2010/11/21 2010年度任用試験 「創価学会の歴史」
世界広布と創価学会「創価学会の歴史」
要点だけでも覚えましょう。
牧口先生…創価教育学体系の発刊、謗法厳誡を貫かれた、殉教。
戸田先生…獄中の悟達、75万世帯の折伏、御書発刊、学会組織各部の結成
池田先生…世界広布の布石、文明間交流、識者指導者との対話、文化運動、教育機関の設立、牧口先生戸田先生の宣揚など。
追記
大白蓮華テキストでは「会長勇退」の言及がないので、斧節のhttp://d.hatena.ne.jp/sokaodo/19940424/p1「聞き書き4・24」へリンクしておきます。
重要な部分なので、よく読んで下さいね。
15:00:00
1.創価学会の歴史創価学会の歴史は範囲が広いので、覚えるのが大変だと思います。
(略)
この地涌の菩薩の棟梁たる上行菩薩の使命を自覚し、法華経に示された広宣流布の仏意仏勅を自身の大願として、その実現のために立ち上がり、末法の衆生と時代を救済していく根本法と実践を確立された末法の御本仏が日蓮大聖人です。
そして、現代において、大聖人の御精神を継承して、世界広宣流布の使命を深く自覚し、その実現のために真剣な実践を貫いてきた教団が創価学会です。また、現代における広宣流布の自覚と実践を確立してきた指導者が、牧口常三郎初代会長・戸田城聖第2代会長・池田大作第3代会長(現・名誉会長、SGI会長)の「三代会長」です。
ここでは、広宣流布に生き抜いた三代会長の足跡、並びにそこに流れ通う師弟の精神を通して、創価学会の歴史を学びます。
牧口常三郎 初代会長の時代
創価学会の淵源は、牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の師弟に求められます。
牧口先生と戸田先生は、ともに教育者でした。
(略)
昭和5年(1930年)11月18日、牧口先生は『創価教育学体系』第1巻を発刊しました。この書は、牧口先生が構築された教育学の体系をとどめるもので全12巻が予定されていました。弟子である戸田先生が私財をなげうって出版を支え、また、牧口先生の教育理論のメモを整理・結集するなど全面的に協力しています。また、その奥付には、著者である牧口先生、発行兼印刷者である戸田先生の名前とともに、発行所として創価学会の前身となる「創価教育学会」の名が記されています。そこで、同書が発行された11月18日をもって、創価学会の創立記念日としています。
「創価」とは「価値創造」の意味です。教育の目的、そして人生の目的は幸福の追求にあり、その内実は価値の創造であるという牧口先生の思想が込められ言葉です。
(略)
当時、政府は神社参拝や神札を祭ることを国民に強要していました。昭和18年(1943年)6月、学会は権力の弾圧を恐れた宗門から「神札を受けるように」と言い渡されました。この宗門の態度は、謗法(正法を謗ること)容認の行為であり、日蓮大聖人、日興上人の教えに背くものでした。これに対して、学会は日蓮大聖人が示された謗法厳誡の教えを貫き、神札の受け取りを拒否しました。
同年7月6日、牧口先生は地方折伏で訪れていた伊豆・下田で、同日、戸田先生は東京で、特高刑事に連行され、最終的に21人の幹部が逮捕されました。不敬罪と治安維持法違反容疑が、逮捕の理由でした。厳しい取肺リ調べのなかで、最後まで退転することなく信仰を貫き通したのは牧口先生と戸田先生の師弟だけでした。
戸田先生の獄中の悟達
牧口先生は、取り調べに当たった検事や判事にも日蓮大聖人の仏法の教義を説きました。権力の弾圧に屈せず、仏法の正義を貫き通したのです。
昭和19年(1944年)11月18日、牧口先生は、老衰と栄養失調のため、東京拘置所内で逝去しました。奇しくも「創立記念日」と同日に満73歳で殉教したのです。その生涯は、まさに御書に仰せの通りに不惜身命の実践を貫き、日蓮大聖人の民衆救済と妙法弘通の御精神を現代に蘇らせた尊い先駆の一生でした。
戸田先生は、昭和19年初頭から、獄中で唱題に励むとともに、法華経を読み、思索していきました。そのなかで「仏とは生命である」との悟達を得ました。
さらに唱題と思索を重ねていったとき、戸田先生は自身がまさに、法華経に説かれる虚空会の儀式で、釈尊の滅後に法華経を広宣流布していく使命を託された地涌の菩薩にほかならないことを悟り、「われ地涌の菩薩なり」との確信を得ました。昭和19年11月のことです。
戸田先生は、この獄中の悟達で、日蓮大聖人の仏法への確信を不動のものとするとともに、広宣流布を自らの使命として自覚しました。戸田先生のこの「獄中の悟達」が戦後の創価学会発展の原点となりました。
(略)
第2代会長就任
昭和26年(1951年)5月3日、苦境を勝ち越えた戸田先生は、多くの会員の推戴を受けて、第2代会長に就任します。そのあいさつで、75万世帯の折伏を達成するとの誓願を宣言しました。当時の学会員は実質約3000人。誰もが信じられない弘教の目標でした。
そして、戸田先生は、会長就任に前後して広宣流布への布陣を整えます。
会長就任直前の4月20日には機関紙「聖教新聞」が創刊され、戸田先生はその創刊号から、小説「人間革命」を執筆しました。
「人間革命」とは、日蓮大聖人の仏法の実践によって、各自が自身の生命境涯を変革し、全人類の宿命転換を成し遂げていくことを意味しています。戸田先生は、生命論を基盤とする人間革命の理念を掲げ、日蓮大聖人の仏法を現代に蘇生させたのです。
(略)
池田大作 第3代会長SGI会長の時代
戸田先生の逝去後、ただ一人の総務として実質的に学会の運営を担っていた池田先生は、昭和35年(1960年)5月3日に第3代会長に就任しました。
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます!」──戸閉先生の時と同じ「5・3」に行われた会長就任式における、池田先生のこの第一声の師子吼から、学会の新たな大前進が始まりました。
昭和35年10月2日には南北アメリカへ出発。世界広布の第一歩を踏み出しました。翌36年(1961年)1月には香港、インドなどアジアを初訪問。同年10月にもヨーロッパを訪問するなど、世界広布の布石を打っていきます。日蓮大聖人が示された「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」の本格的な第一歩が、池田先生によって印されたのです。
(略)
今日、世界では192カ国・地域で学会員が喜々として日蓮大聖人の仏法を実践しています。
各国のSGIでは仏法の人間主義の精神を基調に地道な社会貢献に取り組んでおり、各種展示など地域社会に根ざした活動を通して、大きな信頼と賞讃を受けています。
創価学会の実践によって、日蓮大聖人の仏法は、いまや人類全体を照らす希望の光となっているのです。
要点だけでも覚えましょう。
牧口先生…創価教育学体系の発刊、謗法厳誡を貫かれた、殉教。
戸田先生…獄中の悟達、75万世帯の折伏、御書発刊、学会組織各部の結成
池田先生…世界広布の布石、文明間交流、識者指導者との対話、文化運動、教育機関の設立、牧口先生戸田先生の宣揚など。
追記
大白蓮華テキストでは「会長勇退」の言及がないので、斧節のhttp://d.hatena.ne.jp/sokaodo/19940424/p1「聞き書き4・24」へリンクしておきます。
重要な部分なので、よく読んで下さいね。
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