2011/09/10 青年教学1級 開目抄第42段「諸宗の非を簡ぶ」
念仏宗・禅宗・天台宗・真言宗の破折。
念仏余や禅宗は、法華経を下す大嘘をついて、人々を惑わしている。
一方、(法華経を守るべき)天台宗や真言宗の高僧は、権力を恐れて念仏や禅が正しいと言って賞賛している。
彼らが法華経の行者であるはずがない。
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第42段「諸宗の非を簡ぶ」当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。今の世の念仏者たちが、天台法華宗の檀那である国王・大臣・婆羅門・居士らに向かって、「法華経は理が深くて、我々はほとんど理解できない。法は非常に深く、衆生の機根は非常に浅い」などと言って、法華経を遠ざけている。
これは、『摩訶止観』で破折された「法華経は聖者が修行する高い教えで、自分のような智慧のない者には用はない」という者と同じではないだろうか。
また禅宗は、次のように言っている。
「法華経は月をさす指で、禅宗は月そのものである。月を得たなら、指は何の役に立つだろうか。禅は仏の心であり、法華経は仏の言葉である。仏は、法華経などの一切経を説かれた後、最期臨終の時に一房の花をひねった際に、その意味をただ一人、理解した迦葉にだけ仏の心を授けられた。そのしるしとして、仏の袈裟を迦葉に譲り、その禅の教えがインドの付法蔵の28人、中国の第6祖まで伝えられた」と。
これらの大妄語が、国中をたぶらかし、酔わせてから、長い年月がたった。
また天台宗・真言宗の高僧たちは、名前だけは天台宗・真言宗を名乗っているが、自分の宗の教義について、よく分かっていない。
貪欲が深いので、公家や武家を恐れて、念仏や禅などの大妄語の邪義を正しいと言って、ほめたたえている。
昔、多宝仏・分身の諸仏は、「法をして久しく住せしめん」(法華経を永久に存続させる)重要性を示し、法華の正しさを証明した。
今、天台宗の碩徳(徳望があるとされている高僧)は、「法華経は理が深くて、下根の衆生には理解できない」などという邪義を正しいなどと言って受け入れている。
このようなありさまであるから、日本国には、法華経は名があるだけで、得道の人は一人もいない。だれを法華経の行者とするのであろうか。
寺塔を焼いたために、流罪にされる僧侶は数知れないほど多くいる。公家や武家にこびへつらって、人から憎まれる高僧も多くいる。しかし、これらの僧侶を法華経の行者ということができるであろうか。
念仏余や禅宗は、法華経を下す大嘘をついて、人々を惑わしている。
一方、(法華経を守るべき)天台宗や真言宗の高僧は、権力を恐れて念仏や禅が正しいと言って賞賛している。
彼らが法華経の行者であるはずがない。
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