2010/11/21  2010年度任用試験 教学入門「信心と生活」

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 教学入門「信心と生活」

8.信心と生活
 日蓮大聖人の仏法は、現実の人生の中で「崩れざる幸福境涯」を築いていくための信仰です。そのためには日々の生活の中で信心の実践を積み重ねていくことが重要な意味をもってきます。信心は自らの生命の鍛錬にほかならないからです。(略)

信心即生活
(略)
 御書には「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(1295ページ)とあります。この御言をいただいた人にとって「御みやづかい」とは主君等に仕えることですが、今日の私たちの立場にあてはめれば、職業・仕事・生活にあたります。
(略)
 以上のように、大聖人の仏法においては信心と生活は一体です。ゆえに、創価学会の指導には、「信心即生活」といって、生活はその人の信心の表れであるととらえて、信頼される社会人として、生活に勝利していくべきことを説いています。

人の振る舞い
 仏法は「人間としての勝利」を教えた宗教です。
 日蓮大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)と仰せです。
 釈尊が仏法を説いたその根本の目的(釈尊の出世の本懐)は、特別なことではなく、人間としてどう生きるべきかを示すことにあったとの仰せです。
(略)
 最高の「人の振る舞い」とは、「人を敬う」行動です。すなわち、万人の生命の中に仏の生命があると捉えて、その仏の生命を尊重し、万人を敬っていく行動です。根本は、万人を仏にしていこうとする誓願の生き方です。具体的には、目の前の「一人」の人間を大切にしていく実践となって表れます。
 法華経では、万人の中に秘められている仏の生命を敬い、あらゆる人を礼拝していく、不軽菩薩の実践が説かれます。その人自身が自分の仏界をまだ自覚していなくとも、生命の可能性としては誰人も仏の生命をもっています。したがって、万人を「仏子(仏の子)」として尊重していく生命尊厳、万人平等こそが、仏法の精神となります。また、それゆえに、仏法から暴力は生まれません。社会にあっては、万人尊重の原理から、対話をもって社会の変革を実現していこうとするのが日蓮大聖人の仏法です。
(略)
 信仰を非日常にしても自己変革も、周囲の変革もありません。
 人生は他人からの評価の為に生きて行く訳ではありません。
 が、「他人からどう思われても、オレは関係ない、好きな様に生きるんだ」では、薄っぺらい幸せしか手に入りません。
 最高の人生を築き、一家和楽と浄土を構築するには、「目の前の一人(他人)を幸せにする行動」が第一歩です。
 しかし、自分の為でなく他人の為にする行動ならば、そこは「どう思われても関係ない」のです。
 一時的には「不当な評価」や「無評価」があるかも知れませんが、いつかは何倍もの福徳となって返って来ます。
 池田先生は、常に「誠実に」と仰しゃられています。
 善の連帯を広げ、人を軽視する悪を滅する実践が日常での信仰の姿です。

12:00:00

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