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2011/07/05  地道な対話の積み重ね。

 先日の続き。
 家族で唯一の学会員の男子部Kさん。
 先日の対話で、学会理解者になった奥さんと、昨日改めて懇談をした。
 今回は娘さんと息子さんも、同席しての懇談会。

 地区婦人部長と一緒に、学会のDVDを見てから、ざっくばらんな質問会になった。
 「本尊とは?」
 「数珠や鐘の意味は?」
 「南無妙法蓮華経は何の意味がある?」
 「境涯って何?」
 など、1時間半以上の濃い対話が出来た。
 娘さんからも、細かい質問がされた。

 男子部のKさんは、まだ日が浅く、家族からの質問に答えられなかったのだ。
 今回の懇談で、少しは疑問も解決し、地元の婦人部も顔見知りになった。
 ご家族は、これからは毎日朝晩の題目三唱をしてみる事になった。
 中学生の息子さんは、未来部の会合の参加も約束した。
 また、今月の同時中継には、一家総出で参加する事も決まった。

 始めは、「学会を理解してくれないかも…。」と諦めていたKさんでしたが、蓋を開けてみると意外にもスムーズに事は運んだ。
 これも全て、昨日までの諸準備と連日の唱題会で祈ってくれた部員の団結があったからこそです。
 男子部のみ成らず、全支部体制での応援があったから上手くいったのだと思う。
 Kさんは、一家和楽の信心を目標に決意新たに、張り切っている。

 ただ単に「はい、折伏しましょう」では、日の浅い人は何をして良いか判らない。
 皆で、一人の部員の家庭環境を考慮し、部員の思いを尊重し、話し合っていく事。
 「どういう風に話を切り出したら良いでしょうか?」
 「前に○○と言った質問がありました。」
 「最終的には、××な形で一家全員で信心をしたいです。」

 最後は、何如唱題を上げきったか? ではないでしょうか?
 Kさんが、深夜に及ぶ残業にも負けず、祈り切った。
 周囲も、あらゆる事態を想定し意見を出しあった。
 折伏は、己自身との戦いではあるが、一人だけの戦いでもない。
 それこそ皆で一丸になって同苦し、喜びを分かち合ってこその折伏ではないでしょうか?

 私自身も、負けない戦いをしているつもりだ。
 未入信の私の妻は、今回の準備や婦人部との相談連係を横で見ていたが、何も言わず黙って協力してくれた。
 また、本部婦人部長と顔見知りにもなった。
 私も、近々場を設けるので、今は一生懸命に、その為の福運を溜めるんで忙しい。(笑)

2011/02/24  三障四魔紛然として競い起る

 私の所は、本日やっとこ年が明けました。(ウソ)
 すみません、かなり放ったらかしてました。m(_ _)m

 昨年は、とても思い出深い一年でした。
 部長と言う新しい立場で、挑戦の連続です。

 そんな中、3月に1通の封筒が届いた。
 かなり昔に登録した「骨髄バンク」からの骨髄提供のお願いだった。
骨髄バンク
 当時は法戦に向けての、ノンストップで走りぬけている最中。
 とても骨髄提供の為に4日も入院出来ない状況でした。
 しかし、コーディネーターに疑問やお話しをお伺いする中で、判ったのは患者の5年後生存率が提供するのとしないのでは、生存率が6割は違う事実。
 自身の骨髄バンク登録時の思いを思い出してもいた。
 本部長に相談し、区男に相談し、県書記長に相談した。
 「君の思う様にやってみなさい。その慈悲の心は無駄ではないから。」と言われた。
 戦いを止めない日時は? と地区や支部長に相談し調整を重ねた。
 コーディネーターに、「GWなら提供出来ます。」と連絡を入れた。
 すると、「では、事前検査をしますので、○○日に××病院で」と相なった。

 検査当日、仕事を半休して病院へ。
 コーディネーターから、事前説明を1時間ほど受け、承諾書にサインして検査する手順。
 血管外科の医師から、また説明を受けながら採血をした。
 連日の戦いで寝不足の為か、気分が悪くなりつつ採血終了。

 数日後、検査結果が出た。
 結果は「血液が基準外の為、提供対象外になります。これから2年間は登録解除です。」との事。
 ホッとするのと、残念な気持ちが半々。(^^;
 コーディネーターからは「血液の数値に問題があるから精密検査をした方が良いですよ。」とも言われた。
 そう言われると急に不安も押し寄せて来るのが、不思議な所。(笑)
 申し訳ない事に患者さんには、骨髄が提供出来なくなってしまい、他のドナーさんから提供で回復を祈る事しか出来ない。

 後日、再び病院に向かい、精密検査。
 検査の結果判ったのは肝臓不全とたん管ポリープの発見。
 そうか、最近疲れ易かったり、お酒に弱くなったのは連日の戦いの所為では無かったのね。(^^;;;
 幸いすぐに手術とかではなかったので良かったが、治療と生活の見直しをする事になった。
 禁酒と食生活の改善が目下の命題。
 お酒を飲まないのは平気だったが、深夜の食事を減らすのが辛かった…。

 体と相談しながらで、戦いが佳境に入った6月。
 同志のTさんが入院した。
 肺がんのステージⅢbだった。
 かなりのチェーンスモーカーだったので、冗談で肺がんになるぞ。と言ってたら本当になってしまった。
 彼は幼子もいる、働き盛りの37歳だ。
 寡黙だが熱い男で、信心強盛の「信念の人」でもある。
 一家の大黒柱が入院して家族は、さぞ大変だったと思う。
 2ヶ月に一度、経過報告してくれていた。
 10月、抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなった。と聞いた。
 12月には、少し体調が良くないが全力で広宣流布をしています。と聞いた。
 そんな報告を聞くと自身の体調不良など、Tさんに比べれば全然軽いと触発もされ、人材育成と新聞啓蒙も出来た。

 そして先日、Tさんが霊山に旅立たれた。
 全ての戦いに勝利しての旅立ちだった。
 病室でも仏法を語り、ターミナルケアで在宅になっても友人に政治も語っていた。
 未活動だった奥さんも、活動を始めた。
 子供たちに、「お父さんは病気に勝ったぞ」と宣言し、咳きも出ず、肺がんとは思えない程の安らかな旅立ちだった。

 12月にはF先輩が41歳で急逝した、その際私はとても動揺してしまいました。
 Tさんの急報には動揺しなかった私がいた。
 F先輩やTさんが、私に信心を教えてくれたからだ。
兄弟抄P1087
 此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。
通解
 この法門を説くならば、必ず魔があらわれるのである。魔が競い起こらないならば、その法が正法であるとはいえない。『摩訶止観』の第五の巻きには「仏法を持ち、行解が進んできたときには、三障四魔が紛然として競い起こる(中略)だが三障四魔に決して随ってはならない。畏れてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。『摩訶止観』のこの釈は、日蓮が身にあてはまるばかりでなく、門家一同の明鏡である。謹んで習い伝えて、未来にわたる信心の指針とすべきである。
 闘病と死を見つめた年。
 体調が悪ければ、サボろうと魔が出て来る。
 楽をしようと、言い訳が思い浮かぶ。
 それでは、人間革命も広宣流布も出来はしない。

 先日の新・人間革命「人間教育5・6」で池田先生が御教示してくださった。
愚痴の怖さは、言うたびに、胸中に暗雲を広げていくことです。心を照らす太陽が闇に覆われ、希望も、感謝も、歓喜も、次第に薄らいでいってしまう。
 そこで、自分の一凶は何かを見極め、それを絶とうと決め、懸命に唱題し、自身に挑戦していくことです。そこから、人間革命の戦いが始まるんです
 心に太陽を、希望を、感謝を、歓喜を。
 魔は「愚痴」の姿でもやって来る。
 一凶は色々な場面で出て来る。
 眉間に皺寄せて、家庭訪問しても歓喜は生まれない。
 ちょっとでも愚痴が出そうなら、そのまま愚痴にせず行動で解決しよう。

 常に、「今、何が出来るか」を考えよう。
 出来ない事を言うのは簡単。
 出来る事を行動するのが難しい。
 他人や後継に、自身の広宣流布を任せるのは止めよう。
 自分の国土を三変土田をするのは、自分なのだ。
 それも自身の為でなく他人の為になら、より行動した分だけ、幸福の寂光土を築けるのだから。

2009/05/02  イジメに悩む若き友へ。

私は生まれた時から大変な宿業だった様です。
前置胎盤の未熟児&仮死状態で生まれ、両親は医者に「諦めてくれ」と言われた。

すぐさま父は、池田先生にご報告して私の名前を頂いたそうだ。
父は「名前を貰ったのだから、絶対にこの子は使命がある」と一家揃って唱題をしてくれた。
そのお蔭で保育器の中で、生き延びた。
そんな私は幼少から虚弱でした。
体も人より小さく、幼稚園からイジメの対象になりました。
3才まで、殆ど喋らない子供でしたが幼稚園に入ってからは口が達者になったようで、今思えば生意気なガキでした(笑)

口喧嘩では負けない私は、体格の良い同級生には受け入れられず、いつもイジメや意地悪の対象になりました。

殴られる、蹴られる、物を隠される取られる等、あらゆるイジメは高校を卒業する間際まで続きます。

元来気性は頑固で、虐められての不登校は絶対にしたくなかったので泣きながら登校した事もあります。
小学校4年生の時には毎日のイジメになり、ほとほと困り悩み始めた。
そんな私に母は「悩みがあるなら唱題をしなさい」としか言いませんでした。
それではと毎日1時間の唱題に挑戦。
1ヶ月ほど経った時の事、唱題中にご仏智を頂きます。
「そうか、厭な相手の事を悶々と一日思い悩むのと、好きな女の子の事を思い悩むのは同じ事だ、自分の心に『誰か』を住まわせ心を占めるのなら、好きな女の子の事を占めさせよう」と閃いた。
この経験以降、イジメに遭うのではとビクビクする事はなくなり状況は暫く改善されます。

中学校に入って1年生はつつがなく過ごしますが、2年生になると状況が変ります。
所謂「不良グループ」が同級生内に出来上がります。
授業妨害、喫煙、喧嘩と荒んだ校内になりました。
そんなある日、脈絡もなく私が集団暴行の的になります。
いきなり殴られ、床へ投げ出されうずくまった状態の時、右目を靴先で蹴り上げられました。
体は痙攣を起し、呼吸も痛みでままならない。
騒ぎを聞いた教師が駆けつけますが、私の顔の右半分は腫れ上がり原形を留めていませんでした。
あまりの痛みに心の中で唱題を上げていたのを思い出します。
救急で病院へ行き、治療を受けますが右目は網膜剥離により見えませんでした。
右目が見えないと判ると、なぜか冷静に「障害者になるのかな?右目が見えなくても付ける職業ってなにかなぁ?」などと思ってました。
レントゲンで頭部や内臓を撮り、内部出血はない事は判りました。
取り敢えず自宅に戻り事になり、支度をしていると、ふと右目がうっすらと見えているに気が付きます。
「!?!」半ば諦めていた眼が見える事に思わず「功徳だ」と思わずにいられませんでした。

自宅に戻り、初めて鏡で顔を見ると驚いた。
ここまで顔って腫れるんだと思いましたね。
右半分は段差が無くなりスリットの様な細目があるだけ。

地区部長が話を聞きつけお見舞いに来て頂きましたが、驚いて二の句が継げない状態でした。
そんな状態は10日程続き学校に復帰したのは二週間後でした。

ケガの前は0.3であった視力は0.03と劇落ちし四六時中眼鏡をしないと生活が出来ない状態になりましたが、不思議と現状は受け入れられていましたね。

これが縁起になって福祉やボランティアに興味を持つ事になります。

その後、左目も右目に釣られて視力は悪化し23才の時の社員旅行風呂場大転倒を切っ掛けにレーシックをするのですが…それは又別のお話し。

閑話休題

その後イジメられる事もなく、絡まれても「ああ、コイツは子供なんだな、いっちょ私が大人になってみるか」と余裕もでき大事は起きずに卒業になります。

高校では、カンニングを告発してから一部グループから「シカト」と言う新しいイジメを受けますが、それも極短期間でした。

学生生活の大半にイジメが付き纏い、人よりはイジメがわかるつもりです。

その経験上、イジメられるのは、何より自分の境涯が低いからです。
 何か言われて直にカッとなっていないか?
 試しにもう一人の自分が目の前に居たら、ウザくて自分を虐めないか?
 卑屈ではないか?自分の畜生界が共鳴していないか?
 相手を心のどこかで見下していないか?
等など思うのです。

加害者の子供は分別が付かないから子供であって、自分の境涯を上げればイジメに立ち向かえる。
逃げる事もない、悔しさに苦しむ事もない。
なにより自分の心は自分の物だ。

誰の人生でもない、自分の人生だ。
桜梅桃李に自分らしく生きれば良い、楽しんで使命を果たす為に生まれてきたのだからね。

2008/10/21  ようこそ、JunkDarkの教学の勉強部屋です。

皆様、初めまして「JunkDark」(じゃんく・だーく)と申します。
元品の無明を打ち破りたく、かれこれ6~7年、2002年頃から使っているHNになります。

また、昔に池田先生がスピーチで信仰の姿勢についてフランスのジャンヌ・ダルクを引き合いに出されました。
ジャンヌ・ダルクのモジリでもあります。
その時「すごい、キリスト教徒の話なのに、(題材にして)スピーチしてる!!」と感銘と衝撃を受けました。

今、思えは普遍的な信仰心をスピーチしてくださっていたのですが、宗門の影響が強かった私は「こんな捉え方があるのか」と目から鱗が落ちました。
先生は権威ではなく個々の自立した信仰を、示されたのです。

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しかしその後、活動家のような未活動家のような中途半端(座談会・同時中継には行っていた)な状態が数年ほど続きました。

発心の切っ掛けは私の父の死でした。心臓発作でした。
昨日までの正月の勤行会で万歳もしていての突然死。
帰宅すると救急車が自宅前に止まっていて「なんだ、モチで窒息か?」と呑気に見ていたら運ばれてきたのは父でした。
つい4時間ほど前に出かけてくると会話もソコソコに家を出ていた、「なんで?」と頭はパニック。

そんな混乱している我が家を婦人部長は指揮をとり地区部長を使って(この辺はサスガだw)の葬式の準備・お手伝いをして頂いた。
学会2世の私は「創価家族って暖かいな」とは思っていましたが、「暖かいってなもんじゃない、熱いわ!」と認識を改めました。
雪の降る葬儀場、寒い中で案内係をしていた男子部部長に葬儀後「学会に恩返しがしたい」と訴え、翌年人材G創価班に入校しました。

十数年が過ぎ、恩返しが出来たのかと言えばまだまだで、部員部長本部長と教えられる出来事は沢山あり力不足を感じる所存。

そこでここに、教学の研鑽や対話力の強化の為に当ブログを立ち上げました。
諸先輩方のご指導ご鞭撻をお願い致しましてご挨拶に替えさせて頂きます。


2008/10/24一部訂正 颯さんご指摘ありがとうございます。
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