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2009/02/27  そりゃぁ、大阪府の財政が破綻目前になるよ。

ちょっと2ちゃんねるで話題ですね。

橋下知事、返還に前向き 児童文学館廃止で寄贈本問題
2009年2月26日朝日新聞
 大阪府立国際児童文学館(同府吹田市)に本や資料を寄贈した人たちが、同館の廃止条例案を2月議会に提出した府に返還を求めている問題で、橋下徹知事は25日、「お返しするのも大きな解決策」と報道陣に述べ、返還に前向きな姿勢を示した。寄贈者も記者会見して改めて返還を主張。府立中央図書館(同府東大阪市)への蔵書移転を計画した府教委は「蔵書がばらばらになってしまう」と戸惑う。

 同館の蔵書70万冊のうち50万冊は寄贈分。14万冊の寄贈者で児童文学研究者の鳥越信さん(79)はこの日の記者会見で「資料が散逸するのは本意ではない」としつつ、「1万人近くいる個人の寄贈者全員が返還を求めることで、移転のための予算審議を凍結させたい」と語った。

 しかし、府教委幹部によると、橋下知事はたとえ返還しても、館の廃止と残る蔵書の移転は実現するつもりという。この幹部は「蔵書をまとめて保存する最善策を考えてきただけに困った」と話す。返還には新たな議決や費用負担などの課題もあり、難航しそうだ。(小河雅臣)

話はこんな流れ

鳥越 30年前 「早稲田大学で集めた貴重な児童文学書12万冊寄付するぞー」(自称20億円の価値)
大阪府 「是非うちに寄付してください 国際児童文学館つくります」
鳥越  「じゃあ、財団法人国際児童文学館の総括専門員(のちに理事)をつくって就任、
    それから貴重な資料なので一般には閲覧も禁止ね」
大阪府 「児童文学の研究目的だけでは来館者が少なく、
     補助金がだせないので漫画やラノベを充実させますね」
    (例 あんどろトリオ ttp://members.at.infoseek.co.jp/AZICON1/SSC1_P48.jpg
     それでも場所が不便なので来館者は増えない)

鳥越氏1984年より、1991年まで総括専門員として児童文学館に勤務

現在は児童文学館の理事に就いている(財団法人大阪国際児童文学館理事)

橋下  「国際児童文学館は来館者が中央の1/14 年間維持費2億円(うち人件費 9人で1億円)なので廃館。
     蔵書は中央図書館新しい書庫を作ってに移送します」
鳥越(児文館理事) 「話が違う、それなら寄贈した蔵書を返してくれ」
綛山哲男教育長(児文館理事) 「寄贈されたら府の財産なので返還できません」
鳥越(児文館理事) 「なら廃館をやめて国際児童文学館を継続しろ、府の予算案は凍結だ」
橋下 「府が方針を廃止に変更したので、寄贈者の意思を尊重して、12万冊返しましょう」
鳥越(児文館理事) 「…本を公開していく方法を一緒に検討しましょう…って意味だったんです」

で今日には「1万人近くいる個人の寄贈者全員が返還を求めることで、移転のための予算審議を凍結させたい」と言っている。
完全に保身の為の行動ですよ。
文化財を使ったヤクザみたいな手口ですね。

2009/02/27  同志と共にあるリーダー。

先日の池田先生のスピーチから

婦人部・女子部最高協議会での名誉会長のスピーチ 中
   (前略)
「仏に誉められる境涯に」

 一、きょうも戸田先生の指導に学びたい。先生はよく言われた。
 「生活の上に、いろいろな試練が出てきても、負けてはいけない。
 どんなことがあっても、それは『護法の功徳力』によるものである。必ず全部、宿業が軽く転換できることは間違いない」
 また、健気に戦う同志を、こう励ましてくださった。
 「仏法の話をして、誰も話を聞いてくれなかったとしても、諸天善神が、聞いてくださっているよ。あなたを必ず護る」
 広宣流布のために戦う善き人を、諸天善神は必ず守護する。
 自分自身の生命には倶生神(人が生まれるときに倶に生ずるとされる神)がいる。常に、その人自身の行動を見ている。信心の上の、どんな努力も、苦労も、天は見逃さない。
 広宣流布という、最極の正義に生き抜く皆様方が、断じて護られないわけがない。
 一、さらに戸田先生は言われた。
 「広宣流布のために会い、勇敢に、誠実に仏縁を結んだ人は、未来において、その人が必ず自分の眷属となり、諸天となって、自分を護り支えてくれるようになるのだ」
 「よき友、よき同志に守られた人生は、絶対に負けない」
 まったくその通りである。
 また、自分自身が善知識になっていかねばならない。
 一、人に接する時には、ツンとした、冷たい態度ではいけない。
 焼きもちを焼いてはいけない。信仰においても、人生においても、一番、気をつけるべきことである。
 嫉妬の人は伸びない。妬んでばかりの人とつきあっても、何の得もない。
 ともあれ、同志を守ってこそ、リーダーだ。女性を尊重してこそ、紳士だ。多くの後輩を伸ばしてこそ、先輩である。
 それをはき違えて、女性に対して威張る男性、若い人をいじめる幹部が、もしも将来、出たならば、心ある皆さんが、勇気をもって戦うのだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「信仰の上に立って、目標を完遂して、凡夫に誉められるのではなくて、たえず、仏様に誉められる境涯になろうではありませんか」
 この気概で、胸を張って進んでいきたい。

同志を護り抜け

 一、戸田先生は、私と妻に言い残された。
 「学会員がいなければ、広宣流布はできない。大作と香峯子は、この尊い仏様である学会員を、生命の続く限り護ってほしい」
 私と妻は、このご指導通りに生き抜き、戦い抜いてきた。
 また、「真剣に、そして雄々しく戦いゆく同志を、最大に励まし護れ!」とも言われていた。
 同志の幸福を、広布の前進を、真剣に祈り戦うことだ。その時、仏に等しい力が、自分自身の中から湧き起こってくる。そして、自分自身も護られるのである。
 反対に、この正道を踏み外してしまえば、諸天善神から見放されてしまう。
 戸田先生は厳しくおっしゃった。
 「仏意仏勅の学会を私利私欲のために利用したり、大恩ある学会を裏切ったりした者は、必ずや諸天から裁かれる」と。
 自ら決めた、尊い誓願を、絶対に裏切ってはならない。
 仏法の世界は不思議である。因果の理法は厳しい。仏法の眼で見れば、すべてが明快である。
   (後略)
2009年2月23日付聖教新聞
婦人部・女子部向けだけのスピーチと思ってはいけませんよ(笑)
壮年部・男子部も同じく拝しなければなりません。

リーダーたる要諦は老若男女関係がありません。

2009/02/21  仮想と現場と己心と葛藤。

あくまでも仮想現実
ネット活動を他人があれこれ揶揄や指図するには、限度があると思います。
「ああっ、そんな事書いちゃ」とか「違うよ、そうじゃない」とか言いたくなる書き込みも散見されます。
私の書き込みも他人から見れば一家言あると思いますし、それが当然でしょう。

信心の軸足が『現場』なのは当然で『ネット弁慶』では幸せにはなれない。
幸せになる為に信心をしていて、その信心活動で得たモノをネットで書くのが「ネット活動」でしょう。

歓喜の無く「愚癡」や「批判」ばかり書いていては只の『退転者』にしかならない。
統監が組織にあるだけで、ちっとも『広布』に役には立っていない。

『現場』で活動して、どうしても腑に落ちない事があるでしょう。
指導を受けるまででもなく、身近に聞ける人もなく「う~~ん、コレってどうなんだろう?」とネットでググル事は皆、経験はないでしょうか?

「ああっ、同じ事を思っている人がいる」と安堵するかもしれません。
しかし、心得なければならないのが『ネットは3次資料』だと言う事。

信心の指針は
「御書・先生の講義や著作」>「現場の指導・体験」>「ネット・体験談」だと思う。
ネットの活動や体験は所詮『仮想』です。実体を殆ど確かめ様がない。

ネットでスゴイと思った人が、現実で会ったら「え~~何か違う」となるかも知れませんよ。
ネットはテキストで構成されるから、読み手のリテラシィ・読解力次第で歓喜もすればヘコミもする。
書き手の思惑を離れ歪曲だってされる。

自分の思った事を書いて否定されたら、躍起になって反論もするかもしれない。
同意をされ、嬉しくなり饒舌になって余計な事まで書くかもしれない。


賢者の振る舞い
日蓮大聖人は「九思一言」と故事を引かれた。
これは読み手聞き手に判るように発言者が心得ているか?でしょう。

何も考慮せずその場の勢いで発言しては賢者ではない。
通常ネットでは発言が何時までも残ります。

ひいてはネットの体験・意見を鵜呑みにしてはなりません。
よくよく脈絡を読み真意を汲まなければ「退転」の元になるかもしれません。

私もそうですが発言者は書き込み時に「これは書いて大丈夫か?」とボタンを押す前に考えましょう。
特定のHNに対しての書き込みでも、ネットでは他者が見ています。
影響を考えなければいけませんね。

日蓮大聖人は御書・お手紙を認められる時には皆で読み廻す事を想定されていますね。
池田先生も各種メッセージは男子部に宛ても、婦人部に宛ても他者が読む事を考慮されていますね。

自分の書き込みで『誰か』が退転しては、エライ業を積んでしまいます。
考え抜いた善かれと思っての書き込みも、相手が聞く耳を持たなければ仕方ないのです。
日蓮大聖人も「御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず(日厳尼御前御返事P1262)」とも仰せです。
必要以上に攻めたてては慈悲がありませんし、相手が機根を見ましょうよ。
毎日同じ文章趣意を書き立てては「粘着質」「中二病」とか言われますよ。


執着との葛藤
中には己心に執着し、御書を引かれて指摘されても素直に意見を変えられない人もいるでしょう。
自分の執着との葛藤もあるでしょう。
その葛藤を乗り越えれば境涯革命はできると思います。

人間的に魅力のある人は、信仰者か否かを問わずいます。
魅力のある人を庇いたくなるのが人情でしょう。しかし我々は信仰者です。

人情に流されて広布が進まなければ意味はないのです。
言い負かされては悔しいかもしれないが、「悔しい」の元が『何』なのかジックリと御本尊の前で考えてみましょう。


最後に
こうしたネット上での議論や炎上は私は『無意味』とは思いません。『有意義』だと思います。
こうした議論炎上で葛藤が起き思索を重ねる事は、人生に於て無駄にはならないと思います。
片や指摘され葛藤すれば自己成長し、片や指摘して「勝他の念」に支配されない発言力を増せば自己成長をします。

自分は何が言いたいのか?
自分は何を指摘されたのか?
相手は何が言いたいのか?
相手は何を指摘したいのか?

これが対話だと思います。

そして結果『この対話で何を得たのか?』だと思います。
無意味な対話はしたくないよね?

2009/02/21  わが勇気ある永遠の同志に贈る

池田先生、連日の長編詩
わが勇気(ゆうき)ある永遠(えいえん)同志(とも)(おく) 山本 伸一

青春は前進だ!
人生は勝利だ!


君よ
青春は前進だ!
前に進むのだ。
前進するのだ。
汝自身を鍛えながら
強い人間になることだ。

君よ
人生は勝利だ!
正義は
勝たねば正義ではない。

負ける人生は情けない。
そんな
意気地なしの人生を
諸天は護らない。
「仏法と申すは
 勝負をさきとし」と
仏が明言しておられる。

おお
今朝から
大雨が
嵐が
やってきている。

君よ
若き勇気の魂で
迎え撃つのだ!

君よ
見たまえ!
嵐を勝ち越えた
今日の
雲一つなき
大晴天の天空を!

君よ
見たまえ!
何ものをも
勝ち抜いた
偉大な人間の
魂の光を!

おお
今日は
晴天だ。
朝日の光が
眩しい。

君よ
晴天の心で
今日も勝つのだ!

どんよりした
薄曇の魂など
断じて
あってはならない。

十九世紀イギリスの作家
ブロンテ三姉妹の一人
エミリーは詠った。
「太陽が昇れば
 あの霧も晴れるだろう
 そしてこの魂も
 悲しみを忘れるだろう」

妙法蓮華経は
宇宙の大法則である。
生命の大法則である。

御義口伝には仰せだ。
「我等が
 頭は妙なり
 喉は法なり
 胸は連なり
 胎は華なり
 足は経なり
 此の五尺の身
 妙法蓮華経の五字なり」

わが生命
それ自体が
妙法蓮華経の当体として
尊極に輝きわたるのだ。

人生は
幸福になるためにあるのだ。
それには
不幸に
戦い勝っていかねばならない。

教育も
政治も
経済も
科学も
すべて
人間の幸福を
目的にしているはずだ。

その根本の目的を
見失って
慢心となり
無責任となり
自分勝手に
威張りゆく姿よ!

なんで
そこから
真実の後輩が
生まれ育ちゆこうか!

私が青年時代から
愛読してきた
ドイツの大文豪
ゲーテは断言した。

「人を生かしてこそ
 自分も生きる」
「打ちこわすことではなく、
 人類にうつくしい希望を
 あたえるような
 何ものかをつくること。
 これが一ばん肝要である」

戦いだ!
人の幸福を思う
信念を創ることは
最も大切な教育だ。
この思想は
今でも私の心に
息づいている。

そのためには
まず自らが
あらゆる不幸を
忍耐で乗り越えて
揺るぎない勝利の自分を
創り上げていくことだ。

「頂上を制覇する者は
 粘り強く歩む者である」とは
中央アジアの
カザフ民族に伝わる
英知の言葉である。

君よ
今日も
生き抜くのだ!
断じて負けるな!
あきらめは
敗者の情けない
上滑りの生き方だ。

御聖訓には
「苦をば苦とさとり
 楽をば楽とひらき」と
説かれている。

苦しい時は
苦しみを喜びとして
それに立ち向かうのだ。
その不屈の流転が
勝利の人生だ。

偉大なる
私の師匠・戸田城聖先生は
よくお話しになった。
「現代は五濁悪世である。
 ゆえに
 悩みがないわけがない。
 対話においても
 相手の悩みの中心に触れ
 相手が求めるものに
 応えていくのだ」

勇気の対話を!
信念の対話を!
確信の対話を!
声を惜しまず
賢く朗らかに
広げゆくことだ。

ドイツの哲学者
カントは喝破した。
「嘘つきは
 臆病な人間である」
「勇気ある人は
 真実を愛する」

真実ほど
強いものはない。
真実ほど
誇り高いものはない。

フランスの思想家
ボルテールも叫んだ。
「沈黙は
 恥ずべきことです」
「私は真実を述べ、
 述べつづけるでしょう」
「真実を述べるという喜びが
 私のすべてだったのです」

前進しゆく魂の
持ち主である
自分を鍛えよ!
さらに さらに
わが魂を鍛えよ!

それが
真実だ!
宗教だ!
哲学だ!
教育だ!
芸術だ!

フランスの
印象派の大画家
クロード・モネは
胸を張って語った。
「僕は
 不可能なことに
 取り組んでいる」

可能なことは
誰にでもできる。
不可能に
青年が挑みゆくからこそ
壁を破れるのだ。
これが
人類の創造の歴史である。

どうすれば
この一瞬の美を
この妙なる光を
表現できるのか?
モネは
猛烈な勉強と精進を重ねた。

遣を開くには
徹する以外にない。
一心不乱に
突き進む以外にない。
今ある境地に止まらず
前へ前へと
新たなる挑戦を
始める以外にないのだ。

勇敢に前進する魂は
数多の非難にも
打ち砕かれることはない。
いな攻撃があればあるほど
いやまして闘志を
燃え上がらせるのだ。

モネは
わが友の名誉のためにも
敢然と戦った。
不遇のなか
亡くなった同志の
正当な評価を
勝ち取るために奔走した。
それゆえに
圧迫を受けようとも
モネは奮然と言い放った。
「あとは最後まで
 徹底的に戦うだけです」
麗しき友情の名画である。

良き友を持った
青春に停滞はない。
真の友と励まし合う
人生に敗北はない。

フランスの名宰相
クレマンソーは
モネの若き日からの
親友であった。
晩年 失明の不安のなか
創作に取り組むモネを
彼は支え力づけた。

「これまであなたは、
 成功の危機と
 自信喪失を
 何度も経験して来ました。
 それはあなたの
 勝利の条件でさえあります」
「あなたは
 モネではないですか」

友の激励に
モネは奮起し
描きに措き抜いた。
そして
ついに「睡蓮」の
世界的に有名な大傑作を
完成させたのである。

友情の深さ!
誠実な行動!
同志の心のつながり!
これこそ
人生の究極の魂だ。

戸田先生は
大事な幹部との懇談の折
厳然と言われた。
古い学会本部の
二階の会長室であった。

「不知恩の輩は
 断固 追放せよ!」
「師弟を忘れた幹部は
 断じて追放せよ!」
そして
「負けるなよ!
 この一生を
 勝利者と飾るのだ!」

師匠への
深い報恩の決意と
深い目標を待った
弟子こそが
深い価値ある人間として
生き抜いていけるのだ。

それは
先生の人生の最終章に入った
昭和三十二年
四月の頃であった。
私は一人
会長室に呼ばれた。

先生は布団を敷かれ
横になっておられた。
先生は言われた。
「大作!
 大作のような弟子をもって
 俺は本当に嬉しい。
 大作!
 おまえも
 俺も勝った……」
静かな声であられたが
力強く
先生は言い残された。

先生のお体は
大変に弱り果てておられた。
私の手を握りながら
先生は
「君よ
 世界広布を頼むよ!」と
仰せになられた。

私は泣いた。
涙が溢れた。
偉大な師匠の目にも
笑顔と同時に
涙が見えた。

あまりにも小さい
会長室であった。
今のような暖房なども
整っておらず
寒い感じがしていた。

それから
先生は静養され
いったん回復なされたが
体力の衰えは否めなかった。
二年間の獄中闘争は
あまりにも先生の身体を
痛めつけていたのである。

そして翌年
明るい光の春--
桜花に包まれるなか
常楽我浄の旅立ちの
あの四月二日を
迎えられた。

仏法の真髄には
「師弟不二」の法理が
明かされている。

「弟子は枝葉の如く
 師は根の和し」
「弟子は流れの如く
 師は源の如し」
「弟子は火の如く
 師は薪の如し」
「弟子は草木の如く
 師は大地の如し」

弟子の栄光こそが
師匠の栄光である。
弟子の勝利こそが
師匠の勝利である。

近代経済学の父
アダム・スミスは
青春時代
スコットランドの名門
グラスゴー大学で
恩師ハチスン博士から
若き英知を鼓舞された。

「人類の幸福」のために
何が重要か?
それに向かって学べ!
探究せよ! と。

のちに スミスは
傑出した知性となって
師が自分を育んでくれた
大恩ある母校へ舞い戻った。
師と同じ教壇に立って
青年の育成に臨んだのだ。

自らが総長となっても
「あの決して忘れえぬ
 ハチスン博士」と
終生 恩師に感謝し
深く慕い続けたという。

崇高な師弟の劇が
幾重にも織り成されてきた
このグラスゴー大学から
私は名誉博士号を拝受した。
一九九四年の六月--
その荘厳なる儀式は
一生涯
忘れることはできない。

大学評議会のマンロー議長が
おごそかに
「推挙の辞」に立たれた。
壮麗なビュート・ホールに
幾たびも幾たびも
「ジョウセイ・トダ」と
わが師の名前が
高らかに響きわたった。

それは
戸田大学に学び
薫陶を受けた私が
永遠の師に捧げゆく
報恩の栄誉となった。
不二の宝冠となった。

私が会見の話を
いただいていた
アメリカの
若き第三十五代
ケネディ大統領は語った。
「歴史は、
 人間が作るものである」

自分自身の歴史は
自分自身が創るものだ。
いかなる苦労も
いかなる苦難も
いかなる戦いも
いかなる怒涛も
自分自身に与えられた
希望であり
宿命であり
わが人生の教科書だ。

恐れなく
それらを乗り越え
勝ち越えゆく信念を
一段と持ちながら
努力の魂を磨いた人間が
勝利者となるのだ。

さらに
ケネディ大統領は言った。
「もしわれわれが
 つかの間でも休止するならば
 過去の業績に
 甘んじているならば
 進歩の歩調に
 さからうならば
 危険に陥るだろう。
 時と世界は
 じっとしていないからだ。
 変化は生命の法則である」

たしか
このような文言であったと
私は記憶する。

人生は過去に
囚われるものではない。
いな
囚われてはいけない。

ゆえに
青年よ
君たちよ!
未来を常に見つめて
歩むのだ!
戦うのだ!
断固として進むのだ!

宇宙の森羅万象は
たゆみなく動いている。
その一切を
より良く変化させていく
究極の力が妙法である。
そして
この大宇宙をも包みゆく
偉大なる生命力は
わが胸の中にあるのだ。

さあ
朝が来た!
太陽が輝き昇る。
我らの心も
太陽のようでなければ
ならないはずだ。

青年よ
生き抜くのだ!


戦い抜くのだ!
勝ち抜くのだ!
一人ももれなく
幸福になるのだ!
そのための
一日一日である。

充実の一日とは
汝自身に勝つことだ!
人のため
社会のため
未来のために
大いなる魂を
燃え上がらせることだ!
悩み苦しむ友を
励まし救い
不滅の希望を
贈りゆくことだ!

さあ!
わが勇気ある
永遠の同志よ!
青春は前進だ!
人生は勝利だ!

 二〇〇九年二月十八日

  学会本部・師弟会館にて
  青年・勝利座談会を
         記念して

       桂冠詩人
       世界桂冠詩人
       世界民衆詩人
※フロンテの言葉は中岡洋訳、ゲーテの言葉は内藤道雄訳、大山定一訳、カントの言葉は御子柴善之訳、ポルテールの言葉は高橋安光訳、モネとクレマンソーの言葉は高階秀爾監訳、渡辺隆司・村上伸子訳、スミスの言葉は鈴木亮訳、ケネディの言葉は高村暢児編。
2009年2月20日付聖教新聞
池田先生の苦闘時代のエッセンスが込められています。

今、苦しい状況にあって答えが見つからず右往左往しない様に指針を示して頂いています。
苦労も、悩みも、苦難も、戦いも全て人生の勝利の為にある。

友を励まし自身に勝ってこそ幸せになれる。
大勝利のご報告をして、誉れの2月に致します。

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