ブログ等のコメント欄が承認制の場合、良く聞く意見で「いっその事コメント欄を閉鎖したら」と言うのがある。
また、コメントを制御する為に「作為的に論調をコントロールしてる」なども聞こえる。
これはなぜ、コメント欄を承認制にするかを理解しないと平行線になる。
元々は「スパム」対策で承認制が出来た、そして「炎上」対策としても有効だ。
頻繁にブログを管理をしていれば、スパムが投稿されても削除すれば良いが中々そうは出来ない。
NGワード等で「スパム」は弾く事が出来るが、「炎上」には不向きでもある。
「炎上」は自体はかなり昔からあって、パソコン通信時代からあったようだ。
意見の対立が「炎上」の本質なので、意見の対立が起きなければ「炎上」も起きない。
ネットの特徴の「匿名性」が「炎上」を増長させる要因でもあるので、そこで「匿名」について議論は何度と無くされている。
2001年頃に議論された
「黒木ルール」と言うがある。
要約すると
・批判をするに辺り「匿名」は禁止。
・Web上に本拠地を持っていて「失言した時に恥をかく」ぐらいの自己紹介をする。
などだ。
しかし、これらは不特定のコメンテーターに対する「お願い」なんであって、書き込む「批判者」が「恥知らず」であるならば全く意味がない。
それを踏まえて
「津村ルール」と言うのも出て来た。
これは
・匿名の批判者には答えない宣言。(愛のスルー運動等)
だ。
これもかなり有効だが、そのブログや掲示板の新規参入者には判り辛く反応してしまう。
また、匿名でない批判者の扱いが難しい。
これら2つのルールでは自由に書き込める為に、管理が行き届かないブログや掲示板では、結果炎上しやすいのも事実だ。
最近でも
『【日本の議論】ネット上は匿名?実名? 勝間和代氏vsひろゆき氏の“議論”より』とネットの匿名について議論が行われている。
匿名にしろ実名にしろ意見の対立は起きる。
そこでいっその事コメントを承認制にして、炎上要因になりそうなコメントは載せない。
と言う手段が取られた。
この手法にはブログや掲示板を運営した事のある人とない人でも、意見の相違がある。
運営側では承認制を是とし、運営しない側は非とする様に見受けられる。
毎日来るスパムやコメントを捌くのはかなり骨の折れる作業だ。
コメント欄を閉鎖してしまえば、労苦は激減するだろうがネットの双方向性を損なうのでブログや掲示板の存在意義が問われる事になる。
あまりにも批判意見を載せないのも、自由な言論を損なう事にもなる。
そこは運営者の力量を示す部分でもある。
コメント欄が承認制であるにしろないにしろ。
批判者のコメントを削除すると批判者は「なぜ載せない、なぜ削除する」と憤る。
今や自身のブログや掲示板を設置する事も特殊なスキルでは無くなっている。
ブログや掲示板の運営者に「批判」をするのならば、自身で運営してそこで飽くなき「批判」をすれば良い。
自身は運営の労苦をしないで、他人の運営場所で「批判」するのは都合の良い話だ。
彼ら批判者は「新聞に投稿したが私の意見が載らなかった」と言うのだろうか?
新聞の載せる載せないは新聞社の裁量だ。
世間はそれを「了見が狭い」とは言わない。
通常、新聞に載らないのは、「投稿が取るに足らない」からと推察される。
同じくブログや掲示板で意見を載せないのも運営者の自由裁量だ。
「なぜ載せない」と躍起になるならば、その熱意を自身のブログや掲示板の運営に傾けたらより良い言論戦ができるのではと、私は思えてならない。