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2011/09/05  青年教学1級 開目抄第20段「末法法華経行者の所由」

 真実を知っている。
 それを言わなければ無間地獄、言えば三障四魔。
 皆を救う為に不退転の誓願をした。

第20段「末法法華経行者の所由」
 此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賎・其の上貧道の身なり、輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も・強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。
 これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ。
 ここに、日蓮が考えるには、世はすでに末法の時代に入って200年余りが過ぎた。しかも日蓮は、日本の辺地に生を受け、そのうえ身分は低く、更に貧しい僧の身である。
 かつて、地獄から天界までの六道を輪廻している間に、あるいは人界・天界の大王と生まれて、大風が小さな木の枝を吹きゆるがすように多くの人々をなびかせたこともあったが、その時も仏になることはなかった。
 大乗経や小乗経を修行して、一分の理解もない凡夫から少分の理解を得た凡夫へ、そして大菩薩へと修行の位をのぼり、一劫・二劫・無量劫という長い間の菩薩の修行を実践して、すでに不退転の境地に入ろうとしていた時も、強盛な悪縁によって退転させられてしまい、成仏できなかった。
 このような日蓮は、三千塵点劫の昔に大通智勝仏の法華経に結縁しながら全く信じなかった第三類の者で釈尊在世の法華経の会座にももれた者なのであろうか。あるいは、五百塵点劫という久遠の昔に、法華経の下種を受けながら退転して、今ここに生まれ来たのであろうか。
 (いずれにせよ)法華経を修行していくうちに、世間の悪縁、政治の権力者からの迫害、外道からの迫害、小乗経の人々からの迫害などは耐え忍んできたけれども、権大乗経・実大乗経を究めたように思われる道綽・善導・法然らのような、仏法を破壊する悪魔がその身に入った者が、法華経を強く褒めあげる一方で、衆生が仏法を理解し実践していく力(=機)は低いとし、(道綽が『安楽集』で言っているように)「法華経の法理は深いけれども、ほとんどの人は理解できない」と立て、「法華経を修行する人はいまだに一人も得道した人はいない」(未有一人得者)と述べ、(善導が『往生礼讃』で言っているように)「法華経は千人が修行しても一人も得道できない」(千中無一)などと言ってだましたのである。そのような者に、無量生の間、ガンジス川の砂粒のように数えきれないほどだまされて、法華経を捨てて権経に堕ちてしまった。
 更に権経から小乗経に堕ち、更に外道・外典の教えに堕ちた。
 そして結局は、悪道に堕ちてしまったのだということを深く知ったのである。
 日本国でこのことを知っている者は、ただ日蓮一人である。
 このことを一言でも言い出すならば、父母や兄弟、師匠、更に国の権力者による迫害が必ず起こってくるにちがいない。
 しかし、言わなければ無慈悲と同じことになってしまう。
 どうすべきかと考え、法華経や涅槃経などの文に、言うか、言わないか、の二つを照らし合わせてみた。
 すると、言わないでおけば、今世では何ごともなくても、来世には必ず無間地獄に堕ちてしまう。もし、言うならば、三障四魔が必ず競い起こってくる、ということが分かった。
 この二つの中では「言う」ほうを選ぶべきである。
 しかしながら、国の権力者による迫害などが起こってきた時に退転してしまうようであるなら、はじめから思いとどまるのがよいだろうと、しばらく思いめぐらしていたのであるが、その時に思い当たったのが法華経見宝塔品の六難九易であった。
 「私たちのような力がない者が須弥山を投げることができても、私たちのような神通力がない者が枯れ草を背負って、燃え盛る火の中で焼けないことがあっても、私たちのような無智の者が、ガンジス川の砂のように、数え切れないほど多くの経典を読み覚えることができたとしても、法華経の一句一偈すら末法の世で持つことは難しい」と説かれているのが、まさにこれである。
 このたびこそ、仏の悟りを得ようとの強盛な求道心を起こして、決して退転しない、との誓いを立てたのである。

 さてそこで、自分のことを振り返ってみると、片田舎の、身分の低い家に生まれ、しかも ビンボーである。
 前世において、王様になったことも、法華経を修行したこともあったけど、悪縁にあって成仏はできなかった。
 今世になって、法華経こそ成仏の法で、その他の念仏なんかは地獄の法であると主張しようかと思ったけど、そんなこと言い出したら、すごい迫害があるだろう。
 かといって、言わないでいたら、人々が不幸になるのをむざむざ見過ごすようなもので無慈悲だ。
 法華経などを読むと、言わないと地獄に落ちる、言えば三障四魔が競い起こると書いてある。
 どうしたもんかなと考えているうちに、宝塔品の六難九易に思い当たった。
 そして、今度こそ絶対に退転しないぞと誓った。(そして立教開宗した)

 ※六難九易……法華経の宝塔品で、釈尊が「滅後の弘教は、すごく難しいが、それでもがんばる人がいるか?そんな人がいたら、仏はとても喜ぶし、賛嘆するよ!」と言うために説いた「6つの難しいこと」(六難)と「9つのやさしいこと」(九易)。
 「やさしいこと」は、たとえば、枯れ草を背負って炎の中に入っても焼けないとか、エベレストみたいな山を投げることなど。
 「難しいこと」は、法華経を一句一偈でも説くなど。
 つまり、仏の滅後(すなわち今)、折伏するのは、本当に本当に難しいこと。
 それでも苦難に負けずに、広宜流布せよ!その人こそ真の仏の使いだ!と覚悟を決めさせる意味がある。

2011/09/05  青年教学1級 開目抄第17段「難信の相を示す」

 そうは言っても信じがたいのです。

第17段「難信の相を示す」
 日蓮案じて云く二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ、久遠実成は又にるべくも・なき爾前づりなり、其の故は爾前・法華相対するに猶爾前こわき上・爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず、本門十四品も涌出・寿量の二品を除いては皆始成を存せり、雙林最後の大般涅槃経・四十巻・其の外の法華・前後の諸大経に一字一句もなく法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず、いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすてて但涌出・寿量の二品には付くべき
 日蓮が考えていうには、二乗作仏についてすら、爾前の二乗不作仏の教説が有力であるように感じられる。久遠実成については、それとは比べものにならないほどに、多くの経説が爾前経の始成正覚よりである。
 なぜかと言えば、爾前と法華を比べてみると、爾前のほうが優勢である上、爾前だけでなく法華経のなかでも迹門14品は一向に爾前と同じ始成正覚の立場であるからである。
 本門14品でさえも、涌出・寿量の2品を除いては、皆、始成正覚の立場が残っている。
 そのうえ、沙羅双樹の林で釈尊が最後に説かれた大般涅槃経40巻をはじめ、その外の法華前後の諸大経には、一字一句たりとも「久遠実成」という言葉はなく、法身の無始無終は説いているけれども、応身・報身の顕本は説かれていない。
 どうして、広博な爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経を捨てて、ただ涌出・寿量品の2品だけに付くことができようか。

 そうはいっても、やはり爾前経のほうが、本当っぽいような気がする(爾前づよ・爾前づり)。
 つまり、二乗作仏も久遠実成も、なかなか信じられない。
 なぜなら、法華経に比べれば、爾前経のほうが量的に多いし、法華経に入っても迹門ではまだ久遠実成は説かれていない。
 また、法華経本門でも、涌出品と寿量品以外は始成正覚の立場が残っている。
 ほとんどの経典に反して、涌出品と寿量品だけが説いていることを信じるのは、ちょっと難しい。

 <第18、19段は、二乗作仏と久遠実成は法華経寿量品には限らない、という法相宗の主張などを取り上げ、そういう意味から言っても法華経を信じることが、とても難しいことを示す>

2011/09/03  青年教学1級 開目抄第16段「爾前・迹門の二失を顕す」

 爾前と法華経迹門の2つの欠点。

第16段「爾前・迹門の二失を顕す」
 華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり、此等の経経に二つの失あり、一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり、此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににたり、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし、かうて・かへりみれば華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦・方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は・此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給うを・諸宗の学者等・近くは自宗に迷い遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想いをなし或は入つて取らんと・をもひ或は縄を・つけて・つなぎとどめんとす、天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云。
 華厳経をはじめ般若経・大日経などの諸経は、二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を隠して説かなかった。
 これらの経典には、二つの欠点がある。
 一つには、「行布すなわち段階や差別を設ける考え方を残している故に、まだ方便の教えにとどまり、真実を明かしていない」と言われるように、迹門の一念三千を隠しているのである。
 二つには、「仏の成仏は始成正覚であると説くので、まだ仏の仮の姿を取り払っていない」と言われるように本門の久遠実成を隠しているのである。
 (迹門の一念三千と本門の久遠実成という)これらの二つの大法は、釈尊一代の教えの大綱・骨格であり、全経典の心髄である。
 迹門の方便品は、一念三千・二乗作仏を説いて、爾前経がもつ二種の欠点のうちの一つを脱れている。そうはいっても、まだ釈尊が発迹顕本していないので、真実の一念三千も顕れていないし、二乗作仏も定まっていない。
 それは、(天の月を求めて)水中の月を見ているようなものである。根なし草が波の上に浮かんでいるのに似ている。
 本門にいたって、始成正覚の教えを打ち破ったので、それまで説かれた四教の果は打ち破られてしまった。四教の果が打ち破られたので、(その果に至るための)四教の因も打ち破られた。
 爾前・迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕した。これが即ち本因本果の法門である。
 九界も無始の仏界に具わり、仏界も無始の九界に具わって、真の十界互具・百界千如・一念三千となる。
 こうして振り返ってみると、華厳経の台上の十方の諸仏、阿含経の小釈迦、方等部・般若部の金光明経・阿弥陀経・大日経等の権仏などは、この寿量品の仏という天月がしばらくその影を大小の器に浮かべたのにすぎない。
 ところが、諸宗の学者らは、近因としては自宗の邪義への迷いのために、遠因としては法華経の寿量品を知らないために、水中の月について、実の月のように想いこんで、あるいは水に入って取ろうと思い、あるいは縄をつけてつなぎとどめようとしているのである。
 このことを、天台大師は「天の本物の月を識らないで、ただ池に映った影の月を観じているだけである」と述べている。

 法華経本門が脱かれる前の爾前経と迹門には2つの欠点がある。
 まず、爾前経は、「二乗作仏」を脱いていないから十界の衆生に差別がある(行布を存する)。
 そして迹門は、始成正覚の立場(始成を言う)だから、久遠実成を隠している。

 本門寿量品において、釈尊が始成正覚を打ち破って久遠実成の本地を顕したこと(発迹顕本)によって、本門の十界の因果が顕された。
 つまり、仏の生命の無始常住が明かされたことで、九界(因)を離れて仏界(果)を得るのではなく、九界も仏界も、もともと生命に永遠に備わっていることが明らかになったのです。

 「行布を存する」とは、どういう意味か?
 「始成を言う」とは、どういう意味か?
 しっかり理解しましょう。

2011/09/03  青年教学1級 開目抄第15段「本迹相対して判ず」

 本門で久遠実成が説かれる。

第15段「本迹相対して判ず」
 二には教主釈尊は住劫・第九の減・人寿百歳の時・師子頬王には孫・浄飯王には嫡子・童子悉達太子・一切義成就菩薩これなり、御年十九の御出家・三十成道の世尊・始め寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して十玄・六相・法界円融・頓極微妙の大法を説き給い十方の諸仏も顕現し一切の菩薩も雲集せり、土といひ機といひ諸仏といひ始めといひ何事につけてか大法を秘し給うべき、されば経文には顕現自在力・演説円満経等云云、一部六十巻は一字一点もなく円満経なり、譬へば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ一珠も万宝を尽して雨し万珠も万宝を尽すがごとし、華厳経は一字も万字も但同事なるべし、心仏及衆生の文は華厳宗の肝心なるのみならず法相・三論・真言・天台の肝要とこそ申し候へ、此等程いみじき御経に何事をか隠すべき、なれども二乗闡提・不成仏と・とかれしは珠のきずと・みゆる上三処まで始成正覚と・なのらせ給いて久遠実成の寿量品を説きかくさせ給いき、珠の破たると月に雲のかかれると日の蝕したるがごとし不思議なりしことなり、阿含・方等・般若・大日経等は仏説なれば・いみじき事なれども華厳経にたいすれば・いうにかいなし、彼の経に秘せんこと此等の経経にとかるべからず、されば雑阿含経に云く「初め成道」等云云、大集経に云く「如来成道始め十六年」等云云、浄名経に云く「始め仏樹に坐して力めて魔を降す」等云云、大日経に云く「我昔道場に坐して」等云云、仁王般若経に云く「二十九年」等云云。
 此等は言うにたらず只耳目を・をどろかす事は無量義経に華厳経の唯心法界・方等・般若経の海印三昧・混同無二等の大法をかきあげて或は未顕真実・或は歴劫修行等・下す程の御経に我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たりと初成道の華厳経の始成の文に同せられし不思議と打ち思うところに此は法華経の序分なれば正宗の事をいはずもあるべし、法華経の正宗・略開三・広開三の御時・唯仏与仏・及能究尽・諸法実相等・世尊法久後等・正直捨方便等・多宝仏・迹門八品を指して皆是真実と証明せられしに何事をか隠すべきなれども久遠寿量をば秘せさせ給いて我始め道場に坐し樹を観じて亦経行す等云云、最第一の大不思議なり、されば弥勒菩薩・涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を仏・爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ等と・とかせ給いしを疑つて云く「如来太子為りし時・釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり、是より已来始めて四十余年を過ぎたり世尊・云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまえる」等云云、教主釈尊此等の疑を晴さんがために寿量品を・とかんとして爾前迹門のききを挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏・釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等と云云、正しく此の疑を答えて云く「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」等云云。
 (爾前・権教と比較して法華経が信じがたい点として、第1に二乗作仏を説いていることを、これより以前の部分〈第11段~第14段〉で述べてきたが)その第2は久遠実成である。教主釈尊は、住劫の第9番目の減劫の時代、人間の寿命が100歳の時に、師子頬王には孫、浄飯王には嫡子として生まれ、子どものときの名を悉達太子という。漢訳では、一切義成就菩薩(すべての徳を成就した菩薩)である。
 御年19歳で出家し、30歳で成道された世尊は、はじめは寂滅道場で実報土と蓮華蔵世界の教主の荘厳な儀式を示して、十玄・六相などの法門を中心に一切の事象が互いに妨げがなく融合していることを明かし、ただちに究極の悟りを得ることができる不可思議なる大法を説かれた。
 その場には、十方の諸仏も顕現し、一切の菩薩も雲のごとく集った。
 その立派な国土といい、説法を受けた衆生の機根といい、集った諸仏といい、説法の最初であることといい、どこに大法を秘し隠される理由があろうか。
 故に華厳経の経文には、「自在の力を顕現して、(真理をすべて明かした)円満な経を説き示す」とある。華厳経一部60巻は、一字一点のどの一つもが円満経なのである。
 警えば如意宝珠は、たった一珠であっても無量珠であっても同じことである。一珠であっても、万宝をことごとく降らすことができるし、万珠であっても万宝を降らし尽くすことができる。それと同じである。
 華厳経は、一字であっても、万字であっても、ただ同じことなのである。
 この華厳経の「心と仏と衆生の三つには差別がない」との文は、華厳宗の肝心であるだけではなく、法相・三論・真言・天台の各宗の肝要であるといわれる。
 これほどまでに素晴らしい御経であるのに、何事を説かずに隠してい るといえようか。
 けれども、”二乗と一闡提とは、成仏できない“と説いているのは、珠のきずのように思われる。
 そのうえ、3ヵ所にまで、釈尊自身が”始成正覚である”と名のられていて、久遠実成の寿量品を説き隠しておられる。これは、珠が割れ、月に雲がかかり、太陽が蝕しているようなものである。不可解なことである。
 阿含・方等・般若・大日経などは、仏の説かれた経であるので、その点では尊い経ではあるけれども、華厳経に対すれば、とるにたりない劣った経典である。
 あの華厳経に秘されていることをこれらの経典に説かれるはずがない。
 そこで、雑阿含経には「初めて成道して」とある。大集経には「如来が始めて成道してから16年」とある。浄名経(維摩経)には「始め仏樹(菩提樹)のもとに坐して、つとめて魔を降す」とある。大日経には「私は昔、道場に坐して」とある。仁王般若経には「(成道してから)29年間説いてきた」とある。
 以上のことは取り立てて言うに足りないことである。ただ耳目を驚かすことは、以下のことである。
 法華経の開経である無量義経では、華厳経の「唯心法界」とか、方等経の「海印三昧」とか、般若経の「混同無二」などの大法を列挙して、これらに対して「いまだ真実を顕していない」、あるいは「歴劫修行の説である」などと下しているが、これほどのこの御経に、「私は、かつて道場の菩提樹の下に端坐すること6年にして、阿耨多羅三藐三菩提という最上の悟りを成ずることを得た」と説いて、初成道の華厳経の始成の文に同じられているのである。不可解なことだと思うが、これはまだ法華経の序分であるので、正宗分のことは、きっと言わないでおいたということもあるのであろう。
 その法華経の正宗分で「略開三顕一」「広開三顕一」の法門が説かれた時、「唯、仏と仏とのみがよく諸法の実相を究め尽くされている」、「世尊は久しく方便の教えを説いた後に真実の教えを説く」、「正直に方便を捨ててただ無上の道を説く」と述べ、さらに多宝仏が迹門8品を指して「皆、これは真実である」と証明された。このような法華経正宗分に何事を隠す必要があろうか。
 けれども、久遠の寿量を秘し隠されて、「私ははじめ道場に坐して樹を観じて、また経行した」と説かれている。これこそは、最第一の大不思議である。
 そこで、弥勒菩薩は、涌出品で、仏が40余年の間いまだ見たことがなく今はじめて見た大菩薩たちを呼び出し、「私がこれらの無数の大菩薩たちを教化して初めて道心を発させた」と説かれたことを疑って、こう述べた。
 「如来は、太子であった時、釈迦族の宮殿を出て、伽耶城を去ること遠くない道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提という最上の悟りを成ずることを得られた。この時以来、40年余りが過ぎただけである。世尊よ、どのようにしてこのわずかな時に仏としての大いなる仕事をなされたのか」と。
 教主釈尊は、これらの疑いを晴らすために、寿量品を説こうとして、爾前・迹門で人々が聞いてきたことを挙げて、こう述べられた。
 「一切の世間の天・人、及び阿修羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈迦族の宮殿を出て、伽耶城を去ること遠くない道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得られた、と思っている」と。
 そして、まさしくこの疑いに答えて、こう言われた。
 「しかしながら、善男子たちよ。私は実に成仏して以来、無量無辺百千万億那由他劫なのである」と。

 「然るに善男子・我実に成仏してより已来・無量無辺・百千万億・那由他劫なり」
 なんと言う衝撃の告白だろう。(笑)

 爾前経の中でも、最も優れている華厳経ですら「始成正覚」である。
 また、法華経迹門だって「始成正覚」である。
 ところが、本門寿量品に到って、「久遠実成」──すなわち釈尊は、久遠の昔に成仏したことが明かされる。

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