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2011/09/10  青年教学1級 開目抄第42段「諸宗の非を簡ぶ」

 念仏宗・禅宗・天台宗・真言宗の破折。

第42段「諸宗の非を簡ぶ」
 当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。
 今の世の念仏者たちが、天台法華宗の檀那である国王・大臣・婆羅門・居士らに向かって、「法華経は理が深くて、我々はほとんど理解できない。法は非常に深く、衆生の機根は非常に浅い」などと言って、法華経を遠ざけている。
 これは、『摩訶止観』で破折された「法華経は聖者が修行する高い教えで、自分のような智慧のない者には用はない」という者と同じではないだろうか。
 また禅宗は、次のように言っている。
 「法華経は月をさす指で、禅宗は月そのものである。月を得たなら、指は何の役に立つだろうか。禅は仏の心であり、法華経は仏の言葉である。仏は、法華経などの一切経を説かれた後、最期臨終の時に一房の花をひねった際に、その意味をただ一人、理解した迦葉にだけ仏の心を授けられた。そのしるしとして、仏の袈裟を迦葉に譲り、その禅の教えがインドの付法蔵の28人、中国の第6祖まで伝えられた」と。
 これらの大妄語が、国中をたぶらかし、酔わせてから、長い年月がたった。
 また天台宗・真言宗の高僧たちは、名前だけは天台宗・真言宗を名乗っているが、自分の宗の教義について、よく分かっていない。
 貪欲が深いので、公家や武家を恐れて、念仏や禅などの大妄語の邪義を正しいと言って、ほめたたえている。
 昔、多宝仏・分身の諸仏は、「法をして久しく住せしめん」(法華経を永久に存続させる)重要性を示し、法華の正しさを証明した。
 今、天台宗の碩徳(徳望があるとされている高僧)は、「法華経は理が深くて、下根の衆生には理解できない」などという邪義を正しいなどと言って受け入れている。
 このようなありさまであるから、日本国には、法華経は名があるだけで、得道の人は一人もいない。だれを法華経の行者とするのであろうか。
 寺塔を焼いたために、流罪にされる僧侶は数知れないほど多くいる。公家や武家にこびへつらって、人から憎まれる高僧も多くいる。しかし、これらの僧侶を法華経の行者ということができるであろうか。

 念仏余や禅宗は、法華経を下す大嘘をついて、人々を惑わしている。
 一方、(法華経を守るべき)天台宗や真言宗の高僧は、権力を恐れて念仏や禅が正しいと言って賞賛している。
 彼らが法華経の行者であるはずがない。

2011/09/10  青年教学1級 開目抄第41段「第三僭聖増上慢を明かす」

 僭聖増上慢とは?
 良観と聖一のこと。

第41段「第三僭聖増上慢を明かす」
 第三は、法華経に云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在つて乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん」等云云、六巻の般泥オン経に云く「羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行じ一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん、羅漢に似たる一闡提有りとは是諸の衆生の方等を誹謗するなり一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰して広く方等を説き衆生に語つて言く我汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有るが故に然かも彼の衆生は一闡提と謂わん」等云云、涅槃経に云く「我れ涅槃の後・像法の中に当に比丘有るべし持律に似像して少かに経典を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現し内には貪嫉を懐く唖法を受けたる婆羅門等の如く実には沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云、妙楽云く「第三最も甚し後後の者転識り難きを以つての故に」等云云、東春云く「第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、東春に「即是出家の処に一切の悪人を摂する」等とは当世・日本国には何れの処ぞや、叡山か園城か東寺か南都か建仁寺か寿福寺か建長寺か・よくよく・たづぬべし、延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうを・さすべきか、園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか、彼等は経文に納衣在空閑と指すにはにず為世所恭敬・如六通羅漢と人をもはず又転難識故というべしや華洛には聖一等・鎌倉には良観等ににたり、人をあだむことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ、止観の第一に云く「止観の明静なることは前代未だ聞かず」等云云、弘の一に云く「漢の明帝夜夢みし自り陳朝にオヨぶまで禅門に予り厠て衣鉢伝授する者」等云云、補注に云く「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云、止の五に云く「又一種の禅人乃至盲跛の師徒二倶に堕落す」等云云、止の七に云く「九の意世間の文字の法師と共ならず、事相の禅師と共ならず、一種の禅師は唯観心の一意のみ有り或は浅く或は偽る余の九は全く此無し虚言に非ず後賢眼有らん者は当に証知すべきなり」、弘の七に云く「文字法師とは内に観解無くして唯法相を構う事相の禅師とは境智を閑わず鼻膈に心を止む乃至根本有漏定等なり、一師唯有観心一意等とは此は且く与えて論を為す奪えば則ち観解倶に闕く、世間の禅人偏えに理観を尚ぶ既に教を諳んぜず観を以つて経を消し八邪八風を数えて丈六の仏と為し五陰三毒を合して名けて八邪と為し六入を用いて六通と為し四大を以つて四諦と為す、此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅くして論ず可けんや」等云云、止観の七に云く「昔ギョウ洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、臨終に皆悔ゆ」等云云、弘の七に云く「ギョウ洛の禅師とはギョウは相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」等云云、六巻の般泥オン経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に向い法を毀り人を謗ず」等云云、夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや。
 第三類の怨敵は、法華経に次のように説かれている。
 「あるいは人里離れた静かな所に、粗末な袈裟・衣をつけて閑静な座にいて、在家の人たちに法を説いて、世間から敬われる姿はあたかも六神通を得た聖者のようである」等と。
 6巻本の般泥オン経には、次のようにある。「阿羅漢に似た一闡提の者があって、悪業を行ずる。これと反対に、一闡提に似た阿羅漢があって、慈悲の心を起こすであろう。
 『阿羅漢に似た一闡提がある』というのは、その者たちが大乗経を謗るということである。
 『一闡提に似た阿羅漢』とは、声聞を謗り、卑しめて、広く大乗の教えを説く者である。そして衆生に語っていうには、『私は汝たちとともにこれ菩薩である。理由はなぜか。一切の人々には皆、仏性(仏の性分)があるからである』と。しかし、それを聞いた衆生は、かえって一闡提だと言うだろう」と。
 涅槃経には、次のようにある。「私(釈尊)が入滅した後、教えが形骸化した時代において、次のような僧が現れるであろう。
 それは、形は戒律をたもっているように見せかけて、少しばかり経文を読み、食べ物をむさぼって我が身を養っている。
 その僧は、袈裟を身にまとっているけれども、信徒の布施を狙うありさまは、猟師が獲物を狙って、細めに見て静かに近づいていくようであり、ネコがネズミをとらえようとしているようなものである。
 そして、常に『自分は羅漢の悟りを得た』と言うであろう。
 外面は賢人・善人のように装っているが、内面は信徒の布施をむさぼり、正法をたもつ人に嫉妬心を強くいだいている。
 法門のことなど質問されても、答えられないありさまは、ちょうど唖法の修行で黙り込んでいる婆羅門たちのようである。
 実際には、正しい僧侶でもないのに、僧侶の姿をしており、邪見が非常に盛んで、正法を謗るであろう」と。
 妙楽は、「第3の僣聖増上慢の迫害は、最も甚だしい。第一類より第二類、第二類より第三類がより一層、正体を見抜きにくいからである」(『法華文句記』)と言っている。
 『東春』には、「第3に『或有阿練若』から下の3偈が僭聖増上慢で、この出家者のところに一切の悪人が集まるのである」等といっている。
 『東春』にある、「出家者のところに一切の悪人が集まる」等というのは、今の世の日本国には、いずれの所の出家者であろうか。比叡山か、園城寺か、東寺か、奈良の諸寺か、建仁寺か、寿福寺か、建長寺か、よくよくたずね考えるべきである。
 比叡山延暦寺の僧たちが出家の頭に甲胃を身につけているのを指すべきであろうか。園城寺の僧たちが五分法身(仏・阿羅漢がそなえている五つの功徳を有する身)の膚に、鎧・杖をまとっているのをいうべきであろうか。
 しかし彼らは、経文に「袈裟・衣をつけて閑静な座について」と指摘しているのには似ていないし、「世間に敬われること六神通を得た聖者のようである」と、人は思っていない。
 また、彼らを「より一層、正体を見抜きにくいからである」というべきであろうか。それは考えにくい。
 こうしてみると、第三類の怨敵は、京都では聖一ら、鎌倉では良観らに似ている。
 こう言われたからといって、人をうらんではならない。眼があるなら、経文に我が身を合わせてみよ。
 『摩訶止観』巻1には、「止観の明静なることは前代にいまだ聞かないところである」とある。
 『止観輔行伝弘決』の1に、「中国・後漢の明帝が夜、夢を見て、仏教が中国へ伝来してから、陳朝におよぶまで、禅門にまじわって師から弟子へと、仏教を受け継ぐ証しとして衣と鉢を伝える者たちがいた」とある。
 『法華三大部補註』には、「衣鉢を伝授する者とは、達磨からの流れを指す」とある。
 『摩訶止観』巻5には、止観を説くに値しない人の例が挙げられ「禅を修行するある種の人は、両極に偏った教えに執着し、その結果、そうした両極に偏った師弟は、ともに堕落して仏道から外れる」とある。
 同じく『摩訶止観』巻7に、「(天台自身が明かした、仏法を理解するための10種の、心得のうち)9種の意は、『文字の法師(世間の文字や理論ばかりに執着する法師)』が立てる意とも違うし、『事相の禅師(座禅の形式ばかりにとらわれている禅師)』が立てる意とも異なるのである。
 1種の禅師は、(10の心得のうち)ただ観心の1種だけは修行する。その観心も、あるいは浅く、あるいは偽っている。他の9種の心得は全く見られない。
 以上述べたことは決して虚言ではない。後世の賢人で眼ある者は、まさにこれをはっきりと知るにちがいない」と。
 妙楽は『止観輔行伝弘決』巻7に、次のように言っている。
 「『文字の法師』とは、内心に智慧をもって経教の義意を理解しようとするのでなく、ただ教えの解釈に終始する者をいう。『事相の禅師』とは、境智ということをなおざりにし、呼吸法などの形ばかりに気をとられている者をいう。これらの座禅は、外道の根本の修行である不完全な瞑想行と同じで、煩悩を断つことはできない。
 『1種の禅師は、ただ観心の1種だけは修行する』というのは、これは一応、仮に認めた言い方であり、厳しくいえば、観心の修行も教相の理解も、ともに欠いているということである。
 世間の禅人は、ひたすら真理を観ずることのみを尊び、少しも教えを習おうとしない。
 観心によって経文を解釈するなどといって、たとえば八邪と八風を合わせて一丈六尺の仏としたり、五陰と三毒をあわせて名づけて八邪であるとしたり、六入をもって六通としたり、四大をもって四諦としている。
 このような経文の解釈法は、偽りの中の偽りである。あまりに浅すぎて、論ずることもできない」と。
 『摩訶止観』巻7に、「昔、ギョウ洛の禅師(達磨)は、その名は国を越えて広く行き渡り、とどまる時は四方から人々が雲のように集まってきて仰ぎ、去る時は別れを惜しんで多くの人が群れをなし、遠くまで音が響くような賑わいであったが、なんの利益があったであろうか。臨終の時には、皆後悔した」とある。
 妙楽はこれについて、『止観輔行伝弘決』の7に、「『ギョウ洛の禅師』とは、ギョウは相州にあって斉や魏が都を置いたところである。この禅師はおおいに仏教を興隆させ、禅宗の祖として、その地を教化した。天台は当時の人たちの意を守ってその名を出していない。『洛』とはすなわち洛陽である」と言っている。
 6巻本の般泥オン経には、「究極のところを見ないとは、かの一闡提の輩がつくる究極の悪業、すなわち法華経誹謗が底しれず深くて見えないことである」とある。
 妙楽は「第三類の僭聖増上慢は、最も悪質である。第一類より第二類、第二類より第三類というように、ますますその謗法がわかりにくいからである」と言っている。
 仏教に無知な者や、仏教の一部分しか知らない者や、邪見の者は、末法のはじめの三類の強敵を見分けることができないであろう。
 ただ、一分の仏眼を得た者が、これを知ることができるのである。
 法華経には、「国王・大臣・高僧や社会の有力者たちに向かって」とあり、これについて『法華文句東春』には、「公の立場の者(権力者)に向かって正法を謗り、その行者の悪口を言う」と解釈している。
 昔、像法時代の末には、護命や修円ら(法相宗の僧)が奏状を朝廷にささげて、伝教大師を無実の罪で訴えた。
 今、末法のはじめには、良観や念阿らが偽書をつくって、将軍家にささげている。これこそ三類の怨敵ではないだろうか。

 僣聖増上慢とは、世間の人からは聖人のごとく尊敬されているが、内心は貪欲が強く、いつも俗世間のことを思っていて、権力と癒着して、正法を持つ人を誹謗し、迫害する人。
 大聖人の時代は、京都の聖一、鎌倉の良観、浄土宗の念阿などが、それにぴったり当てはまる。


2011/09/10  青年教学1級 開目抄第40段「別して俗衆・道門を明かす」

 俗衆とは? 道門とは?

第40段「別して俗衆・道門を明かす」
 第一の有諸無智人と云うは経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那と見へたり、随つて妙楽大師は「俗衆」等云云、東春に云く「公処に向う」等云云、第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん」等云云、涅槃経に云く「是の時に当に諸の悪比丘有るべし乃至是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除せん」等云云、止観に云く「若し信無きは高く聖境に推して己が智分に非ずとす、若し智無きは増上慢を起し己れ仏に均しと謂う」等云云、道綽禅師が云く「二に理深解微なるに由る」等云云、法然云く「諸行は機に非ず時を失う」等云云、記の十に云く「恐くは人謬り解せん者初心の功徳の大なることを識らずして功を上位に推り此の初心を蔑にせん故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す」等云云、伝教大師云く「正像稍過ぎ已て末法太はだ近きに有り法華一乗の機今正しく是其の時なり何を以て知ることを得る安楽行品に云く末世法滅の時なり」等云云、慧心の云く「日本一州円機純一なり」等云云、道綽と伝教と法然と慧心といづれ此を信ずべしや、彼は一切経に証文なし此れは正しく法華経によれり、其の上日本国・一同に叡山の大師は受戒の師なり何ぞ天魔のつける法然に心をよせ我が剃頭の師をなげすつるや、法然智者ならば何ぞ此の釈を選択に載せて和会せざる人の理をかくせる者なり、第二の悪世中比丘と指さるるは法然等の無戒・邪見の者なり、涅槃経に云く「我れ等悉く邪見の人と名く」等云云、妙楽云く「自ら三教を指して皆邪見と名く」等云云、止観に云く「大経に云く此よりの前は我等皆邪見の人と名くるなり、邪豈悪に非ずや」等云云、弘決に云く「邪は即ち是れ悪なり是の故に当に知るべし唯円を善と為す、復二意有り、一には順を以つて善と為し背を以つて悪と為す相待の意なり、著を以つて悪と為し達を以つて善と為す相待・絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり況や復余をや」等云云、外道の善悪は小乗経に対すれば皆悪道小乗の善道・乃至四味三教は法華経に対すれば皆邪悪・但法華のみ正善なり、爾前の円は相待妙なり、絶待妙に対すれば猶悪なり前三教に摂すれば猶悪道なり、爾前のごとく彼の経の極理を行ずる猶悪道なり、況や観経等の猶華厳・般若経等に及ばざる小法を本として法華経を観経に取り入れて還つて念仏に対して閣抛閉捨せるは法然並びに所化の弟子等・檀那等は誹謗正法の者にあらずや、釈迦・多宝・十方の諸仏は法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり、法然並に日本国の念仏者等は法華経は末法に念仏より前に滅尽すべしと豈三聖の怨敵にあらずや。
 三類の強敵のうち、第一類の「諸の無智の人有って」というのは、経文の第二類の「悪世の中の比丘」と第三類の「納衣の比丘」に帰依している大檀那たちであるといえる。
 したがって、妙楽大師はこの第一類を「俗衆増上慢」と言っている。
 また、智度法師は『東春』に、「公の立場の人(国王・大臣らの権力者)に向かって」等と言っている。
 法華経の怨敵の第二類は、経文に「悪世の中の僧は、よこしまな智慧にたけて、心が曲がってこびへつらい、いまだ何も分かっていないのに悟りを得たと思い、慢心が充満している」等とある。
 これについて涅槃経には、「この時に諸の悪い僧があるであろう。そして、この諸の悪人は、このような大乗経典を読誦していながら、如来が説こうとする深い真意を滅除する」等と説かれている。
 『摩訶止観』には、「もし法華経に対して信心のない者は、法華経は聖者が修行する高い教えで、自分のような智慧のない者には用はないという。
 また、もし真実の智慧のない者は増上慢を起こして、自分は仏に等しいと思う」等とある。
 道綽禅師は、浄土以外の教えである聖道門を捨てよと主張し、その理由として、「第二に、理が深くてほとんどの人には理解できない」(『安楽集』)と言っている。
 法然は、「念仏以外の諸の修行は衆生の機根に合わず、時代に適っていない」(『選択集』)と言っている。
 妙楽は『法華文句記』巻10に、「おそらく法華経を誤って理解する者は、初心の功徳が大きいことを知らないで、その功徳を上位の聖者が受けるものと考え、初心の功徳をないがしろにするだろう。
 だから今、初心の修行は浅くとも、その功徳が深いことを示し、法華経の功徳力を顕すのである」と言っている。
 伝教大師は、「正法・像法時代はもう少しで過ぎ終わり、末法がはなはだ近くにきている。一仏乗の法華経によって、一切衆生が即身成仏するのは、今まさしくこの時である。
 どうしてそれを知ることができるのかといえば、安楽行品に『末世において法が減する時に』とあるからである」(『守護国界章』)と言っている。
 慧心は「日本国中は、円教である法華経によって修行すべき機根のみである」(『一乗要決』)と言っている。
 道綽と伝教、また法然と慧心とは、反対のことを言っているが、どちらを信ずるべきであろうか。
 道綽と法然の主張は、一切経に証文がない。伝教と慧心の主張は、まさしく法華経に依っている。
 そのうえ、日本国一同にとって、比叡山の伝教大師こそ受戒の師である。
 どうして天魔のついた法然に心をよせ、自分にとって出家・剃髪の師である伝教を捨てるのであろうか。
 法然が智者であるなら、なぜ天台や妙楽、伝教や慧心らの解釈を、『選択集』にのせて、筋道を立てて道理を明らかにしなかったのであろうか。
 それをしなかった法然の主張は、人の道理を隠すものである。
 したがって、経文に第二類の「悪世の中の比丘」と指されているのは、法然ら無戒・邪見の者のことである。
 涅槃経に、「法華経以前の教えに執する人を我々はことごとく邪見の人と名づける」等とある。
 妙楽は「自ら法華経以前の蔵・通・別の三教を指して、皆邪見と名づけている」(『法華玄義釈籤』)と言っている。
 天台の『摩訶止観』には、「涅槃経に、『これより以前は、我々は皆、邪見の人と名づける』とある。「邪とはすなわち悪ではないか」等とある。
 妙楽の『止観輔行伝弘決』には、「邪はすなわちこれ悪のことである。このゆえに、ただ円教を善となすことを知るべきである。
 これには二つの意味がある。一には円教に順うを善となし、円教に背くを悪となす。これは円教と他の三教を比較相対して勝劣を判ずる相待妙のうえからの善悪の意味である。
 二には、三教が円教に含まれるからといって三教のどれかに執着するのを悪となし、執着せずに円教に達するのを善となす。これは絶待妙のうえからの善悪の意味である。このように、相待・絶待、いずれの意味でも悪をはなれるべきである。
 円に執着することでさえ、なお悪である。まして、その他のものに執着することはなおさらである」とある。
 外道の善道・悪道は、小乗経に対すれば、ともにみな悪道であり、小乗経の善道をはじめとする爾前の四味三教は、法華経に対すれば皆邪悪であり、ただ法華経のみ正善である。
 爾前経に説かれた円教は相待妙である。絶待妙に対すれば、これすら悪である。
 また爾前の円教を蔵・通・別の三教のどれかに位置づければ、さらに悪となる。
 まして観無量寿経など、華厳経や般若経などにも及ばない小法をもととして、法華経をこの観無量寿経に取り入れて、かえって念仏と対比して法華経を閣き、抛ち、閉ざし、捨てよと唱えたのであるから、法然並びにその化導を受けた弟子たち、檀那たちは「誹誇正法の者」ではないか。
 釈迦・多宝・十方の諸仏は、法華経を永久に存続させるために法華経の会座に来られたのである。
 しかし、法然並びに日本国の念仏者たちは、「法華経は末法には念仏より先に滅ぶであろう」といっている。
 これこそ釈迦・多宝・十方分身の諸仏の怨敵ではないか。

 俗衆増上慢と道門増上慢を詳しく解説している。

 「俗衆」とは、道門と僧聖増上慢に帰依している一般の人々のこと。
 「道門」とは法然や道綽など、法華経を捨てて念仏を唱えよなどといっている坊主たちのこと。

 「公処に向う」…第三の僣聖増上慢が「公処」すなわち権力に取り入って、それを動かす姿を述べたもの。

2011/09/08  青年教学1級 開目抄第38段「三類の強敵を顕す」

 勧持品に説かれる三類の強敵。

第38段「三類の強敵を顕す」
 已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅・律・念仏者・並びに諸檀那の謗法をしらしめん、日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。
 勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、記の八に云く「文に三初に一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」等云云、東春に智度法師云く「初に有諸より下の五行は第一に一偈は三業の悪を忍ぶ是れ外悪の人なり次に悪世の下の一偈は是上慢出家の人なり第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、又云く「常在大衆より下の両行は公処に向つて法を毀り人を謗ず」等云云、涅槃経の九に云く「善男子一闡提有り羅漢の像を作して空処に住し方等大乗経典を誹謗せん諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云、六巻の般泥オン経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず、一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん羅漢に似たる一闡提有りとは是の諸の衆生方等を誹謗するなり、一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰し広く方等を説くなり衆生に語つて言く我れ汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有る故に然も彼の衆生一闡提なりと謂わん」等云云、涅槃経に云く「我涅槃の後乃至正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少かに経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養す、袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現わし内には貪嫉を懐かん唖法を受けたる婆羅門等の如し、実に沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。
 以上、宝塔品の三箇の勅宣と、提婆達多品の二箇の諌暁、あわせて五箇の鳳詔に仏弟子たちは驚いて、勧持品で弘経の誓いを述べた。
 明鏡であるその経文を出して、今の禅・律・念仏の僧、ならびにそれらを支える有力者たちの謗法を、はっきりと明らかにしよう。
 日蓮という者は、去年(文永8年=1271年)9月12日の深夜、子丑の時に、頚をはねられた。
 これ(開目抄)は、その魂魄が佐渡の国に至って、翌年の2月、雪深い中で記して、有縁の弟子に贈るのであるから、ここに示す勧持品に説かれる難は恐ろしいようであるが、真の法華経の行者にとっては、決して恐ろしいものではない。しかし、これをわからず経文を見る人は、どれほどおじけづくだろうか。
 この経文は、釈迦・多宝・十方の諸仏が未来、すなわち日本の今の様子を映し出された明鏡である。形見とも見るべきものである。
 勧持品には、こう説かれている。
 「ただ願うところは、釈尊よ、心配しないでください。仏が入滅された後、恐るべき悪世の中において、私たちは法華経を広く説いていくだろう。
 その時、諸々の無智の人があって、法華経の行者の悪口を言ったり、罵ったり、また刀や杖で打つなどする者があるだろう。私たちは皆、それらを耐え忍ぶであろう。
 悪世の中の僧は、邪智をもち、心はへつらい曲がっており、まだ悟りを得ていないのに得たと思い、慢心の心が充満している。
 あるいは、喧騒を離れたところ(阿練若)で粗末な袈裟・衣を着て、静かなところ(空閑)にいて、自分は真の修行をしていると思って、世間の人々をいやしむ者がいるだろう。
 内心は、利益を貧り執着するゆえに、在家の人々(白衣)の歓心を買う教えを説き、世間の人々から尊敬されるさまは、六神通を得た阿羅漢のようである。
 この人は悪心をいだき、常に世俗のことを思い、人里離れた閑静なところにいる修行者という名に隠れて、人々の中で法華経を実践する行者の欠点を好んで言い出すだろう。
 常に多くの人々の中で、正法の行者を謗ろうとして、国王や大臣や婆羅門や居士、およびその他の僧に向かって、正法の行者を謗って、悪口し、”この者たちは、邪見の人であり、外道の論議を説いている”と言うだろう。
 濁悪の世の中には、多くの諸々の恐ろしいことがある。悪鬼が人々の身に入って、正法の行者を謗り、辱めるだろう。
 濁世の悪僧は、仏の方便の教え、衆生の機根に従って説かれた法を知らないで、それに執着し、真実の教えである法華経を行じる人々の悪口を言い、顰蹙する(顔をしかめる)。(そのため法華経の行者は)しばしば追い出されるだろう」と。
 『法華文句記』第8巻には、こうある。
 「この勧持品の文は、三つに分けられる。はじめの1行は、通じて邪見の人を明かしている。すなわち俗衆増上慢である。次の1行は、道門増上慢の者を明かしている。第3に、次の7行は、僧聖増上慢の者を明かしている。
 この三つの中で、はじめの俗衆増上慢は耐え忍ぶことができるが、第2は、第1のものよりも悪質である。第3の者が一番悪質である。
 第1よりも第2、第2よりも第3の者の方が、より一層、正体を見抜き難いからである」と。
 『東春』で、妙楽の弟子・智度法師は、こう述べている。
 「はじめに『有諸』以下の5行において、第1に最初の一偈は身・口・意の三業の悪を耐え忍ぶことを述べている。これは、外道、在家の悪人による迫害である。
 次の『悪世』以下の1偈は、上慢の出家の人による迫害である。
 第3に『或有阿練若』以下の3偈は、出家のところに一切の悪人が集まるのである」と。
 また「『常在大衆』以下の2行は、公の立場の人に向かって、法を謗り、人をけなすということである」と。
 涅槃経第9巻には、こうある。
 「善男子よ、一闡提がいて、阿羅漢の姿をして、静寂なところに住み、大乗経典を誹謗するだろう。
 凡夫の人々はこれを見て、皆が、彼こそ真の阿羅漢であり、大菩薩であると思うだろう」と。
 また、こうある。
 「その時に、この経を全世界に広く流布すべきである。
 この時には、諸々の悪僧がいて、この経を切り取って捨てたり、バラバラにし、正法の色・香・美味を失わせてしまうだろう。
 この諸々の悪人は、またこのような経典を読誦するといっても、如来が説こうとする深い意味のある重要な義を消し去ってしまって、世間の飾りたてた、美しいだけで意味のない語を置くだろう。前を取って後につけ、後を取って前につけ、前と後を中ほどにつけ、中ほどを前や後につける。
 まさに知るべきである。このような諸々の悪比丘は魔の伴侶であると」と。
 6巻の般泥オン経には、こうある。
 「阿羅漢に似た一闡提の者がいて、悪業を行う。一闡提に似た阿羅漢がいて、慈悲の心を起こすだろう。
 阿羅漢に似た一闡提がいるというのは、その者たちが大乗経を謗るということである。
 一闡提に似た阿羅漢とは、声聞を謗り、卑しめて、広く大乗の教えを説く者である。
 衆生に語って言うには、『私はあなたがたとともに菩薩である。理由はなぜか。一切の人には皆、仏の性分があるからだ』と。
 しかし、それを聞いた衆生は、その人を一闡提だと言うだろう」と。
 涅槃経には、こうある。
 「私(釈尊)が入滅した後、正法が減して後、形ばかり法が残っている時代において、次のような出家者が現れるだろう。
 形は律を持っているようであって、わずかに経を読誦し、飲食を貧って身を養い、袈裟を着ているとはいっても、信徒の布施を狙うさまは、猟師が細目で見てゆっくりと獲物に近づくようであり、猫がネズミをとらえようとしているようである。
 常にこの言葉を唱えるだろう。『自分は阿羅漢の悟りを得た』と。
 外には賢人・善人の姿を表し、内には貧りや嫉妬の気持ちをいだき、無言の修行をしている婆羅門などのようである。
 実には出家者でもないのに、出家者の姿をしており、邪見が非常に盛んで、正法を謗るであろう」と。

 勧持品に説かれる三類の強敵を経文にしたがって顕す。
 ①俗衆増上慢…「諸の無智の人あって…刀杖瓦石を加う」
 ②道門増上慢…「悪世の中の比丘は邪智にして…我慢の心充満せん」
 ③僣聖増上慢…「阿練若に納衣にして空閑に在って…六通の阿羅漢の如くならん」

 ※このうち、三番目の僣聖増上慢が見破りにくいから一番悪い。

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