2009/06/11  希望と絶望

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先日TVで先端医療の臨床試験を特集していた。
内容は「がんペプチドワクチン」でした。

詳しくは↓で
がんペプチドワクチンの臨床試験について(久留米大学先端癌治療研究センター)
まだまだ臨床試験は始まったばかりで、極、限られた患者にしか行っておりません。
TVでは、癌組織がごっそりと無くなっていたり、縮小していたりと効果は目覚ましい。
外科手術、放射線治療、投薬治療に続く第4の治療法とやってました。

依然と癌は死因のトップで、ウチの奥さんもお父さんを直腸癌で亡くしてる。
二人でTVを見ながら、「こう言う技術が早く発達すればね」と…。
臨床に参加の患者さんは「希望が持てる」と副作用や通院の苦痛があっても明るい表情でした。
希望は最善の治療法かもしれませんね。

本部長のご尊父は余命6ヶ月の宣告から、一念発起し広布に生き抜き、病気を明るく語り抜いた。
恰幅の良かった体は痩せられたが、術後リハビリで散歩を良くされていた。
私に会うと「いやー後(余命)3ヶ月なんだけど、健康の為に散歩してるよ。○○君も運動した方がいいよ、ガハハハッ」とこっちが返事に困る事を言われた思い出もあります。
入院の同部屋の人を折伏し、告知からの6年間を全力で闘われた。
最後は癌の苦痛もなく、安らかに霊山へ旅立たれた。
此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事P1124)
癌が発心の切っ掛けになりましたが、信心に於て病気を理由に広布の前進を止めませんでした。

癌が治る病気になれば、それにこした事はありません。
しかし、現在不治の病は癌だけではありません。
病気になると気弱になります、だからこそ「同志」が励ましてくれる。鬱陶しいと思えるほどに(笑)

デンマークのキェルケゴール「死に至る病」ではありませんが、絶望してはなりません。
どんな状況でも、最後の最後まで諦めずに希望を持ち続ける。
壮絶な闘争の果てにしか見えない物がある。

その見える物は何か?を日蓮大聖人も3代会長も常々、教えてくれている。
自分にはまだまだ判ってないが、諸先輩の姿を見ると「スゴイ物を見てるな」と感じる。
私もその「スゴイ物」を見てみたいと思う。

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コメント

Posted on 2009/06/12 02:48:36 by 鯖

考えてみれば、人間は皆、早かれ遅かれ死ぬのだから、皆「不治の病」を抱えているようなものかと。死を直視し、死の準備をし、生きている時間を最高に大切に使える人が真に「生きている人」だと思います。御書には「されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と。
たまには休息は必要だけど、人生の一大事から目を背けさせるような軽薄な風潮とは戦わないといけませんな~。と思う昨今。

Posted on 2009/06/12 11:39:58 by JunkDark

死を直視するのは、辛く厳しい物ですが、誰しも避けては通れないですよ。

死に向き合った人ほど、人間性を発揮する人はいないかもね。

>休憩
まぁ、世の中には休憩の合間に人生って人もいるようですよ(笑)

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