«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 || Next»

2009/10/19  初級・3級教学試験 「佐渡御書」(上)その2

 前回の御書講義続き。


本文
 仏説て云く「七宝を以て三千大千世界に布き満るとも手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」取意、雪山童子の身をなげし楽法梵志が身の皮をはぎし身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる身命を捨る人他の宝を仏法に惜べしや、又財宝を仏法におしまん物まさる身命を捨べきや

通解
 仏は次のように説く。「七つの宝を三千大千世界にあふれるほど敷き詰めて供養しても、手の小指を仏や法華経に供養することには及ばない(趣意)」(薬王品)と。雪山童子は鬼に身を投げ与え、楽法梵志は身の皮を剥いだ。命以上に惜しいものはないのだから、その身命を布施として仏法を修行すれば必ず仏となる。
 身命をも捨てる人が、他の宝を仏法のために惜しむだろうか。また、財宝を仏法のために惜しむような者が、それより大事な命を捨てることができるだろうか。

解説
 では、このかけがえのない身命を何に使うのか。本抄では仏法の為に捧げてこそ、仏になることが出来ると教えられています。
 大聖人は、まず法華経の薬王品を挙げられて、身命を仏法に捧げることの甚深の意義を示されています。そして、釈尊が過去世において修行していた時の姿である雪山童子や楽法梵志を挙げ、不惜身命こそが仏道修行を成就させる要諦であることを明かされています。
 また、大聖人は不惜身命の覚悟のある者が他の宝を惜しむはずがないと仰せです。
 ”成仏が目前にあるのだから、何も恐れる必要はない”とあえて厳愛のご指導をされています。
 もう一つ、身命をただ惜しんでいるだけでは、真実の幸福は得られないと言う事です。
 「何の為」と言う根本の目的を定め、労苦を惜しまぬ覚悟で正しい「人生の道」を求めてこそ、深い喜びや充実感が得られるのです。
 もう一つ、仏道修行によって得られる境地は今世の命の有限性を越えた、永遠性のものであるということです。
 「三世の生命観」「永遠の幸福観」に目覚めることこそが、人生と社会のさまざまな問題を打開するための根本的な転換点になるのです。

本文
 世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし又主君の為に命を捨る人はすくなきやうなれども其数多し男子ははぢに命をすて女人は男の為に命をすつ、魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし

通解
 世間の道理でも、重き恩に対しては命を捨てて報いるものである。また、主君のために命を捨てる人は少ないように思われるけれども、その数は多い。男は名誉のために命を捨て、女は男のために命を捨てる。
 魚は、命を惜しむため、すみかとしている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいる。しかし、餌にだまされて釣り針を呑んでしまう。鳥はすみかとしている木が低いことを恐れて、木の上の枝に棲んでいる。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう。
 人もまた、これと同じである。世間の浅いことのために命を失うことはあっても、大事な仏法のためには身命を捨てることが難しい。それゆえ、仏になる人もいないのである。

解説
 大聖人は、「世間の浅き事」のために命を捨てるのではなく、「大事の仏法」のためにこそ一番大事な「身命」を捧げるべきであると教えられているのです。
 「不惜身命」といっても、真実の仏法は、いたずらに命を捨てる「殉教主義」などでは断じてありません。
 皆さんは、尊い命を絶対に無駄にしてはいけない。青少年の皆さんも、どんなに辛いことや苦しいことがあったとしても、それに負けて自分や他人の命を粗末にするようなことが絶対にあってはならない。皆さまの命は、何ものよりも尊極な、不思議なる仏の生命だからです。
 大聖人は、末法の凡夫成仏の在り方を次のように教えて下さっています。
 「ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」(P1596白米一俵御書)
 ここに究極の不惜身命があります。
 「心こそ大切」です。仏法の為に正義のために「一念に億劫の辛労を尽くす」ことです。恐れなく南無妙法蓮華経を唱え抜くことであり、世界の為、未来の為人々のために懸命に信心の実証を示しきっていくことに尽きるのです。
 自身の生活の時間を使って活動するのも、友人を励まし、心を尽くして仏法対話をする行動こそ「不惜身命」です。


本文
 仏法は摂受折伏時によるべし譬えば世間の文武二道の如し

通解
 仏法においては、摂受と折伏のどちらかを実践するのかは、「時」に応じて決まるのである。譬えていえば、世間でいう文武の二道のようなものである。

解説
 ここから、末法という「時」に適った仏法の実践について明かされます。
 「摂受」は、人々の機根に合わせて法を説いていく姿です。
 「折伏」は、極理の南無妙法蓮華経を説ききっていく姿です。
 「時によるべし」の「時」とは、時代と衆生が何を求めているかを深く洞察することによってのみ把握できるものです。
 いついかなる実践にあっても、どこまでも、「折伏精神」を忘れずに行動する。これが、折伏の師匠に連なる、真正の弟子の道です。
 この「時」は「摂受」は正法像法の時の事、「折伏」は末法の事です。
 この御文はとても重要なので暗記して下さい。

本文
 しされば昔の大聖は時によりて法を行ず雪山童子薩(タ)・王子は身を布施とせば法を教へん菩薩の行となるべしと責しかば身をすつ、肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし、破戒無戒を毀り持戒正法を用ん世には諸戒を堅く持べし儒教道教を以て釈教を制止せん日には道安法師慧遠法師法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし、釈教の中に小乗大乗権経実経雑乱して明珠と瓦礫と牛驢の二乳を弁へざる時は天台大師伝教大師等の如く大小権実顕密を強盛に分別すべし

通解
 それゆえ、過去の偉大な聖人のは時に応じて仏法を修行したのである。
 雪山童子や薩(タ)王子は、「身を布施とすれば法を教えよう。その布施行が菩薩の修行にあたるだろう」と迫られたので身を捨てた。肉をほしがらない時に身を捨てるべきだろうか。紙のない時代には身の皮を紙とし、筆のない時には骨を筆とするべきである。
 戒律を破る人や戒律を持たない人が非難され、戒律を持ち、正法を行ずる人が重んじられる時代には、さまざまな戒律を堅く持つべきである。国王が儒教うや道教を用いて仏教を弾圧しようとする時には、道安法師や、慧遠法師、法道三蔵らのように、命もかえりみず、国を諌めるべきである。
 仏教の中に小乗と大乗、権教と実教、顕教と密教の違いを厳然と立て分けるべきである。

解説
 過去の大聖や菩薩たちは、皆、「時」に適った修行をして仏になることができました。仏法では、「時」に適った実践を最も重視します。
 仏教そのものが誕生する以前は、先達者たちは命を賭して「法」を求め抜きました。また、正法が広く人々に受け入れられている時は、仏法者は、人々がさらに正しく正法を持つように模範の姿を示さなければならない。反対に、仏教を否定し弾圧しようとする王がいる時は、身命を失う覚悟で王を諫めるべきである。
 そして、仏教のなかで、諸教が入り交じって人々が混乱している時は、教えの勝劣を明快に立て分けることが急務です。今がいかなる時か。「時」に適った実践を知ることによって、はじめて仏法は正しく伝えられます。

 仏法を知らない人には優しく教え、規範を示し、仏法を否定したら覚悟を決めて諌める。私たちの対人関係でも同じですね。
 ここに師弟不二がないと、負けてしまいます。言い切れなかったり摂受になってしまいます。
 絶対に「折伏の旗を降ろさない、信心の炎を消さない」との一念が大事になります。

2009/10/18  初級・3級教学試験 「佐渡御書」(上)その1

 池田名誉会長 御書講義

背景と大意
 本抄は、大聖人が文永9年(1272年)3月20日、流罪されていた佐渡・塚原から、広く門下一同に向けて与えられた御書です。
 前年の文永8年から、大聖人一門は、権力による激しい弾圧を受けました。
 大聖人は9月12日、竜の口の頸の座に据えられ、その後、極寒の佐渡に流されました。
 塚原に着かれたのは11月1日のことです。
 弟子たちの中には、厳しい迫害を恐れて退転する者が続出しました。
 「大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ大難にあうのか」と公然と批判する者まで現れました。
 大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられながら、厳しい寒さと飢えを耐え忍んで冬を過ごされ、翌・文永9年の2月、大聖人こそ真実の法華経の行者であることを示す「開目抄」を完成され、弟子たちに送られました。
 この2月には、北条一族が相争う「二月騒動(北条時輔の乱)」が起りました。
 「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」の的中を意味するものであり、この知らせを受けたのが、「佐渡御書」です。
 本抄では、人間にとって生命ほど大切なものはないのだがら、その生命を仏法のために捧げれば必ず仏になれると教えられます。
 そのうえで、生命を棒げるといっても、そのあり方は時代によって異なるのであり、悪王・悪僧が結託して、正法の行者を攻撃する末法では、獅子王の心で悪と戦い抜く者が必ず仏になると仰せになります。
 また、自界叛逆難の的中という厳然たる事実から、大聖人こそ日本国の人々にとって主・師・親の徳を備えた存在であることを示されます。
 さらに、御自身の法難を三世の視点から洞察され、今回の法難を戦い抜けば、過去の重罪を消して、未来に成仏することは間違いないと、末法における宿命転換の原理を身をもって示され、大聖人のごとく不借身命で戦うよう励まされています。(背景と大意は大白2007年2月号のものです)

本文
 此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり

通解
 この手紙は、富木殿のもとへ送り、三郎左衛門殿、大蔵塔の辻の十郎入道殿ら、桟敷の尼御前、その他これを御覧になっていただくべき方々一人一人に宛てたものです。

解説
 ここは御消息の本文とは別に、とり急ぎ伝えたい事柄を書き込まれた一節ですが、日蓮大聖人が、門下の一人一人に語りかけるように認められたお心が拝されます。
 本抄は、大聖人が佐渡流罪中の文永9年3月、「日蓮弟子檀那等御中」と宛名にあるように、全門下に送られた御消息です。本抄の末尾には此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡(りょうけん)候て心なぐさませ給へ」(P961)とも記されております。
 門下への弾圧は苛烈を極め千人の内九百九十九人が退転する様な状況です。
 大聖人自身も、流罪という逼迫した中に、弟子・門下に慈愛を注がれる、あまりにも偉大な御境涯。
 大難によってこそ、人間の境涯は限りなく開かれる。その極理を教えてくださるのが仏法の師匠です。師匠とは何とありがたい存在でしょうか。この師恩に報いてこそ「弟子の道」です。本抄はまさしく、「師弟不二」という信仰の奥義が凝結した「誓願の一書」であると拝したい。

本文
 京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ、外典抄文句の二玄の四の本末勘文宣旨等これへの人人もちてわたらせ給へ

通解
 京都と鎌倉での合戦で亡くなった方々の名前を書き記して届けてください。「外典抄」「法華文句」の第2巻、「法華玄義」の第4巻とその注釈書、「勘文」や「宣旨」などを、こちらへ来られる人々は、持っておいでください。

解説
 京都、鎌倉の戦とは、「二月騒動」(北条時輔の乱とも言う)という内乱があり、日蓮大聖人が予言された自界叛逆難が実際に起りました。
 大聖人は予言が的中した事よりも、それによって亡くなられて方の名前を送って欲しいと仰せです。
 追善のお題目を送る為でしょう。三世にわたる幸福を祈られる大聖人の大慈悲が拝される一節です。
 続いて、佐渡に参いる方に外典抄などの文献を持たせるように依頼されています。
 過酷な流罪地に於ても日蓮大聖人は、末法の民衆救済のための重要な御思索と御執筆を重ねておられたのです。

本文
 世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし牛馬猶身を惜む況や人身をや癩人猶命を惜む何に況や壮人をや

通解
 世間一般において人が恐れるものは、炎に包まれることと、剣をかざして襲われることと、この身が死に至ることことである。
 牛や馬でさえ身を惜しむ。まして人間であればなおさらである。不治の病にかかっている人でさえも命を惜しむ。まして健康な人なら言うまでもない。

解説
 いかなる人にとっても、「此身の死する」ことほど恐ろしいことはない。動物にとっても人間にとっても同じです。
 しかし、ただ死を恐れ、命を惜しんでいるだけであれば、本当の深い人生は分りません。人間、何のために生き、何のために死んでいくのか。自身の「生死」を真剣に見つめていくことは、深い生き方を可能にします。
 二月騒動の混乱止まぬ中、庶民の恐怖は最高潮でしょう。
 判りやすく「火炎の中」「刀剣の影」と例えて身近に「死」がいかに迫っているか、御文を読んだ門下は痛感されたのではないでしょうか?

2009/10/12  初級・3級教学試験 「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」

 座談会御書拝読

背景と大意
 本抄は弘安2年(1279年)10月23日、日蓮大聖人が、身延の地から、鎌倉の門下の中心的立場にあった四条金吾に送られたお手紙です。別名を「法華経兵法事」「剣形書」と言います。
 金吾は、大聖人が文永11年(1274年)、佐渡流罪から戻られて身延に入られたころ、主君の江間氏を折伏して不興を買い、同僚たちの嫉妬による圧迫を受けました。建治3年(1277年)には、桑ケ谷間答を巡る良観の謀略によって、主君から法華経の信仰を捨てる誓約書を書くよう厳しく強要されました。
 しかし、大聖人の御指導通り、忍耐を重ね、誠実を貫き、建治4年(1278年)の初めまでには、再び主君の信頼を勝ち取り、その後も、以前の3倍の領地を受け取るなど勝利の実証を示していきました。
 ところが同僚たちは、さらに憎悪の炎を燃やし、金吾を亡き者にしようと攻撃を仕掛けてきました。本抄は、金吾が敵の襲撃を受けたという報告に対する御指導です。
 当時は、熱原の法難が起こり、農民信徒20人が鎌倉に引き立てられるなど緊迫した事態が続いていました。大聖人門下全体が、障魔との闘争の渦中にあったのです。
 大聖人は、金吾が襲撃を切り抜けて無事であったことを喜ばれ、これは日ごろの用心、勇気、強い信心のたまものであると仰せになっています。
 さらに、「法華経の行者」を守護することは諸天善神の誓願であり、その諸天から剣術の真髄を与えられ、大聖人から妙法蓮華経の五字を授けられた金吾を、諸天が守護することは絶対に間違いないと教えられます。
 そして「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と、強盛な信心を根本に戦うことこそ一切の勝利の要諦であると御教示され、最後に「あへて臆病にては叶うぺからず候」と、何ものも恐れぬ勇気を奮い起こして戦い抜くよう励まされています。

本文
 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候

通解
どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていくべきである。「あらゆる怨敵は、皆ことごとく滅びる」との金言は、決してむなしいはずがない。兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。臆病では、何事も決して叶わないのである。

解説
 この御文も短いので絶対に暗記しましょう。

 人生は、その本質において「勝つか、負けるか」と言う厳しい闘争の連続と言えるでしょう。 本抄で、日蓮大聖人は「どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていきなさい」と教えられています。
 「法華経の兵法」とは、どこまでも信心を根本に戦っていくことです。大確信の祈りを原動力に、勇気を奮い起こし、智慧を振り絞り、努力の限りを尽くしていくことです。
 一人の人間の生命には、計り知れない力が秘められています。兵法や剣術というのは、その力を引き出す法則を部分的に解き明かしたものです。
 大聖人は「深く信心を起こしなさい。臆病では、何事も決して叶わない」と戒められています。自身の力をしばる最大の敵は、心中に巣くう「臆病」であり、この「臆病」に打ち勝って、妙法を信じ切ってこそ、生命の限りない力が解き放たれます。

 四条金吾は、敵の襲撃を受けた事を日蓮大聖人に、事細かにご報告をしています。
 自分の状況などを素直に報告は中々出来る事ではありません。
 これは四条金吾の師匠への思いが伺われます。
 実生活でも、物事が上手くいった時の報告はし易い。苦難の時にありのままに報告・連絡・相談が出来ないと状況は悪くなる事はあっても、良くなる事はあまりない。
 この「師弟不二」の一念と「絶対勝利の執念」が人生の変革と幸福を築けるのです。

2009/10/11  初級・3級教学試験 「乙御前御消息」

 座談会御書拝読

背景と大意
 本抄は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が、身延で認められたお手紙です。あて名は「乙御前」ですが、内容的には、乙御前の母(日妙聖人)に送られたものです。乙御前の母は、鎌倉に住んでいた女性信徒で、夫と離別した後、幼い娘を女手一つで育てながら、純粋な僧心を貫き通しました。
 大聖入は、文永8年(1271年)9月、竜の口の法難に遭われ、その後2年半もの間、佐渡に流罪されました。鎌倉にいた弟子たちも厳しい弾圧にさらされました。多くの人々が退転・反逆していくなかで、乙御前の母の、師匠を求める一念は、いよいよ強まり、女性の身でありながら、鎌倉から佐渡の大聖人のもとを訪れました。大聖人は、こうした信心を讃え、「日妙聖人」という最高の名前を贈られています。
 本抄御執筆の前年には、他国侵逼難の予言が的中し、蒙古が襲来します。世間が騒然とするなか、乙御前の母は、身延に入られた大聖人のもとを訪れています。その乙御前の母に、たとえ頼るべき夫はいなくとも、強き信心を持てば、一切の苦難を勝ち越えていけるのだと励まされたのが、本抄です。
 まず、法華経と他の一切経、法華経の行者と他宗の僧らの間には、厳然たる勝劣があるにもかかわらず、国中の人々が傲り高ぶって、法華経の行者である大聖人を迫害したが故に、諸天善神の怒りを買って蒙古の襲来を招き、今では皆が臆病になってしまったと仰せになります。
 さらに、頼るべき夫もいないのに、世間の荒波にも負けず、気丈に信心に励む乙御前の母に、諸天善神の絶対の守護を約束され、その上で、今一重の強盛な信心に立つよう励まされて、同じ法華経でも志を重ねれば功徳は勝っていくのだと教えられます。
 また、命を捨てて法を弘める大聖人とその弟子たちは、未来に必ず賞讃される存在となっていくに違いないと確信を述べられます。

本文
 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし

通解
 (諸天善神が善人を守護することは間違いないことから)それゆえに妙楽大師は「必ず心の固きによって神の守り、すなわち強し」と言われています。人の心が堅固であるならば、神の守りが必ず強いということです。
 このように言うのは、あなたのために言うのです。これまでのあなたの信心の深さについては、申し上げるまでもありません。これまでよりもなお一層、強盛に信心に励んでいきなさい。

解説
 御文が短いので絶対に暗記しましょう。

 乙御前の母(日妙聖人)は、苦難の人生を一生懸命に信心に励み抜かれた方です。
 女手ひとつで娘の乙御前を育てます。流罪中の佐渡にまで日蓮大聖人に会いに行かれる程の強信者です。

 「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」の「心の固き」とは信心の強さです。揺るぎのない信心は諸天善神の守護が強いのです。「信心をしていれば何とかなるだろう」と言う弱く受け身の心では諸天の守護が弱いのも道理です。
 信心をしているからこそ、勇気を奮い起こし、智慧を絞り出して、苦難に立ち向かう、その一念が強い諸天善神の守護が発揮されて行くのです。

 「是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし」と日妙聖人を賞賛されます。普通であればここで文は終りかもしれませんが、日蓮大聖人はその後に、「今一重強盛に御志あるべし」と仰せになります。
 これは、「今まで通り」の信心では惰性であり後退になるからです。
 より一層励むように「今一重」と強く念を押されます。
 この一念が持つ偉大な力を大聖人は過酷な弾圧との闘争に勝利する事で自ら証明を致しました。

 「まぁ、いいか。」「こんなもんで」「周りはこれぐらいだ」等の惰性と妥協では、自身の宿命転換は出来ません。
 大事なのは前進への執念、一歩でも二歩でも前へ前へと執念を持ち続ける事です。
 広宣流布の闘争においても不可能を可能にする自身の挑戦と勝利を、信心の固きを発揮して証明して行きましょう。
«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 || Next»