2010/10/12 2010年度任用試験「開目抄」
座談会拝読御書「開目抄」
開目抄が執筆された当時は、日蓮門下にとって試練の時でした。
師匠と崇(あが)めていた大聖人は冤罪で遠き佐渡の地へ流され、弟子達も罪人仲間の如く、大なり小なり迫害を加えられていた。
佐渡の地は、大聖人が「彼の国に趣く者は死は多く生はまれなり」(1052ページ)と仰しゃられるように、大変過酷な所で、弟子達は絶望し不安に陥った者もいた。
この時、退転者が数く出、そして中には、敵対していた念仏者よりも酷く、大聖人の悪口を言う者まで出ていました。
そんな最中に佐渡の塚原で著わされ、文永9年2月、四条金吾を通して弟子一同に伝えられました。
「我並びに我が弟子」、日蓮大聖人は、万感を込めてこう呼びかけられています。大聖人は、法華誹誘の衆生と同じ姿で悪世末法に生まれ、「法華経の行者」となって「三類の強敵」による大難と戦い、誇法の罪業を消し去って、成仏という生命究極の勝利の姿を現されました。この難即悟達の闘争は、末法の衆生のために、大聖人が先頭に立って開き示された成仏の大道です。ゆえに大聖人は、「我並びに我が弟子」と、弟子たちに、師匠と不ニの信心で諸難に戦い勝って成仏していくよう教えられたのです。
大聖人は、いざという時のために、こうした法門を教えられてきましたが、多くの弟子たちは、現実にその時が来ると、疑いを起こして退転していきました。最も大切な師弟の約束を果たすべき「まことの時」を決して忘れてはなりません。
厳しき宿命の冬を、不撓不屈の信心で勝ち越えて、わが人生の勝利の春を堂々と謳歌していきましょう。
弟子よ、師匠のごとく苦難に勝て
日蓮大聖人が「一期の大事」を示された「開目抄」の結論部分であり、創価三代の師弟が身口意の三業をもって拝してきた御聖訓です。
成仏を目指す闘争の途上に、苦難は避けられません。諸天の加護が現れない厳しい試練の時もあるでしょう。しかし、その時に、疑ったり嘆いたりしてはなりません。今こそ宿命転換の好機だと勇んで立ち上がっていくことです。
池田名誉会長は語っています。 「現実は、さまざまな、いやなこと、苦しいことの連続かもしれない。しかし、それらがあるからこそ、成仏への大境涯を広々と開くことができる。あたかも、ジェット機が高速で急上昇していくように、苦難を糧として、境涯を急速に高めていけるのである。大聖人が仰せのように”難即安楽“である。また”難即解脱”であり、”難即前進”なのである」
今回の御書は五大部のひとつ開目抄です。
ほかに立正安国論・観心本尊抄・撰時抄・報恩抄があります。
別名・法本尊開顕の書(ほうほんぞんかいけんのしょ)ともいい、観心本尊抄(人本尊開眼の書)と並ぶ重要な御書です。
PS
え~~っ、そうかねっとからお越しの皆さん、折角ですから「ぶつかり稽古」でもしましょう。(^^)
疑問点など、思う存分聞きましょう。
恥ずかしがらずに遠慮無く。
私が解らなければ、一支国親方や鯖理事長がいますんで安心して下さい。(笑)
23:00:00
背景と大意解説
「開目抄」は日蓮仏法の真髄が明かされた一書です。大聖人が、極寒の流罪地・佐渡の塚原で著され、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通して弟子一同に伝えられました。
この時期、大聖人一門は、激しい弾圧の渦中にありました。前年の9月12日、大聖人は、竜の口の頸の座に臨まれ、その翌月には、佐渡に流罪されました。弟子たちも投獄・追放・所領没収な迫害を受け、「かまくらにも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候」(907ページ)と言われるほどの打撃を受けました。
世間の人々や動揺した弟子たちからは「大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天の加護がないのか」と厳しい批判が起こりました。こうした批判を一掃し、末法の衆生を救いゆく、「法華経の行者」の真実に目を開かせるために、本抄は著されました。
まず冒頭では、一切衆生が尊敬すべきものは主師親であるという本抄の主題を示され、儒教・外道・仏教の主師親について検討されます。続いて、仏教において一代の経々の勝劣を検証され、法華経の本門寿量品に示された一念三千こそ究極の成仏の法であることを明らかにされます。その際、大難が競うのを承知のうえで、末法にこの法を説き始めた覚悟を述べられます。
続いて「なぜ諸天の加護がないのか」という批判に答えられ、「三類の強敵」が国中に充満しているのは法華経に照らして明白であり、「法華経の行者」は、この強敵と戦う大聖人以外にないことを示されます。
そして、諸天の加護がどうあれ、妙法を弘めて日本の柱・眼目・大船となろうという誓願に生き抜く覚悟を示され、弟子たちには、どんな難があろうと信心を貫き通していけば必ず仏界に至るという末法の成仏の道を教えられます。
そして「法華経の行者」として生き抜かれる大聖人こそ「日本国の人々にとって主師親たる存在であると結論されるのです。本文通解
我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。
天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏でないからと嘆いてはならない。
私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。愚かな者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。
開目抄が執筆された当時は、日蓮門下にとって試練の時でした。
師匠と崇(あが)めていた大聖人は冤罪で遠き佐渡の地へ流され、弟子達も罪人仲間の如く、大なり小なり迫害を加えられていた。
佐渡の地は、大聖人が「彼の国に趣く者は死は多く生はまれなり」(1052ページ)と仰しゃられるように、大変過酷な所で、弟子達は絶望し不安に陥った者もいた。
この時、退転者が数く出、そして中には、敵対していた念仏者よりも酷く、大聖人の悪口を言う者まで出ていました。
そんな最中に佐渡の塚原で著わされ、文永9年2月、四条金吾を通して弟子一同に伝えられました。
「我並びに我が弟子」、日蓮大聖人は、万感を込めてこう呼びかけられています。大聖人は、法華誹誘の衆生と同じ姿で悪世末法に生まれ、「法華経の行者」となって「三類の強敵」による大難と戦い、誇法の罪業を消し去って、成仏という生命究極の勝利の姿を現されました。この難即悟達の闘争は、末法の衆生のために、大聖人が先頭に立って開き示された成仏の大道です。ゆえに大聖人は、「我並びに我が弟子」と、弟子たちに、師匠と不ニの信心で諸難に戦い勝って成仏していくよう教えられたのです。
大聖人は、いざという時のために、こうした法門を教えられてきましたが、多くの弟子たちは、現実にその時が来ると、疑いを起こして退転していきました。最も大切な師弟の約束を果たすべき「まことの時」を決して忘れてはなりません。
厳しき宿命の冬を、不撓不屈の信心で勝ち越えて、わが人生の勝利の春を堂々と謳歌していきましょう。
弟子よ、師匠のごとく苦難に勝て
日蓮大聖人が「一期の大事」を示された「開目抄」の結論部分であり、創価三代の師弟が身口意の三業をもって拝してきた御聖訓です。
成仏を目指す闘争の途上に、苦難は避けられません。諸天の加護が現れない厳しい試練の時もあるでしょう。しかし、その時に、疑ったり嘆いたりしてはなりません。今こそ宿命転換の好機だと勇んで立ち上がっていくことです。
池田名誉会長は語っています。 「現実は、さまざまな、いやなこと、苦しいことの連続かもしれない。しかし、それらがあるからこそ、成仏への大境涯を広々と開くことができる。あたかも、ジェット機が高速で急上昇していくように、苦難を糧として、境涯を急速に高めていけるのである。大聖人が仰せのように”難即安楽“である。また”難即解脱”であり、”難即前進”なのである」
今回の御書は五大部のひとつ開目抄です。
ほかに立正安国論・観心本尊抄・撰時抄・報恩抄があります。
別名・法本尊開顕の書(ほうほんぞんかいけんのしょ)ともいい、観心本尊抄(人本尊開眼の書)と並ぶ重要な御書です。
PS
え~~っ、そうかねっとからお越しの皆さん、折角ですから「ぶつかり稽古」でもしましょう。(^^)
疑問点など、思う存分聞きましょう。
恥ずかしがらずに遠慮無く。
私が解らなければ、一支国親方や鯖理事長がいますんで安心して下さい。(笑)
23:00:00