2011/09/17 青年教学1級 撰時抄 はじめに。
続いて「撰時抄」です。
撰時抄
文永11年5月には、大聖人は身延に入られました。
それは仏法が「今の時を生きている民衆」のためにあるからです。
ゆえに本抄の題号の「撰時」が重要なのです。
「時を撰ぶ」とは、「広宣流布の時として末法を選び取る」との意です。
戸田先生は叫ばれました。
「大聖人の御出現の根本は『南無妙法蓮華経』という法門によって、日本中、いな東洋中、いな世界中の人々を幸せにするためである」と。
今回、「撰時抄」を拝し、大聖人が御予言なされた世界広宣流布の「時」が到来している意義を学んで、この広宣流布の時を、不惜身命を生命に燃え上がらせていきましょう。
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撰時抄
背景(5巻107紙・玉沢妙法華寺外4所散蔵)この前年(文永11年)4月、佐渡から鎌倉に戻られた大聖人は、鎌倉幕府の権力者である平左衛門尉と対面し、3度目の国主諫暁をなされました。(三度の高名)
「撰時抄」は、建治元年(1275年)、日蓮大聖人が、駿河国(現在の静岡県中央部)の西山由比(由井)氏に与えられたとされる御書である。
本抄御執筆の前年、文永11年(1274年)10月に蒙古が襲来して、壱岐・対馬と北九州の一部が襲われた(文永の役)。そして、この建治元年春には、蒙古の使者が再度来航した。蒙古の再びの襲来が想定される騒然としたなかで、大聖人は本抄を著されたのである。
文永11年5月には、大聖人は身延に入られました。
題号の意義仏法は、どこまでも「時」を重視します。
撰時とは、「時を選ぶ」ことである。すなわち、法華経の肝心である南無妙法蓮華経の大白法が広宣流布する時として、末法を選び取るということである。
それは仏法が「今の時を生きている民衆」のためにあるからです。
ゆえに本抄の題号の「撰時」が重要なのです。
「時を撰ぶ」とは、「広宣流布の時として末法を選び取る」との意です。
大意
末法は、「闘諍言訟・白法隠没」といって、仏教の中で自説に執着する者が多く、争いが絶えず、正しい仏の教えが見失われていく時代である。大聖人は、この時代にあって、南無妙法蓮華経の大法こそが、末法の人々を根本的に救う大良薬であると示され、末法の今こそ、南無妙法蓮華経が広宣流布していくべき時であることを明かされたのである。
本抄は、まず冒頭に「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(256ページ)と仰せられ、仏法の弘通にあっては、必ず「時」を根本基準としていかなければならないことを示されている。そのうえで、末法が南無妙法蓮華経の広宣流布の時であることを、経釈を引きながら示されている。
そして、大集経の五箇の五百歳に沿って、釈尊滅後の仏教史を描かれる。その結論として、白法隠没の時に続いて、仏の真意を直ちに明かす最も勝れた肝要の法が、日本国並びに一閻浮提に広宣流布することは疑いようがないことを示されていく。
続いて、広宣流布の法と時を把握された人は誰かを明かされていく。
その最初に、大聖人が「閻浮第一の法華経の行者」(266ページ)であると一応の結論を示されたうえで、再び釈尊入滅後の正法・像法二千年の仏教史をたどられている。これは、正法時代の竜樹、天親も、像法時代の天台、伝教も、まだ明かしていない「最大の深密の正法」が、末法の始めに広宣流布することを確認するためである。
続いて、この正法を弘めていく「法華経の行者」を明かすために、まず破邪顕正のうち、破邪を軸に、念仏、禅、真言の三宗を破折し、さらに法華宗であるべき天台宗を真言密教化させた慈覚らを師子身中の虫として糾弾されている。
そして、この「大謗法の根源」をただした日蓮大聖人こそが、閻浮提第一の法華経の行者であり、智人であり、聖人であることを明らかにされていく。
そして、最後に、弟子たちに不惜身命の修行を勧められて、本抄を結ばれている。
戸田先生は叫ばれました。
「大聖人の御出現の根本は『南無妙法蓮華経』という法門によって、日本中、いな東洋中、いな世界中の人々を幸せにするためである」と。
今回、「撰時抄」を拝し、大聖人が御予言なされた世界広宣流布の「時」が到来している意義を学んで、この広宣流布の時を、不惜身命を生命に燃え上がらせていきましょう。
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