2009/10/11  初級・3級教学試験 「報恩抄」その2

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 前回からのつづき。

本文
 例せば風に随つて波の大小あり薪によつて火の高下あり池に随つて蓮の大小あり雨の大小は竜による根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながしというこれなり、周の代の七百年は文王の礼孝による秦の世ほどもなし始皇の左道によるなり、日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、

通解
 例えば、風の強さにしたがって波の大小がある。薪の量によって炎の高下がある。池の深さにしたがって蓮の大小がある。雨の大小は竜の大きさによる。「根が深ければ枝が茂る。源が遠ければその流れが長い」といわれるのは、このことである。
 中国の周の時代が七百年続いたのは、文王の礼孝が厚かったためである。秦の世がたちまち滅びたのは、始皇帝の行いが非道だったためである。日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年の先の未来までも流布するであろう。日本国の一切衆生の盲目を開く功徳がある。無間地獄への道をふさいだのである。

解説
 大聖人の死身弘法によって、南無妙法蓮華経が長く流布する事は間違いないことを示されています。

 「例せば風に随つて~始皇の左道によるなり」まで
 ここで挙げられている譬えは、いずれも、何事にも根本・源流の確かさ、深さ・正しさによって、その結果の成否も決まっていく事を示したものです。
 中国の周は建国の文王が礼孝を重んじた為に王朝が七百年と長く栄えましました。
 一方、秦の始皇帝は圧政と万里の長城や運河の建設の重科を加し国民を疲弊させて、たった15年で亡んでしまった。
 この様に国や時代が長く続く繁栄するには、草創の指導者の振る舞いや思想によって決まるという考え方が示されています。
 仏法は生命の根源の法です。また、人間の苦悩を解決する根本の思想です。この仏法を正しく実践する不惜身命の人々がいれば、長く広く人々を潤していけるのです。

 「日蓮が慈悲曠大ならば~無間地獄の道をふさぎぬ」まで
 日蓮大聖人の広大なる大慈悲ゆえに、末法万年にわたる南無妙法蓮華経の流通は間違いないとの御確信を示されています。
 日蓮大聖人は「主師親」の三徳を備えた御本仏です。
 「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり」(開目抄P237)と仰せです。
 本文の「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」は、「親の徳」にあたります。
 「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」は「師の徳」にあたります。
 「無間地獄の道をふさぎぬ」は「主の徳」にあたります。
 ここでの「盲目」とは、生命の根源的な迷いである「無明」によって「法性」の生命が開かれていない事を言います。
 「無明」とは、仕事や生活で「こうだ、こうしよう」と決めた事でも、出て来る迷いの事です。
 例えば「今日の夜の勤行を30分しよう」とか決意しても、勤行中に「あ、する事があった、15分で切り上げようかな?」とか。
 「明日、憧れの女性に告白しよう」と決意して、翌朝「やっぱり、今日は雨だから、明日にしよう」とか一度決意した事を覆す生命です。(笑)
 中々、迷いが抜け切らないのが人生ですが、信心では、よりもっとダイレクトに迷いが出て来ます。
 この迷いは自分だけでなく他人にも「第六天の魔王」として出て来ます。
 この迷いは無間地獄の入り口ですが、有り難い事に日蓮大聖人が道を塞いで戴いたので退転しなければ大丈夫です。

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