
違法の宗教は淘汰されるでしょう。
日本は自由の国ですが、他人の自由を奪う自由はありません。
信仰者の皆さんへ
布教テロリストと呼ばれない様に
宗教批判者の皆さんへ
言論テロリストと呼ばれない様に
我々の生きている現代日本に於ての宗教活動での前提を改めて確認したい。
1.まず基本的な所で
日本国憲法
(前略)
第19条 (思想及び良心の自由)
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第20条 (信教の自由、国の宗教活動の禁止)
(1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することは強制されない。
(3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。
第21条 (集会・結社・表現の自由と通信の秘密)
(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第22条 (居住・移転及び職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由)
(略)
第23条 (学問の自由)
学問の自由は、これを保障する。
第24条 (家族生活における個人の尊厳と両性の平等)
(1)婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
(2)配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
(後略)
よって日本国憲法下では、何人に於ても、どの様な宗教でも「自由」である。
また、「表現の自由」で、所謂「布教・啓蒙」も保障されている。
しかし、当然に他人も「自由」なのである。
2.それを踏まえて
☆信仰者の皆さんへ
刑法
222条 (脅迫)
一項 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
二項 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。
223条 (強要)
一項 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。
二項 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする。
三項 前二項の罪の未遂は、罰する。
と定められている。
強引な布教・啓蒙活動は強要にあたります。
信仰者の皆さん、犯罪にならないように注意しましょう。
☆宗教批判者の皆さんへ
刑法
230条 (名誉毀損)
一項 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀(き)損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
二項 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
230条の2 (公共の利害に関する場合の特例)
一項 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
二項 前項の規定の適用については、公訴の提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
三項 (略)
231条 (侮辱)
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
(後略)
批判したい気持ちは解りますが、一歩間違えば名誉毀損・侮辱罪となる可能性があります。
名誉毀損は「事実」は関係ありません。名誉を毀損すれば罪です。
しかし230条の2の通り「公共の利害」の場合は別です。
公益・宗教団体など「公共性」が高くて、真実ならば罪になりません。
信仰者個人は「公共性」なんてありません。
3.例えば公然と
☆現代では合法
当たり前ですが布教活動は全くの合法です。
しかしながら度の越えた啓蒙・勧誘は違法になります。
キャッチセールスでもあるケースですが「買うまで(入るまで)帰さない」などは「監禁・強要」になります。
宗教の啓蒙・勧誘は、非勧誘者の思想・倫理・価値観に多大な影響を与えます。
相手にとって良い影響もあれば悪い影響も与えます。
無理な勧誘は、言わば「宗教レイプ」の様なもので、
本来、「癒し」の宗教が非勧誘者に「心の傷」を与えるという皮肉な結果になるやも知れません
だが世の中には「何か」に救いを求めている人が確実にいます。
その「何か」が「宗教」かも知れませんし、違う別の「何か」かも…。
しかしながら、その救いを求めている人は声を発しているとは限りません
悩み苦しんでいても、その悩みを解決しようともしない人もいます。
本人の気付かぬ悩みで苦しんでいる場合もあるでしょう
そこに救いの手を差し出すのが宗教の得意とする部分でしょう。
☆宗教批判者が
個人を「宗教やってるお前はキ○ガイだ!」と言った場合。
事実、精神病患者であったとしても名誉毀損・侮辱罪になる可能性があります。
しかし団体に「お前らのやっている○○教はテロ宗教だ」と言った場合。
事実、武器を集めて準備をしていた場合は罪は問われません。
(※犯罪行為の告発は、もともと罪に問われません)
また、「馬鹿、アホ」などど中傷・罵倒した場合は侮辱罪です。
さて、宗教指導者を批判・中傷・罵倒した場合はどうでしょう?
個人とすれば名誉毀損・侮辱罪になるでしょう。
しかし、宗教指導者は「公共性」が高いので事実であれば罪に問われないかもしれません。
侮辱罪は免れないでしょうけど・・・。
では個人格に属しない、法人格に属する教義・宗旨についてはどうでしょう?
教義・宗旨の間違いを指摘批判した場合。
それが事実(間違い)であれば罪は問われないでしょう。
ただし、この事実認定は教義の事が絡むのでえらくややこしい事になりますが・・・
※ただし、名誉毀損・侮辱罪は親告罪なので言われた当事者が告訴しなければ罪になりません。
4.そうなると
布教をしなくても良い宗教を寡聞にして聞きません。
民衆を救う事をしない教祖は殆どいないでしょう
例えばキリスト・モハメッド・ブッダなどは民族・民衆の救済を願っています。
人類の歴史において弾圧された宗教は枚挙に暇がありません。
「布教をするな」と言う弾圧は良くあります、また同じ宗派から弾圧をされたりもします。
えてして、同じ宗教者からの弾圧が一番酷かったりしますが。
宗教にも「ハヤリ」「スタリ」があり、中には弾圧はされていないのに消えていった宗教もあります。
これらは宗教と言うより「ブーム」だったのかもしれません。
ハヤリやスタリがある宗教は果たして本当に宗教でしょうか?
例えば占い・スピリチュアル・風水・家相などです、今はスピリチュアルがブームだそうです。
これを「宗教だ」という人(道教など)もいれば「いや違う、統計学だ」と言う人も居るでしょう。
やはり宗教と言うものは布教をするのが宗教なのでしょう。
信仰者からすれば布教活動は当たり前のことです。
布教活動しない宗教は死んでいる宗教です。
布教を規制することは出来ません。(破防法は議論の余地あり)
5.結論
信教の自由はありますが、強要は出来ません。
誹謗・中傷は罪ですが、批判・指摘は罪ではありません。
信仰者・宗教批判者を比べた場合、信念を持つ信仰者が強いのは自明の理です。
信仰者は何を言われても毅然とし「それは違う!」と誹謗中傷に反論を言い続けるべきです。
宗教批判者は事実と犯罪性を指摘すれば良いのです。
違法の宗教は淘汰されるでしょう。
日本は自由の国ですが、他人の自由を奪う自由はありません。
信仰者の皆さんへ
布教テロリストと呼ばれない様に
宗教批判者の皆さんへ
言論テロリストと呼ばれない様に