2008/12/26  妙法蓮華経如来寿量品第十六

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長年未活動な部員さんからの質問がありました。

『なんで、創価学会は五座三座をしなくなったの?』と
色々と説明したが納得行かない様子なので、お経本と御書を紐解いてみた。

日蓮正宗教学小辞典(創価学会教学部編)
・自我偈
 法華経の如来寿量品第十六にある有名な偈で、自我得仏来から速成就仏身までをいう。

 偈とは偈他の略称で、仏の徳、仏の教えを賛嘆する詩のこと。
 偈他は梵語で、訳せば頌(じゅ)という。
 また偈には通偈と別偈があって、別偈のなかの重頌(じゅうじゅ)というのは、長行の説いたのを、さらに重ねて、偈頌(げじゅ)をもって説くのをいう。
 自我偈はこれにあたり、寿量品の肝心を再び述べたものである。
また
妙法蓮華経如来寿量品第十六
 爾時世尊 欲重宣此義 而説偈言(爾の時に世尊 重ねて此の義を宣べんと欲して 偈を説いて言わく)

寿量品長行と自我偈の義が同じであるとお経本に書いてある。

日蓮大聖人は仰せです。
法蓮抄
 今の施主十三年の間毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏乃能究尽なるべし、夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千大千三千世界の微塵の数をこそあげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり(P1049)
同じ法蓮抄には、以下の様にも仰せです。

「されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し」
「法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし」

幾重にも自我偈の重要性を述べられています。
松野殿御返事
御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり(P1381)

十如是(方便品)と自我偈を読んで題目を唱えなさい。と仰せになってますね。

御書全集の中に出てくる「寿量品」は161ヶ所、「自我偈」は24ヶ所、「寿量品の長行」はたったの1ヶ所しかない。
絶対に長行を読誦しなければならない訳でないのは、ここからもわかると思う。

それに何も創価学会は「長行を読んではいけない」とは言っていないしね。(私も偶に長行読みますよ、意外に忘れない物ですね。)
さも謗法の様に言う人に惑わされていた模様です。

何とか納得して頂いたのは寿量品長行と自我偈の義は同じ。
創価学会の教学小辞典の掲載云々以前に法華経の寿量品自体に説かれている。
寿量品長行に三大秘法の義が存在するのだから、論理的に自我偈にも三大秘法の義が存在する。
日蓮大聖人のご在世時には五座三座は無かった事も大きいですね。

まだまだ宗門に毒されている方はいらっしゃいますね。

02:00:00

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