2008/12/31  本年はお世話になりました。

今年は、色々ありました。
変毒為薬し転重軽受の一年でした。
また、この「勉強部屋」を作ったりと、思い出深い年でもあります。

書き込みはじめてから3ヶ月。小野さん、serverさん、一支国さん、上野さん、ひできさん、元さん、殿さん、里奈子さん、おにゆりさん、天城さん、阿部日さん、マグマグさん、粛坊さん、プリンさん、紋さん、やまいぬ。さん、河内さん、もくれんさん、颯さん、達雄さん、風凛さん、一平さん、オオバコさん、検証会さん、もやしさんご夫妻、ゴンさん(順不同)その他いろんな人(書き切れなくてごめんなさい)にレスやコメント、ご指導を頂きました。
感謝感謝感謝です。
ROM専の私がまさかブログを立ち上げるとは思いませんでした。

その切っ掛けをくれた沖浦氏親子に特大の感謝をいたします。
貴方が居なければ今の私はないです。感謝致します。

本日は買い出しをし、大掃除をし、一年間拠点で頑張ってくれた我が家の仏壇を裏の裏までピカピカに磨きました。
これから年越しのソバを打って食べ、明日の任務に望みます。

青年・勝利の年を勝ち取ります。

来年もまた、当「JunkDarkの勉強部屋」を宜しくお願い致します。m(_ _)m
皆様、良い大晦日を、そして大勝利の新年をお迎えください。

2008/12/29  専門家?いえいえ似非科学販売業者ですよ。

昨日は富士宮ボーイの件もあって、久しぶりに似非科学をネットで見て回った。
呆れるばかりのHP・ブログが多い事に辟易した。

似非科学を信奉する人は、まず「科学を信じない人」です。
別のデータを提示しても大体は信じない。
云く「そのデータは間違っている、専門家は認めている」と。

例として「水からの伝言」から。

業者来たりて曰く「水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」云々。
主人の曰く「水は湿度温度が同じなら、同じ様に結晶化する」

もし良い言葉良い音楽で結晶が変るのならば、冬の北海道で騒音の発生する市街とない市街で雪の結晶が変らなければならない。
しかしそんな事は無く、音を聞かせようが聞かせまいが同じ雪が降る。

業者の曰く「よい言葉を発すれば、そのバイブレーション(波動)は物をよい性質に変えて行きます。しかし悪い言葉を投げかければ、どんなものでも破壊の方向へと導いてしまうのです」
主人の曰く「水分子に影響を与えるバイブレーションは存在しない、もし性質が変われば既に水分子とは言えなくなる」

水分子はご存じの通り「H2O」です。2個の水素と1個の酸素から出来ている分子です。
この形で結合出来る分子は水しかありません。変るとなると、日常の色々な科学測定器の検査結果は信用できなくなる。
(大抵の測定器は媒体として水を使う)

業者の曰く「実験結果としてきれいな結晶ができる。この結晶をきれいだとは思わないのか」
主人の曰く「きれい、汚いは主観です。それこそ自然界では普通にきれい結晶ができ、雪として降っている」

わざわざ、手間ひまお金をかけて水を購入する必要はない。

業者の曰く「人間の身体は多くの水分を含むのだから、水は人間の身体にも影響する。だから美しい言葉を使いましょう」
主人の曰く「言葉を喋らない動物や植物は、その恩恵は受けられないのか?なぜ人間だけ受けられるのか?」

良い言葉と水の因果関係がちっとも科学的でなく、言わばオカルト信仰の様な物になっている。

業者の曰く「未だ科学では解明できていないが、波動を含んだ水は存在する。また波動測定器もある。」
主人の曰く「科学で解明できていない物を、科学的に似せたデータを呈示して販売するのか?」

科学的と言いつつ、科学ロジックで問い詰めると答えは科学的でなくなる。
販売の為のデータの測定も証明も、第三者機関でのデータは出てこない。
また専門家が出てきたりするが自称ですよね。利害のない第三者の専門家は?

波動測定器の原理は?電気で計るの?電気で計るのならば『何』を計るの?その単位は?ボルト?オーム?アンペア?

販売業者が自分に不利になるデータを認める訳がない。
苦し紛れに「波動が水に染み込まないと断言する事はできない」とか言い出すのが落ちだ。
存在を証明するのは業者だよ。ここでも悪魔の証明だ。

世界では泥水を飲んでいる地域もある。その地域できれいな言葉を使えば病気は無くなるのか?
泥水に特別な波動を染み込ませれば、良いではないか。それで健康になるのだろ?

結論、波動が染み込んだ特別な水なんてのは無い。

それを見ていた客の曰く?は貴方です。

2008/12/28  池田先生から男子部に句

池田先生から正義の男子部を讃えた記念の句を頂いた。

山を抜く
 力を出せや
  青年部

師弟不二
 断固と護れや
  創価かな
(2008/12/27聖教新聞)
池田先生に答える為、全力で戦います。
池田先生の作られた学会を、絶対に護ります。

2008/12/27  似非科学(エセ科学)

なになにが健康に良いとか、なになにがキク!とか世の中には似非科学がいっぱいです。
創価学会員の中でも騙される人が多い。(良くも悪くも人が良い人が多いしねw)

「それ似非科学だよ」「その理屈はおかしいよ」と私が言い切る物だから、最近は「○○ってどう?」と逆に聞かれたりするw

まず、何が「科学」で何が「似非科学」なのか判断しましょう。

基本は『反証主義』
1934年、科学哲学者のカール・ポパーは自著『科学的発見の論理』で、反証主義の考え方を展開し、反証が可能であるという意味の「反証可能性 (falsifiability)」をもつ理論を科学とした。
よって「反証が不可能」な理論は、科学では無いとする。

ノーベル賞もそうだが科学的発見は発見者以外が反証をしてこそ万民の科学になりえる。

反証可能性とは、その仮説が何らかの観測データによって反証されうることを意味する。
反証主義によれば、この可能性を有する仮説のみが科学的な仮説である。

例えば、「太陽が東から昇る」という仮説は、「太陽が東から昇らなかった」という観測によって反証される可能性を残している。(まぁ、あり得ないけどね)

これに対して、いかなる実験や観測によっても反証される可能性を持たない構造を持つ仮説を反証不可能な仮説と呼ぶ。
後から付け加えられる補助仮説による反証からの言い逃れが、その一例である。

また再度実験して確かめる事も重要です。

私にしか判りません、私が実験した時には再現できた、とかは『科学』ではないのです。

疑似科学(ニセ科学)と言われる物をあげると
・超心理学 ・超能力 ・サイ科学 ・UFO
・血液サラサラ ・皮膚呼吸 ・血液型性格分類 ・波動 (オカルト)
・気功 ・風水 ・ピラミッドパワー ・フォトンベルト
・タキオン (オカルト) ・トルマリンの効用 ・マイナスイオン ・未確認動物学
・永久機関 ・嘘発見器 ・心霊術 ・活性水素
・超軽水 ・高濃度酸素水(酸素入り水) ・にがり健康法 ・優生学
・α波 ・精神分析学 ・催眠療法 ・古代宇宙飛行士説
・バイオリズム ・脳幹論 ・ホメオパシー ・カイロプラクティック(脊椎矯正療法)
・創造論(創造科学) ・社会進化論 ・キルリアン写真 ・フォトリーディング
・骨相学 ・月の魔力 ・銀イオン
などなど枚挙に暇がない。

ゲルマニウムの場合では、金属ゲルマニウムを身につけることで疲れが取れる、貧血に効果があると言う効能があるというお題目のもとに販売されている。

例えば
(株)浅井ゲルマニウム研究所
http://www.asai-ge.co.jp/index.html
が主張する「無機」はキケン「有機」は安全は医学的には証明されていない。
同研究所は有機ゲルマニウム(三二酸化ゲルマニウム(GeCH2CH2COOH))を製造販売しているが自分の所の商品をキケンというはずもない。

また朝鮮人参・サルノコシカケ・ニンニクにゲルマニウムが多く含まれるとも主張するが実際にはそんなに含有していない。同研究所では、なぜか高濃度で検出される。
ルルドの泉にもゲルマニウムは含まれているようだが、なぜか同じような事を「活性水素水」の販売業者も言っている。
第一、厚生労働省は(株)浅井ゲルマニウム研究所に対して薬事法違反に係る告発及び製品の回収を命令している。
http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0904/h0410-2.html

物質としてのゲルマニウムは半導体鉱物ですので、当然に温めれば赤外線はでますから温熱効果で腰痛とかには効くでしょう。
しかし殆どの鉱物は同じように温めれば赤外線がでますので特別ゲルマニウムだけが効く訳ではありません。

体内に物質を取り込まない健康グッズはまだ良い方で、アガリクスやサルノコシカケなど健康食品であやしい健康効果をうたった似非科学は要注意です。

安易に効くから服用すると、もしかしたらプラシーボ効果なだけかも知れませんよ。

怪文書の『水からのメッセージ』『水の結晶』『7.5Hz』(出所は把握済み)なども、一見良く出来ています。科学に馴染みがない方は騙されると思います。
あやしい商売、あやしい文書は見つけたら一刀両断に切って行きましょう。

私は勝手に「似非科学撲滅委員会」に所属してますので、ご相談くださいw
ちなみに鯖さんは「怪文書撲滅委員会」の委員長です。(笑)

2008/12/26  平均寿命は24歳。

日蓮大聖人ご在世の鎌倉時代の人たちの寿命はどれくらいだったのか?

 聖マリアンナ医科大学の平田和明教授が、鎌倉時代に墓地があった鎌倉市の由比ヶ浜南遺跡から出土した人骨を分析しました。
 歯や骨の分析が可能な260体について、亡くなった年齢を調べた結果、15歳未満の子どもとみられるものが77体と全体の3割を占めた一方で、55歳以上は5体にとどまりました。
 平均寿命の推定値は24歳になりました。
 このころの日本人の平均寿命は、分析可能な記録や人骨が乏しいため研究がほとんど行われておらず、奈良時代と江戸時代の記録に基づく研究結果から推定して、30歳前後とされていました。
 平田教授は「平均寿命の短さに驚いた。戦乱や災害、都市の劣悪な環境などさまざまな要因が重なっていると考えられ、中世の都市、鎌倉に住む人たちの多難な暮らしぶりがうかがえる」と話しています。
日蓮大聖人の時代はホント生死が身近な時代だったんですね。
生死一大事血脈抄
妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり(P1336)
日蓮大聖人は「妙は死」「法は生」と仰せになり、妙法に生死は含まれる。
真っ正面から生死に向き合い末法の世に正法正義を打ちたてられた。

蓮華は因果倶時、すなわち原因と結果が今の一瞬の生命に備わっている事を表します。
日蓮大聖人は「依報・正報に現れる因果は、全て蓮華の法である」と言う天台大師の釈を引かれて、依報(環境)と正報(生命)も当体蓮華だと仰せです。
歴劫修行の果てに新たな正報を得る事の出来ると爾前経では説かれてました。
それを「蓮華の法」=「因果倶時の妙法」は、生命が本来持つ無限の潜在的可能性を開き三世にわたる自由自在の境涯をえる事ができると。

2%程しか老人になれない時代では、希望がなくなり念仏称名の世になるのは必然か?
いや、白法隠没したから希望がないのか?

周りがバタバタ死ぬ国土では、「一刻も早く正法を広めねば」と思うよね。

2008/12/26  妙法蓮華経如来寿量品第十六

長年未活動な部員さんからの質問がありました。

『なんで、創価学会は五座三座をしなくなったの?』と
色々と説明したが納得行かない様子なので、お経本と御書を紐解いてみた。

日蓮正宗教学小辞典(創価学会教学部編)
・自我偈
 法華経の如来寿量品第十六にある有名な偈で、自我得仏来から速成就仏身までをいう。

 偈とは偈他の略称で、仏の徳、仏の教えを賛嘆する詩のこと。
 偈他は梵語で、訳せば頌(じゅ)という。
 また偈には通偈と別偈があって、別偈のなかの重頌(じゅうじゅ)というのは、長行の説いたのを、さらに重ねて、偈頌(げじゅ)をもって説くのをいう。
 自我偈はこれにあたり、寿量品の肝心を再び述べたものである。
また
妙法蓮華経如来寿量品第十六
 爾時世尊 欲重宣此義 而説偈言(爾の時に世尊 重ねて此の義を宣べんと欲して 偈を説いて言わく)

寿量品長行と自我偈の義が同じであるとお経本に書いてある。

日蓮大聖人は仰せです。
法蓮抄
 今の施主十三年の間毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏乃能究尽なるべし、夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千大千三千世界の微塵の数をこそあげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり(P1049)
同じ法蓮抄には、以下の様にも仰せです。

「されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し」
「法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし」

幾重にも自我偈の重要性を述べられています。
松野殿御返事
御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり(P1381)

十如是(方便品)と自我偈を読んで題目を唱えなさい。と仰せになってますね。

御書全集の中に出てくる「寿量品」は161ヶ所、「自我偈」は24ヶ所、「寿量品の長行」はたったの1ヶ所しかない。
絶対に長行を読誦しなければならない訳でないのは、ここからもわかると思う。

それに何も創価学会は「長行を読んではいけない」とは言っていないしね。(私も偶に長行読みますよ、意外に忘れない物ですね。)
さも謗法の様に言う人に惑わされていた模様です。

何とか納得して頂いたのは寿量品長行と自我偈の義は同じ。
創価学会の教学小辞典の掲載云々以前に法華経の寿量品自体に説かれている。
寿量品長行に三大秘法の義が存在するのだから、論理的に自我偈にも三大秘法の義が存在する。
日蓮大聖人のご在世時には五座三座は無かった事も大きいですね。

まだまだ宗門に毒されている方はいらっしゃいますね。

2008/12/25  干支…十干と十二支の組合せ

来年の干支は『牛』です。年賀はがきは出されましたか?
御書にも干支は出て来ます。『弘安三年太歳庚辰十二月』など書かれているのにお気づきですか?

現代の日常会話では干支は十二支が殆どで干支(かんし)を組み合わせた十干十二支(じゅっかんじゅうにし)で言う事はありませんね。

明治以降の元号は天皇一人に付き一つなので判りやすいですが、日蓮大聖人ご在世は一年の内に何度も改号する事もあり、お手紙を出して届く前に改号なんて事も起きえます。
そこで十干十二支を記載します。60年に一度しか同じ十干十二支が来ませんので判りやすいですね。

干支読み干支読み
1甲子きのえ ね31甲午きのえ うま
2乙丑きのと うし32乙未きのと ひつじ
3丙寅ひのえ とら33丙申ひのえ さる
4丁卯ひのと う34丁未ひのと ひつじ
5戊辰つちのえ たつ35戊戌つちのえ いぬ
6己巳つちのと み36己亥つちのと い
7庚午かのえ うま37庚子かのえ ね
8辛未かのと ひつじ38辛丑かのと うし
9壬申みずのえ さる39壬寅みずのえ とら
10癸酉みずのと とり40癸卯みずのと う
11甲戌きのえ いぬ41甲辰きのえ たつ
12乙亥きのと い42乙巳きのと み
13丙子ひのえ ね43丙午ひのえ うま
14丁丑ひのと うし44丁未ひのと ひつじ
15戊寅つちのえ とら45戊申つちのえ さる
16己卯つちのと う46己酉つちのと とり
17庚辰かのえ たつ47庚戌かのえ いぬ
18辛巳かのと み48辛亥かのと い
19壬午みずのえ うま49壬子みずのえ ね
20癸未みずのと ひつじ50癸丑みずのと うし
21甲申きのえ さる51甲寅きのえ とら
22乙酉きのと とり52乙卯きのと う
23丙戌ひのえ いぬ53丙辰ひのえ たつ
24丁亥ひのと い54丁巳ひのと み
25戊子つちのえ ね55戊午つちのえ うま
26己丑つちのと うし56己未つちのと ひつじ
27庚寅かのえ とら57庚申かのえ さる
28辛卯かのと う58辛酉かのと とり
29壬辰みずのえ たつ59壬戌みずのえ いぬ
30癸巳みずのと み60癸亥みずのと い

干支の算出方法
(西暦-3)÷60を計算して、そのあまりが干支の順番となる。
 例:2009年の場合
 (2009-3)÷60=33あまり26
 表の26番目を見ると己丑(つちのと うし)

因みに甲子園球場は甲子の年(1924(大正13)年)に完成したので「甲子園」と名付けられました。


【十干】
十干読み和読み語源
こうきのえ木の兄
おつきのと木の弟
へいひのえ火の兄
ていひのと火の弟
つちのえ土の兄
つちのと土の弟
こうかのえ金の兄
しんかのと金の弟
じんみずのえ水の兄
みずのと水の弟

十干は五行を陰陽に別けた物。

【十二支】
十二支読み和読み動物方角表す時間(大体)
ねずみ午前0時
ちゅううしうし北北東午前2時
いんとらとら東北東午前4時
ぼううさぎ午前6時
しんたつたつ東南東午前8時
へび南南東午前10時
うまうま午後0時
ひつじひつじ南南西午後2時
しんさるさる西南西午後4時
ゆうとりとり西午後6時
じゅついぬいぬ西北西午後8時
がいいのしし北北西午後10時

十二支には動物が割り当ててあるので、覚えやすく現代でも十干に比べて残っていますね。
因みにベトナムやタイでは丑は水牛、卯は猫、未は山羊、亥は豚に変わる。
うさぎ年の人が、ネコ年生まれとか言うと面白いかも…

時間では、よく丑寅勤行とか言いましたよね。
落語などでも「草木も眠る丑三つ時」と言ったりするので馴染みがあります。
昔の日本では、現代の定時法と異なる不定時法が使われていました。
定時法とは1日を24時間に等分割し、時間の長さは季節に依らず一定な現代の時間法です。
一方、不定時法とは、夜明けから日暮れまでの時間を6等分する時間法で、江戸時代以前に使われてきた時間概念です。
日出と共に起き日没と共に寝る昔の生活に根ざした時法ですが、季節により昼夜の長さが変わるので時間の長さが変わってしまいます。

不便なようですが時計のない人にとっては太陽の高さで大体の時刻がわかるので却って便利です。

日蓮大聖人の時代も当然、不定時です。冬の夜は長い。
冬至を向かえ殊更長い夜には、御書を拝読しては如何?(本を読むと即効で寝ちゃう人はご用心w)

2008/12/23  還著於本人(げんじゃくおほんにん)

還著於本人とは、法華経観世音菩薩普門品第二十五の偈の文、「還(かえ)って本人に著(つ)きなん」と読む。

宗教の祈りによって身を害せられようとした者も、正法を信ずれば少しも害を受けず、還って反対に祈った本人が大罰をまねくということである。
すなわち末法の法華経の行者、御本尊を持つ者を謗り害そうとする者はかえって、自らの身にそれを受けることになる。

日蓮大聖人は、承久の乱の時に朝廷方が真言のあらゆる邪法を用いて鎌倉方を祈祷調伏したが、反対になにも祈りをかけなかった鎌倉方に、さんざんに敗れた。
首謀者である後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流され、討幕計画に反対していた土御門上皇は自ら望んで土佐国へ配流された。
また真言の僧等は切られたことを、還著於本人の見本として御書に引かれている。
種種御振舞御書
弘法大師の邪義慈覚大師智証大師の僻見をまことと思いて叡山東寺園城寺の人人の鎌倉をあだみ給いしかば還著於本人とて其の失還つて公家はまけ給いぬ、武家は其の事知らずして調伏も行はざればかちぬ(P921)
兵衛志殿御書
人王八十二三四隠岐の法皇阿波の院佐渡の院当今已上四人座主慈円僧正御室三井等の四十余人の高僧等をもて平の将軍義時を調伏し給う程に又還著於本人とて上の四王島島に放たれ給いき(P1095)
それに真言の邪法をもって蒙古調伏等を行なえば、かえって日本の国が滅びると仰せられ真言宗を徹底的に破折されている。
下山御消息
而るを今大蒙古国を調伏する公家武家の日記を見るに或は五大尊或は七仏薬師或は仏眼或は金輪等云云、此れ等の小法は大災を消すべしや還著於本人と成りて国忽に亡びなんとす(P363)

日蓮大聖人を害そうとした東条景信や、平左衛門尉等が、あるいは落馬し、あるいは謀叛の罪によって斬殺された等、四条金吾殿を主君に讒言して失脚させようとした同僚らが、後に追放され、四条金吾殿は三倍の加増を賜った事は、還著於本人と言える。

随筆「人間世紀の光」 声仏事を為す
 アメリカ・ルネサンスの旗手エマソンは洞察した。
 「胸奥(きょうおう)より湧き出(い)でたる温かき言葉は、予(よ)を富裕ならしめる」
 人に誠実な声をかければ、それだけ自分の生命が豊かになり、弾んでいくものだ。
 いわんや、広宣流布のために語った声は、大宇宙の妙(たえ)なる常楽我浄の律動に融合しながら、わが生命に歓喜の谺(こだま)となって戻ってくるのである。
 反対に、「おごれる者たちの驕慢(きょうまん)な言葉はおそろしい不幸の報酬を受ける」とは、フランスの女性思想家シモーヌ・ベーユが書き留めたギリシャ悲劇の一節であった。
 思い上がって、正法正義(しょうほうしょうぎ)の人に浴びせた誹謗の言葉は、必ず自分自身に還(かえ)ってくる――法華経に説かれる「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」(還(かえ)って本人に著(つ)きなん)の原理である。
 なかんずく人生の総決算の時に、因果の理法の上から、容赦なく断罪される。
 日寛上人の「臨終用心抄」には――
 「他人を譏(そし)り、その心を傷つけてきた者は、それが因となって、臨終のさい、全身の各所を鋭い刀で刺し刻まれるような断末魔の苦しみを受けずにはおられない」(趣意)と峻厳(しゅんげん)に説かれている。

日蓮大聖人の仏法を実践する我々は、人から怨嫉嫉妬され、悪口罵詈されようとも諸天の加護を得て、還って怨嫉嫉妬し、謗った本人が害を受ける。
また仏法は道理ですから、人生の晩年に全ての結果が出てくると池田先生も仰せです。
「誠実に、着実に」とよく池田先生は言われる。その短い言葉に人生の指針が込められている。

2008/12/21  サイコパスな人々

昨日の記事にも関連するサイコパスをご紹介する。

プロファイリング
ロバート・K・レスラーといってもピンと来ない人の方が多いかも知れない。
元FBI行動科学課主任捜査官の方だ。
『FBI心理分析官』と言う本のタイトルなら判るかな?

「人食いハンニバル」こと殺人鬼の精神科医ハンニバル・レクター博士が登場する「羊たちの沈黙」や、「レッド・ドラゴン」は彼の著作をベースに作成された映画だ。
あのFBIプロファイリングの技術を確立した人物である。

また、神戸の少年による殺人事件では、犯人確定の過程において日本の警察はレスラー氏にプロファイリングを依頼している。
「過去に動物虐待を繰り返してきた16歳から22歳で、小柄で内向的で、部屋にはバイオレンスな漫画をおいてある」とプロファイリングをして、難航していた捜査を一気に高みに引き上げた功績がある。
他につくば母子殺人事件ではNTVの取材に応じてプロファイリング結果をテレビ上で述べ、次の日に殺人犯(夫・医師)は自白をした。

彼の著作『FBI心理分析官』の中では米国の36人の凶悪連続殺人犯へのインタビューを元にした生い立ちから犯行後までの経緯が明らかにされている。
この本の中で彼は36人の連続殺人犯にインタビューをして分析している。
まず 表の中で目に入ってくるのが 白昼夢・強迫的マスターベーション・周囲からの孤立・虚言癖・夜尿症・周囲からの孤立/犯行・悪夢・器物の破壊・放火・盗癖・子供へのいじめに引き続き 高パーセンテージを示しているのが、少年期における動物への虐待 26人中の46%である。

凶悪犯罪には前兆がある。何もなくいきなり犯行が行われることは少ない。
犯人に特徴的なのは良心の欠落など、人格障害(サイコパス)だ。

虐待
動物虐待での引用もしよう。
子供の動物虐待は、最初から止めよう
「HSUS」 ロックウッド博士に聞く実証された犯罪との連動

 子どもと動物との触れ合いは、精神発達にいい影響を与えると考えられ、世界的にもその効果が研究され始めている。一方で、青少年による動物虐待も目立ってきている。子どものため、とペットを迎えるとき、何を考えることが必要か。こうした問題を研究している米国の心理学者の報告を、二週に渡って掲載する。第一回は、青少年の動物虐待について、先月都内で講演するため来日した米国最大の動物愛護団体「全米人道協会」(HSUS)のランダル・ロックウッド博士にインタビューした。
 青少年による動物虐待は、日本でも神戸の少年による連続児童殺傷事件以来、注目されるようになってきた。
 動物虐待は、「しょせん動物」と、周囲に軽視されがちだが、「動物虐待は、やがて凶悪犯罪へとエスカレートすることが多い」と、ロックウッド博士は警告する。それゆえ「最初の一撃で、止めなければいけない」と。
 米国では一九六〇年代に幼児虐待、七〇年代にDV(ドメスティック・バイオレンス)、最近は老人虐待が認知されるようになった。しかし動物虐待の認知は遅れており、警察もそれほど力を入れて捜査をしないのが現実だ。
●行動分析で判明
 だが七〇年代、FBIが多くの連続殺人犯のプロファイリング(犯人像を探る行動分析)を始めると、彼らの多くが殺人の前に重度の動物虐待や放火を行ってきたことが分かってきた。
 たとえば連続殺人犯のジェフリー・ダーマーは、七歳ごろから残虐な動物虐待を始めた。初めはオタマジャクシから始まり、やがては犬や猫を切り刻んで木につるし、友人に見せびらかした。近所の人も彼のそんな行為を知っていた。しかし父親は後のインタビューに答えて、「動物の体に対する知的好奇心がおう盛だと思い、将来外科医になるのではないかと期待していた」と話した。
 米国では近年、学校での銃撃事件も増えているが、その犯人の少年たちも動物虐待をやっている。ある少年は、母親とクラスメートを射殺する数カ月前、飼い犬を殺し、「僕は初めて愛するものに手をかけた」と日記に書いていた。
 動物虐待は、凶悪な事件の最初の段階で、発生している。なのに認知されるのは、いつも最後なのだ。たとえそれが小さな暴力でも、親や地域、専門家や警察は、真剣に取り組むことが求められる。
 子どもは往々にして、昆虫や小動物に興味を持ち、時には残酷なことをする。それと動物虐待との境界線は、どこか。
●境界線は7、8歳
 博士は「七、八歳になれば、やっていいことと悪いことの区別はつく。この年齢を過ぎても、動物虐待をしていたら危険と見るべきだ」と言う。動物虐待をするのは、九割以上が男子。男子は成長の段階で、暴力が男らしいと思う傾向があるからだ。
 日本でも四月以降、各地で猫や犬などへの暴力が頻発している。センセーショナルな犯罪は模倣されるケースがある。
 動物虐待は、DVとも並行して行われることが多い。「たいていは、ペットが家族のストレスをいやす存在になる。しかし家族が正常に機能していない家庭では、ストレスのはけ口がより弱い存在、ペットに向けられる」
 また多くの親は、子どもにペットの世話をさせて責任感を育てようとするが、これも方法を間違うととんでもない教育になる。
 「米国のある家で、父親は男の子に犬の世話をまかせた。男の子が食事を忘れたため犬は餓死し、父親は動物虐待に問われた。父親は私と同じ心理学者で、ショックだった。小さい子どもが、動物の命を維持するという重い責任が果たせるだろうか。ペットを飼うとは、むしろ親が正しい責任の示し方を、子どもに見せる機会と考えるべきだ」 (宮 晶子)
 ◆Randall Lockwood HSUS(ザ・ヒューメイン・ソサエティ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ)教育担当副会長。心理学博士。現在米国で同団体が展開している、ファースト・ストライク・キャンペーン(動物虐待を最初の一撃で止める)の主役を務める。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/hellopet/20020710/ftu_____hellopet000.shtml(元記事消失)

身近にいる子供がサイコパスにならない様に、大人がお手本を示さなければならないともしている。

本題サイコパスについて
サイコパスの定義
・良心の異常な欠如
・他者に対する冷淡さや共感のなさ
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が全く無い
・過大な自尊心で自己中心的
・口達者で浅薄な魅力
(サイコパス研究の世界的権威、犯罪心理学者ロバート・D・ヘア博士(Robert D. Hare)の定義によるもの)
ロバート・D・ヘア博士は「潮」などに寄稿しているのでご存じの方もいるだろう。

彼の著書『社内の知的確信犯を探し出せ』からも引用しよう。
 「サイコパスは、自分の望むものを手に入れるためなら、自分の言動で他人を傷つけても構わないと考える。それほど巧みに他人を操れるので、愛想のいい魅力的な仮面の下にサイコパスの人格が隠れているなんて、そう簡単に見破られるはずがない」
 「ただし、すべてのサイコパスが器用なテクニシャンというわけではない。社交術も話術もそれほどではなく、経験不足で人づき合いが苦手なサイコパスは、脅しや強制や暴力によって他人を支配し、欲しいものを手に入れようとする。通常、このようなサイコパスは、明らかに攻撃的で意地が悪く、他人を魅了して従わせるのではなく、脅しのアプローチを利用する」
愛想の良いサイコパスと意地悪なサイコパスがいるようだ。
意地悪な方は判りやすいが、愛想の良い仮面を被ったサイコパスは見抜くのが難しそうだ。
そこで具体的なサイコパスの行動を同じ著書から引用してみよう。

1.サイコパスの多くは周囲に寄生する。友人や家族の厚意や支援を利用し、ときには食い物にして、寛容さや人のよさにつけ込むのだ。そして、あちこちを転々とし、支援者のもとを渡り歩く。(P38)
2.多くのサイコパスは優れた話術を持っている。(P59)
3.サイコパスは周囲に与える自分の印象を自在に変えられる。(P59)
4.人にたかるのに罪悪感を覚えることもなく、四六時中だれかに経済的な支援を求める。(P68)
5.パートナーとなりうる異性を引きつけるために、執拗に、平然と、手練手管をろうして相手を操るが、その後はパートナーもパートナーとの間にできた子どもも見捨て、新たなパートナーに乗り換える。(P70)
6.サイコパスは自分に都合の悪いことはすべて他人や状況や運命のせいにする。(P75)
7.犯罪者として逮捕されたサイコパスが被害者に責任を転嫁することも珍しくない。(P80)
8.(サイコパスは)じつに巧妙に、気の利いた冗談を言って心を許しているふりをしながら、相手の内面の情報を徐々に引き出していく。(P104)
9.類縁団体(同じ価値観や信念を持つ宗教的、政治的、社会的な集団)のメンバーは、メンバー同士が信頼によって固く結びついているため、サイコパスにとってはきわめて魅力的なターゲットになる。(P119)
10.サイコパスは概しておきて破りだ。彼らにとって規則はほとんど意味をもたない。(P126)
11.サイコパスは自己中心的で人を操ることに長け、無責任である。企業のために誠実に仕事に励むこともない。(P157)
12.サイコパスには、人間の心理を理解し、他人の弱点や脆さを探り、利用することに長けている者が多い。(P169)
13.彼女はあるグループに何かを話した後で、別のグループにはそれと正反対の話をするんです。Aに対して「Bがあなたのことをこんなふうに言ってたわよ」と告げ口した後で、今度はBのところに行って、Aがあなたの悪口を言っていたと耳打ちする、といった具合です。(P173)
14.自分の思いどおりに事が運ばないと、執念深く根に持ち、チャンスがあれば仕返ししようと待ち構えている。(P237)
15.サイコパスと仕事をすれば、彼らの破壊的な行動によって散々な目に遭うことになる。(P244)
16.サイコパシーは精神疾患ではなく、パーソナリティ障害であり、サイコパスが外からはまったく正常に見えることは広く知られている。(P272)
17.サイコパスの最終目的は、あらゆる人に寄生して利用することにある。(P289)
18.サイコパスは隠蔽や言い逃れによって、自分のミスを人目につかないようにしてしまう。(P309)
19.サイコパスのつくり話には、必ずある程度の事実が織り込まれている。(P317)
20.サイコパスは、とくにコミュニケーションが不足している環境において、人々が対立するように仕向けるのがうまい。(P391)
なんだか、何処かの誰かを思い出すね。
斧さんはサイコパスと見抜いていたが、改めて「ナルホド!!」と納得してしまう。

2008/12/20  十界互具 魔の生命

今回はかなり重い話です。
年齢制限を設けます、未成年(20歳未満)若しくは20歳以上でも精神年齢がそれ未満の人はスルーしてください。

まずは元記事の引用からです。
2007年夏、ウクライナの都市ドニプロペトロウシクにて、わずか一ヶ月の間に3人のティーンエイジャー(現在は20歳)によって21人もの人々が殺害されるという事件が発生した。

犠牲者の中には老人や女性は勿論のこと、数人の子供達も含まれており、殺害の方法は一貫して鉄パイプやハンマーなどの鈍器による撲殺だったという。また、青年達は一部の犯行を行う際、その凄惨な場面を携帯電話で撮影していたそうだ。

彼らは皆、裕福な家庭で生まれ育っており、いずれの犯行も面白半分で行ったことを認めているという。2000年3月よりウクライナでは死刑制度が廃止されているため、この3人は現在も刑務所に服役中である。
犯人は面白半分に女子供ホームレスを襲撃し短期間に大量の殺人を犯した。
殺人を携帯で録画する神経も信じられないが、単独犯でなく3人だった点にも注意したい。

なにが彼らを犯行に駆り立てたのだろう?
どうして3人の内、一人でも止めに入らなかったのだろう?
犯行に及んだ心情は理解できない。まさしく奪命者そのものだ。
日本でもホームレスの襲撃などがニュースで流れることがある、その笑いながら襲撃する魔の生命に人種は関係ない。

だが、彼らのその残虐な生命は「我々」も持っている事だ。
また信じにくいが、そんな残虐な彼らにも「仏性」はあるのだ。
如来滅後五五百歳始観心本尊抄
問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。(P241)
無顧の悪人とは、悪事をかえり見る事の無い人の事。
妙法尼御前御返事
悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候(P1403)
法華経を信受する人はこんな悪人でも成仏すると仰せです。
日蓮大聖人のご時世では夜盗追い剥ぎ山賊は沢山居た時代です。
今よりも凄惨な事件は多かったでしょう。
当時の記録では埋葬する風習もあまり無かったので京の都でもそこら中に遺体が打ち捨てれられていたとの事。
その世相の中で悪人成仏はインパクトがあると思います。

件のウクライナは冷戦終結後、壊滅的な経済状況で教育がおざなりになりました。
彼らの幼少期はかなり過酷な時代だったでしょう。
日本でも少年犯罪が多かったのは昭和37年前後だそうです。やはり戦後の教育空白期が影響していると思われます。

未来部の育成が、まさしく良い未来の構築になると思います。



最後に
比較的グロ映像に耐性のある私だが最後まで映像を見る事は出来なかった。
途中までの映像でも、何とも言えない気持ちになる。
マスコミでは自主規制で流れないニュースだと思います。
死刑制度の事や教育の事、色々な問題提議してくれる事件だと思います。
そして世の中には、こんな世界がある事を学んでほしい。
元の記事&映像です。見たい方はコピペでどうぞ。(グロ映像なんでリンクは張りません、また未成年や影響される人は見ちゃいけません)
http://www.scaryblog.org/archives/1691

2008/12/19  革命的警戒心 着任の心構え

創価班牙城会の着任には、いつもと同じはあり得ない。
常識の範囲では「いつもと同じ」かもしれないが、心構えは必要です。

労働労災にはハインリッヒの法則と言うのがある。
保険会社の経営に役立てられています。

米国のハインリッヒ氏が労働災害の発生確率を分析したもので、それによると1件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、その裏にはケガはないがひやっとした300件の体験があるというものです。

俗に言う「ヒヤリハット事例」です。

着任にも同じ事が言えないだろうか?

日常、ヒヤリ・ハットの状態にまでいかないが(もしくは自覚しない)、実は非常に不安全な状態や行為となると、相当な件数になるはずです。
会場内を子供が遊んでいる。駐輪場で多宝会メンバーが自転車を出そうとしている等。
いつもやっていることだから、今までも平気だったので……、という不安全行為が、いつヒヤリ・ハットを飛び越え一気に重大事故になるかも知れません。

「1:29:300」でいい表されている比率は、よく考えれば非常に高い確率で重大事故を招くことを示唆しています。
いつやって来るか分からない事故を未然に防ぐには、不安全な状態や行為を認識し、ヒヤリ・ハットの段階で地道に対策を考え、実行(よい習慣として身につける)していくことが重要です。
積極的に声をかけるのも、その方法のひとつ。

ヒヤリハットが少なくなれば重大事故も少なくなる。

このように、1:29:300の法則を単に数字の問題、比率の問題として捉えるのではなく、自分が気付くが他の着任者(来場者)は気付かない。若しくはその逆。
そのヒヤリハットを着任者間にあるギャップとして捉える事。それを積極的な相互コミュニケーションによって、そのギャップを埋める必要性がより明白になってきます。

自分は注意していても、他人は気付いていない事は多々あると認識して、「あれ?なんか違う?」を放っておかない。
責任者にまず一報を入れる事、何事も無ければ良いのだから。

自分の違和感は見過ごさない。他人の行動には注目注意する。事故は先生が一番悲しまれる事を肝に銘じよ!

2008/12/18  うつ病にならない為に。

現代の社会はストレス社会です。
周りに翻弄され自分を見失う時があります。

そこで、今、自分がどの様な状況か?
自分の判断が合っているか?
認知の歪みをチェックしましょう。

デビッド・D・バーンズの認知の歪みの定義


臨床心理学の認知療法の理論によって、気分障害(うつ病等気分の変調を主症状とする病態)の抑うつ感の生起を説明する場合に必要不可欠になってくる図式は、『外界の事象→認知(思考)→感情・気分→行動』という行動メカニズムの図式です。

自然的事実や客観的な出来事が、そのまま気分・感情・行動に影響して、憂うつ感や無気力、不安感、焦燥感や自己破壊的な不適応行動を生み出すのではなく、自分の価値を低めて、悲観的で絶望的な予期や判断をする“自動思考”や自動思考を支える“認知の歪み”が不快で苦痛な結果を生み出しているというのがアルバート・エリスやデビッド・D・バーンズの考え方です。

デビッド・D・バーンズが、理論的研究や臨床的実践の中で発見し、そのエッセンスを抽出した“認知の歪み(推論の誤謬)”には、以下の十種類があります。

この認知の歪みが、自分自身を無価値化して無力化し、あらゆる物事に対する意欲や積極性を剥奪する“自動思考”を生み出す原因となり、うつ病の症状や耐えがたい不快な感情・気分を発生させます。

認知理論が、自然科学的な脳機能と心を同一視する精神医学の流れに与えた最大の衝撃とは、『うつ病を自分自身で克服しようとする決意と認知理論に準拠した努力が有意義である』ことが統計学的根拠によって実証されたことでした。

1. 全か無か思考(all-or-nothing thinking)
 ほとんどの問題は, 白か黒かのどちらかに決めることはできず、事実はそれらの中間にあるものですが、物事を見るときに、「白か黒か」という両極端の見方をしてしまうことを「全か無か思考」といいます。

<例>世の中には勝ち組と負け組みしかいないんだ。負け組みだったら生きている意味がないよ。
<例>自分のやった仕事に少しの欠点が見つかって、「完全な失敗だ」と思う。
    いつもAをとっている学生がたまたまBをとって,「もう完全にだめだ」と考える。

 このような考え方をすると、「完全に○○である」ということは実際にはありえないのに、いきすぎた自分の要求に自らをあわせようとしていることになります。これは無理なことなので、失敗して自信を失うことになります。
 日本でも古くから「中庸」ということばが尊ばれてきましたが、「白か黒か」という両極端の見方をせずに、柔軟にものを見ることが大切です。普段は柔軟な見方ができている人でも、ストレスがかかった状況が長く続くと、往々にしてこのような硬直した考え方に陥りがちになります。そしてこのことにより、一層ストレスがかかったり、気分が暗くなったりして、悪循環になりかねません。「いつも~である」、「完全に~である」、「決して~でない」といった考え方を頻繁にしてないか、一度、自分の思考パターンをふりかえってみてください。


2.一般化のしすぎ(overgeneralization)
 1つの良くない出来事があると,「いつも決まってこうだ」、「うまくいったためしがない」などと考えること。

<例>またフラれたよ。ハハ、俺はもう一生童貞確定だな。死にてえ。
<例>ある若い男性が、好意を寄せている女性に一度デートを申しこんで断られただけなのに、「いつもこうだ。自分は決して女性とつきあうことなんかできない」と考える。

 このような考え方をすると、いやなことが繰り返し起こっているように感じてしまうので、憂うつになってしまいます。

3. 心のフィルター(mental filter)
 1つの良くないことにこだわってくよくよ考え、他のことはすべて無視してしまうこと。ちょうど1滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように。「心のサングラス」ともいう。

<例>(5科目中4科目が100点なのに)国語80点・・・ダメだ。こんなんじゃ絶対落第だ。
<例>会社である企画を提案し、一般の評価はたいへんよいのに、ある人から受けた些細な批評が頭から離れず悩む。

 このような思考パターンに陥ると、なにごともネガティブにみてしまうので、気分は、当然暗くなります。


4.マイナス化思考(disqualifying the positive)
 単によいことを無視するだけでなく、なんでもないことやよい出来事を悪い出来事にすり替えてしまうこと。

<例>最近上司が妙に優しいのは、俺がリストラ候補に挙がってるからだ。
<例 >自分は能力がないと考えている人が、仕事がうまくいっても「これはまぐれだ」と考える(このような考え方をする人は、仕事がうまくいかないときは、「やっぱり、自分はダメなんだ」と考える)。

 「心のフィルター」は、ある出来事の肯定的な側面を無視することをいいますが、「マイナス化思考」は肯定的な側面の価値を引き下げることになり、いっそう悪い認知の歪みのパターンということができます。


5. 結論の飛躍(jumping to conclusion)
 根拠もないのに悲観的な結論を出してしまう

 a. 心の読みすぎ(mind reading):ある人が自分に悪く反応したと早合点してしまうこと
<例>俺のこの根暗な性格は一生直らないな。
<例>会社の上司に仕事の経過を報告したが、上司はあまり関心をはらってくれない、むしろそっけない態度のように思え、「この頃、自分は上司に嫌われている」と考えた。(上司は、例えば、より急ぐべき案件に心を奪われていただけかもしれない。)

 b. 先読みの誤り(the fortune teller error):事態は確実に悪くなると決めつけること
<例>食事に誘ったのに断られたのは、俺が嫌われてるからだ。
<例>「この病気は決してなおらない」と考える。(うつ病になるとこのような考え方に陥ることがよくあります。)


6. 誇大視と過小評価(magnification and minimization)
 自分の短所や失敗を過大に考え,逆に長所や成功したことを過小評価する。「双眼鏡のトリック」とも言う。

<例>学歴があっても、太ってるから仕事も恋愛も何もかもうまくいかない。痩せてさえいれば俺の人生バラ色だったのに。
<例>些細なミスをおかして、「なんてことだ。これですべて台無しだ」と考える。(この例では、失敗の意味を過大に考えているので「誇大視」といえる。些細な失敗を犯したことで今までのことが100%の失敗になると考えているとすれば、「全か無か思考」ともいえる。このように「認知の歪み」のパターンは互いに重なりあっている場合も多く、いつもどれか一つの分類だけにあてはまるわけではない。)


7. 感情的決めつけ(emotional reasoning)
 自分の感情が現実をリアルに反映して、事実を証明する証拠であるかのように考えてしまうこと。

<例>「不安だ。こんなに不安を感じるってことは明日の商談は失敗するに違いない。」

 感情的決めつけは、ネガティブな思考、感情が前面に出てきていて、ポジティブな思考、感情が後退しているような場面で生じやすい「認知の歪み」のパターンであることを考えれば、「心のフィルター」と密接な関係を持つことが分かります。


8. すべき思考(should thinking)
 何かやろうとする時に「~すべき]「~すべきでない」と考える。

<例>俺は常にトップの成績でなければならないんだ。
<例>「あの時、父親は怒るべきではなかった。」

   「第二次世界大戦はおこってはならなかった。」(→第二次世界大戦はおこるべきではなかった。物事の好き嫌いは別として、おこったことは現実として受け入れることが大切です。)

 何かをやろうとするときに、常に「~すべき」「~すべきでない」と考えると、その基準に合わせようとして自分自身を追い詰めることになります。
 できなかった場合は、あたかも自分が罰せられたように感じて、自己嫌悪に陥ったり、暗い気分になりやすいのです。「すべき思考」を他人に向けると、他人の価値基準とは往々にして合いませんから、イライラや怒りを感じることになります。


9. レッテル貼り(labeling and mislabeling)
 ミスを犯した時に,「自分は敗北者だ」、「とんまもの!」などと自分にネガティブなレッテルを貼ってしまうこと。
<例>また面接落ちか・・・。ホント俺はどうしようもない負け犬だな。

 レッテル貼りは、「一般化のしすぎ]が極端な形で現れたものです。レッテル貼りをすると、感情に巻き込まれて冷静な判断ができなくなります。


10. 自己関連づけ(personalization)
 何か良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合でも自分のせいにしてしまうこと。

<例>彼女が自殺したのは、俺が彼女の気持ちに気付いてあげられなかったせいだ。
<例>断酒できない夫を前にして、「自分はダメな妻だ。夫が酒をやめることができないのは自分の責任だ」と考える。

 他人に100%の影響を及ぼすことは不可能です。よくないことがおこった場合、それを自分の責任と考えるよりは、どうすれば問題を解決できるのかを考えるほうが健全で大切なことなのです。「自己関連づけ」の思考パターンを繰り返すと、罪の意識を感じることになり、その結果自己評価が低下してしまいます。

10項目ありますが、自分の思考パターンが判れば対処のしようもあります。
マイナスのスパイラルに陥らない様に、心の充電をしましょうね。

2008/12/17  三色旗の意義

皆さん、三色旗の意義って知ってます?
赤:勝利
黄:栄光
青:平和
の意義が込められてます。
その他の部ごとにも意義があるそうで、正直私は上記以外は知りませんでした。

婦人部に方にお聞きしましたので紹介します。

聖教新聞
赤:太陽
黄:知性
青:広宣流布

婦人部
赤:和楽
黄:求道
青:福運

創価大学
赤:人間
黄:文化
青:平和

創価学園
赤:情熱
黄:栄光
青:英知

男子部は?と尋ねたら「知らない」とのお返事(ノ_・。)
ご存じの方いましたら、コメント下さいm(_ _)m

2008/12/14  人本仏迹論、再燃

最近の学会系BBSに於ての「人本仏迹論」が再燃しております。

天城五兵衛氏の「若鷹別館」「天城五兵衛の掲示板・其の壱」での反論にて決着したと思ってましたが、未だ人本仏迹は教学の薄い人を引きつける様で「人本仏迹論は邪義なのか?いや間違っていない」等と言う論客もいます。

やまいぬ。氏や、もくれん氏などが種々の御書・ご指導を引用され反論さていますが、大抵は堂々巡りの議論に終始しています。

なぜならば殆どの人本仏迹論者は、その論拠に追加や補強がありません。始めから「議論」のつもりがないかの様です。
やまいぬ。もくれん両氏が次々と論拠テキストを開示しているのと比べれば一目瞭然です。

日蓮大聖人の本懐が御本尊(一大秘法は本門の本尊)と言うのが創価学会の公式見解です。
「いや違う題目こそが日蓮大聖人の本懐だ」と言う人本仏迹論がそれを証明する証拠を出せば良いのです。

仮に学会の論をA、反対論をBとします。
「Aは間違っている、Bが本当だ」と言うのであればB論拠をB論者が証明すれば良く、それに対してA論者がAの証明をすれば良いのです。

自分の論を自分で証明すれば良い。

しかし大抵のB論者はA論者に対しBが成り立たないのを証明しろと言う。

これは「悪魔の証明」以外何者でもない。存在する物の証明は数パターンしかないが不在する物の証明は無限パターンある。

これは犯罪を告発するのと一緒で、犯罪を証明すれば良いのであって証拠もないのに告発すれば名誉毀損や威力妨害にしかならない。
※なおアリバイとは現場不在証明の事で犯行が行われた際、被疑者が行っていた行動や滞在していた場所等を示し、犯罪の直接的な実行が不可能であったことを証明するもの。

出所は不明だが、よくコピペされます。参考までに
詭弁のガイドライン
議論するにあたり、真っ当な意見と見せかけ、実は詭弁で論点をはぐらかす輩が多々おります。
皆様も以下の「詭弁の特徴15条」を覚え、そういう輩を排除しましょう。
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合
   あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が……

1:事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
2:ごくまれな反例をとりあげる
「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」
3:自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」
4:主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」
7:陰謀であると力説する
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」
8:知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
10:ありえない解決策を図る
「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」
11:レッテル貼りをする
「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」
13:勝利宣言をする
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」
もう一つ
2ちゃんねる議論板「死刑」スレッドからの転載

議論の問題点を淡々と検討・指摘できない人の行動パターン

ラベリング型:発言内容を問うのではなく相手の姿勢そのものをレッテル貼り(ラベリング)することで、議論を一方的に誘導しようとする。
攻撃型:反論が目的であるかの如く、とにかく反論する。多くは言葉尻にのみ反応する。
宗教型:常識・人権・学会などの権威に依存していて、ある程度話を詰めると思考停止状態になる。
侮蔑型:様々な理由をつけてひたすら相手を蔑む。根拠不明の優越感を持っている。
一般化型:特殊な意見や個人的な価値観を敵性派閥全員が主張しているかのように一般化する。
単純型:釜茹でマンセーなど、深いことを考えていない単発の意見を書く。ネタの可能性大。
秘匿型:自分の意見を全く表明せず、安全地帯から他人の意見に茶々だけ入れて荒らす。
電波型:見当違いの会話や理論を押し付けてくる。突然逆ギレすることも。
分裂型:自ら上記のような手法を使うがそれは顧みず、他人が使ったときだけ鬼の首を取ったように責める。

社長様は御書やご指導を正確に引かれての発言は殆どないので論外だが、一部の論客は一大秘法もしくは出世の本懐の論拠として日女御前御返事や一生成仏抄を持ち出しています。
しかし、肝心な所が読めてません。

一生成仏抄は日蓮大聖人34歳の御作です。一方、日女御前御返事は56歳の御作です。佐渡前と佐渡後の違いがあります。

一生成仏抄の妙法蓮華経は御本尊の無い時、日女御前御返事は御本仏の立場で書かれてます。
「法華経をたもちて南無妙法蓮華経」は御本尊を受持して唱題の事言っているのです。
日女御前御返事
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり(P1243)
と前々段にあるので御本尊を受持するのが前提の御文です。なんの為の「旗印」か?

日女御前御返事と一生成仏抄を一緒くたにして「己心の南無妙法蓮華経」が出世の本懐や一大秘法の様に論ずるのは滑稽です。
まして一生成仏抄の何処にも「曼荼羅」は出て来ません。都合の良い脳内変換はやめましょう。

天城氏も書かれてますが御金言の「人法共に尊し」です。本迹を出す事がおかしいのです。
受持即観心や不惜身命、または依正不二、色心不二をどの様に捉えているのか?心配です。
論者の皆さん、一日も早く人本仏迹論を棄て広布の最前線で戦われる事をご祈念します。

2008/12/09  異体同心

 大切なのは異体同心の団結である。リーダーが師弟不二の精神に立って、互いに団結していくことだ。皆が一つになって戦えれば、これほど楽しいことはない。(中略)同志の間に不和があり、異体同心でなかったら、何をやってもうまくいかない。広宣流布は進まない。それどころか、かえって広宣流布を妨げる存在となってしまう。(2006/9/6付 各部代表研修会)

人間の団体なのだから同志の不和や、どうしてもリーダーに馴染めない時はあるだろう。
その時は指導を受けよう、そのままでは愚癡の温床になるしすっきりとは戦えない。

 人にやらせよう、だれかがやってくれるだろう---そういう心があれば本当の力は出ない。すべては長の一念で決まる。まず自分自身を革命する以外ない。そして、大事なのは、異体同心の団結である。心がバラバラでは、何をやっても、だめだ。青年のために。未来のために。同じ目的観に立った深き結束のあるところ、必ず、爆発的な前進が生まれる。(2006/3/23付 アメリカ創価大学代表協議会)

まずは率先垂範だ、一人立つ精神だ。自ら行動しなければ誰も付いては来ない。

 団結か分断か---あらゆる団体や組織にとって重要な問題だ。戦いである。「団結の力」こそが最も強い。創価学会が勝利していく道は「団結」しかない。御書には「異体同心」(1337㌻)等と仰せである。学会は永遠に、信心を根本にした「異体同心の団結」で進むのだ。万が一にも、身勝手な派閥などができれば、「異体異心」になってしまう。大切な広宣流布の組織は崩されてしまう。それでは、成仏への道は閉ざされてしまう。(2004/8/11付 各部合同研修会)

「私はこの打ちだしには従わない」「この戦いは不得手なのでやらない」「そのやり方では時代に合わない」など好き嫌いで信心したのでは修行ではない。
今日の新・人間革命にも
「大聖人は『佐渡御書』で、弾圧を恐れた弟子たちの言い分を、 『日蓮御房は師匠にておはせども余にこは(剛)し我等はやは(柔)らかに法華経を弘むぺし』 (御書九六一㌻)と記されている。つまり、彼らは、"大聖は自分たちの師匠ではあるが、その折伏の方法は、あまりにも強引すぎる。だから、迫害も起こる。自分たちは、もっと柔軟に法を弘めよう"と言うわけです。
 一応、言い分としては、弘教の方法諭への批判というかたちをとっているが、その本質には"大聖人の生き方はこうだ。しかし、われわれは別の生き方をしよう"という、師匠への"離反の心"がある。それは、無自覚ではあっても臆病な心から起こっている。
 五老僧の場合も同じだ。 "あれは日輿の生き方だ。われわれとは生き方が違う"という姿勢だ。実はこの"心"こそが、退転の元凶ではないだろうか」
とある。
自分勝手な戦いは離反の証しだと思う。

 縁深き同志の皆さんと「苦楽をともにしていく」リーダーであっていただきたい。たとえば、皆がお腹を空かせてないか、また暑くはないか、寒くはないか、そして何かで悩んでいないか---こう絶えず心を砕いていく。喜びも苦しみも共にしていく。その指導者の真心から、異体同心の団結がつくられていくのである。(2003/8/4付 全国最高協議会)


「苦楽」を共に、苦だけでもなく、楽だけでもない。全てを共に戦う。楽だけ一緒で苦から逃げたら団結は出来ない。
同苦しながらの楽しき組織を作れなかったら、勝利も人間革命も出来やしない。