2009/05/23 性悪説?性善説?
Siriusさん、記事作るのが遅くなりました。
申し訳ありませんでした。m(_ _)m
この世(現世)が「地獄世界(界)」に思える末法の現代です。
中国の思想家、孟子は「性善説」を唱えました。
対して荀子は性悪篇で「性悪説」を唱えました。
性善説
「人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要である」とする考え方である。
性悪説
「孔子ですら生まれたときから聖人だったわけではなく、学問によって聖人になることが出来た」とする考え方である。
御書にも性悪説とも取れる御文がありますね。
兄弟抄
此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり(P1081)
魔王の眷属と仰せです。
他人の生命の「仏性」を否定したり、仏道修行を妨げる存在が末法の衆生(現代人)です。
むしろ本分としては魔の生命が出易い分、悲惨な出来事が起こるのは自然かもしれません。
しかし、その末法の衆生を救う為に日蓮大聖人は「妙法」を表して下さった。
「あなたの生命には仏が元々備わっている」と。
貴方には仏の命があると言われると性善説に近い感じですが、日蓮大聖人云く性悪説でも性善説でもなく、両方だそうです。
治病大小権実違目
善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、法華宗の心は一念三千性悪性善妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり(P997)
権教や諸宗(日蓮仏法以外)では善悪は等覚の悟りでしかなく、どちらか一方しかない。
妙法では妙覚の悟りなので、善悪両方備わっている。
現われ方によって「元品の法性」「元品の無明」に分けられると言う事。
生命のデフォルト(初期値)が「元品の無明」なのですね。
そこに「妙法」を入れて「元品の法性」を出す訳です。
退転すると初期値に戻ってしまいます。
むしろ反動でより悪くなる。
常にテンションを掛けていないと駄目で、弛んでしまうと退転状態です。
「進まざるは退転」なのですね。
元品の無明に囚われた衆生は「魔の眷属」ですから、世間が「地獄世界」に見えます。道理ですね。
妙法を心に入れるのは、とても大変です。
梵天帝釈が現われるのですから、相当な苦労です。
でも、梵天等が生命に現われたら、当然自分以外も他人の生命も見えて来ます。
相手の生命が見えたら、他人を蔑ろには出来ません。
生命の尊厳を軽視する事は出来ません。
というか、軽視出来たら法性は出ていない事になる。
日蓮仏法はまだまだ、世界では少数派です。
(だから広宣流布出来るのですがね。)
「魔の所領」の世界では、依然と地獄世界が広がっています。
それを変えるのは武器や武力と言った「ハードパワー」ではなく対話や思想と言った「ソフトパワー」です。
ソフトパワーは一見まどろっこしく、イライラするかもしれません。
現実の目の前の惨劇にジッとできないと思います。
しかし、我々の日蓮仏法は「大善」の運動でもあります。
「急がば回れ」一歩一歩進むしかないのです。
19:00:00
コメント
こんばんは。こちらこそ返事が遅れすみませんm(_ _)m
私なんぞの為に記事をUPして下さりありがとうございます。
感想などは後日改めて書かせていただきますので、もうしばらくお待ち下さい。重ね重ねすみませんm(_ _)m
Siriusさん、こんばんは
ゆっくりで良いですよ。
私もここの所忙しく、レスできるのも遅くなりそうです。
こんばんは、返事がだいぶ遅くなりすみません。
>その末法の衆生を救う為に日蓮大聖人は「妙法」を表して下さった。
異論をお許し下さい。私は日蓮大聖人が「妙法」へ辿り着く道を示して下さったと思ってますが、「妙法」そのものを顕したとは思っていません。但し「あなたの生命には仏が元々備わっている」に関しては否定しません。
>「進まざるは退転」なのですね。
では私をはじめ創価学会から出て行った者は全てこれに該当する訳ですね?創価学会にいてもいわゆる「退転状態」の方はいらっしゃると思いますが。
>元品の無明に囚われた衆生は「魔の眷属」ですから、世間が「地獄世界」に見えます。道理ですね。
これも異論をお許し下さい。「魔の眷属」だから「地獄世界」に見えるというのも一理ると思いますが、それだけはありません。
ここは本当に「地獄世界」なのです。天界人がこの地球に何の準備も無しに訪れれば、気絶し死ぬと言われています。それと天界にいた時に得た様々知識・知恵・自由度がこの「地球」に来たら失われるまた忘れる為、「地獄世界」と言われているのも理由の一つなのです(大抵は天人以上の存在でもそれらは残念ながら忘れてしまうようです)。
むしろ「魔の眷属」の方が、便所に長くいると悪臭が気にならなくなるのといっしょで「地獄世界」を「地獄世界」とも思わなくなるのではないかと思います。
>他人を蔑ろには出来ません。
同感です。
>生命の尊厳を軽視する事は出来ません。
仰るとおりです。ですが、これはそう簡単に実践できる事ではないと思います。それこそ一般的な日本人の今までの生活様式を変えるとかする必要があると思います。
>日蓮仏法はまだまだ、世界では少数派です。
(だから広宣流布出来るのですがね。)
これにも異論をお許し下さい。特に「広宣流布」に関して、「知られざる日本人 五井野正博士」(
http://nokano.web.fc2.com/)というサイトを御覧になって下さい。
私も「広宣流布」に関してはこのサイトに書かれているとおり、法華経には薬王菩薩本事品第二十三の一ヶ所しか出てこなかったと記憶してますし、「誰に、何を、いつ、どこで、なぜ(どんな目的で)、どうやって」という事に同感です。
私は上記サイトに載っている「一念三千論盗作」の事をこのサイトがUPされるよりだいぶ前に知り、実際に五井野氏に直にお会いしたのをきっかけに創価学会を辞めたのです。
>「魔の所領」の世界では、依然と地獄世界が広がっています。
それを変えるのは武器や武力と言った「ハードパワー」ではなく対話や思想と言った「ソフトパワー」です。
これに関しても同感です。あと芸術も必要だと思います。
>ソフトパワーは一見まどろっこしく、イライラするかもしれません。
現実の目の前の惨劇にジッとできないと思います。
これも異論をお許し下さい。ではイラク派遣などもこれだから仕方がないと仰る訳ですね?確か公明党の議員だった故沢たまきさんは反対だったとまだ創価にいた頃に組織で聞いた事がありますし、私がかつて組織にいた頃の周囲の学会員さんはイラク派遣などには反対してましたよ。
>「急がば回れ」一歩一歩進むしかないのです。
同感です。個々人の現実問題を解決していくという意味だったらなおさらだと思います。ですが、(地球における)合理的説明だけではこの世には想像もできない不思議な事があります。通常はそれらは受動的にしか分かりませんが、ある日を境に能動的にコントロールする事も可能なのです。
Siriusさん、こんにちは
異論については、ことわらなくて結構ですよ。
Siriusさんとは、意見交流だと思っていますので、異論があって当然だと思っています。
>「妙法」そのものを顕したとは思っていません。
ああ、その通りですね。「妙法」は久遠からあるのですからね。
日本語って難しい(笑)
書きたかったのは、その「妙法」を衆生の面前に出してくれたのが日蓮大聖人という事です。
>では私をはじめ創価学会から出て行った者は全てこれに該当する訳ですね?
そういうつもりでは書いてません。
ここでは「魔」の生命に囚われる原因についてです。
元々、魔民である私たちは常に上昇志向で、生涯修行で行かなければならないとの主旨です。
例えば学会から出て行っても退転していない人はいると私は思います。
日興上人のお弟子の日尊上人は、講義中に落ち葉を見ていて破門になりました。
しかしながら、奮起し各地に仏種を植えて行かれました。のちに破門は取り消されます。
所属が違くても、広宣流布が出来れば「退転」ではないと愚考します。
私の親族にも入信はしていませんでしたが、学会理解者で色々と協力をして頂いた方がいました。
入会をしていないだけで、立派な学会員でしたよ。
臨終の相は、それこそ学会員と同じでした。
むしろ、内部の退転状態は往々に起りうるのが常でしょう。
ですので、学会は家庭訪問をするのだと思います。
Siriusさんの入信経緯は存じません、脱会経緯も存じません。
脱会されたSiriusさんには、Siriusさんの理由があると思います。
脱会しても求道し広布に走られていれば、退転ではないと思いますよ。
前にも記事にしたのですが、学会があったから仏縁を結んだ方は学会に対して報恩をして頂きたいとの思いはあります。
創価学会という、会員が死身弘法する団体に弓を引かれれば、歴然と仏罰はその方に下るとも思っています。
だからといってSiriusさんが、学会に弓を引いているとは思っていませんよ。
こうやって私と対話し、私に考察の機会を頂いてます。
この縁は有り難い物で、感謝致しております。
>ここは本当に「地獄世界」なのです。
同感です。では、その「地獄世界」に生きる我々はどうしたら良いのか?
「嫌だ」と言っても他の世界に転送は出来ませんよね。
そこに私は「日蓮仏法」が必要だと認識しています。
この「地獄世界」に「仏国土」を作るしかないのでは?
皆が自分の前に仏国土を作れば、いつしか全部が仏国土になる。
壮大な時間と労力がいりますが「不可能」ではないと思います。
承前
>五井野正氏
私は、よく存じておりません。
ネットで名前を拝見したことはある程度でした。
ちょっとググって見ました。
Siriusさんのお師匠さんなのですね?
確かに薬王品に「我滅度の後後の五百歳の中閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」とあって1箇所にしか「広宣流布」の文字はありません。
しかし、御書には54箇所に出て来ます。数の多さが正しさの証明ではないのですが、日蓮大聖人が「広宣流布」と言われているので、私にはそれで十分です。
「一念三千論盗作」との事ですが、到底信じられません。
「一念三千論」は昭和48年以前にもあったかと思いますし、池田先生の書かれた「一念三千論」以前の諸講義にその原形があったと記憶しています。(この辺は曖昧なので、後日調べます。)
Siriusさんに質問です。
なぜ、本当の著者が五井野氏ならば、その後の五井野氏の主張が「一念三千論」と違うのでしょうか?
自分の「一念三千論」から離れたのは、より良い理論が生まれたのでしょうか?
なにか、経緯の判る書籍などはありますか?
また上記サイトには明らかな間違いもありますよ。
五井野氏がリサイクル(空き缶拾い等?)の日本での先駆者かもしれませんが。
1972年にはロンドン条約も出来てますし、「リサイクル」と言う言葉でありませんが、回収業はかなり昔からあります。
元々、日本は廃物回収・再利用のシステムが出来ています。
江戸時代には、ほぼ出来上がっていて、当時のオランダ商人が驚いたとの手紙があったはず。
なにせ、都会で出る「便」までリサイクルしてましたからね。
また、江戸の下水システムも今のリサイクル社会への先駆でしたよ。
雨水と汚水を分別し、汚水による地下水の汚染を防いだりね。
なので35年前に日本で初めて「リサイクル」を言い出した。との記述には疑問があります。
実際に空き缶を回収して社会にアピールをしていたとの、行動は賞賛いたしますが、それを創価学会や池田先生が妨害していたとの記述には信用性がありません。
また、1970年代の創価学会や公明党は、今ほど社会に対し影響力はないと思います。
当時は野党でしたから、妨害工作をできるとは思えません。
かなりの悪意のあると判断します。
また、無用に「日本人ならば」とナショナリズムを書きたてる手段も頂けません。
このサイトも最近作られた様ですね(タイムスタンプが2009/5/24)、私にはデマサイトにしか見えません。
また、このサイトの記述は五井野氏公認なのでしょうか?
五井野氏を利用したものにも見えます。
承前
>あと芸術も必要だと思います。
そうですね、ものすごく同感です。
芸術を失念してました。
音楽や芸術は言葉を越え、魂に直に訴えかける物ですよね。
>ではイラク派遣などもこれだから仕方がないと仰る訳ですね?
拙速ですね(笑)
私は「イラク戦争」は支援をしていません。
創価学会も公式に支援はしていないはずです。聖教紙上にもないはずです。
しかし、公明党は別組織ですので、違うかもしれませんが、戦争を容認する見解はなかったはずです。
池田先生はSGI提言でも、度々言及されてますが、戦争は声を出してるだけでは無くなりません。
行動が必要です。
日本政府もイラクやアフガンの支援は戦争そのものではなく、後方支援です。
現実に都市基盤が破壊され、そこに住む庶民の生活が圧迫されています。
自衛隊の行動は病院学校を作ったり、水の供給をしたりといわば尻ぬぐいですね。
地元に感謝をされても恨まれておりません。行動こそが信頼を勝ち得てますね。
「派兵」との言葉だけでは悪いイメージしかありません。
しかし、そこに行き日本の報道では日陰者扱いです。
派兵から戻った自衛隊員に直に話を聞きましたが、「誰に認められなくても良い、子供たちの喜ぶ笑顔で頑張れた」との言葉に感謝と敬礼と握手をしましたよ。
もし、日本政府がイラク戦争を認めなくてもアメリカは戦争をしたでしょうね。
そして後方支援をしなかったら、今でも当地では庶民が嘆き立ち直れていないのではと、私は思います。
>通常はそれらは受動的にしか分かりませんが、ある日を境に能動的にコントロールする事も可能なのです。
コペルニクス的な発想の転換ですね。
運命など事象は受動的であれば結果は予想がつきますが、能動的であれば予想がつかなくなります。
予想が付かないのは各人の思惑や信念によって流動的だからです。
流動的だからコントロールが出来るのですね。
とても真理だと思いますよ。
JankDarkさん、こんばんは。
>このサイトも最近作られた様ですね(タイムスタンプが2009/5/24)、私にはデマサイトにしか見えません。
また、このサイトの記述は五井野氏公認なのでしょうか?
五井野氏を利用したものにも見えます。
「知られざる日本人 五井野正博士」(
http://nokano.web.fc2.com/)というサイトに対して、『デマ』、『五井野氏を利用した』等とそう思いたい気持ちはよく分かります。「一念三千論盗作」を知った当初の私達家族もそうでしたから。
ですがそれから五井野氏の本を入手して読み、そして直に本人にお会いしてこの「一念三千論盗作」を含めて、このサイトに書かれている内容が私が五井野氏本人から聞いた話しとあっている事は事実です(このサイトの戸田先生が30代で亡くなったなど細かいところはまちがってるところもありますが)。
デマと思うのはご自由ですが、五井野正氏に直接会ってみて結論を出されては如何でしょうか。
Siriusさん、こんばんは。
私がお聞きしたかったのは、五井野氏本人が「盗作された」と言っているかの確認でした。
Siriusさんが直に五井野氏本人から聞いたのであれば承知です。
デマと信じたいではなく、論に整合性が無いので「信頼性」がないと思うのです。
池田先生の「一念三千論」は五井野氏の盗作ならば、その後の五井野氏の著作の論理性が「一念三千論」の沿線上になければ説明がつかない。
しかし、その後の著作「法華三部経体系」などは、池田先生の一念三千論と反する論理で書かれているからです。
疑問1
五井野氏著作の「法華三部経体系」などで、真理法なる物、釈迦が始成正覚でもなく久遠実成でもない悟りを得ている事、とオカルトが一杯な点
疑問2
著作で1970年代中盤あたりで空き缶拾いをしていた五井野氏が、釈迦が北門でみた若き沙門としている点(時空を超越する論理)
疑問3
南無妙法蓮華経と唱えても救われることはない。本当に法華経を信じているなら、五井野正氏の本で得る悟りを成仏の根本にしている点。
以上で、盗作されたとする五井野氏著作の「一念三千論」は無かったと推測される。
私には五井野氏は始めから全く学会と関係のない論理で始まる新興宗教の教祖にしか思えません。
盗作と言うのも創価学会のネームバリューを使った宣伝行為にしか思えません。
五井野氏はアグレッシブに活動されていて市民運動や文化活動をされているのは敬服いたします。
それに特許も沢山取られている様ですが、私は「運動」や「特許」で信用や傾倒はいたしません。(笑)
折角のご紹介ですが私には物足りない様です。m(_ _)m
JankDarkさん、こんばんは。
そうですか。それはとても残念です。
Siriusさん、こんにちは。
ごめんなさいね、でも、私の気付いてない捉え方や見方があると思うので、Siriusさん、これからもヨロシク教えてね(^^)